染井霊園
詳細 | |
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開園 | 1874年(明治7年)9月1日 |
所在地 | |
国 | 日本 |
座標 | 北緯35度44分17秒 東経139度44分13秒 / 北緯35.738度 東経139.737度座標: 北緯35度44分17秒 東経139度44分13秒 / 北緯35.738度 東経139.737度 |
運営者 | 東京都公園協会 |
総面積 | 約6.8万平方メートル |
建墓数 | 約5,500基 |
ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index074.html |
染井霊園(そめいれいえん)は東京都豊島区駒込にある都営霊園。旧称の染井墓地で呼ばれることも多い。水戸徳川家墓所。水戸徳川公爵家や府中松平家の江戸期の墓。徳川斉昭の生母や徳川昭武の生母、側室高橋悦子の墓がある。面積は67,911平方メートル、およそ5,500基の墓があり、8ヶ所ある都営霊園の中では最も規模が小さい。
園内には約100本のソメイヨシノ(染井の地が発祥といわれる。ソメイヨシノ#起源についての諸説を参照)が植えられ、遊歩道の一部は桜並木になっており桜の名所として親しまれている。
歴史
明治政府は神仏分離政策を薦めていたため神式の葬儀が増えたものの、既存の墓地の多くは寺院の所有であり埋葬する場所が確保できなかった。また、キリスト教会も墓地を持っていなかった。このため寺院の所有でない墓地を造る必要にせまられていた。1872年に明治政府によって播州林田藩建部邸跡地に神葬墓地として開設される。1874年に東京府の管理下に置かれ宗教によらない公共墓地となる。1889年には東京市に移管され、1935年に染井霊園に改称された。
交通
埋葬されている著名人
- 饗庭篁村
- 淡島寒月
- 石川倉次
- 石川一郎
- 伊藤道郎
- 井上範
- 巌本善治
- 巌本真理
- 海野勝眠
- 大田黒元雄
- 岡倉天心
- 奥宮健之
- 小河一敏
- 梶田半古
- 北田薄氷
- 勝沼精蔵
- 樺山資紀
- 川田小一郎
- 陸羯南
- 窪田鎮章
- 熊谷直彦
- 高良斎
- 五島美代子
- 阪本四方太
- 酒井忠績
- 酒井忠惇
- 笹川臨風
- 佐藤功一
- 幣原喜重郎
- 下岡蓮杖
- 下条康麿
- 下瀬雅允
- 末弘厳太郎
- 杉亨二
- 関根正直
- 高階経徳
- 高田早苗
- 高嶺秀夫
- 高村光雲
- 高村光太郎
- 高村智恵子
- 新田邦光
- 坪井正五郎
- 松浦詮
- 松浦厚
- 土方久元
- 土方久敬(土方与志)
- 濱尾新
- 福岡孝弟
- 二葉亭四迷
- 前田政四郎
- 水原秋桜子
- 宮武外骨
- 安岡正篤
- 若槻禮次郎
- 若松賤子
染井霊園周辺には寺院が多く、それぞれの墓地もある。このため慈眼寺にある芥川龍之介や谷崎潤一郎そして司馬江漢 、本妙寺にある遠山景元や千葉周作の墓が染井霊園にあると紹介されることがある。また岩崎弥太郎は当初染井墓地に葬られたが、後に隣接する三菱社宅の敷地に移された。但し岩崎家の分家の人物では染井霊園に葬られている者もある(例・岩崎勝太郎…弥太郎の孫で経営コンサルタント)。弥太郎が葬られている墓地は弥太郎以外の岩崎家本家の者も葬られており、同じ敷地に弥太郎が母の美和の為に建てた別荘が大磯から移築されている。