御幸橋 (八幡市)

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京都府道13号標識
御幸橋
淀川御幸橋(北東側より撮影)
基本情報
日本
所在地 八幡市
交差物件 淀川/木津川
建設 2003年(淀川御幸橋)(位置
2010年(木津川御幸橋)(位置
構造諸元
全長 266m(淀川御幸橋)/355m(木津川御幸橋)
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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木津川御幸橋(南西側より撮影、左は解体中の旧橋)
解体中の木津川御幸橋(2011年4月、北西側より撮影)

御幸橋(ごこうばし)とは、京都府八幡市木津川宇治川(淀川)に架かる橋である。

概要[編集]

京都府道13号京都守口線に架かる道路橋である。木津川・宇治川・桂川の3川合流地点にほど近い場所に立地し、木津川・宇治川に架かる橋のうちもっとも下流に位置する橋である。木津川に架かる「木津川御幸橋」(全長355m)と宇治川に架かる「淀川御幸橋」(全長266m)にかかる2本の橋を総称して御幸橋と呼称している。なお、桂川には天王山大橋が架かっている。

府道13号はかつての国道1号であるほか、枚方バイパスの供用開始に伴う府道降格後も地域の主要道路のひとつとして機能している。

歴史[編集]

京都と大阪を結ぶ京街道として機能し、現在の御幸橋付近に橋が架けられたのは1898年明治31年)頃という記録が残っている[1]。しかし、当時の木津川は京都市伏見区)付近で宇治川に合流していたため、橋は1本だったと推定される。

1885年(明治18年)6月、7月に明治大洪水が発生し、その後も1889年1896年に水害が発生したため、1896-1910年にかけて「淀川改良工事」が行われた。木津川では河川の付け替えや連続堤防の修築が行われ、現在の三川合流部で合流する流路に付け替えられた[2][3]

それに伴い1913年大正2年)には、三川合流部に近い下流部の木津川と宇治川に初代御幸橋が開通した[1]

近代的な橋に架け替えられたのは1930年昭和5年)7月である。橋長は木津川御幸橋が352m、淀川御幸橋が262mで、幅員は8m。の形式はゲルバー式の鋼桁橋であった。

1966年(昭和41年)3月枚方バイパス供用開始に伴う府道降格(1971年)までは、国道1号としての役割を果たした。1930年に架けられた御幸橋は片側1車線であったほか、当初は歩道が設置されていなかったが、交通量の増大に伴い両側に幅2mの歩道(ガードレール付)が設置された[4]

現橋の御幸橋は3代目で、両側4車線の車道および両側に歩道が設置され、あわせた幅員は23mである。2代目御幸橋の老朽化交通渋滞の悪化に伴い、旧橋の上流側に架け替えられた。淀川御幸橋(長さ266m)は京滋バイパス国道478号の開通に間に合わせる形で2003年平成15年)11月14日に供用を開始した。木津川御幸橋は南詰に設置された交差点付近における用地買収の遅れから、淀川御幸橋から7年遅れの2010年(平成22年)6月19日に供用を開始した。木津川御幸橋の総事業費は、取り付け道路の整備費用も含め約53億円である。

3代目淀川御幸橋の開通から3代目木津川御幸橋開通までは、中央の交差点が大きくカーブした形態がとられた。また、淀川御幸橋も南半分が車線規制された形が取られていたが、両橋の架け替え完了に伴い淀川御幸橋の車線規制も解除され、本来の機能を発揮している。また、南詰の交差点は橋梁が上流側へ架け替えられたこと伴い、丁字路から十字路の交差点に変更された。橋梁の色はが踏襲され、欄干街路灯も景観に配慮したデザインのものが使用されたほか、旧橋で使用されていた親柱が現橋のたもとに移設され引き続き使用されている。

拡幅を伴う架け替え工事の完了により、朝夕ラッシュ時に発生していた御幸橋の渋滞が大きく緩和された。

年表[編集]

近隣の施設[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 田辺町史編さん委員会「田辺町史」887頁 -.1968年12月1日
  2. ^ 植村義博著「京都の治水と昭和大水害」
  3. ^ "三川合流部付近の八幡市・京都市の飛び地について" 2011年11月5日付京都新聞夕刊
  4. ^ a b c "両側に歩道を設置"1978年3月 広報やわた 4頁

関連項目[編集]