オーストリア自由党

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オーストリアの旗 オーストリアの政党
オーストリア自由党
Freiheitliche Partei Österreichs
党首(Vorsitzender) ハインツ=クリスティアン・シュトラーヒェ
成立年月日 1956年
本部所在地 ウィーン
国民議会議席数
40 / 183   (22%)
(2013年9月29日)
連邦議会議席数
4 / 62   (6%)
2009年11月現在)
政治的思想・立場 極右
国民保守主義
ナショナリズム
公式サイト FPO
シンボル
国際組織 なし
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オーストリア自由党(オーストリアじゆうとう、Freiheitliche Partei Österreichs、略称:FPÖ)は、オーストリア極右政党。現在の党首はハインツ=クリスティアン・シュトラーヒェ w:Heinz-Christian Strache

自由党」を名乗るが、自由主義政党というよりも、極右ポピュリズム政党、ドイツ民族至上主義政党の性格が強い。これは、同党が第一共和国時代において「ドイツ民族主義派 」と呼ばれた「農民同盟」・「大ドイツ人党」・「護国団」などの大ドイツ主義的な小政党の連合体に由来するところが大きい。ドイツ民族主義派は、ナチスとは民族主義では共通するものの、その政治思想からむしろ競合関係にあったが、アンシュルスの過程においてある部分はナチスに合流し、ある部分は弾圧を受けた。戦後、大ドイツ主義派が合同して再建を目指す動きがあったものの、ドイツ民族主義そのものへの世論の反感や連合国側の警戒から合同に成功したのは1956年の事であり、旧ナチス関係者からオーストリア社会党連立政権を組むオーストリア国民党に反発する自由主義的な保守層までを内含した政党として発足した。現在の自由党の政策の中にも、出入国管理強化やより厳格な法の執行、家族を保護するための基金の創設などに右派政党としての性格が現れている。

1986年ケルンテン州代表であったイェルク・ハイダーが党首に就任する。ハイダーは党内の有力者や自由主義者を党から排除し、党の右傾化を促進した。2000年には国民議会選挙で躍進し、オーストリア国民党と連立政権を組み、ヴォルフガング・シュッセル内閣を組織した。

2005年4月、ハイダーが自由党を離党、新党「オーストリア未来同盟」(BZÖ)を結成した。このとき自由党に所属していた18人の国民議会議員のうち16人がハイダーと行動をともにしており、自由党は分裂によって国民議会での議席を大幅に失ったが、国民議会選挙において2006年に21議席、2008年は34議席、2013年9月では40議席と党勢を回復しつつある。

2015年以降、オーストリア自由党(FPÖ)はブルゲンラント州でハンス・ニースル州首相(SPÖ)の下でオーストリア社会民主党 (SPÖ)との連立州政府の一翼を担っている。オーバーエスターライヒ州において、ヨーゼフ・ピューリンガー州首相(ÖVP)の下でオーストリア自由党(FPÖ)と国民党 (ÖVP)の間で政治活動協定を結びプロポルツ州政府(国民党、社会民主党、自由党、緑の党が閣僚を出している)としての構造が存在している。

2016年4月24日、自由党のノルベルト・ホーファー国民議会第3議長が大統領選挙の第一回投票で35.1%の票を獲得し、首位で決選投票に進んだ[1]

5月22日、ホーファーは決選投票で49.7%の票を獲得したが、緑の党元党首のアレクサンダー・ファン・デア・ベレン元国民議会議員に約3000票差で敗れた[2]

党政策プロフィール[編集]

現在の党綱領「オーストリア第一」は2011年6月20日にグラーツで発表された。それ以前の1990年代末、当時自由党内にいたエワルド・シュタッドラー(2007年からオーストリア未来同盟BZÖに所属)によってまとめられた党の原則があった。そこではキリスト教に対する堅固な信頼が語られていた。副党首ノルベルト・ホーファーによって作成された2011年新綱領において、「我々の故郷オーストリア」への郷土愛が明白に語られ、ドイツ語を話す民族と文化共同体への帰属が読み取ることが出来る。オーストリア各地に歴史の中で定住したブルゲンラント・クロアチア人スロヴェニア人、ハンガリー人チェコ人ロマ等の少数民族をオーストリアに統合された構成要素と見なしている。加えて、オーストリア自由党(FPÖ)は自由な諸民族からなる欧州の擁護者であると言い表している。歴史の中でオーストリアに定住した諸民族と元来の民族(ドイツ人)集団によって形成されている祖国オーストリアの民も欧州の一員であるが、人為的均質化をおこなうことを拒否している[3][4]

欧州政策[編集]

オーストリア自由党(FPÖ)は欧州懐疑主義を支持していると見なされており、補完性原理も支持している。条約改正時における国民投票の実施に賛成し、欧州連合加盟国により大きな自己決定権を与えることを求めている。これに関連して、多文化主義グローバリゼーションの無理強いと移民の大規模流入によって、多様な欧州の言語と文化を人為的に均質化してしまうことをオーストリア自由党(FPÖ)は強く拒んでいる。欧州段階でトルコとの友好善隣条約を締結することに党は賛成しているが、トルコの欧州連合加盟には反対を表明している。その理由として、文化的にも地理的にもトルコを欧州の一部とは見なすことは出来ないとしている。欧州連合加盟の適格性を判断するコペンハーゲン基準をトルコが満たしていないことも反対理由としている。また、党はNATOのような軍事同盟に加盟することに反対している[3][5][6]

国内政策と治安政策[編集]

オーストリア自由党(FPÖ)は郷土であるオーストリアの守護者と自任しており、国家のアイデンティティと独立性の確立を約束している。オーストリアは元来、移民国家としての原理で形成されていないと理解した上で、ダブリン協定の組み換えと、移民流入の停止、並びに犯罪を行った外国人の無条件国外退去処分を求めている[3]

家族政策[編集]

子供たちと生活を共にする夫と妻の共同体が家族と見なされる。伴侶と共に生きる根源的な場が家族であると見なされている。オーストリア自由党(FPÖ)は同姓婚を許容しない。オーストリアは移民国ではないという原則に照らし合わせると、受胎調節を伴う家族計画は許されない。女性クオータ制ジェンダー・メインストリーミングという考え方を、オーストリア自由党(FPÖ)は実際存在する、あるいは誤解された(男女の)差異を是正しようとする優遇措置であると捉えており、個々人において不公正なものであるとして拒絶している[3]

党内構造[編集]

支持者像と党員[編集]

オーストリア自由党(FPÖ)の支持者に関する社会学的分析関して、幾人かの政治学者たちや世論調査研究者たちの見解が明らかにされている。 政治学者アントン・ペリンカによると、オーストリア自由党(FPÖ)の支持者たちは国民保守主義思想に染まっている者たち、社会の現代化とグローバリゼーションの敗者たちから構成されている。現代化の敗者たちは他の者たちよりも極右思想に抵抗感を持たず、とりわけ移民流入に直面した場合は極右思想の影響を受けやすい。ただし、オーストリア未来同盟(BZÖ)との分裂以来、この支持層を獲得するために両党は争っている[7]

オーストリアの政治学者フリッツ・プラッサーはオーストリア自由党(FPÖ)を核となる部分は支持者の4割程であり、それもイデオロギー的に強固な支持者であるという見解を明らかにしている。支持者の多くは抗議票としてポピュリスト的政治を主張しているオーストリア自由党(FPÖ)に投じていると見なしている。

政治学者ペーター・フリッツマイヤーによると、オーストリア自由党(FPÖ)に投票した支持層において、義務教育学校卒業者の割合がとても高く、徒弟教育修了者と男性の割合も高さが指摘できる。さらに、以前はオーストリア社会民主党(SPÖ)を支持していた労働者階層の一部が支持政党を変更した可能性も考えられる。 オーストリア自由党(FPÖ)は党内において増大しているラディカル勢力とは距離を持っている若い有権者層に集中的に呼びかけをおこなっている[8]

同様に社会学者で世論調査の研究者であるエバ・ツェグロヴィツは以下の事実を確認した。有権者の教育レベルが高くなるに連れて、オーストリア自由党(FPÖ)への投票割合は少しずつ低下していく。加えて彼女は以下のことを指摘している。若い世代層においても、同じ世代の中で低いレベルの教育を受けた者、あるいは教育程度の低い両親の家庭出身者はオーストリア自由党(FPÖ)への投票する傾向が強い[9]

2千人を対象にした2010年の世論調査によれば、オーストリア自由党(FPÖ)は旧ユーゴスラビアからの移民が多かった地域で平均以上の27%の支持を得ていた。加えて、この層においてオーストリア社会民主党(SPÖ)に次ぐ支持を党は得ていた。これは党首ハインツ=クリスティアン・シュトラーヒェによるセルビア人に向けた選挙キャンペーンが狙い通りに成功した結果とも言える[10]。 2000年代中頃以降、彼はセルビア正教会において祈祷の際用いるコンボスキニオンを常に手に持ちながら、公式行事に参加し、選挙ポスターにも写っている[11][12][13][14]


靖国神社参拝[編集]

2010年8月14日、日本の右翼民族派団体である一水会の招きにより、オーストリア自由党は党員を日本に派遣、その他一水会に招かれたフランスの極右政党である国民戦線ジャン=マリー・ルペン党首ら、欧州8か国、9つの政党の代表などで構成された訪日団は合同で靖国神社に参拝した[15][16][17]

同日、中国国営通信の新華社は靖国神社を参拝した欧州各国の政党訪日団に対して批判する論評を配信した[18]

脚注[編集]

  1. ^ “オーストリア大統領選、難民対策の厳格化訴えた右派がトップ”. ロイター. (2016年4月24日). http://jp.reuters.com/article/austria-election-president-idJPKCN0XM02F 
  2. ^ “オーストリア大統領選、リベラル派候補が僅差で当選”. ロイター. (2016年5月24日). http://jp.reuters.com/article/austria-election-idJPKCN0YE265 
  3. ^ a b c d Parteiprogramm der FPÖ vom Bundesparteitag am 18. Juni 2011, eingesehen am 21. September 2015
  4. ^ Template:Webarchiv In: kleinezeitung.at
  5. ^ Handbuch freiheitlicher Politik. 4. Auflage/2013. Abgerufen am 2015-10-06. (PDF, Seite 278–279)
  6. ^ Strache will "islamische Biotope austrocknen". In: DiePresse.com. 2013-10-24. Abgerufen am 2015-10-07.
  7. ^ Seite 3: Feuerredner und Königstiger. In: search.salzburg.com. 2006-09-04. Archiviert vom Original am 2008-04-09. Abgerufen am 2015-02-28.
  8. ^ Nachbarschaftskonflikte und Fremdenhass. In: derstandard.at. 2010-04-07. Abgerufen am 2015-02-28.
  9. ^ Zielina: Männlich, jung, ungebildet sucht Partei. In: derstandard.at. 2008-10-02. Abgerufen am 2015-02-28.
  10. ^ Freundschaft statt FPÖ, Profil, 7. Juni 2010.
  11. ^ Oliver Pink: „Outlaws“ unter sich: Der serbophile HC Strache. Die Presse, 19. Februar 2008.
  12. ^ Martina Powell: Reportage: „Wenn ich wählen könnte, würde ich Strache wählen“. derstandard.at, 19. September 2008.
  13. ^ Eva Linsinger: Freundschaft statt FPÖ. profil.at, 7. Juni 2010.
  14. ^ Clemens Neuhold: Liebe Deine Serben. wienerzeitung.at, 8. September 2013.
  15. ^ 欧州の極右政党代表団が靖国神社を参拝 - ウォール・ストリート・ジャーナル日本版
  16. ^ 仏・極右政党党首ら、靖国神社を参拝 - TBS News-i Youtube公式動画
  17. ^ 「世界平和をもたらす愛国者の集い」開催!! - 一水会活動最新情報!
  18. ^ 「ファシズムの宣伝」と批判=欧州極右政治家の靖国参拝に-新華社 - 時事通信

参考文献[編集]

  • Carina Klammer: Imaginationen des Untergangs. Zur Konstruktion antimuslimischer Fremdbilder im Rahmen der Identitätspolitik der FPÖ, LIT-Verlag 2013 (= Reihe: Soziologie, Band 81), ISBN 978-3-643-50520-0
  • Farid Hafez: Von der „Verjudung“ zur „Islamistenpartei“. Neue islamophobe Diskursstrategien der FPÖ im Rahmen des Wiener Wahlkampfs, In: Jahrbuch für Islamophobieforschung 2011: 83-98.
  • Oliver Geden: Diskursstrategien im Rechtspopulismus. Freiheitliche Partei Österreichs und Schweizerische Volkspartei zwischen Opposition und Regierungsbeteiligung, VS Verlag für Sozialwissenschaften 2006. ISBN 3-531-15127-4.
  • Oliver Geden: Männlichkeitskonstruktionen in der Freiheitlichen Partei Österreichs. Eine qualitativ-empirische Untersuchung, Leske + Budrich: Opladen 2004. ISBN 3-8100-4100-9.
  • Reinhard Heinisch: Die FPÖ – Ein Phänomen im internationalen Vergleich. Erfolg und Misserfolg des identitären Rechtspopulismus. In: Österreichische Zeitschrift für Politikwissenschaft 3/2004: 247-261.
  • Lothar Höbelt: Von der vierten Partei zur dritten Kraft. Die Geschichte des VdU. Leopold Stocker Verlag, Graz 1999. ISBN 3-7020-0866-7.
  • Kurt Richard Luther: Die Freiheitliche Partei Österreichs (FPÖ) und das Bündnis Zukunft Österreichs (BZÖ), in: Herbert Dachs et al. (Hrsg.): Politik in Österreich. Das Handbuch. Manz: Wien 2006, 364-388.
  • Oliver Minich: Die freiheitliche Partei Österreichs als Oppositionspartei in der Ära Haider. Strategie, Programmatik, innere Struktur. ISBN 3-935731-43-4.
  • Britta Obszerninks: Nachbarn am rechten Rand: Republikaner und Freiheitliche Partei Österreichs im Vergleich. Münster 1999.
  • Anton Pelinka: Die FPÖ in der vergleichenden Parteienforschung. Zur typologischen Einordnung der Freiheitlichen Partei Österreichs. In: Österreichische Zeitschrift für Politikwissenschaft 3/2002: 281-299.
  • Kurt Piringer: Die Geschichte der Freiheitlichen. Beitrag der Dritten Kraft zur österreichischen Politik. Wien 1982.
  • Viktor Reimann: Die Dritte Kraft in Österreich. Wien 1980.
  • Sebastian Reinfeldt: Nicht-wir und Die-da. Studien zum rechten Populismus, Braumüller: Wien 2000. ISBN 3-7003-1312-8.
  • Maria Rösslhumer: Die FPÖ und die Frauen, Döcker: Wien 1999. ISBN 3-85115-263-8.
  • Fritz Stüber: Ich war Abgeordneter. Die Entstehung der freiheitlichen Opposition in Österreich. Graz 1974.


外部リンク[編集]