下風呂温泉
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下風呂温泉街 | |
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東北における位置 | |
| 温泉情報 | |
| 所在地 | 青森県下北郡風間浦村下風呂 |
| 座標 | 北緯41度28分04秒 東経141度05分35秒 / 北緯41.46769度 東経141.09311度 |
| 交通 | JR大湊線 下北駅より下北交通バス佐井線で約1時間10分 |
| 泉質 | 塩化土類硫化水素泉など |
| 泉温(摂氏) | 65 - 95 °C |
| 浸透圧の分類 | 低張性 |
| 宿泊施設数 | 10 |
| 外部リンク | 下風呂温泉郷 |
下風呂温泉(しもふろおんせん)は、青森県下北郡風間浦村下風呂にある温泉。下北半島最北端にある大間温泉(大間町)、桑畑温泉(風間浦村)に次ぐ、本州で3番目に北に位置する温泉である。
泉質
[編集]源泉の系統には大湯系(源泉:大湯1号、2号、4号)、新湯系(源泉:新湯1 - 4号混合泉)、浜湯系(源泉:海辺地1号、2号)があり泉質が異なる[2]。以下のデータ数値は代表的な各源泉の温泉分析書による[2]。
- 大湯
- 新湯
- 浜湯
- 含硫黄 - ナトリウム - 塩化物泉[2]
大湯や新湯からの湯は村営温泉施設「海峡の湯」に供給されている[3](源泉は大湯1号、大湯2号、新湯の3種類で入り比べができるようになっている[2])。
温泉街
[編集]津軽海峡に面する海岸沿いの山肌に、大湯と新湯という2つの共同浴場があった。しかし、2020年11月30日に大湯と新湯の共同浴場は閉館し、同年12月に新たにこれらを統合した村営温泉施設「海峡の湯」がオープンした[4]。このほか旅館や民宿が立ち並ぶ。
温泉街には、未成線である大間線の遺構が多く残り、「海峡メモリアルロード」として遊歩道整備されている。
- 遊歩道にある足湯
- 新湯
- 2020年12月にオープンした「海峡の湯」
歴史
[編集]温泉名は、この地域のことをアイヌ語で臭い岩を意味する「シュマフラ」と言っていたことに由来する。
室町時代からの歴史を持ち、康正年間の地図には「湯本」との記載がされている。当時は、凍傷に効能がある温泉として知られていた。1656年には、南部藩藩主南部重信が入湯している。
古くはニシン漁師の湯治場として栄え、現在はイカ漁の行われる漁港として、温泉街が成立。今も夏から秋にかけてイカ釣り漁船の漁り火を見ることができる。
同志社大学創立者・新島襄は、 1864年4月18日、江戸から箱館に船で向かう途中、下風呂港に寄港。温泉地にも2日間滞在し、当時の様子を「函館紀行」に書きとめた。海峡いさりび公園に「新島裏寄港の地」陣が建立された。
作家・井上靖は1958年3月、この温泉地に滞在・取材して小説『海峡』を執筆し、作品の舞台にもなっている。井上が二泊した長谷旅館は「海峡」の宿として知られ、近くの漁港には1989年、井上を招いて文学碑が建てられた。長谷旅館の廃業後も、井上が投宿した参号室を見学するファンが多かったことから、2019年1月の解体時に部屋の部材や机、座布団を村が引き取り保管された。
2020年12月、長谷旅館跡地に旧共同浴場の大湯と新湯を統合した村営温泉施設「海峡の湯」が開業。1階に食堂、2階に井上靖が「海峡」を執筆した部屋が再現された[3][5]。
アクセス
[編集]脚注・出典
[編集]- ↑ “青森県 下北郡風間浦村 下風呂の郵便番号 - 日本郵便”. www.post.japanpost.jp. 2025年6月19日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 下風呂の本 一般社団法人しもきたツーリズム 2026年1月24日閲覧
- 1 2 “風間浦の村営新浴舎「下風呂温泉海峡の湯」オープン/三つの泉質楽しめる”. デーリー東北. 2022年3月30日閲覧。
- ↑ “入浴者10万人突破 下風呂温泉「海峡の湯」オープンから1年4カ月”. デーリー東北. 2022年3月30日閲覧。
- ↑ 井上靖の「参号室」再現へ 「海峡」執筆の旅館跡地に/床の間や欄間 当時のまま『読売新聞』夕刊2019年2月2日(10面)。

