応徳温泉

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応徳温泉
温泉情報
所在地 群馬県吾妻郡中之条町
交通 鉄道:吾妻線長野原草津口駅よりバスで約20分
泉質 硫黄泉(硫化水素型)[1]
泉温(摂氏 53.5[2]
湧出量 80ℓ/min[3]
pH 8.0[2]
宿泊施設数 1
総収容人員数 45[4] 人/日
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応徳温泉(おうとくおんせん)は、群馬県吾妻郡中之条町にある温泉[5]尻焼温泉花敷温泉京塚温泉と共に六合温泉郷を形成する[6]草津温泉の上がり湯とも称される[7]

泉質[編集]

ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉・塩化物泉[8]。pH8.0弱のアルカリ性の高温泉で無色透明。その中に黒い湯の花が入っている[9]。温泉は白砂川の上流700mの源泉から引いている[10]

温泉街[編集]

一軒宿。日帰り温泉施設として、隣接する道の駅六合に日帰り入浴施設が併設されている[11]

歴史[編集]

発見年代は不明であるが、古文書には「ねど踏み[12]」に利用された「さらし湯」「浸し湯」の記載があり、1846年弘化3年)には入山村の百姓弥平次が、差添人名主武兵衛を経て岩鼻代官林部善太左衛門に3年間(以後嘉永元年まで)「さらし湯」として願書を提出、長男の茂太郎が旅館を開業したとされている[13]1850年(嘉永7年)の稼方願(湯本文書)によると冥加永は「花敷温泉年八九文、応徳温泉九二文」願が出ている[7]

明治元年ごろには相当繁栄したが、度重なる水害により経営不振となり1894年(明治27年)に一度廃宿となった。その後1971年(昭和46年)に当時の六合村で村内唯一の鉄道であった吾妻線太子駅 - 長野原駅間を廃止する際に六合村と国鉄の間で交わされた協定の中に六合村の開発支援があったため、利用されず休止状態にあった応徳温泉を利用して1979年昭和54年)当時の国鉄国鉄山の家六合山荘を開業した[14][15]。開業当時より当施設は六合村が管理をしていたが、国鉄民営化もあり1994年(平成6年)にはJRより六合村が買受した[15]2005年平成17年)に築130年の古民家を同地へ移築し、名称を「宿 花まめ」と改めて現宿が開業した[9][15]

1922年大正11年)には若山牧水が同地を訪れており「上野の草津より沢渡の湯越ゆる路名も寂し暮坂峠」の碑が立てられている[7]

参考文献[編集]

  • 木暮敬、萩原進『群馬の温泉』(上毛新聞社、1980年)
  • 『群馬県の地名』(平凡社、1987年)
  • 『角川日本地名大辞典』(角川書店、1988年)
  • 『日本温泉・鉱泉一覧』(地質調査所、1992年)
  • 『全国温泉大事典』(旅行読売出版社、1997年)
  • 小暮淳『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社、2009年)
  • 『新ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社、2014年)

アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ お風呂お宿花まめ公式ホームページ(2020年9月4日閲覧)
  2. ^ a b 『群馬の温泉』、p.220
  3. ^ 『日本温泉・鉱泉一覧』(1975)、p.153
  4. ^ 施設概要お宿花まめ公式ホームページ
  5. ^ a b 全国温泉百科事典、pp.262-263
  6. ^ 六合の里温泉郷組合(中之条町観光協会内)2020年9月1日閲覧
  7. ^ a b c 群馬の地名、p.193
  8. ^ 応徳温泉日本温泉協会ホームページ(2020年9月4日閲覧)
  9. ^ a b ぐんまの源泉一軒宿、pp.42-43
  10. ^ 『新ぐんまの源泉一軒宿』、p.16
  11. ^ お宿花まめ六合温泉郷HP(2020.9.4Lastaccess)
  12. ^ ねど踏みの里 - 温泉のお湯を活用し「こんこんぞうり」や「すげむしろ作り」をするとき、菅(すげ)をお湯に付けて足でならす事を「ねどふみ」と言った
  13. ^ 『群馬の温泉』、p.219
  14. ^ 『群馬の温泉』、pp.219-220
  15. ^ a b c 続六合村誌”. 中之条町. 2024年2月5日閲覧。
  16. ^ バス時刻表中之条町役場公式ホームページ(2020年9月4日閲覧)

外部リンク[編集]