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ネリー・プンピード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ネリー・プンピード
2006年のプンピード
名前
本名 ネリー・アルベルト・プンピード
Nery Alberto Pumpido
愛称 カメージョ(スペイン語でラクダ)[1]
ラテン文字 Nery PUMPIDO
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1957-07-30) 1957年7月30日(67歳)
出身地 サンタフェ州
身長 191cm
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1976-1981 アルゼンチンの旗 ウニオン・デ・サンタフェ 137 (0)
1981-1983 アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド 78 (0)
1983-1988 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 121 (0)
1988-1990 スペインの旗 ベティス 67 (0)
1991-1992 アルゼンチンの旗 ウニオン・デ・サンタフェ 37 (0)
代表歴
1983-1990[2] アルゼンチンの旗 アルゼンチン 36 (0)
監督歴
1999-2001 アルゼンチンの旗 ウニオン・デ・サンタフェ
2001-2003 パラグアイの旗 オリンピア
2003-2004 メキシコの旗 UANLティグレス
2005-2007 アルゼンチンの旗 ニューウェルズ
2007 メキシコの旗 ベラクルス
2008 サウジアラビアの旗 アル・シャバブ
2010-2011 パラグアイの旗 オリンピア
2012 アルゼンチンの旗 ゴドイ・クルス
2012 アルゼンチンの旗 ウニオン・デ・サンタフェ
2012-2013 アルゼンチンの旗 ゴドイ・クルス
2014-2015 パラグアイの旗 オリンピア
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ネリー・プンピードNery Pumpido, 1957年7月30日 - )は、アルゼンチンサンタフェ州出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。アルゼンチン代表であった。ポジションはゴールキーパー

経歴

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1976年、地元サンタフェ州CAウニオンでデビューを果たす。その後、CAベレス・サルスフィエルドで2年間プレーした後、他のクラブへと移ったアルゼンチン代表GKのウバルド・フィジョールの穴を埋めるべくCAリーベル・プレートが獲得。1988年には活躍の場をヨーロッパへと移し、レアル・ベティスへと移籍した。そして、1991年に自身がキャリアをスタートさせたウニオンにて、現役を引退した。

アルゼンチン代表としては合計38試合に出場し、ワールドカップにも3度出場している。初のワールドカップとなる1982 FIFAワールドカップでは主にウバルド・フィジョールの控えだったが[1]、正GKとして臨んだ1986 FIFAワールドカップでは優勝を果たした[1]1990 FIFAワールドカップでも正GKとして出場したが、開幕戦のカメルーン戦では自身のキャッチミスで失点を喫し[3]、第2戦のソ連戦では試合途中で味方選手と接触した結果脛の骨が完全に折れ曲がるほどの重傷を負い、合計2試合の出場に止まった[4]

個人成績

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代表での成績

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出典[2]


アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
1983 3 0
1984 7 0
1985 1 0
1986 9 0
1987 1 0
1988 3 0
1989 6 0
1990 6 0
合計 36 0

脚注

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  1. ^ a b c トヨタカップ 1986年 大会公式パンフレット p.16-17
  2. ^ a b Pumpido, Nery”. National-Football-Teams.com. 2017年2月28日閲覧。
  3. ^ Top 10 World Cup Goalkeeping Blunders”. goal.com. 2017年2月28日閲覧。
  4. ^ Maradona Has Arm Maybe in Victory”. nytimes.com (1990年6月14日). 2017年2月28日閲覧。

外部リンク

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