根岸 (台東区)
根岸 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 台東区 |
地域 | 下谷地域 |
人口 | |
• 合計 | 12,725人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
110-0003 |
市外局番 | 03 |
根岸(ねぎし)は、東京都台東区の町名。現行行政地名は根岸一丁目から根岸五丁目。住居表示実施済み区域である。
地理
上野の山の北の陰に位置し、西はJR山手線、北は荒川区東日暮里・南千住、東は台東区三ノ輪・竜泉・下谷に囲まれた三角形の町域をもつ。関東大震災や第二次世界大戦で罹災しなかった市街地も含まれ、昔ながらの町並み・建造物が残されている場所もある。
最寄駅はJR鶯谷駅、JR・京成本線日暮里駅、東京メトロ日比谷線入谷駅・同三ノ輪駅(鶯谷駅のみ地内に所在)。
根岸は落語家の7代目林家正蔵一門(海老名家)の家があることでも知られ、特に7代目正蔵、当家出身の初代林家三平は当地名の「根岸(の師匠)」の名でも知られていた。他にも8代目桂文治もこの地に住んでいた。
歴史
地名の由来
名前の由来は、上野の崖の下にあり、かつて海が入り込んでいた頃、木の根のように岸辺がつづいていたためといわれる。
沿革
- 室町時代に、武蔵国豊島郡根岸村という地名があったという説もあるが(長禄江戸図の記載に由来するものだが誤りとの見解が多い)、当時から金杉(金曽木)の地名が一般的であった。
- 江戸時代は、武蔵国豊島郡金杉村の一部であり、正保3年に東叡山寛永寺領となった。金杉村の中央以南の地の字(あざ)名は、南部を「根岸」、西北と新田を「杉ノ崎」、東北を「中村」、更に東北を「大塚」と分けて呼ばれた。「根岸」が一番南側なので、江戸のほうからはこれらの地をまとめて「根岸」と呼んだ。
- 明治22年(1889年)5月1日:市制・町村制施行にともない、金杉村のうち石神井用水(音無川)より南の土地が下谷区内に編入され、明治24年に上根岸町、中根岸町、下根岸町となった。石神井用水より北の土地は東京府北豊島郡日暮里村字金杉となった。
- 大正2年(1913年):日暮里村大字金杉は町制施行にともない日暮里町金杉となり、昭和7年には東京市の区域拡大・荒川区制施行によって荒川区日暮里町一丁目から四丁目となった。更に1966年に住居表示の実施によって荒川区東日暮里四丁目および東日暮里五丁目となった。
- 昭和22年(1947年):大東京35区は22区(後に練馬区が板橋区から分区し23区となる)に再編され、これに伴い下谷区上根岸町、中根岸町、下根岸町は台東区の町名ととなる。
明治期の名所・旧跡・名産
根岸及近傍図(明治34年発行)には大空庵・御行の松・円光寺・梅屋敷跡・石神井用水・笹乃雪・おまじない横丁・一本橋・五本松・台の下・御隠殿跡・水鶏橋・貝塚・善性寺・羽二重団子・古奥州街道・雨華庵跡・石稲荷神社・火除・二股榎・世尊寺・西蔵院・札の辻・大猷公廟跡・鶯谷・桜川・元三島神社・鶯・鶴・水鶏・山茶花・夏葱・谷中生姜・三河島菜・根岸土・万年青・煮山椒が挙げられている。また、正岡子規旧宅子規庵が現在も残る。
施設
- 下谷警察署鶯谷駅前交番
- 台東区立書道博物館
- 台東区立根岸図書館
- 華学園栄養専門学校
- 台東区立根岸小学校
- 台東区立金曽木小学校
- 愛隣保育園
- 鶯谷公園
- 金曽木公園
- 上根岸公園
- 台東根岸二郵便局
- 台東根岸三郵便局
- 大空庵不動尊
- 根岸薬師寺
- 安楽寺
- 薬王寺
- 萬徳寺
- 西蔵院
- 西念寺
- 世尊寺
- 永稱寺
- 千手院
- 元三島神社
- 石稲荷神社
- 八二神社
- ねぎし三平堂 - 初代林家三平の自宅を改装した資料館。初代三平は幼少期から晩年まで根岸に住んでいた。
- 岡埜栄泉
- タジマヤ本社
- タイガー魔法瓶東京支社
- 香味屋 - 1926年創業の洋食店
その他
脚注
- ^ 住民基本台帳による町丁名別世帯人口数 台東区