ローマンエンパイア
この記事は「新馬齢表記」で統一されています。 |
ローマンエンパイア | ||||||
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欧字表記 | Roman Empire[1] | |||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||
性別 | 牡[1] | |||||
毛色 | 黒鹿毛[1] | |||||
生誕 | 1999年2月6日[1] | |||||
死没 | 2016年10月29日(17歳没) | |||||
登録日 | 2001年7月5日 | |||||
抹消日 |
2007年6月14日 (JRA) 2008年3月19日(NAR) | |||||
父 | サクラローレル[1] | |||||
母 | ローマステーション[1] | |||||
母の父 | Law Society[1] | |||||
生国 | 日本(北海道浦河町)[1] | |||||
生産者 | 中島牧場[1] | |||||
馬主 |
(有)ターフ・スポート →中島雅春[1] | |||||
調教師 |
古川平(栗東) →坂本勝美(美浦) →藤木一男(金沢) [1] | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 26戦5勝[1] | |||||
獲得賞金 | 1億6253万1000円[1] | |||||
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ローマンエンパイア(欧字名:Roman Empire、1999年2月6日 - 2016年10月29日)は日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍は、2002年の京成杯(GIII)。
経歴
[編集]誕生までの経緯
[編集]母ローマステーションは、酒井牧場が生産及び所有したローソサイエティ産駒で、1989年の新馬戦で勝利を挙げ19戦1勝で、競走馬を引退した[2]。引退後は、酒井牧場から「仔分け」という方式で、中島牧場に生産を委託[3]。初仔から4番仔までを酒井の持ち分とし、それ以降は中島牧場に譲渡するという約束であった[3]。酒井の持ち分である4頭は、いずれも競走馬として勝利を挙げ、オーシャンステークスで3着となった2番仔ショーザランニング(父:ランフォーエバー)や福島民友カップを制した4番仔ニシオセーラムなど「順調な仔出し[3]」(吉沢譲治)だったが、約束通り中島牧場に譲渡された[3]。首が短く、短距離を走りそうな体型のローマステーションに、譲渡1年目はポリッシュパトリオット、2年目はジョリーズヘイローを種付けしたところ、酒井は同じ特性の種牡馬を配合したことを中島に叱った[3]。そのため、3年目には、ローマステーションと対照的な体型であるサクラローレルを選ぶと、酒井はこの配合も「きっといい仔が生まれるよ」とほめられていた[3]。
1999年2月6日、中島牧場にてサクラローレル産駒の牡馬(後のローマンエンパイア)が誕生[3]。これまでの産駒よりも首と胴が長く、サクラローレルの想定通りの体型だった[3]。
幼駒時代
[編集]ターファイトクラブにて総額2300万円計100口で会員募集され、ターファイトクラブの募集馬で一番早く満口となった[3]。1歳9月となり、中島牧場を出て、育成牧場であるチェスナットファームに移動した[3]。
競走馬時代
[編集]日本中央競馬会 (JRA) 所属時代は栗東トレーニングセンターの古川平調教師の管理馬となる。2001年12月の阪神競馬場の新馬戦、さざんか賞を連勝し、オープン入りを果たした。新馬戦ではチアズシュタルクを、さざんか賞ではテレグノシスに圧勝し、のちの皐月賞で人気を集める逸材だった。
明けて2002年、東京競馬場の京成杯に挑戦。母にヤマニンパラダイスを持つ良血馬ヤマニンセラフィムと、父サクラローレルの初年度産駒として注目されたローマンエンパイアの両頭に人気が集中。レースは先に抜け出したヤマニンセラフィムを大外からローマンエンパイアが追い込み、際どい一騎討ちの末に1着同着となった。次に出走したのは3月、ヤマニンセラフィムと再度対戦となった中山競馬場の弥生賞で、ヤマノブリザードやバランスオブゲームら素質馬が集まる一戦となった。レースは逃げたバランスオブゲームを、大外を回っての直線一気で捕らえ切れず2着に敗退。騎乗した武幸四郎の仕掛けの遅さを非難する声もあったが、「負けてなお強し」という印象を与え(この弥生賞ではヤマニンセラフィムが骨折して6着と大敗、その後両者の対戦はない)続くクラシック第1弾皐月賞では、タニノギムレットら強力メンバーが集ったなか、2番人気に支持されるが体調不良もあり、やや出遅れて後方のまま14着に大敗。さらに左肩跛行の症状を見せたため、長期休養に入った。
約9か月の休養を挟んだのち、翌2003年の京都競馬場のオープン特別・淀短距離ステークスで復帰。休み明けと距離短縮(2000メートル戦から一気に1200メートル戦へ短縮)の不利を感じさせない大外からの豪脚で2着に食い込むが、次走の京都記念は13着に大敗。この年は6戦したものの、東京競馬場のエプソムカップでの2着が目立つ程度に終わった(6戦2着2回、4着1回、6着1回)。その後、蕁麻疹を発症したため2度目の長期休養に入った。
2004年の復帰戦は小倉競馬場の小倉大賞典で5着。阪神のオープン特別・大阪城ステークスで京成杯以来、2年2か月ぶりの勝利を挙げた。その後2戦は産経大阪杯5着、都大路ステークスが11着に終わり、エプソムカップ出走へ向けての調整中に右第1指骨を剥離骨折した。幸い症状は軽く、半年の休養を経て秋の京都競馬場で復帰したが、カシオペアステークス4着、京阪杯12着。その後安藤勝己騎手からダートの適性を示唆され、12月、初めてのダート戦となる阪神競馬場のオープン特別・ベテルギウスステークスで2着と健闘した。
2005年は京都競馬場のダート平安ステークス8着後に脚部不安で再度休養。12月末の阪神競馬場の2005ファイナルステークスで復帰して3着。
2006年は小倉大賞典6着、大阪城ステークス2着、大阪杯10着後に脚部不安により実に5度目の長期休養に入った。
2007年は管理調教師の古川平が定年引退となったため、美浦トレーニングセンターの坂本勝美厩舎へと移籍した。中山競馬場のダービー卿チャレンジトロフィーで14着、東京競馬場のエプソムカップで15着に終わり、その4日後の6月14日にJRAの競走登録を抹消された[4]。
その後、地方競馬の金沢・藤木一男厩舎に移籍。初戦の金沢競馬場で行われたダイヤモンド特別を制し、移籍後初勝利を挙げている。しかしその後は脚部不安などでレースに出走できず、2008年3月に競走馬引退が発表された[5]。
競走成績
[編集]以下の内容は、netkeiba.com[6]及びJBISサーチ[7]の情報に基づく。
年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 頭数 | 枠番 | 馬番 | オッズ (人気) |
着順 | 騎手 | 斤量 (kg) |
距離(馬場) | タイム | 着差 | 勝ち馬/(2着馬) | |
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2001.12. 2 | 阪神 | 2歳新馬 | 15 | 1 | 1 | 2.3 | (1人) | 1着 | M.デムーロ | 54 | 芝1600m(良) | 1:37.2 | -0.3 | (チアズシュタルク) | |
12.16 | 阪神 | さざんか賞 | 5下 | 14 | 5 | 8 | 2.7 | (1人) | 1着 | 武幸四郎 | 54 | 芝1400m(良) | 1:21.2 | -0.8 | (キタサンオウシャン) |
2002.1.13 | 東京 | 京成杯 | GIII | 13 | 7 | 11 | 1.9 | (1人) | 1着 | 武幸四郎 | 55 | 芝2000m(良) | 2:00.4 | 同着 | ヤマニンセラフィム |
3.29 | 中山 | 弥生賞 | GII | 11 | 8 | 11 | 2.8 | (2人) | 2着 | 武幸四郎 | 56 | 芝2000m(良) | 2:02.1 | 0.1 | バランスオブゲーム |
4.14 | 中山 | 皐月賞 | GI | 18 | 5 | 10 | 4.3 | (2人) | 14着 | 武幸四郎 | 57 | 芝2000m(良) | 2:00.2 | 1.7 | ノーリーズン |
2003.1.18 | 京都 | 淀短距離S | OP | 15 | 4 | 8 | 9.9 | (4人) | 2着 | 福永祐一 | 55 | 芝1200m(良) | 1:08.2 | 0.2 | キーンランドスワン |
2.22 | 京都 | 京都記念 | GII | 16 | 2 | 3 | 3.3 | (1人) | 13着 | 武幸四郎 | 56 | 芝2200m(稍) | 2:17.6 | 1.1 | マイソールサウンド |
3.15 | 阪神 | 大阪城S | OP | 16 | 5 | 9 | 2.1 | (1人) | 14着 | 安藤勝己 | 56 | 芝2000m(良) | 2:01.0 | 1.8 | アサカディフィート |
5.18 | 東京 | 京王杯スプリングC | GII | 13 | 8 | 12 | 6.9 | (3人) | 6着 | 武豊 | 57 | 芝1400m(良) | 1:21.7 | 0.7 | テレグノシス |
6.15 | 東京 | エプソムC | GIII | 18 | 5 | 10 | 8.1 | (3人) | 2着 | 後藤浩輝 | 57 | 芝1800m(稍) | 1:47.7 | 0.0 | マイネルアムンゼン |
7. 6 | 阪神 | 米子S | OP | 11 | 2 | 2 | 2.7 | (1人) | 4着 | 小牧太 | 57 | 芝1600m(良) | 1:35.4 | 0.3 | キタサンチャンネル |
2004.2. 8 | 小倉 | 小倉大賞典 | GIII | 15 | 8 | 16 | 5.9 | (4人) | 5着 | 武豊 | 57 | 芝1800m(芝) | 1:50.2 | 1.1 | メイショウバトラー |
3.13 | 阪神 | 大阪城S | OP | 16 | 7 | 14 | 3.9 | (1人) | 1着 | 岩田康誠 | 57 | 芝2000m(良) | 1:59.0 | 0.0 | (タケハナオペラ) |
4. 4 | 阪神 | 産経大阪杯 | GII | 11 | 6 | 6 | 24.3 | (7人) | 5着 | 福永祐一 | 57 | 芝2000m(稍) | 2:00.0 | 0.4 | ネオユニヴァース |
5. 9 | 京都 | 都大路S | OP | 12 | 4 | 4 | 3.5 | (1人) | 11着 | 岩田康誠 | 56 | 芝1600m(稍) | 1:35.7 | 1.4 | チアズメッセージ |
11. 6 | 京都 | カシオペアS | OP | 9 | 8 | 8 | 6.7 | (4人) | 4着 | 松永幹夫 | 57 | 芝1800m(良) | 1:47.6 | 0.1 | エリモマキシム |
11.27 | 京都 | 京阪杯 | GIII | 17 | 2 | 3 | 18.5 | (9人) | 12着 | 松永幹夫 | 56 | 芝1800m(良) | 1:47.9 | 1.6 | ダイワエルシエーロ |
12.25 | 阪神 | ベテルギウスS | OP | 12 | 4 | 4 | 17.6 | (5人) | 2着 | 松永幹夫 | 57 | ダ1800m(良) | 1:51.5 | 0.8 | スパイキュール |
2005.1.23 | 京都 | 平安S | GIII | 16 | 7 | 13 | 15.7 | (6人) | 8着 | 松永幹夫 | 57 | ダ1800m(良) | 1:51.3 | 1.0 | ヒシアトラス |
12.25 | 阪神 | 2005ファイナルS | OP | 15 | 8 | 15 | 17.6 | (7人) | 3着 | 石橋守 | 56 | 芝1600m(良) | 1:36.2 | 0.4 | ニューベリー |
2006.2. 4 | 小倉 | 小倉大賞典 | GIII | 16 | 3 | 5 | 19.1 | (9人) | 9着 | 石橋守 | 57 | 芝1800m(良) | 1:48.2 | 1.0 | メジロマイヤー |
3.11 | 阪神 | 大阪城S | OP | 12 | 4 | 4 | 7.3 | (4人) | 2着 | 川原正一 | 57 | 芝2000m(良) | 2:00.8 | 0.1 | マチカネメニモミヨ |
4. 2 | 阪神 | 産経大阪杯 | GII | 12 | 6 | 8 | 25.2 | (7人) | 10着 | 川原正一 | 57 | 芝2000m(重) | 2:05.8 | 1.3 | カンパニー |
2007.4. 1 | 中山 | ダービー卿CT | GIII | 15 | 8 | 14 | 79.8 | (13人) | 14着 | 北村宏司 | 56 | 芝1600m(良) | 1:34.5 | 1.4 | ピカレスクコート |
6.10 | 東京 | エプソムC | GIII | 18 | 5 | 10 | 107.0 | (16人) | 15着 | 菊沢隆徳 | 56 | 芝1800m(稍) | 1:50.9 | 2.6 | エイシンデピュティ |
9. 9 | 金沢 | ダイヤモンド特別 | A1 | 9 | 8 | 9 | 1.5 | (1人) | 1着 | 前野幸一 | 54 | ダ1500m(稍) | 1:36.0 | -0.1 | (ケンゴウザン) |
種牡馬入り後
[編集]2008年より[8]、サクラローレル産駒として初の後継種牡馬となる。繋養地は生まれ故郷の中島牧場[9]だが、中島牧場はイーストスタッドの隣にあり[10]、種付け時のみ同スタッドへ移動していた[8]。2011年に初年度産駒がデビュー。この年限りで種牡馬を引退する予定であったが、2頭の初年度産駒がともに勝ち上がったため、種牡馬生活を続行することになった[11]。
2016年の種付けシーズンを最後に種牡馬を引退し、6月27日にホーストラスト北海道に移動し余生を送っていた[12]。同年10月29日死亡[13][14]。解剖の結果、死因は胃破裂による急性敗血性ショックと判明した[14]。
血統表
[編集]ローマンエンパイアの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ブラッシンググルーム系 |
[§ 2] | ||
父 サクラローレル 1991 栃栗毛 |
父の父 Rainbow Quest1981 鹿毛 |
Blushing Groom | Red God | |
Runaway Bride | ||||
I Will Follow | Herbager | |||
Where You Lead | ||||
父の母 *ローラローラ1985 栗毛 |
Saint Cyrien | Luthier | ||
Sevres | ||||
Bold Lady | Bold Lad | |||
Tredam | ||||
母 ローマステーション 1987 黒鹿毛 |
Law Society 1982 黒鹿毛 |
Alleged | Hoist the Flag | |
Princess Pout | ||||
Bold Bikini | Boldnesian | |||
Ran-Tan | ||||
母の母 *アルパインスウィフト1983 黒鹿毛 |
Storm Bird | Northern Dancer | ||
South Ocean | ||||
La Dame Du Lac | Round Table | |||
Cosmah | ||||
母系(F-No.) | (FN:2-d) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Bold Ruler 5x5=6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
- 半姉ターフメビュース(父エブロス)の仔にキーポケット(2010年GRANDAME-JAPAN古馬シリーズ優勝)がいる[16]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “ローマンエンパイア”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月12日閲覧。
- ^ “競走成績:全競走成績|ローマステーション”. JBISサーチ. 2021年4月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『優駿』2002年4月号 15頁
- ^ “ローマンエンパイアは金沢へ”. netkeiba.com 2022年4月2日閲覧。
- ^ “ローマンエンパイアが引退、種牡馬に”. netkeiba.com 2022年4月2日閲覧。
- ^ “ローマンエンパイアの競走成績”. netkeiba.com. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月12日閲覧。
- ^ “ローマンエンパイア 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月12日閲覧。
- ^ a b “サラ系供用種牡馬一覧”. JBISサーチ. 2022年4月29日閲覧。
- ^ “ローマンエンパイアを訪ねて~中島牧場 | 馬産地コラム”. 競走馬のふるさと案内所. 2022年4月29日閲覧。
- ^ “中島牧場・トリニティファーム”. 中島牧場・トリニティファーム. 2022年4月29日閲覧。
- ^ “日高町で臨時種畜検査、2頭の種牡馬が受検 ”. 競馬ブックweb. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月1日閲覧。
- ^ 養老牧場の「落ち着ける感」netkeiba.com、2016年9月4日閲覧
- ^ “ローマンエンパイア | 馬・牧場・施設検索”. 競走馬のふるさと案内所. 2022年4月29日閲覧。
- ^ a b “Npo法人 ホーストラスト北海道”. www.facebook.com. 2022年4月29日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|ローマンエンパイア”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2018年9月29日閲覧。
- ^ a b c “ローマンエンパイアの血統表”. netkeiba.com. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月12日閲覧。
参考文献
[編集]外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ、Racing Post
- ローマンエンパイア - 競走馬のふるさと案内所