反共義士

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中華郵政1955年に発行した「反共義士」切手

反共義士(はんきょうぎし)とは、台湾に逃れた中華民国国民政府中国大陸中華人民共和国から亡命してきた軍人ないし民間人に対し呼称した称号である。

歴史的背景

朝鮮戦争に参戦した中国人民志願軍将兵でアメリカ軍を主力とする国連軍捕虜になったもののうち、中国への送還を拒否した軍人がいた。これらの軍人達の第一陣が1954年1月23日[1]韓国仁川から台湾の基隆にむけてアメリカの艦船で送り届けられ1月29日に到着した。最終的には約14,000人が台湾に到着したが、彼らの事を中国共産党政権から逃れてきた「反共義士」と呼ぶようになった。

その後台湾の中華民国政府は大陸から軍用機を操縦して亡命してきた軍人らに対する報奨金や援護法を制定し、彼らを保護した。彼らを援助するために中国大陸災胞救済総会(現在は中華救助総会[2])が設立された。

1991年、台湾全土に出されていた戒厳令が解除され、中国共産党政権を「叛乱勢力」と事実上見なさなくなった政治状況の変化にともない、「反共義士」は歴史的な呼称となった。現在ではハイジャック犯が台湾に来ても一般の刑事犯として訴追するようになった。

具体例

戦争捕虜
朝鮮戦争に参戦していた中国人民志願兵のうち中華人民共和国への帰還を拒否した将校
大陸難民
1965年にはじまった文化大革命によって香港経由で台湾に逃れてきた難民。彼らは中国大陸災胞救済総会が援助した。
軍用機のパイロット
中国人民解放軍空軍パイロットが台湾もしくは当時国交のあった韓国に飛来した者。1960年から1986年までに13機16人が該当。彼らの多くが生きて台湾に到着した場合には多額の報奨金を受け取ることができた。
ハイジャック犯

参考文献

  • 〈戰後外交史料彙編:韓戰與反共義士篇(一)〉:2005,行政院原住民委員會,ISBN 9860012598

関連項目

高雄市岡山区にある空軍軍官学校の敷地内にある資料館であるが、前述の亡命飛行に使用された軍用機のうち4機が展示されている

注釈

  1. ^ そのため台湾では1月23日を「一二三自由日」という反共記念日に制定していた。1993年からは「世界自由日」に改称。
  2. ^ 冷戦期には中国大陸から逃れてきた難民共産主義の抑圧から逃れてきた者として援助していたが、現在では国際的な難民救助組織になっている。

外部リンク