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千葉和彦

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千葉 和彦
名前
カタカナ チバ カズヒコ
ラテン文字 CHIBA Kazuhiko
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1985-06-21) 1985年6月21日(38歳)
出身地 北海道釧路郡釧路町
身長 183cm
体重 74kg
選手情報
在籍チーム サンフレッチェ広島
ポジション DF
背番号 5
利き足 左足
ユース
1994-1997
1998-2000
2001-2003
釧路富原FC(富原小
橋北中
日生学園第二高
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2005
2005
2005-2011
2012-
オランダの旗 AGOVVアペルドールン
オランダの旗 FCドルトレヒト
日本の旗 アルビレックス新潟
日本の旗 サンフレッチェ広島
21 (0)
- (-)
147 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

千葉 和彦(ちば かずひこ、1985年6月21日 - )は、北海道釧路郡釧路町出身のプロサッカー選手Jリーグサンフレッチェ広島所属。ポジションDFセンターバック)。

人物

欧州リーグからキャリアをスタートさせた逆輸入Jリーガー[1]

足元の技術も高く対人能力の高いセンターバックで、ボランチとしてもプレーする[1][2][3]

来歴

小学校3年生から本格的にサッカーを始め、地元北海道の釧路富原FCに入団。その後、単身三重県に渡り、津市立橋北中学校に入学。2001年から特待生として日生学園第二高等学校に進学し、三重県県選抜メンバーの一員として毎夏オランダやスペインに海外遠征した[要出典]。高校入学当初はFWだったが、夏以降にボランチへコンバート[4]された。高校の1年先輩に尾崎瑛一郎がおり[5]、2002年高校2年の時に西村弘司飛弾暁を擁する四中工を破り[6]同校初の全国高校サッカー選手権大会への出場を果たした。

高校卒業後はプロ入りを目指していたが、Jリーグクラブからのオファーがなかったため[4][1]知人を頼って単身オランダへ渡り、2004年1月にオランダ2部リーグAGOVVアペルドールンに入団テストを経てアマチュア契約を締結[4][1]。親の仕送りに頼りながら[1]サッカーに励み、2004-05シーズン中盤からウリエ・コールホフオランダ語版監督にアンカーで起用され[7]、リーグ戦21試合に出場した[4]。シーズン終了後にコールフ監督がオランダ2部のFCドルトレヒトに移籍すると、コールフから引き抜かれる形で同クラブとアマチュア契約を締結することが内定していたが[7]、2005年7月に知人を頼って練習参加していたアルビレックス新潟監督の反町康治からラブコールを受け、同年8月に新潟とプロ契約を交わして[1]正式に入団した[8]。新潟入団当初もボランチでプレーしたが[注 1]、人材不足のため3バックのDFにも入った[4]

2006年から新潟監督が鈴木淳に交代したがコンスタントに試合出場を重ね、チーム状況に応じてボランチとセンターバックでプレー[4]。2007年はCBのレギュラーとして活躍し、リーグ中断前にクラブ史上最高位となる3位にまでなる原動力となり[3][2]、同年10月には反町が率いるU-22日本代表に選出された[2]。なお、この年はドーピング禁止規定に接触するステロイド系が含まれる薬剤(塗り薬)を使用したとしてクラブ側から活動自粛を言い渡されていたが[注 2]、その後のJリーグ側の調査でこの薬剤は使用方法が適切なら問題のないもので改めて行われたドーピング検査も陰性であったことから活動を再開した[9]。Jリーグ側も「自粛するほどの大きな問題ではなかった」と回答している[9]。2008年はチームに負傷者が続出してJ1残留争いに巻き込まれながらも中そのユーティリティー性を活かしながら奮闘し、U-23日本代表予備登録メンバーに選出された。

2009年はチームが4-3-3システムを採用したため出場機会が減少したが、2010年からチームの副将に就任。シーズンを通してCBで起用され、2011年から正式に登録ポジションをDFに変更した。2011年8月6日に行われたJ1リーグ2011シーズン第20節清水エスパルス戦90+4分、FWアンデルソンが放ったコーナーキックをヘッドで合わせ、プロ7年目にして初ゴールを決めた。

2012年より、前年まで新潟でヘッドコーチを務めた森保一が監督に就任するサンフレッチェ広島へ森保と行動を共にする形で完全移籍した[1]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2003-04 AGOVV 2部 0 0
2004-05 21 0 1 0 22 0
2005-06 ドルトレヒト -
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2005 新潟 37 J1 0 0 - 0 0 0 0
2006 3 14 0 2 0 2 0 18 0
2007 27 0 6 1 1 0 34 1
2008 31 0 6 0 2 1 39 1
2009 13 0 2 0 2 0 17 0
2010 33 0 5 0 3 0 41 0
2011 29 1 3 0 1 0 33 1
2012 広島 5
通算 オランダ 2部 21 0 1 0 22 0
日本 J1 147 1 24 1 11 1 182 3
総通算 168 0
  • Jリーグ初出場 - 2006年5月12日 J1-第12節 新潟vs清水 @新潟ス
  • J公式戦初得点 - 2007年4月11日 ナビスコ杯-予選第4節 新潟vs甲府 @新潟ス
  • Jリーグ戦初ゴール 2011年8月6日 J1-第20節 新潟vs清水 @新潟ス

代表歴

脚注

注釈
  1. ^ なおこの際、オランダ時代の出場停止処分を消化していなかったため、FIFA規定によりJリーグ3試合の出場停止処分が下されている[8]
  2. ^ この年は我那覇和樹のドーピング冤罪事件が発生しており、各クラブはドーピング問題に対し必要以上に対応していた。
出典
  1. ^ a b c d e f g 中国新聞2012年1月25日付
  2. ^ a b c クラブでの勢い代表でも”. 読売新聞 (2007年7月31日). 2012年1月29日閲覧。
  3. ^ a b 千葉和彦選手『もっと上手く、もっと強く』”. MSNスポーツ (2007年8月16日). 2012年1月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e f サッカーマガジン2007年11月23日付 />
  5. ^ 朝日新聞、2003年1月1日付朝刊、三重地方面
  6. ^ 朝日新聞、2002年11月17日付朝刊、三重地方面
  7. ^ a b 千葉和彦、ドルトレヒトへ移籍内定=オランダ”. スポーツナビ (2005年6月5日). 2012年1月29日閲覧。
  8. ^ a b オランダから「逆輸入Jリーガー」新潟へ”. 日刊スポーツ (2005年8月2日). 2012年1月29日閲覧。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "nikkansports2005-08-02"が異なる内容で複数回定義されています
  9. ^ a b 新潟MF千葉が川崎F戦から出場可能に”. 日刊スポーツ (2007年7月31日). 2012年1月29日閲覧。

参考資料

関連項目

外部リンク