九九式軽機関銃

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九九式軽機関銃
九九式軽機関銃
種類 軽機関銃
製造国 大日本帝国の旗 大日本帝国
設計・製造 日立工機
仕様
口径 7.7mm
銃身長 483mm
使用弾薬 九九式普通実包
装弾数 30発
全長 1,190mm
重量 11.0kg
発射速度 550発/分
銃口初速 715m/s
有効射程 2,000m
歴史 
設計年 1939年(昭和14年)
関連戦争・紛争 太平洋戦争
製造数 53,000
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九九式軽機関銃(きゅうきゅうしきけいきかんじゅう)は、1939年(昭和14年、皇紀2599年)に採用された大日本帝国陸軍軽機関銃

性能

本銃は九六式軽機関銃を基本設計に開発された新型軽機関銃であり、当時の世界の趨勢にあわせ口径を6.5mmから7.7mmに拡大したことが大きな改良点である。外見は九六式軽機関銃の開発時に参考にしたとされるチェコZB26軽機関銃やZB30軽機関銃、ZB26の使用弾薬を.303ブリティッシュに変更してライセンス生産したイギリスブレン軽機関銃にやや近い。しかしながら、内部機構には多くの国産機関銃と同様にオチキス機関銃の影響が強く見られる。

基になった九六式軽機関銃が傑作銃であったため、その構造を引き継いだ九九式軽機関銃も優秀な軽機関銃であり、また工作精度も一段と向上し命中精度・信頼性ともに高く、第一線では好評であった。

九九式軽機関銃に対しては九七式車載重機関銃と比較して減装薬を使用せねばならなかった点について、ZB26を直接7.7mm化した九七式車載重機関銃を母体とせず、6.5mmの九六式軽機関銃を7.7mmに拡大するという迂遠とも見える開発手法に原因があると見て、その開発方針には批判もある[要出典]。とはいえ、もし九七式車載重機関銃を母体として開発することで九七式実包[1]の使用が可能になっていたとすれば、史実のような高い命中精度や少ない故障頻度はおそらく実現できず、またこの場合は九九式小銃にも九七式実包が供給されることになっていたはずで、第一線部隊の火力戦能力はより低下したものとされる。

九九式軽機関銃の生産数は合計約53,000挺と推定されているが、この生産数は日本軍の規模から考えると、6.5mm装備部隊が少なくなかったことを考慮に入れてもやや少ない数と思われる。必要定数は満たして余りあるが、損耗補充まで考えれば決して十分ではない。

主力装備の口径変更

三十年式歩兵銃が開発されて以来、帝国陸軍が使用する小火器の口径は6.5mmが主力であった。この三十年式実包(6.5mm×50SR セミリムド 円頭弾頭)と三八式実包(6.5mm×50SR セミリムド 尖頭弾頭)は対人には十分な性能であったが、当時の諸外国が採用していた7mm級に比べ車輌等の対物(アンチ・マテリアル)威力が劣る事が懸念されていた。そのため、主要火器の口径を6.5mmから7.7mmへ拡大化する計画がたてられ、主力重機関銃三年式機関銃(6.5mm)から九二式重機関銃(7.7mm)へ改変された。この九二式重機関銃用に開発された弾薬が九二式実包(7.7mm×58SR セミリムド)である。九二式実包の原型は、航空機関銃である八九式旋回機関銃用に開発された八九式実包(7.7mm×58SR セミリムド)であり、八九式実包は八九式固定機関銃でも採用されていた。

小資源国家である日本が、多種多様の口径の小火器を装備することは補給の点からも望ましいことではなく、他の小火器の口径も7.7mmで統一することとなり、軽機関銃も九六式軽機関銃(6.5mm)から九九式軽機関銃(7.7mm)に改変し、これに伴い小銃もまた並行して三八式歩兵銃(6.5mm)に代わる九九式小銃(7.7mm)が開発されたのである。

この経緯について小銃が先行していたかのように解説されることが多いが(事実、7.7mm小銃の試作着手は大正期にまで遡る)、永年の懸案ではあったがなかなか踏み切れずにいた全軍装備の7.7mm化に踏み出させる直接の契機となったのは、中国国民党軍との戦闘で十一年式軽機関銃と三八式歩兵銃(ともに6.5mm×50SR セミリムド)が、ZB26とKar98k(ともに7.92mm×57 リムレス)に圧倒されたことであった。

この実包の統一化を進めるために、陸軍は数種類の規格と名称が混在していた7.7mm弾を整理し、従来のセミリムドの九二式実包(7.7mm×58SR)を航空隊専用弾とし、従来九七式実包(7.7mm×58 リムレス、九七式車載重機関銃用に開発された実包)と呼ばれていたものを九二式実包(7.7mm×58 リムレス)と改名し、型式としての九七式実包を廃盤とし、陸上部隊用の7.7mm弾薬はこの新九二式実包(旧九七式実包)に統一されることとなったのである。この通達と各種改正措置は1940年(昭和15年)中に行われ、セミリムド実包(旧九二式実包)を使っていた九二式重機関銃は改正処置を受けて、リムレス実包(新九二式実包)にも対応したものへと改められることともなった。

また、九九式実包(7.7mm×58 リムレス)も元来は軽機関銃用として開発が進められたものである。新型軽機関銃/小銃は、九七式車載重機関銃用に開発されたリムレスの九二式実包(後の九七式実包)を前提として開発が行われたが、重機関銃用の強装薬大威力の7.7mm弾は反動が強く軽機関銃で用いるには厳しく、威力を落として反動を軽減する処置が必要となってしまい、九七式実包の装薬および弾丸重量を減らした九九式実包が用いられることとなった。軽機関銃の弾薬は小銃の弾薬と共用であることが望ましいため、新型軽機関銃に引きずられるかたちで新小銃の弾薬も九九式実包を使用することとなり、重機関銃と軽機関銃/小銃の間での完全な弾薬の統一は果たせなかった。しかし九九式短小銃にとっても九九式実包の採用は射撃時のハンドリング向上という面では有利に働いたものと見られる。

新九二式実包と九九式実包の薬莢は「外観寸法上は」完全に互換性があり、陸軍の7.7mm銃(セミリムド実包を用いる航空機関銃は除く)は、照尺距離が合わないという点を別にすれば、どちらの弾丸も利用することが出来た。

日本の国力では全兵器の口径変更を完了させるにはかなりの時間を必要とし、結局のところ太平洋戦争大東亜戦争終戦時になっても装備改変は終了しなかった。投入地域や部隊ごとに口径は統一されていたものの、戦線の拡大や増援のため次第に旧型装備部隊も大陸などから、新型装備部隊が多い南方戦線に回されることとなり、陸軍の中で6.5mmと7.7mmが混在して使用されたこと、しかもその7.7mmが航空機関銃用、重機関銃用、軽機関銃/小銃用でそれぞれ異なることなど、陸軍の補給体系は複雑で問題が多かった。また陸軍の7.7mm弾は、海軍の九七式(毘式)七粍七固定機銃九二式(留式)七粍七旋回機銃九二式(留式)七粍七機銃などの7.7mm弾(7.7mm×56R リムド)とも規格が異なるので、陸軍からの供与兵器を除いて陸海軍間で弾薬の融通ができなかった。これらの理由から、ただでさえ日本軍の弱点であった補給にいらぬ混乱を招く結果となってしまった。

特徴

九九式軽機関銃

九六式軽機関銃と同様に銃身内にクロムメッキが施され、他国の軽機関銃に比較し桁違いに高い耐久性を誇った。また照準眼鏡(九六式照準眼鏡具)は共通である。

九六式軽機関銃との主な相違点としては、銃口への消炎器の取り付け(消炎器の代わりに銃口蓋を取り付けたり、銃口部に何も装着していないものもある)、弾薬塗油装置の復活、銃床に高さ調節可能な一本足の折りたたみ式後脚が付いた(末期には後脚が省略されたものもある)ことが挙げられる。また、7.7mmに対応するため各部の強度を増したことで1kgほど重量が増え、弾倉形状もやや真っ直ぐに湾曲していた。銃身の交換はスパナを使って六角ナットを外す方法となり、九六式軽機関銃のラッチレバー方式に比べ迅速な銃身交換はできなくなった。この様に、多くの主要部品は九六式軽機関銃との互換性がなかった。また、三脚架での運用は考慮されていなかった。

本銃の銃剣着剣装置については九六式軽機関銃#着剣装置を参照。

登場するメディア

ゲーム

脚注

  1. ^ 1940年以降は九二式実包と名称変更された。

関連項目

外部リンク