ジョン・マクラフリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ジョン・マクラフリン
John mclaughlin 1986 hollabrunn.jpg
ジョン・マクラフリン(1986年)
基本情報
出生名 ジョン・マクラフリン
別名 マハヴィシュヌ・ジョン・マクラフリン
生誕 (1942-01-04) 1942年1月4日(75歳) イングランドの旗 イングランド ヨークシャードンカスター
出身地 イングランドの旗 イングランド
ジャンル フュージョン
ジャズ
インド音楽
フラメンコ
クラシック
職業 ギタリスト
作曲家
担当楽器 アコースティックギター
エレクトリックギター
共同作業者 マイルス・デイヴィス
マハヴィシュヌ・オーケストラ
カルロス・サンタナ
シャクティ
アル・ディ・メオラ
パコ・デ・ルシア

ジョン・マクラフリン(John McLaughlin, 1942年1月4日 - )またはマハヴィシュヌ・ジョン・マクラフリン(Mahavishnu John McLaughlin)は、イングランドヨークシャードンカスター出身のジャズ・ロックギタリスト

テクニシャンとして知られ、ジャズをはじめ、インド音楽フラメンコクラシックなどの要素も広く取り込んでいる。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第49位、2011年の改訂版では第68位。

バイオグラフィ[編集]

ロンドンでスタジオミュージシャンとしてキャリアを開始する。グレアム・ボンド・オルガニゼーション、ローリング・ストーンズジャック・ブルースなどのアルバムに参加。 ジョン・サーマン、トニー・オックスレーらと組んで1969年に初リーダー作「エクストラポレーション(extrapolation)」をリリース。ジャズ要素の濃い作品で、当時からジャズを主流にした非凡なセンス・テクニック・フィーリングの持ち主だった。

1969年にアメリカに渡り、トニー・ウィリアムスのライフタイムに参加。マイルス・デイヴィスのセッションにも度々参加し、『イン・ア・サイレント・ウェイ(In A Silent Way)』、マクラフリンの名がタイトルで入っている『ビッチェズ・ブリュー(Bitches Brew)』、『オン・ザ・コーナーOn The Corner)』、『ビッグ・ファン(Big Fun)』、『ジャック・ジョンソン(A Tribute to Jack Johnson)』等にクレジットされている。マイルスはジャック・ジョンソンのライナーノート中でマクラフリンのプレイを「far in(奥深い)」と表現したように、彼を高く評価していた。

セッション・プレイヤーとしての評価も獲得し、ミロスラフ・ヴィトウスカーラ・ブレイウェイン・ショーターラリー・コリエル、ジョー・ファレルなどのアルバムに参加している。

1970年初頭にダグラス・レコード社から2作目のアルバム『ディボーション(Devotion)』を発表。3作目『マイ・ゴールズ・ビヨンド(My Goal's Beyond)』でインド音楽に傾倒した初期のスタイルを確立する。これには、彼が当時ヒンドゥー教に改宗して、ヒンドゥー教の高名な指導者であるシュリ・チンモイ師の弟子となった事が大きく影響している。このアルバムはチンモイに捧げられ、ライナーノートには彼の作った詩が掲載されている。マクラフリンが初めて自分の名前に「マハヴィシュヌ」を付け加えたのもこのアルバムである。

マイルスの勧めもあり、1971年マクラフリンは自己バンドのマハヴィシュヌ・オーケストラを結成。初期メンバーはマクラフリンと、ジェリー・グッドマン(vl)、ヤン・ハマーkey)、リック・レアード(b)、ビリー・コブハムds)。アルバム『内に秘めた炎The Inner Mounting Flame)』・『火の鳥Birds Of Fire)』などの中で、彼らはジャズインド音楽ロック等を独特の高度なアンサンブルで融合させることにより大きな成功を収めた。一度の一時的解散(1973年)と幾度かのメンバーチェンジを経て、最終的には1975年にバンドは解散するが、彼らの成功はフュージョンというジャンルの発展に大きく貢献し、1970年代ジャズ・ロックシーンにおいて重要なグループとなった。

マハヴィシュヌ・オーケストラの解散と前後して、マクラフリンはインド人音楽家たちと一緒にバンドシャクティを結成した。シャクティでの彼はシンプルなアコースティックギターを用い、ワールドミュージックのはしりとでもいうべきインド音楽をジャズでアレンジした演奏を行なう。欧米だけではなくインド国内などでも演奏活動を繰り広げて高い音楽的評価を受けたが、やや時代を先取りしすぎた感があり、商業的成功という意味では今ひとつ物足りなかった。

前述の通り、マクラフリンはヒンドゥー教の導師シュリ・チンモイ師に師事しており、同じく弟子入りしたラテン・ミュージシャンのカルロス・サンタナとは宗教上の兄弟弟子である。1973年に2二人でコラボレーション・アルバム『ラブ・デボーション・サレンダー(Love Devotion Surrender)』を発表し、ジョン・コルトレーンカバー曲などを収録した。

1979年、パコ・デ・ルシアラリー・コリエルと組んでトリオを結成する。1980年にはコリエルが去り、その代わりとしてアル・ディ・メオラが加入する(この二人はこのあともその時々の都合で入れ替わる。1981年の日本公演にやってきたのはコリエル)。どちらにしても、史上類を見ないビッグネームのトリオであることはまちがいない。この三人は1996年にも再結成され、レコーディングと世界ツアーを行っている。

1980年代終わりから1990年代の初め、彼はガットギターシンセサイザーを同調させた楽器を使い、パーカッション奏者のトリロク・グルトゥベース奏者のカイ・エクハルトドミニク・デ・ピアッツァと組んでツアーを行い、アルバム『John Mclaughlin Trio Live』、『Que Alegria』を発表。またロンドン交響楽団をバックにした『地中海』を発表するなど精力的に活動。そして1995年にはこれまでの活動を集大成した金字塔『The Promise』をリリースし、一時期彼に影響を受けたと言われるロックギタリストジェフ・ベックとの共演が話題となった。

1980年代には、一時的にマハヴィシュヌ・オーケストラを再結成(ただし、彼以外は全員が新メンバー)してライヴ活動を行っている。この時の映像はDVDとして発売されており、彼はシンクラヴィアというシンセサイザーのギター型コントローラーを多用している様子を見ることができる。

近年では、エレクトリック・サウンドのハート・オブ・シングス・バンドの活動や、シャクティの元メンバーに新規加入メンバーを加えてリメンバー・シャクティとして活動した。2004年と2007年にエリック・クラプトン主催の、クロスロード・ギター・フェスティヴァルに参加。2007年には、ゲイリー・ハズバンドアドリアン・フェローマーク・モンデシールと共に、ジョン・マクラフリン&4thディメンションとしてワールドツアーを行った。2008年10月にはチック・コリア & ジョン・マクラフリン ファイヴ・ピース・バンドとしてワールドツアーを行い、2009年2月にはブルーノート東京でも公演を行った。

ディスコグラフィ[編集]

リーダーアルバム[編集]

ライフタイム[編集]

  • エマージェンシー! - Emergency!(1969年)
  • ターン・イット・オーヴァー - Turn It Over(1970年)

マハヴィシュヌ・オーケストラ[編集]

シャクティ名義およびリメンバー・シャクティ名義[編集]

  • シャクティ・ウィズ・ジョン・マクラフリン - Shakti(1975年録音、1976年発売)
  • 美しき創造 - A Handful of Beauty(1976年)
  • 大地の躍動 - Natural Elements(1977年)

カルロス・サンタナとの連名[編集]

アル・ディ・メオラ、パコ・デ・ルシアとの連名[編集]

ジャコ・パストリアス、トニー・ウイリアムスとの連名[編集]

外部リンク[編集]