山田晴通

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山田 晴通
(やまだ はるみち)
人物情報
生誕 1958年(58–59歳)[1]
日本の旗 福岡県福岡市[1]
出身校 栄光学園高等学校
東京大学
学問
研究分野 社会経済地理学、メディア論、ポピュラー音楽[1]
研究機関 松商学園短期大学
東京経済大学
マッコーリー大学
博士課程
指導教員
田辺裕[2]
博士課程
指導学生
吉成順[3][4]
学位 理学博士(東京大学)[2]
影響を
受けた人物
竹内啓一[5]
学会 地理科学学会日本マス・コミュニケーション学会日本地理学会、など
公式サイト
「地域のコミュニケーション」研究室
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山田 晴通(やまだ はるみち、1958年(昭和33年)[1] - )は、日本地理学者東京大学理学博士1989年)。松商学園短期大学商学科助教授東京経済大学コミュニケーション学部助教授、教授を歴任。社会経済地理学地域メディア論を専門とし、ポピュラー音楽でも研究実績がある[6]ウィキペディア日本語版での活動でも知られる[7]

東京経済大学教職員組合執行委員、同委員長、東京地区私立大学教職員組合連合中央執行委員、国分寺地区労働組合協議会事務局次長日本私立大学教職員組合連合中央執行委員、独立行政法人大学入試センター教科科目第一委員会委員(地理)、文部科学省教科用図書検定調査審議会専門委員(音楽)、ウィキペディア日本語版の管理者[7]なども務めた。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

福岡県福岡市にて生まれた[1]1977年(昭和52年)に栄光学園高等学校を卒業した。東京大学教養学部文科二類に入学、1981年(昭和56年)に東京大学教養学部教養学科を卒業。東京大学大学院理学系研究科修士課程に入学、1983年(昭和58年)に修士課程を修了、東京大学大学院博士課程へ進学、1986年(昭和61年)に博士課程単位取得退学[1]。なお、1989年(平成元年)、東京大学より理学博士学位を取得[2]

大学教員として[編集]

松商学園短期大学講師就任(1990年に同短期大学助教授)。1995年(平成7年)より東京経済大学コミュニケーション学部助教授に就任、2006年(平成18年)4月より同大学教授となった[1]2001年(平成13年)にはオーストラリアマッコーリー大学現代音楽研究センター客員研究員[1]2004年(平成16年)4月から2006年(平成18年)3月には独立行政法人大学入試センター教科科目第一委員会委員(地理)、2005年(平成17年)4月から2008年(平成20年)3月には文部科学省教科用図書検定調査審議会専門委員(音楽)も務めている[4]

また、東京経済大学教職員組合では執行委員・教研部長を経て執行委員長に就任し、東京地区私立大学教職員組合連合にて中央執行委員などを歴任した[8]2014年11月には、日本私立大学教職員組合連合の中央執行委員に就任した[4]。なお、国分寺地区労働組合協議会においては、2011年から事務局の次長を務めていた[4]

科研費研究では「グローバリゼーションとEU統合への文化的対応に関するEU主要都市比較研究」[9] や「地域調査士の創設と地理学の社会貢献に関する広報強化を目指した企画調査」[10] といったテーマで研究分担者を務め、2011年から3年間の「観光資源としてのポピュラー音楽に関する実証的研究」は研究代表者として採択された[6]2010年頃には、「ポピュラー音楽にみるローカルアイデンティティの日米比較研究」[11] や「デジタル時代の情報生成・流通・活用に関する地理学的研究」[12] でも分担者を務めている。

人物に関して[編集]

人物像に関して[編集]

長く伸ばしたトレードマークである。早稲田塾の対談企画に応じた際、インタビュアーから「いかにも巨漢の偉丈夫で、丸々とした顔に立派なひげを蓄えている」[1]と評された。

山田は東京経済大学のドメイン内に自身の研究室独自のサーバを設け、公式ウェブサイトを開設している[13][1]。多数のページで構成され掲載情報も多岐にわたるが、自身について不利な情報も削除せず掲載しているため「決してプラス評価でないものまで余すところなく開示している」[1]とされている。ただ、掲載されている内容そのものについては、早稲田塾から「といっても中身のほとんどは山田先生の個人ページである」[1]と評されている。

なお、山田は平和安全法制については反対の立場であり、本務校[14]・非常勤先[15] の有志の声明に署名をしている。

研究に関して[編集]

研究分野は英国の地方都市やメディア論、大衆文化論、ポピュラー音楽など[1]。学会発表では他の研究者を名指しで批判することがあり、1984年には地理学者の竹内啓一論文を「雑文」[5]と評したために竹内本人から反論されたり[5]水岡不二雄について「水岡不二雄名誉教授ヘの公開質問、あるいは、『狸』の正体」[16]と題した発表を行っている。

竹内とは前述のやり取りから話をするようになり、大きな影響を受けたという。社会経済地理学を専攻としているのも、竹内の影響によるものである。竹内の没後、山田は「自分の専攻を『社会経済地理学』と勘違い気味に自称するようになったのも、『私淑』していた竹内先生を真似てであった」[5]と述べている。ただ、竹内の門下に入ったというわけではない。この点については、山田も「私は最後まで竹内先生の『弟子』にはなれなかった」[5]と述べている[注釈 1]

音楽に関して[編集]

父の教育方針もあり、山田はクラシック音楽を幼少期より聞いて育つ[注釈 2]。山田は音楽に関する講義もする一方でポピュラー音楽に関する学術論文も執筆したり[17] マスメディアから取材を受けたりしている[18]バートン・クレーンのCDが復刻販売されたことについて、自身がクレーンについての論文を発表したことがきっかけであると主張している[1]

往年の洋楽スターや名曲が日本において支持されている背景について、音楽の流行には「循環性」があるとした上で、1980年代後半になると「日本勢」にも実力派が現れ音楽シーンに変化が生じ、また80年代にはヘッドホンカセットが普及し「一人で聴く習慣」が広がった影響もあり、1990年代の洋楽は「インパクトが薄い」という印象が生じているため、「それ以前のアーティストや曲が輝き続けている」と分析している。一方「十年、二十年後にブームになるような洋楽アーティストはいるだろうか」とも述べている[19]

Jポップの「紋切り型」歌詞への批判について、「むしろ多くの人に支持されるフレーズだからこそ、繰り返し使われてきた」とした上で、「紋切り型が増えたように感じるのは、ネット利用の広がりで、紋切り型に対する批判が以前より可視化されやすくなったからではないか」と述べている[20]

ウィキペディアに関して[編集]

インターネットの書き込みは実名で行っており、ウィキペディア日本語版でも同様である[21]2010年のウィキメディア・カンファレンス・ジャパンでは、ウィキペディアを編集する「学術経験者」として招待講演を行った[21]2011年12月から管理者を務めた[7][注釈 3]

ウィキペディアに関しては、ウィキペディアは本質的に「演説台」であり、「独自の考えを発表する場」であり、「戦場」であり、「無法地帯」であるため、新規参加者をいじめ、礼儀を忘れ、多重アカウントを駆使し、議論を混乱させ、自説を言いつづけ、時間をかけて大量のコメントを書きつづけた者が該当の記事を支配することがあると指摘し、ウィキペディアのいわゆる「独自研究」に励むべき専門の研究者・学者は、定説を書くことを求められるウィキペディアとは相性が悪いとの見解を示している[21]

新聞での見解に関して[編集]

山田は中日新聞において、1992年長野県知事選に関連して県内の「南北格差」について「物差しの当て方が難し」く「感情論になりやすい」とした上で、「それを割り引いても五輪が引き金になって格差が広がるのではないかという考えが出てくるのは当然だ」と述べた。そして「住民にとっては国の直轄事業だろうが、県単事業だろうが、民間の事業だろうが、地域に何を整備してもらえるのかが問題」なのであり、「目に見える形で、集中的に整備することが肝要」であると主張していた[22]

また、長野県の県政への提言として「新規事業に取り組むよりも、ここ十年ほどに手を付けた事業を見直すことが必要」とし、「ネガティブな意味ではなく、積極的にそれらの事業を再活性化させる発想も必要だろう」とも述べている[22]。加えて1993年開催の「松本城400年まつり」について、山田は「自然を見せるノリがあったのは良かったが、全体的には映像偏重で、過去の博覧会とあまり変わりばえはしなかった」とコメントしている[23]

2006年には産経新聞において、投資用ワンルームマンションの業者による悪質な勧誘の問題に関連して、「公務員や教員は、金融機関の融資可能残高が多い」ため勧誘の対象になりやすいとコメントしている。なお山田は業者からの勧誘電話に関する情報を自身のウェブサイトにて公開しているという[24]

2008年には新潟県十日町地域で五つの地域紙が存在することに関連して、「山間部や盆地では外部からの情報が入りにくかったために、地域紙が強い影響力を持つケースが多い」と朝日新聞でコメントした[25]

履歴[編集]

以下は「地域のコミュニケーション」研究室 (2014年12月2日) “山田晴通・経歴/教歴/所属団体”. 2016年11月5日閲覧。で確認。

略歴[編集]

社会的活動[編集]

著作・翻訳[編集]

学位論文[編集]

  • 『わが国におけるCATV(有線テレビジョン)の存立基盤 ―空間的展開と地域的特性』東京大学博士学位論文(甲第7958号)、1989年3月。[2]

著書[編集]

(分担執筆)

(翻訳)

翻訳論文[編集]

主な単著論文・解説[編集]

機関リポジトリCiNiiで閲覧できるものを掲載。

学会誌・論文誌・紀要[編集]

(地理学・地域メディア)

(音楽関連)

(その他)

『コミュニケーション科学』[編集]

(地理学・地域メディア)

(音楽関連)

(その他)

『東京経済大学 人文自然科学論集』[編集]

(音楽)

(その他)

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 山本健兒が研究代表者を務める科研費では、山田は竹内啓一とともに研究分担者を務めている[9]
  2. ^ ぱるらんど国立音楽大学付属図書館広報誌))』の218号掲載の高野紀子氏との対談を参照(なお紙面では「高野紀子先生 vs 山田晴通先生」という題名で掲載されている)。
  3. ^ アカウントは利用者:山田晴通[21]Wikipedia:管理者#過去の管理者によると、2016年11月4日で管理者からはずれている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 早稲田塾 2008.
  2. ^ a b c d 山田晴通. “わが国におけるCATV(有線テレビジョン)の存立基盤 ―空間的展開と地域的特性”. 国立国会図書館サーチ. 2015年5月31日閲覧。
  3. ^ 吉成順『19世紀中葉のロンドンにおける大衆的演奏会文化の実態と意義』東京経済大学博士学位論文〈甲第13号〉2012年3月23日学位授与(博士(コミュニケ―ション学))
  4. ^ a b c d 山田晴通 (2014年12月2日). “Harumichi YAMADA: curriculum vitae”. その他の団体. 東京経済大学. 2014年12月2日閲覧。
  5. ^ a b c d e 山田晴通「『私淑』していた先生」竹内啓一先生追悼集編集委員会編集『竹内啓一先生追悼集――地理学と国際文化交流とのあいだで』竹内啓一先生追悼集編集委員会、2006年、135頁。
  6. ^ a b 観光資源としてのポピュラー音楽に関する実証的研究”. 科学研究費助成事業データベース. 2016年10月27日閲覧。
  7. ^ a b c 研究会報告 2015.
  8. ^ 山田晴通 (2012年4月6日). “Harumichi YAMADA: curriculum vitae”. その他の団体. 東京経済大学. 2012年7月20日閲覧。
  9. ^ a b グローバリゼーションとEU統合への文化的対応に関するEU主要都市比較研究”. 科学研究費助成事業データベース. 2016年10月27日閲覧。
  10. ^ 地域調査士の創設と地理学の社会貢献に関する広報強化を目指した企画調査”. 科学研究費助成事業データベース. 2016年10月27日閲覧。
  11. ^ ポピュラー音楽にみるローカルアイデンティティの日米比較研究”. 科学研究費助成事業データベース. 2016年10月27日閲覧。
  12. ^ デジタル時代の情報生成・流通・活用に関する地理学的研究”. 科学研究費助成事業データベース. 2016年10月27日閲覧。
  13. ^ 個人研究室で管理するインターネットサーバの運用とサイトの構築 ―文系の視点で語る camp.ff.tku.ac.jp の実践」『コミュニケーション科学』第8号、1998年2月、115-128頁。NAID 120005531778
  14. ^ [1][要高次出典]
  15. ^ 安全保障関連法の廃止を求める早稲田大学有志の会, 安全保障関連法に反対する早稲田からの新アピール, オリジナルの2015年12月12日時点によるアーカイブ。, http://megalodon.jp/2015-1212-0100-06/www.waseda9.org/ 
  16. ^ 日本地理学会 (2015年). “シンポジウム・一般研究発表 (PDF)” (日本語). 2015年10月1日閲覧。水岡不二雄名誉教授ヘの公開質問、あるいは、「狸」の正体
  17. ^ 例えば 山田晴通(1999):『globe:小室哲哉の歌詞が描き出す世界』
  18. ^ 例えば Jポップ歌詞、瞳閉じすぎ? 目立つ紋切り型に批判も(朝日新聞デジタル2012年4月6日付、同日閲覧)
  19. ^ 「輝き放つ洋楽ロック懐メロ 30、40代シビれる80's CDも大ヒット クイーン、S・ワンダーら続々来日 時代共有、琴線に触れる」『中日新聞』2005年11月3日朝刊。
  20. ^ 「Jポップ歌詞、瞳閉じすぎ? 目立つ紋切り型に批判も」『朝日新聞』2012年4月4日朝刊。
  21. ^ a b c d 山田晴通「ウィキペディアとアカデミズムの間」『東京経済大学人文自然科学論集』第131号。同じ文章が、著者により利用者:山田晴通/ウィキペディアとアカデミズムの間で掲載されている。
  22. ^ a b 「検証『北高南低』 92知事選に寄せて(4) 助教授の視点 目に見える整備必要 中南信地方に対して知事も足を運ぶべき」『中日新聞』1992年9月26日朝刊。
  23. ^ 「成功収めたが反省点も 信州博、松本城400年まつり 映像偏重の企業館 『半強制的な前売り』と不評」『中日新聞』1993年9月27日朝刊。
  24. ^ 「投資向けマンション販売会社 脱税指南で購入促す 架空経費計上し不正還付」『産経新聞』2006年1月14日朝刊。
  25. ^ 「身近なニュースで影響力 2万余世帯の十日町・津南に5地域紙」『朝日新聞』2008年5月26日。
  26. ^ 今田健太郎「東谷護編著『ポピュラー音楽へのまなざし-売る・読む・楽しむ』」、『東洋音楽研究』第2004巻第69号、185-188頁。
  27. ^ 東京スタディーズ 吉見俊哉/若林幹夫【編著】”. 紀伊國屋書店. 2016年11月6日閲覧。
  28. ^ <書 抜き書きメモ27>吉見俊哉・若林幹夫編著『東京スタディーズ』紀伊国屋書店、2005年”. ブリコラージュ@川内川前叢茅辺. 2016年11月6日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]