山九

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山九株式会社
Sankyu Inc.

Sankyu01.JPG
本社ビル

SANKYU Honten.JPG
本店
種類 株式会社
市場情報
東証1部 9065
福証 9065
本社所在地 日本の旗 日本
104-0054
東京都中央区勝どき6-5-23
本店所在地 801-0852
福岡県北九州市門司区港町6-7
設立 1918年大正7年)10月1日
業種 陸運業
法人番号 7290801005328
代表者 中村公大(代表取締役社長)
資本金 286億19百万円
売上高

連結5,100億27百万円、

単体3,710億62百万円(2017年3月期)
従業員数 単体11,151名 連結30,926名(2016年3月現在)
決算期 3月31日
主要株主

日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社 (信託口)9.96%
日本マスタートラスト信託銀行株式会社 (信託口)7.41%
新日本製鐵株式会社4.41%
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社 (信託口9)3.21%
財団法人ニビキ育英会3.00%
株式会社みずほコーポレート銀行2.54%
明治安田生命保険相互会社1.84%
ジュニパー1.77%
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社 (信託口4)1.74%

東京海上日動火災保険株式会社1.61%
主要子会社 株式会社サンキュウ・トランスポート(6社)
関係する人物 中村精七郎(創業者)
外部リンク http://www.sankyu.co.jp
特記事項:財務データは2016年3月期、主要株主データは2011年3月期
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山九株式会社(さんきゅう、英称:Sankyu Inc.)は、本店を福岡県北九州市門司区に、本社を東京都中央区勝どきに置く、大手総合物流企業。JPX日経インデックス400構成銘柄の一つ。

概要[編集]

一般港湾運送事業、貨物自動車運送事業だけでなく、国際物流事業、倉庫事業、機工事業など幅広い物流サービスを提供している。また、新日鐵住金JFEホールディングス三井化学住友化学川崎重工業三菱重工業旭硝子プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン等が大荷主であり、梱包や在庫管理といったロジスティクス事業だけでなく、プラントエンジニアリング事業としてプラント建設や据え付け、メンテナンス、改修や解体までを手掛けている点も特徴の一つである。重量物輸送・据付の分野に関してはパイオニアである。自社でも内航コンテナ船を運航している。また、日本通運日新と共に「中国物流御三家」と呼ばれている。 年間売上高で日本通運、日立物流に次いで国内総合物流業界第3位。また、フォワーダー業界(国際物流)での売上高は日本通運に次ぐ国内第2位。

社名の由来[編集]

中村汽船(1969年に日本郵船の傘下となる)が、当時八幡徳山といった九州地方山陽地方を基盤として事業を行っていた磯部組を買収した際、それぞれの地方名の頭文字と感謝の気持ちとしての英発音「サンキュー(Thank You)」とを掛け合わせて、磯部組の社名を山九運輸株式会社とした事に由来する。 なお、コーポレートスローガンは「ありがとうの気持ちが会社の名前です」である。

略歴[編集]

沿革[編集]

中村精七郎胸像(長崎県平戸市)
山九本店にある説明板

中村精七郎(なかむら せいしちろう、1872年 - 1948年)が創業した中村組(1905年設立)傘下に、1918年10月に磯部組を買収して設立された山九運輸株式会社が起源である。

創業当初[編集]

  • 創業当時の事業内容は、朝鮮半島満州山東省からの鉄鉱石石炭の陸揚げや無煙炭輸送などの輸送事業で、創業当初から海外で事業(第二次世界大戦までに15か所の海外拠点を所有)を行っていた。
  • 官営八幡製鉄所や徳山海軍、光海軍、四日市海軍等の燃料所における構内作業。
  • その他、北九州での連絡渡船業や土木建設等多岐にわたっていた。

大正~昭和戦前時代[編集]

  • 1942年に就任した二代目社長中村勇一(初代社長の長男)は、戦時統制経済の中、当時親会社であった中村汽船の事業縮小を徹底的に行った。

昭和戦後時代[編集]

  • 戦後になると後の基幹事業である陸上トラック作業や港湾作業、重量物・大型貨物の輸送、産業機械の解体・梱包、据付、通関・通運等へ進出を行う。
  • ただし山九とは対照的に親会社の中村汽船は、ドッジラインの実施によるドッジ不況や1949年のキティ台風による(はしけ)32隻の大中破(横浜)により、さらなる事業縮小を余儀なくされる。

昭和中期時代[編集]

  • 1959年に先代社長の急逝により就任した三代目社長中村健治(初代社長の次男)は、運輸と機工のバランス発展に力を入れる。
  • 石油コンビナートが建設されるようになると、それに伴う重量、大容量機器の据え付けや保全作業の拡大に注力する。既存の製鉄所作業の拡大にも尽力する。
  • またこのころ、それまで九州に置いていた本社機能を東京へ移管(1961年)する。

昭和後期時代[編集]

  • 1973年に就任した四代目社長中村公三(初代社長の三男)は、海外事業(中国インドネシアタイベトナムブラジル等)の現地法人化の推進や一貫責任体制の確立を行っていく。
  • 1982年にはその後2006年まで続く引越事業を開始する。この引越事業の開始により、それまで法人向けサービスを主としていたゆえの低い知名度が、テレビCM等の広告戦略により向上していくことになる。
  • 1986年、親会社である中村汽船がついに倒産する。その際の負債総額595億円を全額負担することになり、市場からもこれ以上の経営継続は不可能だと考えられていた。
  • 1986年に就任した五代目社長中村公一(先代中村公三の長男)は、再建計画の一環として岡崎工業との合併を模索する一方で、中国や東南アジアに次々と現地法人を設立していく。

平成時代[編集]

  • 中村汽船の負債が落ち着くまもなく、2001年3月期から財務諸表に記載が義務づけられた退職給付債務と年金資産等との差額が、それまで積み立てていた退職給付引当金ではあまりに少なかったため、さらに負債が拡大した(2000年3月期データで有利子負債が1,601億円までふくらんだ)。
  • 近年は客先の好況や転換社債の発行などにより、有利子負債はピーク時の半分以下にまで減り、ようやく安定した。(2007年3月期データで753億円)

新日鉄住金との関係[編集]

創業当時より新日鉄住金とは緊密な関係にあり、さながら新日鉄住金の物流部門の様相を呈している。副社長は新日鉄住金より受け入れるのが慣例となっており、また新日鉄住金構内に支店、または事業所等が設置されている事も多い。副社長に限らず多くの出向受け者が存在する。近年の安定株主対策により議決権割合は減ったものの、未だに大株主である。 ただし、実際には経営的影響力はほとんど無い。

言い伝え[編集]

かじとり観音昭和霊験記[編集]

知多半島南部にある密蔵院(愛知県知多郡)には母体となった中村汽船の船の話が言い伝えられている。境内にはその言い伝えが記載された看板がある。その看板には、

野間の里は千石船の昔より船と共に栄えてきたが、これらの船の生命をお譲りしたのが当山の『舵取り観音様』であった。以下中略。第二次世界大戦末期、昭和19年7月18日。中村汽船所属の軍御用船第十雲海丸は、小笠原近海で米軍の爆撃を受けて沈没。吉田船長以下7名は、1週間分の食糧と水を用意し救命艇で脱出。日本本土までの1,000キロメートル、観音信者の船長始め乗組員は、果てしない洋上を「南無観音菩薩」と唱えながら必死で漕ぎ、実に30数日間漂流した。観音様のお加護があって、日本近海を北上している強い黒潮の流れを突破、狭い伊勢湾の入り口に見事に入り、野間の沖に流れ着いた。この7名は出来る限りの救助を受け、1名はまもなく死亡したものの、残り6名は無事生命をつなぎ止めることが出来た」

という記述がある。

その他[編集]

歴代社長[編集]

  • 1代目:中村精七郎
  • 2代目:中村勇一
  • 3代目:中村健治
  • 4代目:中村公三
  • 5代目:中村公一
  • 6代目:中村公大

関連項目[編集]

業務提携[編集]

同業他社[編集]

グループ会社[編集]

等75社。

海外現地法人[編集]

  • 山九ユー・エス・エー
  • 山九ヨーロッパ
  • 山九ブラジル
  • 山九メキシコ
  • 山九サウジアラビア
  • 山九オマーン
  • 山九インド
  • 山九タイ
  • 山九ベトナム
  • 山九マレーシア
  • 山九シンガポール
  • 山九インドネシア
  • 山九フィリピン連絡事務所
  • 北京山九(中国)
  • 山九昭安国際物流(台湾)
  • 太栄山九国際物流(韓国)

等44法人。

外部リンク[編集]