トニー・トラバート

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トニー・トラバート
Tony Trabert
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トニー・トラバート
基本情報
フルネーム Marion Anthony Trabert
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・オハイオ州シンシナティ
生年月日 (1930-08-16) 1930年8月16日(87歳)
利き手
バックハンド 片手打ち
殿堂入り 1970年
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト4(1955)
全仏 優勝(1954・55)
全英 優勝(1955)
全米 優勝(1953・55)
優勝回数 5(仏2・英1・米2)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(1955)
全仏 優勝(1950・54・55)
全英 準優勝(1954)
全米 優勝(1954)
優勝回数 5(豪1・仏3・米1)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 優勝(1954)

トニー・トラバートTony Trabert, 1930年8月16日 - )は、アメリカオハイオ州シンシナティ出身の男子テニス選手。フルネームは Marion Anthony Trabert (マリオン・アントニー・トラバート)という。グランドスラム優勝5回。1955年にグランドスラム3冠を達成。1955年-56年と全仏2連覇。1950年代のトップ選手として活躍した。1970年に国際テニス殿堂入り。

来歴[編集]

トラバートは故郷のシンシナティ大学で、テニスのみならずバスケットボールでも優れた選手として知られていた。地元開催の全米選手権には、1948年から出場記録が残っている。1950年、トラバートは全仏選手権に初遠征し、同じアメリカのビル・タルバートと組んで男子ダブルス初優勝を飾った。相手ペアはヤロスラフ・ドロブニーチェコスロバキア出身)&エリック・スタージェス南アフリカ)組であった。続くウィンブルドン選手権で、トラバートは男子ダブルスでバッジ・パティーとペアを組み、準々決勝でタルバート&ケン・マグレガー組と 6-4, 31-29, 7-9, 6-2 の長時間試合を戦った。第2セットに60ゲーム、総計94ゲームを要したこの試合には勝ったが、トラバート&パティー組は次の準決勝で敗退した。翌1951年から、トラバートは男子テニス国別対抗戦・デビスカップのアメリカ代表選手になる。彼のデ杯初登場は「アメリカン・ゾーン」1回戦の対日本戦であった。[1] トラバートは第3試合のダブルス戦と第4試合のシングルス戦に出場し、アメリカは終戦後デ杯に復帰したばかりの日本を5戦全勝で圧倒した。アメリカ・チームはフランク・シールズ監督のもとに、トラバート、ビル・タルバート(第3試合のダブルス・パートナー)、ディック・サビットハーバート・フラムが出場し、日本は熊谷一弥監督のもとで中野文照隈丸次郎藤倉五郎の3名が出場した。デ杯代表入りした年は、全米選手権フランク・セッジマンオーストラリア)との準々決勝に進出している。

この後、トラバートはアメリカ海軍に勤務し、その期間はテニス経歴が中断した。海軍の仕事を終えた後、1953年全米選手権で4大大会男子シングルス初優勝を果たす。1954年全仏選手権で男子シングルス・男子ダブルスの単複2冠を獲得し、全米選手権の男子ダブルスで初優勝した。そして、彼のテニス経歴のハイライトとなった1955年のシーズンが始まる。年頭の全豪選手権で、トラバートはシングルス準決勝でケン・ローズウォールに 6-8, 3-6, 3-6 で敗れ、ここでつまずいた。全仏選手権では2年連続の単複2冠を獲得し、男子シングルス決勝ではスウェーデンスベン・デビッドソンを 2-6, 6-1, 6-4, 6-2 で退けた。1954年全米選手権から1955年全仏選手権まで、トラバートはビック・セイシャスとのペアで4大大会男子ダブルス3連勝を達成した。(トラバートの全仏2連覇から34年間、1989年全仏オープンマイケル・チャンが優勝するまで、同大会にアメリカ人の男子シングルス優勝者は現れなかった。)続くウィンブルドン選手権で、トラバートは準々決勝で前年優勝者のヤロスラフ・ドロブニー、準決勝でアメリカの同僚選手バッジ・パティーを破り、初めての決勝戦に進出した。トラバートは決勝でデンマーククルト・ニールセンに 6-3, 7-5, 6-1 で快勝し、デンマーク人選手として初のウィンブルドン優勝を狙ったニールセンを粉砕した。4大大会年間最終戦の全米選手権決勝では、トラバートはケン・ローズウォールを 9-7, 6-3, 6-3 で破り、2年ぶり2度目の優勝を飾った。こうしてトニー・トラバートは、1955年度の4大大会男子シングルス年間3冠獲得を成し遂げた。この1年間を通じて、トラバートはシングルスで年間18大会優勝、シングルス通算成績「106勝7敗」(36連勝を含む)、ダブルス年間12勝などの成績を挙げた。過去の男子テニスにおける4大大会年間3冠は、1938年ドン・バッジによる「年間グランドスラム」を除き、1933年ジャック・クロフォード1934年フレッド・ペリーがいた。

目覚ましい成績を挙げた1955年シーズンを終えた後、トラバートは1956年に「プロテニス選手」に転向した。プロテニスツアーでの成績は、トラバートは「全仏プロテニス選手権」(French Pro)で1956年1959年の2度優勝し、「全米プロテニス選手権」(US Pro)で1960年に準優勝がある。1970年国際テニス殿堂入り。選手引退後はテニスのティーチング・プロになり、テレビ解説者としても活動してきた。1976年から1980年まで、トラバートは5年間デビスカップアメリカ合衆国代表の監督を務め、1978年1979年にチームを優勝に導いた。

4大大会優勝[編集]

  • 全豪選手権 男子ダブルス:1勝(1955年)
  • 全仏選手権 男子シングルス:2勝(1954年&1955年)/男子ダブルス:3勝(1950年・1954年・1955年)
  • ウィンブルドン選手権 男子シングルス:1勝(1955年)
  • 全米選手権 男子シングルス:2勝(1953年・1955年)/男子ダブルス:1勝(1954年)
大会 対戦相手 試合結果
1953年 全米選手権 アメリカ合衆国の旗 ビック・セイシャス 6-3, 6-2, 6-3
1954年 全仏選手権 アメリカ合衆国の旗 アーサー・ラーセン 6-4, 7-5, 6-1
1955年 全仏選手権 スウェーデンの旗 スベン・デビッドソン 2-6, 6-1, 6-4, 6-2
1955年 ウィンブルドン選手権 デンマークの旗 クルト・ニールセン 6-3, 7-5, 6-1
1955年 全米選手権 オーストラリアの旗 ケン・ローズウォール 9-7, 6-3, 6-3

参考文献[編集]

  • Bud Collins, “Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3 1955年度の細かな成績について、国際テニス殿堂サイト内の情報に誤記があるため、本書に基づいて修正した。
  • Martin Hedges, “The Concise Dictionary of Tennis” (コンサイス・テニス辞書) Mayflower Books Inc., New York (1978) ISBN 0-8317-1765-3

外部リンク[編集]