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鏡子の家

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鏡子の家』(きょうこのいえ)は、三島由紀夫の書き下ろし長編小説

1958年(昭和33年)10月に、雑誌「声」創刊号に第1章と第2章の途中までのみを掲載した後、1959年(昭和34年)9月20日に新潮社から、第1部と第2部の全2巻で単行本刊行。現在は新潮文庫(全1巻)で重版。

概要

三島由紀夫は「個人」の内面を描いた『金閣寺』で、非常に高い評価(第8回読売文学賞ほか)を受けたが、本作は執筆時期である昭和30年代初頭の、いわゆる「戦後は終わった」と言われた「時代」を描き、『金閣寺』に対するアンチテーゼも兼ねる。また『潮騒』や『金閣寺』に見られる、地方に残る古い日本を描いたのではなく、大都会の東京ニューヨークを舞台にして書かれている。

三島は『鏡子の家』について、執筆中に書かれた同時期の公開日記・『裸体と衣裳』(新潮 1958年4月 - 1959年9月まで連載)の中で、「いはば私のニヒリズム研究だ。ニヒリズムといふ精神状況は本質的にエモーショナルなものを含んでゐるから、学者の理論的研究よりも、小説家の小説による研究に適してゐる」[1][2]と記している。また、刊行への宣伝文では、「四人の青年が、鏡子といふ巫女的な女性の媒(なかだ)ちによつて、現代の地獄巡りをする。現代の地獄は、都会的でなければならない。おのづからあらゆる挿話が、東京と紐青(ニューヨーク)に集中する」と自作を紹介している。

なお、三島は、『青の時代』、『禁色』、『沈める滝』などでも青年を書いてきたが、いずれも自身が青年を十分に卒業していない時代に書いた失敗作だったとし、今度は通り過ぎた時代を書こうと思ったと述べている[3]

ストーリー


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


夫と別居し、娘の真砂子と四谷信濃町で気ままに暮らす友永鏡子は、戦後の焼け跡の時代が忘れられないでいる。鏡子は常に焼跡の都市の記憶、「廃墟」としての都市の記憶をとどめ、そのような視点から眺めることが、鏡子の認識の方法である。彼女の家に出入りする商社マンの杉本清一郎、ボクサーの深井峻吉、売れない俳優の舟木収、日本画家の山形夏雄らにも、鏡子は焼け跡の残映のようなものを感じている。娘・真砂子は父が戻ってくるのを密かに望み、縁なし眼鏡の父の写真をときどき取り出し眺める。

4人はそれぞれ、「壁」の前に立っていると感じていた。それが時代の壁であるのか、社会の壁であるのかわからない。「俺はその壁をぶち割ってやる」と峻吉は思っていた。「僕はその壁を鏡に変えてしまうだろう」と収は思っていた。「僕はその壁を描くんだ。壁が風景や花々の壁画に変わってしまえば」と思っていた。そして、清一郎は、「俺はその壁になるんだ。俺がその壁自体に化けてしまうことだ」と思っていた。清一郎は世界が必ず滅びるという確信を抱きつつ世俗を生きている。彼らは「鏡子の家」に集う仲間というだけで、お互いを助けたり、力になったりすることはない。鏡子は他人の自由を最大限に容認して、誰よりも無秩序を愛していながら、誰よりもストイックだった。

4人の青年は、それぞれの道で成功を掴む。清一郎は副社長の娘・藤子と結婚し、ニューヨークへの転勤が決まった。峻吉はプロに転向し、第一戦をKOで飾る。痩せて貧弱な体で役のつかない収は、ボディビルで筋肉をつけ逞しくなった。夏雄の描いた「落日」は展覧会で評判になり、新聞社の賞を受け有名になった。

しかし4人に不幸や転機が訪れる。夏雄は突然スランプに陥り、絵が描けなくなった。世界が崩壊するという体験に襲われ、霊能者の許に出入りし、食事と睡眠を切りつめて衰弱してしまう。収は、自堕落な母の借金のために高利貸しの中年女社長に身売りし、サディスティックな遊戯のうちに、この醜女と心中してしまう。峻吉は全日本チャンピオンまで登りつめたその晩に、つまらないチンピラとの喧嘩で拳を砕かれ再起不能となり、右翼団体に入る。清一郎の妻・藤子は孤独なニューヨークでの生活に耐えられず、同じアパートの同性愛者の米人男性と関係をもってしまう。清一郎は少なからず傷つくが、動ぜず終始、妻にやさしく振舞う。

やがて、夏雄は水仙の花を見つめるうちに、自分と水仙とが堅固な一つの同じ世界に属していると感じ、辛くも立ち直る。そして、メキシコに絵の勉強に旅立つこととなり、別れに鏡子は、童貞の夏雄と関係を持つ。

財産を使い尽くした鏡子の許に、夫が帰ってくることになった。4人の青年が来なくなった「鏡子の家」に、鏡子の夫が、7の犬を連れて帰ってくる。

評価・解説

この作品の特色は、4人の青年が同格の主人公であり、「鏡子の家」のサロンの友人であるというだけで、各々が絡み合うことがなくストーリーが進んでゆく「メリ・ゴオ・ラウンド方式」の構成となっている[4]

発表当時に、非常に評価の分かれた作品で、文壇では失敗作とする評価も多かった。本作は三島由紀夫にとって、相当に力を入れ書いた作品なのでこの評価は堪えたとされる。しかし一方で、友人・澁澤龍彦が、三島宛ての手紙で、「(この小説の本意を理解している)批評家が、日本には三人といないでしょう」と、理解しきれない評者が大半であったことを指摘している。

佐伯彰一も『鏡子の家』について、登場人物の「ぶつかり合いが起こらない」として、低評価を与えているが、三島の「創作ノート」では、人物間の絡み合う場面がいくつか構想されていた。それらは皆廃案とされたのである。井上隆史は、「人物が複雑に絡み合うことのない展開は、相応に考え抜かれた構成なのであって、この点を考慮することなしには、『鏡子の家』に対する充分に行き届いた理解も、意味のある批判も不可能であるように思われる」[5]と述べている。佐藤秀明は、「4人の人間が干渉し合わないというのも、今の目から見れば、現代的な人間関係のあり方を早くも捉えていたと言えるのである」、「彼らの危機は、一様に“ニヒリズム”と呼ぶことができる。そのニヒリズムの芽を彼らは待ち続け、より大きな破壊を待望していた気配はある」[6]という見解を示している。

中元さおりは、まず、なぜ三島は鏡子たちが冒頭で訪れる場所を、勝鬨橋から晴海埋立地にしたのか、また、強く鏡子の目をひきつける空間として明治神宮外苑があるのかということに注目し、そこが戦前戦中の日本を支えた場所(勝鬨橋は“帝都の門”として国家の威光を証明すべく皇紀2600年昭和15年)に建設され、万博会場へのゲートとして位置づけられていた)であったことなど、その場所の歴史の変遷を鑑みている。そして鏡子たちが訪れた時、この地は、「未だ米軍の占領地であり、敗戦の記憶が生々しく残っている。敗戦を期にその絶対者(天皇)は退場を余儀なくされ、アメリカの支配のもと不在の中心を抱えることとなった戦後の日本の姿が、この空間に刻み込まれているのだ」と述べ、やがてそこが今度は、日本の復興と高度成長期の到来のシンボルとして現代的なデザインを採用した公団住宅晴海高層アパート)へと変貌してゆくことを指摘し、それを予感する鏡子たちにとって、それは、「戦後の混乱期を抜け、高度成長へと大きく転換していく社会と、そこに生きる人々の緩慢でありながら、どこか不敵な様相。それは静かにゆっくりと忍び寄る大きなうねりであり、また『いつまでたつても、アナルヒーを常態』とした戦後の混沌と無秩序に満ちた〈祝祭的な空間〉、『廃墟』の時代にとどまり続けようとする峻吉や鏡子たちを脅かすものの影でもある」[7]と解説している。

また、中元さおりは、「昭和30年代という新たな時代の到来は、昭和20年代の焼跡の時代を暴力的なまでの圧力で葬送するとともに、これらの空間に刻みこまれた日本の近代の歴史すらも大きく変質させていくのである。(中略)『アナルヒーを常態』としていたような廃墟の〈祝祭的空間〉は、もはやどこにもないことを、鏡子は痛感するのだ。(中略)焼跡の時代であった戦後は、敗戦の記憶が未だ残っていた時代である。(中略)そのような戦後を切り捨てようとしたのが、昭和30年代という新たなディケイドにむかう時代の空気であり、『鏡子の家』はまさにそのような変化をトポスに反映させているのである。(中略)『鏡子の家』は、新しい時代の到来による戦後的空間の変容だけではなく、人々の内面や空間に刻みこまれた日本の歴史までもが否応なく塗り替えられていこうとするポスト戦後という時代への不信感に満ちている」[7]と評している。

三島と同じ戦中世代の橋川文三は、「ここに描かれている四人の青年たちと鏡子とは、ある秘められた存在の秩序に属する倒錯的な疎外者の結社を構成している。かれらのいつき祭るもの、それはあの『廃墟』のイメージである。三島がどこかで『兇暴な抒情的一時期』とよんだあの季節のことである」と述べ、その時代を振り返り、「じっさいあの『廃墟』の季節は、われわれ日本人にとって初めて与えられた稀有の時間であった。ぼくらがいかなる歴史像をいだくにせよ、その中にあの一時期を上手にはめこむことは思いもよらないような、不思議に超歴史的で、永遠的な要素がそこにはあった。そこだけがあらゆる歴史の意味を喪っており、いつでも、随時に現在の中へよびおこすことができるようなほとんど呪術的な意味をさえおびた一時期であった。ぼくらは、その一時期をよびおこすことによって、たとえば現在の堂々たる高層建築や高級車を、みるみるうちに一片の瓦礫に変えてしまうこともできるように思ったのである。それはあのあいまいな歴史過程の一区分ではなかった。それはほとんど一種の神話過程ともいいうる一時期であった」[8][9]と述べている。

また、橋川文三は、「三島がどこかの座談会で語っていたように、戦争も、その『廃墟』も消失し、不在化したこの平和の時期には、どこか『異常』でうろんなところがあるという感覚は、ぼくには痛切な共感をさそうのである。 (中略)つまり、そこでは『神話』と『秘蹟』の時代はおわり、時代へのメタヒストリックな共感は断たれ、あいまいで心を許せない日常性というあの反動過程が始まるのであり、三島のように『廃墟』のイメージを礼拝したものたちは『異端』として『孤立と禁欲』の境涯に追いやられるのである。『鏡子の家』の繁栄と没落の過程は、まさに戦後の終えん過程にかさなっており、その終えんのための鎮魂歌のような意味を、この作品は含んでいる」[8][9]と解説している。

猪瀬直樹は、最後に鏡子の夫が7匹の洋犬を伴って、戻ってくる場面にについて、「岸信介を象徴していた」という見方をしている[10]

テレビ・ラジオドラマ化

『鏡子の家』(TBSテレビ) 1962年(昭和37年)7月4日 - 8月29日(全9回)

脚色:田村孟。出演:岸田今日子杉浦直樹山崎努長谷川哲夫高山秀雄藤野節子富士真奈美加藤治子、ほか

『鏡子の家』(ラジオ関東) 1959年(昭和34年)10月19日 - 1960年(昭和35年)3月16日(126回)

脚色:高橋辰雄。出演:寺島信子高橋昌也入江洋佑服部哲治松井博子小山田宗徳山岡久乃岸田今日子、ほか
※ 当初、半年間の放送予定であったが、1960年(昭和35年)3月16日放送分第126回で中止され、音楽番組に差し替えられた。

映画化

Mishima: A Life In Four Chapters』 1985年(昭和60年) 日本未公開

製作会社;フィルムリンク・インターナショナル、アメリカン・ゾエトロープルーカスフィルム
監督:ポール・シュレイダー。音楽:フィリップ・グラス。美術:石岡瑛子
出演:沢田研二(舟木収)、李麗仙(清美)、左幸子(収の母)、烏丸せつこ(光子)、横尾忠則(山形夏雄)、倉田保昭(武井)、平田満(悪漢)、ほか
※ 第2部『芸術(art)』内で、舟木収の挿話部分のみを映像化。

脚注

  1. ^ 三島由紀夫『裸体の衣裳』(新潮社、1959年)
  2. ^ 『決定版 三島由紀夫全集第30巻・評論5』(新潮社、2003年)、虫明亜呂無編『三島由紀夫文学論集II』(講談社文芸文庫、2006年)に収む。
  3. ^ 『決定版 三島由紀夫全集第7巻・長編7』(新潮社、2001年)
  4. ^ 田中西二郎「解説」(文庫版『鏡子の家』(新潮文庫、1964年)付録解説
  5. ^ 井上隆史「『創作ノート』の楽しみ1 もう一つの『鏡子の家』」(『決定版 三島由紀夫全集第11巻・長編11』付録・月報)(新潮社、2001年)
  6. ^ 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)
  7. ^ a b 中元さおり「古層に秘められた空間の記憶 ― 『鏡子の家』における戦前と戦後 」(『三島由紀夫と編集 三島由紀夫研究11』)(鼎書房、2011年)
  8. ^ a b 橋川文三「若い世代と戦後精神」(『日本浪漫派批判序説』)(未来社、1960年)
  9. ^ a b 橋川文三『三島由紀夫論集成』(深夜叢書社、1998年)にも収む。
  10. ^ 猪瀬直樹『ペルソナ 三島由紀夫伝』(文藝春秋、1995年)

参考文献

  • 中元さおり「古層に秘められた空間の記憶 ― 『鏡子の家』における戦前と戦後 」(『三島由紀夫と編集 三島由紀夫研究11』)(鼎書房、2011年)
  • 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)
  • 新潮文庫版『鏡子の家』(付録解説 田中西二郎)(新潮社、1964年)
  • 橋川文三『三島由紀夫論集成』(深夜叢書社、1998年)