大江神社 (大阪市)

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大江神社

社殿正面
所在地 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-40
位置 北緯34度39分25秒 東経135度30分43.3秒 / 北緯34.65694度 東経135.512028度 / 34.65694; 135.512028 (大江神社 (大阪市))座標: 北緯34度39分25秒 東経135度30分43.3秒 / 北緯34.65694度 東経135.512028度 / 34.65694; 135.512028 (大江神社 (大阪市))
主祭神 豊受大神
素盞嗚尊
欽明天皇
大己貴命
少彦名命
社格郷社
創建 不詳
別名 乾社(いぬゐのやしろ)
如意山神宮寺(神宮寺、あるいは仏教寺院としての名称)
例祭 秋祭り(10月16日
主な神事 元旦祭(1月1日)
夏祭(7月16日)
大祓式(12月31日)
地図
大江神社の位置(大阪府内)
大江神社
大江神社
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大江神社(おおえじんじゃ)は、大阪市天王寺区夕陽丘町夕陽丘地区。かつての天王寺北村、東成郡天王寺村の一部)にある神社旧社格郷社[1]

歴史[編集]

大江神社は四天王寺鎮守社である四天王寺七宮のひとつとして聖徳太子によって創建された。当初の祭神は天王寺北村の産土神である豊受大神である。後に神仏習合して毘沙門堂が建立されて毘沙門天を祀るようになると、四天王寺の乾の方角にあることから「乾の社」と呼ばれるようになった。そして境内には如意山神宮寺が建立され、神社の祭祀も四天王寺の僧徒が行うようになっていった。

しかし、幕末になり神仏分離の動きが出てくると、慶応3年(1867年)に大江岸にちなんで名称を大江神社と改めた。明治に入るとついに神宮寺を廃寺とし、毘沙門堂も廃した。この際に祀っていた毘沙門天は滋賀県大津市坂本比叡山戒藏院に遷している。また、郷社に列せられている。

1907年(明治40年)、小儀神社上之宮神社上野王子)を合祀する。

太平洋戦争中の1945年昭和20年)3月13日・14日に行われた第1回大阪大空襲によって絵馬堂と神器庫以外のすべての建物が焼失するが、1963年(昭和38年)に本殿が再建された。

祭神[編集]

境内[編集]

  • 本殿 - 1963年(昭和38年)再建。
  • 拝殿 - 1963年(昭和38年)再建。
  • 社務所
  • 日吉稲荷神社
  • 毘沙門堂跡と狛虎
  • 絵馬堂
  • 神器庫
  • 大江護国神社 - 祭神:蛤御門の変で戦死した48名の長州藩士。1870年(明治3年)に山口藩長州藩)によって建立された。1890年(明治23年)には山口藩殉難諸士招魂碑が建てられている。
  • 境外社
    • 羽呉神社

狛虎[編集]

当神社には狛虎というものがある。狛の由来は不詳であるが、300年以上前の作と考えられている。その昔、狛虎の奥に如意山神宮寺の毘沙門堂があった。虎は毘沙門天を護るとされている所縁のある動物である。狛虎は元々は阿吽で1対をなしていたが、吽形の方が明治初期に滋賀県の某寺に持ち出されてしまったと言われている。

一方、残った阿形であるが大阪大空襲の際に焼夷弾を受けて損傷をしたものの、戦後もそのまままにされていた。そこに、阪神タイガースのファンから「狛虎を一対にしたら阪神タイガースは優勝するのでは」との話になり、吽形は2003年平成15年)に新たに作られて奉納され[2]、阿吽の狛虎が久しぶりにそろった。その同年、阪神タイガースは18年ぶりにセ・リーグ優勝してしまう。これにより狛虎はマスコミに大きく取り上げられた。

しかし、2011年(平成23年)10月、阿形は老朽化のために、2003年(平成15年)に吽形と共に作られて保管されていた新しい阿形と交換されることとなり、元の阿形の狛虎は蔵に保管された。

狛虎には阪神タイガースのファンより、メガホン、虎の小さい置物やぬいぐるみなどが供えられていることがある。また、狛虎付近には阪神タイガースの優勝を祈願する張り紙や木札がある。なお、普通の狛犬も存在する。

現地情報[編集]

所在地
交通アクセス

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター 神社を中心とする村落生活調査報告(一)大阪府-大阪市・三島郡・豊能郡-2018年11月18日 閲覧
  2. ^ 神社に掲示されている「狛虎由来記」(「狛虎会」の名で書かれている。)

外部リンク[編集]