リチャード・シアーズ

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Richard sears.JPG
リチャード・シアーズ
基本情報
ラテン文字名 Richard Sears
フルネーム Richard Dudley Sears
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1861年10月16日
没年月日 1943年4月8日(満81歳没)
利き手
バックハンド 片手
ツアー経歴
デビュー年 1880
引退年 1888
4大大会最高成績・シングルス
全英 1回戦(1884)
全米 優勝(1881-1887)
優勝回数 7
4大大会最高成績・ダブルス
全英 優勝 (1882-1887)
優勝回数 6
2015年6月6日現在

リチャード・シアーズRichard Sears, 1861年10月16日 - 1943年4月8日)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身の男子テニス選手。

1881年に第1回大会が開かれた全米選手権(現在の全米オープンテニス)で最初の男子シングルス優勝者になった選手で、第1回大会から7連覇を達成した。

グランドスラム優勝7回は1925年にビル・チルデンに抜かれるまでは歴代1位タイ記録だった。

フルネームは Richard Dudley Sears (リチャード・ダドリー・シアーズ)という。彼はボストンの名家に育ち、親族にも多くのテニス選手がいた。

経歴[編集]

1881年に「全米シングルス選手権」(最初の名称:U.S. National Singles Championship)の第1回大会がアメリカロードアイランド州ニューポートで開催され、24名の男子選手が参加した。当時まだハーバード大学に在学中であったリチャード・シアーズは、帽子とネクタイと半ズボンを着用し、足には長いウールのソックスを履き、やや傾きのある重さ16オンス(約450グラム)のテニスラケットでプレーしたという。歴史的な男子シングルス1回戦を 6-0, 6-2 で突破したシアーズは、最初の決勝戦でウィリアム・グリン(William Glyn)を 6-0, 6-3, 6-2 のストレートで圧倒し、全米シングルス選手権の第1回優勝者に輝いた。

最初の3回は通常の勝ち抜き戦であったが、第4回大会の1884年から「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round, 挑戦者決定戦)が導入された。この方式はウィンブルドン選手権では第2回大会から実施されており、大会前年優勝者を除く他の選手たちがチャレンジ・ラウンドの1回戦から勝ち抜き、それを制した選手が大会前年優勝者への挑戦権を得て、「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)で優勝者を決定する。大会前年優勝者は無条件で「オールカマーズ・ファイナル」に進出できたところが、現在のシステムとの相違点であった。シアーズは第4回大会から「チャレンジ・ラウンド」の優勝者を待ち、「オールカマーズ・ファイナル」の決勝を戦うのみとなった。この頃にシアーズは自分のテニス・スタイルも大幅に変え、トップスピン(順回転)をかけたフォアハンド・ストロークを多用するようになった。1887年の第7回大会まで負けなしの7連覇を達成した後(7年間で18連勝)、シアーズは無敗のまま「全米シングルス選手権」を引退した。

リチャード・シアーズはウィンブルドン選手権でも、1884年に大会史上初の外国人出場者となった。ウィンブルドン選手権に初遠征した外国人選手は、リチャード・シアーズ、ジェームズ・ドワイト、A・L・ライブズ(すべてアメリカ人選手)の3人だった。シアーズはシングルスの初戦を出場断念し、ドワイトとのダブルスでは準決勝まで進んだが、当時のウィンブルドン選手権に君臨していたウィリアムアーネストの「レンショー兄弟」に 0-6, 1-6, 2-6 で完敗した。

その後、シアーズは1887年1888年の2年間「全米テニス協会」の会長を務めた。アメリカのテニス史の黎明期を築いたリチャード・ダドリー・シアーズは、1943年4月8日に81歳で死去した。

それから11年後の1954年に、ジェームズ・バン・アレン(James Van Alen, 1902年 - 1991年)がニューポートの地に「国際テニス殿堂」を設立した。第1回の国際テニス殿堂入り式典は1955年に行われ、シアーズは第1回の全米選手権優勝者として、他の6名の選手と一緒に最初の殿堂入りを果たした。最初期の殿堂入り選手は、大半が全米選手権で活躍した選手に限られたが、やがてウィンブルドン優勝者なども殿堂入りするようになり、現在は世界のテニスの歴史的名選手を記念する博物館になった。

全米選手権も歴史とともに変遷を重ね、1968年から現在のような「全米オープンテニス」になったが、それまでは男女のシングルス、ダブルスがそれぞれ別々の会場で行われた。

参考文献[編集]

  • Lance Tingay, “100 Years of Wimbledon” (ウィンブルドンの100年史) Guinness Superlatives Ltd., London (1977) ISBN 0-900424-71-0 シアーズの初遠征については26ページ、男子ダブルス準決勝の記録は165ページを参照した。

外部リンク[編集]

記録
先代:
イギリスの旗 ウィリアム・レンショー
(タイ記録)
グランドスラム最多タイトル獲得
1883年8月24日 – 1925年9月19日
次代:
アメリカ合衆国の旗 ビル・チルデン