イノダコーヒ

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株式会社イノダコーヒ
INODA COFFEE Co.,Ltd.
イノダコーヒ本店
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
604-8118
京都府京都市中京区堺町通三条下る道祐町140番地
北緯35度00分29.5秒 東経135度45分47.0秒 / 北緯35.008194度 東経135.763056度 / 35.008194; 135.763056座標: 北緯35度00分29.5秒 東経135度45分47.0秒 / 北緯35.008194度 東経135.763056度 / 35.008194; 135.763056
設立 1958年
業種 小売業
法人番号 2130001019883 ウィキデータを編集
事業内容 飲食店経営、食品・食器の販売
代表者 代表取締役会長 猪田 浩史
代表取締役社長 前田利宜
資本金 30百万円
売上高 28億円
純利益 8089万7000円
(2023年3月期)[1]
総資産 22億2559万1000円
(2023年3月期)[1]
従業員数 215名
決算期 3月
外部リンク http://www.inoda-coffee.co.jp
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イノダコーヒは、京都市に本店・本社を置くコーヒーチェーン店株式会社イノダコーヒが運営している。イノダコーヒーは誤りで、京都ではかつて他店も含め「コーヒ」と書いていた習慣が残っているためである(他にも「タナカコーヒ」などが知られる)。赤いコーヒーポットの絵柄が商標に使われている。また、画家でもあった創業者の猪田七郎が描いた「豆を運ぶロバと男」の絵も同社の象徴である。

京都市中京区堺町通三条の本店など市の中心部に数店を展開するほか、近年は東京駅広島駅の各駅前などにも大丸百貨店内を中心に出店している。京都市内の店舗はすべて喫煙席があり、分煙方式となっている。

商品構成など[編集]

本格派の品質を維持するために比較的高価格路線で運営を行なっており、スターバックスタリーズコーヒーなどの大手チェーンの倍程度の価格帯でコーヒーなどの飲料を提供している。以前は必ず砂糖とミルクの入った状態でコーヒーが提供されていたが、近年はこれらを分けるか事前に質問される。一方、サンドイッチなどの軽食はボリュームがあり本店等で食べられる「京の朝食」はボリュームたっぷりの朝食である。自社の焙煎工場とケーキ工場を有し、特にコーヒー豆や挽いた粉については店頭だけでなく全国各地の百貨店スーパーマーケット茶葉店などでも販売されている。「アラビア真珠」と名付けたブレンドのコーヒーが特に有名。自社の店頭やオンライン通信販売ではコーヒー以外にも、コーヒーカップなど食器類・アクセサリといった商品を取り扱っている。

沿革[編集]

1940年6月に猪田七郎が現・本店の場所で海外産コーヒーの卸売を始め、1947年8月にコーヒーショップを開いたのが創業である。この時、客が会話に夢中になってコーヒーが冷め、砂糖とミルクがうまく混ざらなかった事がきっかけとなり、初めから砂糖とミルクを入れた状態でのコーヒーの提供が始められた。1958年5月に法人として有限会社イノダコーヒを設立し、1964年二条支店の出店を皮切りに京都市内へ店舗を展開していった。1970年代初頭には女性向ファッション雑誌の『an・an』や『non-no』が創刊され、その中で店舗が紹介されて女性客の比率が半分を超えるようになり、この傾向は現在まで続く[2]

1978年には現在も主力商品となっているブレンドコーヒー「アラビアの真珠」を発売した。なお開業時から自社で焙煎を行なっていたが、1987年にケーキ工場を開設し、1994年には焙煎工場とともにリニューアルを行なった。また1993年6月に創業者の猪田七郎が逝去し、翌月に長男の猪田浩史が社長に就任している。1995年には資本金を3千万円に増資して株式会社に組織変更し、1999年には初の京都以外の店舗である広島支店を開店するなど、業績を拡大してきた。2007年に猪田浩史が会長となり、社長には藤原正康が就任した。

2022年9月27日、後継者不在を理由に事業承継を目的とした投資ファンド「アント・キャピタル・パートナーズ」が運営するファンドへの株式譲渡を発表した[3]

店舗[編集]

京都市内[編集]

イノダ本店外観
本店1階中央部分のレンガ造り
三条支店
  • 本店: 京都市中京区堺町通三条下ル道祐町、全205席
    • 創業の地にあり、本社を併設する。創業時の木造店舗は1967年に増築されて用いられていたが、1999年4月9日に開店準備中の失火で半焼した。準防火地域に立地するためそのまま再建する事はできなかったが、佐川美術館を手がけた内海慎介竹中工務店社員)が設計し、アルミの外壁は木目調に塗装して一部を紅殻色に塗るなど、京都の町屋の雰囲気を出している。また、2階部はモルタルゴテ仕上げとして色に塗り、鉄筋コンクリート造りながら味わいある建物となった。また、この改築に伴って新たに2階の客席が作られ、1階にも5mのガラス窓が設けられた[4]2000年3月16日より営業を再開し、全店舗中で客席数が最大である。
  • 三条支店: 中京区三条通堺町東入ル桝屋町、全58席
    • 1970年に開店し、本店に最も近い。また特徴的な円形カウンターがあり、目の前でコーヒーを漉す様子が見える。多くの常連がこの円形カウンターに座る。本店が火災により休業していた間、これを補うため開店時間を早めていた。本店再開後に改装を行なった[5]
  • 四条支店B2: 下京区四条通東洞院東入ル立売西町、全160席
    • 1965年に京都証券ビルの地下1階に開店し、1975年に地下2階も店舗となった。支店の中では最も席数が多く、地下1階は全席喫煙可能で喫茶メニューが充実しており、常連が多い。地下2階は全席禁煙で各種オムライスや季節限定のメニューなど食事メニューが充実しており、家族連れや団体客が多い。
  • コーヒーサロン支店: 下京区四条通高倉西入ル立売西町(大丸京都店1階)、全54席
    • 1970年に開店。四条支店と同じブロックに位置する大丸京都店の1階にある。大丸への初の出店。
  • ポルタ支店: 下京区東塩小路町、全81席
  • 八条口支店: 下京区東塩小路高倉町、全62席
    • 2015年8月開店。京都おもてなし小路(京都駅八条口)のリニューアルオープン時に新規出店。

京都以外[編集]

常連客[編集]

創業者の猪田七郎は二科会の監事を務め、また山本富士子主演の『夜の河』や山口百恵主演の『古都』などの映画には本店が登場しており[6]芸術界との関わりが深い。下記のような文人、芸術家などが常連客として知られている[2][7]

イノダコーヒを扱った作品[編集]

  • 珈琲不演唱(高田渡) - 読みは「コーヒーブルース」。三条堺町通のイノダコーヒ本店について歌われている。後に辻香織が「コーヒーブルース」のタイトルでカバーし、同店でライブも行った(2004年)。tamamixがカバーし、アルバム『u・ku・lu』に収録された(2011年

参考文献[編集]

  1. ^ a b 株式会社イノダコーヒ 第65期決算公告
  2. ^ a b 朝日新聞2005年8月7日 朝刊 P.33、京都府・2地方面
  3. ^ “京都の「イノダコーヒ」が投資ファンドに株式譲渡 後継者不在のため”. 朝日新聞DIGITAL (朝日新聞社). (2022年9月27日). https://www.asahi.com/articles/ASQ9W6S34Q9WPLFA00G.html 2022年9月27日閲覧。 
  4. ^ 『日経アーキテクチャ』 2000年5月29日号、P.32
  5. ^ 朝日新聞 2000年3月16日 朝刊 P.35、京都面
  6. ^ 朝日新聞1999年12月5日 朝刊 P.37、京都面
  7. ^ 朝日新聞2007年8月22日 朝刊 P.29、京都府・2地方面

外部リンク[編集]