尾崎瑛一郎

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尾崎 瑛一郎 Football pictogram.svg
名前
愛称 ザキ
カタカナ オザキ エイイチロウ
ラテン文字 OZAKI Eiichiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1984年12月7日(27歳)
出身地 静岡県静岡市駿河区
身長 172cm
体重 69kg
選手情報
在籍チーム ガイナーレ鳥取
ポジション DF
背番号 2
利き足 右足 (利き手は左)
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
2003
2004-2007
2008-
アルビレックス新潟
アルビレックス新潟・S
ガイナーレ鳥取
17 (00)
87 (21)
77 (05)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月3日現在。
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尾崎 瑛一郎(おざき えいいちろう、1984年12月7日 - )は、静岡県静岡市出身でJリーグ ディビジョン2(J2)・ガイナーレ鳥取所属のサッカー選手。ポジションはディフェンダー

目次

[編集] 来歴

小学校1年生でサッカーを始め、6年生の時に全国大会で優勝する[1]城山中学では主将を任され、「無名の高校を強くしたい」と考え、サッカー部を強化指定クラブにした直後の日生第二に進学[2]。高校でのポジションはそれまでと同じMFで、3年生になると主将を務めた。高校選手権の県大会決勝では先制のフリーキックを決めて西村弘司飛弾暁を擁する四中工を破り[3]、同校初の全国高校サッカー選手権大会への出場を果たす。本大会では山形中央との初戦で先制のPKを決めるも、1対2で敗れた。また、同年度は三重県国体選抜や三重県高校サッカー最優秀選手に選ばれている。

反町康治の目に止まり、2003年1月28日アルビレックス新潟と入団契約を結んだ。同年は高卒1年目ながら右サイドバックとして17試合に出場し、J1への昇格に貢献[4]。翌2004年には若手育成[4]と負傷した足のリハビリを兼ね[1]、下部組織であるアルビレックス新潟シンガポール期限付き移籍された。2006年にはキャプテンを務めたが、アマチュアのメンバーを含むチームをまとめるのに苦労し、プレーに集中できずサッカーへのモチベーションを失いかけたという[4]2007年には新潟シンガポールに完全移籍したが、同年限りで解雇される[4]

2008年ヴィタヤ・ラオハクル監督(当時)に誘いを受け、2月にガイナーレ鳥取(当時日本フットボールリーグに所属)のキャンプに自費参加[4]。同年3月にガイナーレに入団した。

[編集] 人物

チームメイトである岡野雅行とは仲が良い。岡野が暇な時に意図なく電話をかける相手であるため、本来の用件をしゃべるまでに3分かかるとの事[5]

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2003 新潟 26 J2 17 0 - 0 0 17 0
シンガポール リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2004 新潟S 2 Sリーグ 20 2 1 0 - 21 2
2005 10 3 1 0 0 - 3 1
2006 32 14 3 1 - 35 15
2007 32 4 1 0 - 33 4
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2008 鳥取 31 JFL 20 2 - 0 0 20 2
2009 28 20 1 - 1 0 21 1
2010 2 24 2 - 0 0 24 2
2011 J2 13 0 - 1 0 14 0
2012 -
通算 日本 J2 30 0 - 1 0 31 0
日本 JFL 64 5 - 1 0 65 5
シンガポール Sリーグ 87 21 5 1 - 92 22
総通算 181 26 5 1 2 0 188 27

[編集] 経歴

[編集] 脚注

  1. ^ a b GAINARE×Peeba Player's focus / No.28 DF 尾崎瑛一郎
  2. ^ 朝日新聞、2003年1月1日付朝刊、三重地方面
  3. ^ 朝日新聞、2002年11月17日付朝刊、三重地方面
  4. ^ a b c d e 朝日新聞、2008年4月23日付朝刊、鳥取地方面
  5. ^ 2011年3月5日放送 山陰放送「J-Dream ガイナーレ劇場 開幕直前拡大SP」より

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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