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スバル・レオーネ

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レオーネ (LEONE) はスバルブランドを展開する富士重工業で生産されていた自動車である。セダンステーションワゴンのほか、多くのボディバリエーションを持ち、レガシィインプレッサが登場する前の基幹車種だった。

歴史

初代(1971年-1979年)

スバル・レオーネ(初代)
ハードトップ1400GF
概要
販売期間 1971年 - 1979年
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 2/4ドアセダン
2ドアクーペ
2ドアハードトップ
ライトバン
駆動方式 FF / 4WD
パワートレイン
エンジン 1.4L水平対向4気筒OHV
93ps/6800rpm
11.0kgm/4800rpm
変速機 3速AT
4速/5速MT
前:ストラット式
後:セミトレーリングアーム式
前:ストラット式
後:セミトレーリングアーム式
車両寸法
ホイールベース 2455mm
全長 3995mm
全幅 1500mm
全高 1385mm
車両重量 775kg
その他
車種 クーペ1400GSR
系譜
先代 スバル・ff-1 1300G
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初代は1971年10月7日に発売され、当初はクーペモデルのみの展開(グレードはDL・GL・GS・GSR)で、スバル・ff-1 1300G シリーズと併売されたが、1972年4月、2/4ドアセダン(スタンダード・DL・GL・カスタム・スーパーツーリング)、1100ccモデル(DL)、商用車のエステートバン(スタンダード・DL・スバル初の4WD)が追加され、ff-1からの世代交代を完了した。

当時のトレンドおよび提携先の日産自動車の影響が感じられるロングノーズ・ショートデッキの抑揚の強いデザインを持ち、メカニズム的にもブレーキがアウトボードになったり、スポーツモデルのステアリングギア比が遅くされるなど、スバル・1000/ff-1の技術至上主義を抑え、より市場に受容される「商品」としての性格を強めようとする意図が感じられた。スバル・360/サンバー/1000まで全てのスバル車の基本設計を担当してきた名設計者百瀬晋六を、日産自動車との業務提携が成立した1968年8月に設計本部から技術本部に移し、レオーネの設計に関わらせなかったことも、新型車レオーネの性格を決定付けている。レオーネの代になってスバル1000/ff-1シリーズのシンプルな機能美が失われた点は、古くからのスバルファンや、欧州車志向の強いカーグラフィックなどの自動車ジャーナリズムを嘆かせた。

一方、レオーネの進歩的な部分としては、窓枠のないサッシュレスドアをバンを含む全車に採用したことが挙げられる。サッシュレスドアは富士重工業にとっては1960年の試作車「A-5」以来追求されてきたテーマで、近年まで採用を続けていたが、インプレッサフォレスターでは2007年のフルモデルチェンジとともに一般的なサッシュドアに移行し、最後までサッシュレスドアを採用していたレガシィ2009年の5代目へのモデルチェンジによりラインナップから姿を消した。1972年8月1日、エステートバンに4WDを設定。前年に東北電力の要請に応じて数台が注文生産された「1300Gバン4輪駆動車」から得た経験をつぎ込んだ「ジープタイプではない量産4WD」が世界で初めて世に送り出された。さらに同年12月1日には、専用ハードサスペンション、専用クロスレシオ5速マニュアルトランスミッションを装備したホットモデル・「RX」[1]が追加された。基本的な構成は「1400GSR」と共通だが、量産車では日本初となる4輪ディスクブレーキを装備していたことが特筆される。

1973年6月には、ピラーレスの2ドアハードトップが追加された。後席ヘッドクリアランス確保のためにリヤウィンドウ傾斜角がクーペから若干立てられ、15mm全高が高められている。4灯式フロントグリルとランドウトップ風の太いCピラーによる、元々アクの強い初代レオーネ中でも最も複雑なスタイリングを特徴とした。続いて1973年10月のマイナーチェンジではセダン・クーペ・エステートバンのフロントグリルが変更され、インパネが先に発売されたハードトップと統一デザインとなった。またこの際、セダン1100は1200にスケールアップされ、エステートバンにはFFのトップグレードとして1400GLを新設定。当時の商用車としては珍しく、前輪ディスクブレーキ(マスターバック付)を標準装備していた。

1975年1月20日にはエステートバン4WDに続いて世界初の量産4WD乗用車「4ドアセダン4WD」が、同じく日本の前輪駆動車では初のフルオートマチック車(セダン・カスタムとハードトップGFに設定)と同時に発売された。[2]。同時にマイナーチェンジが行われ、セダン1200GLの追加、ホイールカバーの変更、セダン1400シリーズのフロントマスクはハードトップと同じ丸型4灯ライトとなった。同年10月には、SEEC-Tと名付けられた排気ガス浄化方式により(ツインキャブのスポーツ系も含めて50年規制を飛び越え一気に)全車51年排出ガス規制適合を果たした。パワーダウンを補うために、車種構成全体で1200→1400cc、1400→1600ccへと排気量アップが行われた。

1977年4月には、日本初の全車53年度排気ガス規制適合を達成、スポーツカーが軒並み淘汰された他社を尻目にツインキャブのスポーツモデルも引き続き生き残り、スバルファンのみならず当時の車好きたちに喝采された。同時に大幅なマイナーチェンジが実施され、ボディサイズを拡幅、リヤトレッドも50mmのサイズアップとなった。どことなくアルファ・ロメオを思わせるシンプルな造形のフロントマスクやキャラクターラインの整理、リアデザインの変更によって、初期型に比べるとかなりクリーンな外観となった。インテリアにはホンダシビックで流行させたアッパートレイ付きのダッシュボードが備わる。この機会にセダン・カスタムは新設定の最上級モデル・スーパーカスタムに取って代わられた。同年11月にはセダン・2ドアハードトップにポンティアックの車名から拝借した「グランダム」(Grandam)[3]なる車種を追加した。同車は北米仕様と共通の大型衝撃吸収バンパーや派手な色調の内外装を特徴とした。

2代目(1979年-1984年)

スバル・レオーネ(2代目)
4ドアセダン1.8L 4WD(後期型)
概要
販売期間 1979年 - 1984年
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
2ドアクーペ
5ドアステーションワゴン/ライトバン
3ドアハッチバック
駆動方式 FF / 4WD
パワートレイン
エンジン 1.8L水平対向4気筒OHV
100ps/5600rpm
15.0kgm/3600rpm
変速機 3速AT
4速/5速MT
前:ストラット式
後:セミトレーリングアーム式
前:ストラット式
後:セミトレーリングアーム式
車両寸法
ホイールベース 2370mm
全長 3980mm
全幅 1620mm
全高 1415mm
車両重量 930kg
その他
車種 スイングバック1.8L4WD
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2代目(ニューレオーネ、エンジンEA81他)が1979年6月1日に発売される。ボディサイズは拡大され、1800ccエンジンが設定されるなど、中型大衆車を強く意識した設計となった。

ボディタイプは、2代目アウディ・80に良く似た6ライト[4]の4ドアセダン、やや流行遅れのオペラウインドウを持つ2ドアハードトップ、エステートバンに加え、「スイングバック」と呼ばれる、リアオーバーハング270mm、ホイールベース80mmを短縮し、全長を4メートル以下に抑えた3ドアハッチバックが用意された。スイングバックには1300cc4輪ドラムブレーキの廉価版や、ツインキャブのスポーツモデル1600SRXも存在した。また、好評の4WDモデルもセダン、エステートバン(ライトバン)、スイングバックに用意された。さらにセダン最上級の1800GTSにはいずれもスバル初のパワーステアリングパワーウインドウオートエアコンが装備可能であった。また、悪路走行のために1.8Lの4WD車にはデュアルレンジと呼ばれる副変速機が搭載され、4MTを前進8段、後進2段の超クロースミッションとして使用できるようになった。このように二代目レオーネは広範囲な客層・価格帯をカバーするラインナップとなっていた。

ただ、2代目レオーネのエンジンは依然OHVのままで、3速オートマチックや手動式チョーク、4WDのMT車に5速が設定されていない[5]など、時代遅れな面が隠せなくなってきていた。

1981年6月2日にはマイナーチェンジが行われ、4ドアセダン1800とハードトップが異型角型2灯式+複雑な形状のフロントグリルは流行の角型4灯を持つ比較的シンプルなものに改められ、また全車種のリアコンビランプの表面形状が当時のメルセデス・ベンツ流の、汚れても被視認性が確保される凹凸面タイプに変更された。

同月25日には、スバル初の5ナンバーステーションワゴンとなる「ツーリングワゴン」を追加。エステートバンのBピラー直前からルーフを30mmかさ上げしたキックアップルーフを採用し、装備を4ドアセダン 1800 4WD / 1800 GTSに準じた豪華なものとして、レジャー用途の取り込みを図った。

さらに11月には日本初の4WDでオートマチックトランスミッションを持つ「レオーネ1800cc4WDオートマチック」をセダンとツーリングワゴンに追加、後輪駆動用のトランスファーに、世界初となる「湿式油圧多板クラッチ MP-T」を採用し、富士重工伝統の技術重視の姿勢が、4WDシステムを中心に再び復活の兆しを見せ始めた。このMP-Tはオートマチックトランスミッションのライン油圧を利用するため、マニュアルトランスミッション車には装備されなかった。

1982年11月には、折からのターボ車ブームに乗り、日本初の水平対向エンジン+4WD+ターボモデル(1800cc、グロス120馬力、燃料噴射方式)をセダンとツーリングワゴンに追加(オートマチックトランスミッション車のみ)、翌1983年7月には4ドアセダンに1800ターボと1600 4WDを追加した。同時に、ハードトップを新設定の4WD 1800ccツインキャブのスポーツモデル「RX」(グロス110馬力)に一本化し、FF車を廃止した。なお、他社の1800ccターボ車がグロス135馬力の時代に、グロス120馬力止まりであったのは、エンジンがOHVだったため、最高許容回転数が5500rpmに過ぎなかったためである。1983年10月には、4WDターボに油圧式車高調整機能の「ハイトコントロール」を追加し、ATにロックアップ機構を付けた。こうした4WD車種の積極的な拡充の結果、レオーネのユーザーは4WDに価値を求める層が大半となり、他社の廉価なライバル車が数多く存在した2WDモデルはその影に隠れる地味な存在となっていった。

モデル後期(上記写真の『ALL THE NEW LEONE』)の頃はドアミラー装着解禁の過渡期であり、イメージリーダーとしてレオーネのドアミラー装着車の写真(4WDターボモデルやツインキャブハードトップモデル)が広告などで掲載されるようになった。

3代目(1984年-1994年)

スバル・レオーネ(3代目)
セダン(前期型輸出仕様)
概要
販売期間 セダン:1984年 - 1992年
ワゴン:1984年 - 1989年
クーペ:1985年 - 1989年
ライトバン1984年 - 1994年
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
3ドアクーペ
5ドアステーションワゴン/ライトバン
駆動方式 FF / 4WD
パワートレイン
エンジン 1.8L水平対向4気筒ターボ
135ps/5600rpm
20.0kgm/2800rpm
変速機 3速AT / 5速MT
前:ストラット式
後:セミトレーリングアーム式
前:ストラット式
後:セミトレーリングアーム式
車両寸法
ホイールベース 2465mm
全長 4410mm
全幅 1660mm
全高 1455mm
車両重量 1435kg
その他
車種 ワゴンGTターボ
ステアリング ラック&ピニオン
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OEM生産車以外では最後のレオーネとなった3代目(オールニューレオーネ)は1984年7月16日に、まず4ドアセダンとして発売され、10月25日に3ヵ月遅れでツーリングワゴン/エステートバンが追加された[6]

ボディサイズは一回り大型化されて平面と直線を基調としたものになり、フラッシュサーフェス化されて「Cd値=0.35」という良好な空力特性が大きくアピールされた。

伝統の水平対向4気筒「EA型」エンジンは、1800ccのみ「EA81型」のバルブ作動方式をスバル・1000以来のギア駆動のカムシャフトによるOHVからタイミングベルト駆動のカムシャフトによるOHCに改めた「EA82型」に進化し、わずかながらも高回転化が可能となって高出力化(ターボの場合、グロス135馬力、ネット120馬力)された。

変速機は5速MTが採用されたが、先代以来の装備である「デュアルレンジ」副変速機も引き続き採用され、走行中の実質変速段数は10段にまで達していた。最上級グレードのGTにはエアサスペンションが採用され、車高調整機能の「ハイトコントロール」もついていた。

1985年11月にはドアミラーを、フロントサイドガラス前方に追加されたガセットに固定するタイプに変更し、下級グレードのホイールハーフキャップの意匠を変え、GT・GRにサンルーフ装着車を設定する小変更を行い、新たに「3ドアクーペ」シリーズを発売した。

デビュー当初のマニュアルトランスミッション車の4WDシステムは依然パートタイム方式で、アウディ・クワトロ以来のフルタイム化の流れに取り残されていたが、国内初のマニュアルトランスミッションのフルタイム4WD乗用車のマツダ・ファミリア4WD(1.6Lターボ)に僅かに遅れて、1986年4月発売の「3ドアクーペRX-II」(1.8Lターボ)から、傘歯車(ベベルギヤ)とバキューム・サーボ式のデフロック付きのセンターデフの採用によってセンターデフ付きフルタイム4WD化され、10月にはセダン/ワゴンにも採用が拡大された。このとき、セダン/ワゴンのフロントグリルとテールランプの意匠変更が行われた。

1987年10月には、電子制御式4速AT「E-4AT」採用とあわせ、それまでのMP-T4WDから専用のコントロールユニットによるパルス制御によって前後トルク配分を予測制御する「ACT-4[7]」(電子制御MP-T)と呼ばれる、高度な制御方式を持つフルタイム4WDへ発展させ、ようやくフルタイム化の時流に追い着いた。

1988年9月 エステートバンをいすゞ自動車ジェミネットIIとしてOEM開始

1989年2月 後継車種であるレガシィの発売により、販売車種がセダン1600のマイア/マイアIIとエステートバン1600LCのみに縮小された。

1992年10月 実質的後継車種であるインプレッサの発売によりセダンが販売終了。警察の捜査用覆面パトカーとしても多数導入されていた。

1993年7月 いすゞ自動車へOEMしていたジェミネットIIの供給終了

1994年3月 日産自動車からADバンのOEM供給が開始することによりエステートバンの販売終了

4代目レオーネバン (OEMモデル)(1994年-1999年)

当時の提携先であった日産自動車から、OEM供給でADバンを「レオーネバン」として1994年から2001年まで発売していた。

1994年8月 Y10型を販売開始

1997年5月 マイナーチェンジ(キャブレターから電子制御化など)

5代目レオーネバン (OEMモデル)(1999年-2001年)

1999年6月 ADバンのモデルチェンジにあわせてY11型の販売開始。YD22DDディーゼルエンジン+4WD(5MTのみ)の設定もあった。

2001年3月 販売終了

幻の4代目

1991年ごろ、自動車専門誌等で、長く不在だったレガシィとジャスティの中間車種が開発中であると報道された。この時点では正式な車名が決定しておらず、自動車専門誌編集部などでは「おそらく『レオーネ』になるのではないか」と推測していた。しかし、この車種が正式に発売された際には『インプレッサ』と名づけられ、『レオーネ』の復活は幻に終わった。

クロスSUVとしてのレオーネ

歴代のレオーネ4WDのカタログには、「レオーネ4WDは通常の乗用車から本格的4WD車の全てをカバーする」と詠われていた。実際、レオーネ4WDは乗用車としてはやや最低地上高が高くとってあり(特に2代目が顕著である)、ある程度のオフロード走行を前提としたもので、クロスSUVのさきがけとなった。しかし、その後は乗用4WDスポーツモデル≒ターマック・ラリーのベースモデルという構図ができあがったため、後継のレガシィやインプレッサではオンロード重視の仕様となり、1995年にレガシィ・グランドワゴンが発売されるまでの間、クロスSUVとしてのレオーネの後継車は不在という事態になった。

車名の由来

「レオーネ (LEONE) 」とはイタリア語で雄ライオンの意味で転じて「勇者」を表す[8]

脚注

  1. ^ 「RX」は、「Rally - X」=「ラリー競技での可能性、ポテンシャル」に由来する。
  2. ^ エステートバンは、日本の自動車法制度上では4ナンバーの商用車」で、乗用車版はなかった。ただし、リアシートを固定式にする等の小改造で5ナンバー登録も可能で、広く行われていた。
  3. ^ 「Grand America」からの造語。「大いなるアメリカ、偉大なるアメリカ」の意。
  4. ^ シックスライトとは、6つの窓という意味で、リアドアガラスにつながる、オペラウインドウより天地寸法の大きな窓をCピラーに持つスタイルのこと。
  5. ^ 通常、オーバードライブギヤを収めるスペースを4WDトランスファーギヤにあてたためである。
  6. ^ 既に販売上大きな比率を示していたツーリングワゴンの発売が3か月遅れたのは、運輸省(現:国土交通省)の新型車型式認定の際、発売の遅れた2車種について、事前に提出していた書類上の車両重量より実際の型式認定検査車両の車両重量が軽量だったため、前後バンパーに重量調整用の鉛を詰め、再検査を故意に逃れようとしたことが発覚したためであった。
  7. ^ Active Torque split-4WD
  8. ^ 「レオーネ(LEONE)」の商品名は日本国内向けであり、海外では「SUBARU」にボディ形状、グレード名を続けた表記となっていた。アメリカでは1974年、1975年に限り、スバルの「星」にちなんだ「スター (Star) 」が使われ、1991年、北米市場へのレガシィ投入後は、便宜的に三代目レオーネに「ローヤル(Loyale)」という名称が与えられた。

関連項目

外部リンク