城山 (福井市)

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城山
じょうやま
Jouyama(Fukui) 02.jpg
標高 202 m
所在地 福井県福井市
位置 北緯36度00分54.3秒 東経136度11分9.8秒 / 北緯36.015083度 東経136.186056度 / 36.015083; 136.186056座標: 北緯36度00分54.3秒 東経136度11分9.8秒 / 北緯36.015083度 東経136.186056度 / 36.015083; 136.186056
Project.svg プロジェクト 山
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城山(じょうやま)は、福井県福井市南部にある山。標高202メートル。清明地区のシンボルとされる[1]。山頂および山頂から派生する尾根筋に中世山城南居城(なごじょう)跡が所在する[2]

地理[編集]

城山の頂上から見た福井市街地(北側)
二重堀切

標高202メートル[3]。山頂には藤岩(とういわ)という点名の三等三角点がある[4][5]

福井平野を東西に分かつ日野川の東側、鯖江市に近い福井市冬野町、清明地区と社南地区にまたがる[6][3]。地元住民で結成された「平清会」により1995年(平成7年)から登山道の整備が行われるようになり、2023年(令和5年)現在、杉谷ルート、南居ルート、合谷ルートの3本の登山道がある[3]

山頂部の展望所からは、南側に丹南平野と日野山、北側に足羽平野の足羽三山(足羽山、八幡山、兎越山)を眺望できる[6]。山麓には福井県立足羽高等学校がある[7]

北陸街道を見渡せる要衝にあり、平安時代から戦国時代にかけて軍事的に重視され[8]南居城(福井県遺跡番号:01162)が築かれた[2]。山頂部一帯の東西の尾根伝い約600メートルにわたって遺構が見つかっており、曲輪8カ所、堀切10カ所が確認されている[6]。頂上は曲輪で平坦になっており、中央部には土壇状のものがある。曲輪の両側に深さ3メートルの堀切が設けられている[9]。東西の尾根上に平坦地があり、東側は中屋敷と呼ばれ、その下に幅5メートル、深さ1メートルの二重堀切がある。

縄張りから築城は南北朝期で、16世紀まで改修が行われていたと考えられている[10]。さらに2020年(令和2年)3月、麻生津、清明、社南の3地区が関わる「城山遺跡研究保存協議会」が山頂付近で鉄刀を発見したことを機に、福井市教育委員会文化財保護課と協力して発掘調査を行い、頂上付近に40〜50平方メートルの小山状の遺構を確認した[8]

2022年(令和4年)8月-9月の山頂での発掘調査では、山城関連の遺構は見つからなかったが経塚が発見され、仏教遺跡であることも判明した[11]

歴史[編集]

城山には猿田彦神社(福井市冬野町)がある。廃仏毀釈以前には蕗野寺(ふきのでら、吹野寺・冬野寺)と呼ばれる寺院があった。神社に伝わる縁起額によると、大宝年間(701〜703)に泰澄が開基となった3番目の寺であるという[12]

鎌倉時代、旅の途中にあった歌人西行法師が蕗野寺で宿泊した際、「今そしる垣ねを埋む白雪の寒さはげしき冬野寺とは」と一首詠んでいる[12]。その後、寺は城として使われ、「尊経閣文庫 得江文書2−305頁〜」によると、暦応2年(1340年)9月15日、幕府方(北朝側)として越前各地を転戦した得江頼員が、戦いの中で蕗野寺城の麓を焼き払ったとある[13]

また『朝倉家伝記』によると、貞治6年(1367年)2月、朝倉氏景斯波高経との争いの最中、斯波高経は蕗野寺城から出兵して黒丸城に帰陣したとある[14]

伝承[編集]

城山とその周辺には以下のような伝承が伝わっている。

  1. 山に金の茶釜が埋蔵され、朝日夕日のさすところ、白椿の花が咲くところの下にある[15]。または、出る日入る日のある所、白つばきが咲く下にある。夜遠くから見れば夜光天に映じるが、その場に行けば判明しない[16]
  2. 木曽義仲の家臣横山某が燧ケ城の敗戦後、寓居した[17]
  3. この山の滝で泰澄大師は身を清め国家の長久を祈り、衆人快楽の法要を行したので、滝の水には奇特があるとされる。信仰の厚い者が飲めば重い病気が治り、不信の者が飲めばしゃっくりが出るので「しゃくり滝」と呼ばれる[18]
  4. 1890年(明治23年)の溜池堤防の工事の際に、山麓から甲冑等が出土した[19]
  5. 落武者の一隊が城山の奥に隠れた。しばらく経って山を下りて見ると、5月の田植えの時期であった。報告を聞いた大将は長い戦いで正月がまだであったといい、それから落武者達は正月をはじめた。そのため南居の5月は城山の正月であるから寒いという[20]
  6. 城山の城跡に馬が谷という殿様の馬を繋ぐ所があった。2月の後正月に、馬にぜんざいを食べさせると馬が死んだ。以来その家では後正月のぜんざいは食べないという[21]

地質[編集]

城山の地質は中新世前期の糸生層の安山岩溶岩デイサイト火砕岩である[22]

植物[編集]

城山のショウジョウバカマ

植物の出典は清明まちづくり委員会城山部門『城山周辺の山野草』清明まちづくり委員会。

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城山のミズバショウ

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城山のツバキ

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地域活動[編集]

登山道(杉谷ルート)入口

地元の有志たちが1985年(昭和60年)頃から行っている登山道整備や植樹活動が評価され、2015年(平成27年)、「城山(じょうやま)と麓の集落」が福井市景観賞を受賞[28]

1994年(平成6年)11月に清明地区の全世帯に対しアンケート調査を実施した結果、城山の登山道の整備を望む声があり、その意見をもとに事業を展開し始めた。まず最初に登山道を整備するために、土地の使用と樹木の伐採を行う必要が生まれたため、山の管理を行う自治会である杉谷町と山の所有者に許可を求めた[29]

次に、関係者により幾つかの登山ルートを仮定し、登山を試みた。検証の結果、尾根づたいの登山ルートの開発を始める方向性で話が固まったものの、変更せざるを得なくなった[30]。 その後、城山の登山道を決定、整備し、案内看板を立てた。加えて、城山に生えている樹木を調査し、45種計58枚のネームプレートを作成し設置した[31]

1997年(平成9年)10月19日に「登山道完成記念登山大会」が開催され、220名以上が参加した。その後、主に毎年10月に登山の大会を周辺地域の住民と開催する。2010年(平成22年)社南地区伝統文化委員会が「伝説ノ地一ノ城跡」「伝説ノ地二ノ城跡」「三ノ城横山中将城跡」の標柱を建てる[32]。2016年(平成28年)度に、城山を主題とした事業を社南地区と清明地区のまちづくり委員会が連携して行った[33]

2022年(令和4年)7月に福井市清明小学校の6年生児童約80名が城山に自生する樹木の名前と絵を描いた木札を登山ルートに設置した。木札は縦10センチ、幅25センチ、厚さ2.5センチで、同6月の図工の時間に作成した。この木札制作は清明公民館が企画した[34]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 清明まちづくり未来ビジョン 清明地区自治会連合会・清明公民館 清明まちづくり協議会、2023年3月12日閲覧
  2. ^ a b 「南居城跡」(福井の文化財-埋蔵文化財地図)福井県公式HP
  3. ^ a b c 誇れる城山、登って実感 清明小6年生と地元住民」『福井新聞』、2022年6月14日。2023年3月12日閲覧。
  4. ^ 清明まちづくり委員会城山部門『城山周辺の山野草』清明まちづくり委員会
  5. ^ 国土地理院 基準点成果等閲覧サービス、2023年3月12日閲覧
  6. ^ a b c 「ふくいの山城へいざ!」『福井新聞』、2018年8月30日、14面。
  7. ^ 城山(じょうやま)蕗野寺城跡”. うららのまち「語り部」ふくい. 2023年3月12日閲覧。
  8. ^ a b 南居城跡の本丸部分調査開始」『中日新聞』、2022年8月2日。2023年3月12日閲覧。
  9. ^ 『福井市史 資料編1 考古』福井市、1990年、746-748頁。 
  10. ^ 佐伯哲也 『越前中世城郭図面集Ⅱ越前中部編』桂書房、2020年8月、12頁。ISBN 978-4-86627-088-3 
  11. ^ 「福井市の南居城に仏教遺跡 北陸街道一望、出城の役割も 山頂発掘調査」北陸信越観光ナビ(新潟日報社・北日本新聞社・北國新聞社・福井新聞社・信濃毎日新聞社)公式HP
  12. ^ a b 『泰澄ゆかりの神仏』福井県立歴史博物館、2012年、24頁。 
  13. ^ 『福井市史 資料編2 古代・中世』福井市、305頁。 
  14. ^ 『福井市史 通史編1 古代・中世』福井市、527頁。 
  15. ^ ふるさとおこし麻生津地区実行委員会風土記部会編 『麻生津風土記』ふるさとおこし麻生津地区実行委員会、1991年5月、21頁。 
  16. ^ 杉原丈夫編 『越前若狭の伝説』松見文庫、1976年2月、62頁。 
  17. ^ 『福井県の伝説(復刻版)』1973年6月、86頁。 
  18. ^ 杉原丈夫編 『越前若狭の伝説』松見文庫、1976年2月、62頁。 
  19. ^ 『福井県の伝説(復刻版)』1973年6月、86頁。 
  20. ^ 21世紀わがまちプラン社南地区委員会編 『「社南」ときをこえて』21世紀わがまちプラン社南地区委員会 伝統文化委員会 社南公民館、2005年3月、66頁。 
  21. ^ 21世紀わがまちプラン社南地区委員会編 『「社南」ときをこえて』21世紀わがまちプラン社南地区委員会 伝統文化委員会 社南公民館、2005年3月、66頁。 
  22. ^ 福井県地質図改正委員会編 『福井県地質図2010年版』福井県建設技術公社、2010年3月、2頁。 
  23. ^ a b c d 『城山周辺の山野草』清明まちづくり委員会、2022年7月、1頁。 
  24. ^ a b c d e 『城山周辺の山野草』清明まちづくり委員会、2022年7月、2頁。 
  25. ^ a b c 『城山周辺の山野草』清明まちづくり委員会、2022年7月、3頁。 
  26. ^ 『城山周辺の山野草』清明まちづくり委員会、2022年7月、12頁。 
  27. ^ 福井県の絶滅のおそれのある野生植物 キンラン”. 福井県自然保護課. 2023年3月13日閲覧。
  28. ^ 福井市景観賞2015表彰作品について”. 福井市 (2016年9月15日). 2023年3月12日閲覧。
  29. ^ 『清明のあゆみ 第2集』清明地区20周年記念事業実行委員会、2001年6月、12-13頁。 
  30. ^ 『清明のあゆみ 第2集』清明地区20周年記念事業実行委員会、2001年6月、13-14頁。 
  31. ^ 『福井新聞』福井新聞社、1997年10月17日。 
  32. ^ 福井市社南公民館創立30周年記念誌編集委員会編 『羽ばたく社南』福井市社南公民館、2011年11月、139頁。 
  33. ^ 記念誌「清明のあゆみ」編集委員会 『清明のあゆみ 第4集』清明地区40周年記念事業実行委員会、2021年10月、16頁。 
  34. ^ “城山登山、植物にも注目 清明公民館企画、樹木に名札設置 住民や児童協力 山野草冊子も再編集”. 福井新聞. (2022年10月4日). https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1642225 2023年3月16日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 清明のあゆみ編集委員会『清明のあゆみ 清明地区発足10周年記念』ふるさとおこし42清明地区委員会、1991年
  • 記念誌「清明のあゆみ第2集」編集部会『清明のあゆみ 第2集』清明地区20周年記念事業実行委員会、2001年
  • 記念誌「清明のあゆみ第3集」編集部会『清明のあゆみ 第3集』清明地区30周年記念事業実行委員会、2011年
  • 記念誌「清明のあゆみ」編集委員会『清明のあゆみ 第4集』清明地区40周年記念事業実行委員会、2021年
  • 清明まちづくり委員会城山部門『城山周辺の山野草』清明まちづくり委員会、2022年
  • 『福井市史 資料編1 考古』福井市、1990年
  • 『福井市史 資料編2 古代・中世』福井市、1989年
  • 『福井市史 通史編1 古代・中世』福井市、1970年
  • 『泰澄ゆかりの神仏』福井県立歴史博物館、2012年
  • 杉原丈夫編 『越前若狭の伝説』松見文庫、1976年
  • 21世紀わがまちプラン社南地区委員会編 『「社南」ときをこえて』21世紀わがまちプラン社南地区委員会 伝統文化委員会 社南公民館、2005年
  • 福井市社南公民館創立30周年記念誌編集委員会編 『羽ばたく社南』福井市社南公民館、2011年
  • ふるさとおこし麻生津地区実行委員会風土記部会編 『麻生津風土記』ふるさとおこし麻生津地区実行委員会、1991年
  • 福井県地質図改正委員会編 『福井県地質図2010年版』福井県建設技術公社、2010年
  • 佐伯哲也 『越前中世城郭図面集Ⅱ越前中部編』桂書房、2020年


外部リンク[編集]