水野賢一
水野 賢一 みずの けんいち | |
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生年月日 | 1966年7月21日(57歳) |
出生地 | 東京都港区 |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部 |
前職 | 水野清衆議院議員秘書 |
所属政党 |
(自由民主党→) みんなの党 |
称号 | 政治学士 |
親族 |
父・中尾栄一 養父・水野清 |
公式サイト | 水野けんいち公式ホームページ |
選挙区 | 千葉県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2010年7月26日 - 現職 |
選挙区 |
(比例南関東ブロック→) 千葉9区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1999年 - 2009年7月21日 |
水野 賢一(みずの けんいち、1966年7月21日 - )は、日本の政治家。みんなの党所属の参議院議員(1期)、みんなの党国会対策委員長兼幹事長代理。元衆議院議員(4期)。
建設大臣や通商産業大臣、経済企画庁長官を務めた元衆議院議員の中尾栄一は実父。自由民主党総務会長や総務庁長官を務めた元衆議院議員の水野清は養父。
来歴
東京都港区生まれ。麻布高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。アメリカ合衆国のアル・ゴア上院議員事務所への留学を経て、養父・水野清衆議院議員の秘書を務める。
1996年、第41回衆議院議員総選挙に千葉県第9区から自由民主党公認で出馬。選挙区内の出身である読売巨人軍監督の長嶋茂雄からも支援を受けたが、新進党公認の実川幸夫に敗れ、落選。重複立候補していた比例南関東ブロックでも次点に終わった。翌1999年、石橋一弥の死去に伴う繰り上げ当選により、初当選した。渡辺よしみとともに中曽根派新人代議士として志帥会旗揚げ参加。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では再度千葉県第9区から自民党公認で出馬し、再選。なお、前回千葉9区で当選した実川幸夫は新進党解党後、自民党に入党していたため、コスタリカ方式により実川は比例南関東ブロックから出馬した。2003年の第43回、2005年の第44回衆議院議員総選挙でも千葉9区で当選(実川は第43回以降、新設された千葉県第13区から出馬)。
2001年、自由民主党青年局長に就任。2002年、第1次小泉内閣で外務大臣政務官に任命されたが、同年の台湾訪問を拒否されたため、8月25日に辞任した。その際、外務省の対中迎合姿勢、事なかれ主義を激しく批判した(政府高官では唯一安倍晋三内閣官房副長官が全面的に擁護した)。
2005年、郵政解散の翌日(8月9日)に所属していた派閥を離脱。なお、亀井静香が郵政民営化に反対し、自民党を離党する以前から水野は亀井のニューディーラー的な経済政策を批判していた。
2006年、安倍内閣で法務副大臣に任命された。2009年の第45回衆議院議員総選挙に自民党公認で千葉9区から出馬したが、民主党公認の奥野総一郎に敗れ、比例復活もならず落選した。
2010年4月、自民党に離党届を提出。みんなの党に入党し、同年7月の第22回参議院議員通常選挙に同党公認で千葉県選挙区から出馬。同区最下位ながら当選を果たした。選挙後、みんなの党国会対策委員長兼幹事長代理に就任。なお8月4日、自民党は水野が提出した離党届を受理せず、除名処分を決定した(水野の立候補が、千葉県選挙区選出の椎名一保の落選の遠因になったため)。
人物
- 朝鮮民主主義人民共和国に対する経済制裁に賛成の立場を取り、外為法改正や特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法制定を推進した。
- 自民党時代は安倍晋三の側近であり、安倍が会長を務める超党派の議員連盟・創生「日本」に自民党離党後も所属している。
所属団体・議員連盟
脚注
関連項目
外部リンク
議会 | ||
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先代 小島敏男 |
![]() 2008年 - 2009年 |
次代 樽床伸二 |
公職 | ||
先代 河野太郎 |
![]() 第9代:2006年 - 2007年 |
次代 河井克行 |