ティム・アンロー

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ティム・アンロー
Tim Unroe
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州ラウンドレイク[1]
生年月日 (1970-10-07) 1970年10月7日(53歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手
プロ入り 1992年 MLBドラフト28巡目
初出場 MLB / 1995年5月30日
NPB / 2001年7月12日
最終出場 MLB / 2000年9月30日
NPB / 2001年7月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ティモシー・ブライアン・アンローTimothy Brian Unroe , 1970年10月7日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の元プロ野球選手内野手)。2001年中日ドラゴンズに所属した。

来歴・人物[編集]

1992年MLBドラフト28巡目でミルウォーキー・ブルワーズに入団。1995年メジャー初昇格。

1999年アナハイム・エンゼルス2000年アトランタ・ブレーブスと渡り歩く。

2001年中日ドラゴンズに入団。オジー・ティモンズと共に、前年に退団した4番打者・レオ・ゴメスの穴を埋める存在として期待され、入団当初は「日本の投手に慣れさえすれば、日本でうまくやっていく自信はある」と語っており、当時の監督だった星野仙一ロバート・ローズ級の活躍が出来ると太鼓判を押す程であった。ところが、オープン戦から調子が上がらず、ティモンズや李鐘範との外国人枠争いに敗れ開幕二軍スタートとなる。その後も調子は上がらず、ティモンズも今一つだったことから、5月にゴメスが復帰すると助っ人打者が4人となりますます出番が無くなってしまった。その後李が起用に不満を訴え退団、ティモンズと入れ替えで一軍に上がるも、サードにはゴメスや福留孝介、ファーストには山崎武司がおり、僅か4試合の出場に限られてしまうなどチャンスに恵まれなかったが、そこで1安打しか打てなかったことが決定打となり二軍落ち。閉幕を待たずシーズン中の8月2日に解雇され退団となった。

帰国後の2002年はブルワーズ傘下のマイナーリーグでプレーするも、メジャーに復帰することは出来ずにこの年限りで現役引退。

引退後はアリゾナ州メサにあるバッティングセンターで野球指導を行っている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1995 MIL 2 4 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .250 .250 .250 .500
1996 14 20 16 5 3 0 0 0 3 0 0 1 0 0 4 0 0 5 0 .188 .350 .188 .538
1997 32 18 16 3 4 1 0 2 11 5 2 0 0 0 2 0 0 9 0 .250 .333 .681 1.021
1999 ANA 27 59 54 5 13 2 0 1 18 6 0 0 0 0 4 0 1 16 0 .241 .305 .333 .638
2000 ATL 4 7 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 2 0 .000 .167 .000 .167
2001 中日 4 8 7 1 1 1 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 0 5 0 .143 .143 .286 .428
MLB:5年 79 108 95 13 21 3 0 3 33 11 2 1 1 0 11 0 1 32 0 .221 .308 .347 .656
NPB:1年 4 8 7 1 1 1 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 0 5 0 .143 .143 .286 .428

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 8 (1995年)
  • 9 (1996年 - 1997年)
  • 36 (1999年)
  • 20 (2000年)
  • 9 (2001年)

脚注[編集]

  1. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、28ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]