ノート:スバル・レオーネ

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グレードごとの別記事について[編集]

本記事やスバル・レガシィスバルff-1 1300GなどにおいてA15ff11300g氏がグレードごとの別記事を乱立し、また百科辞典的ではない記事(exレオーネ4WDによる戦歴など)をこれまた濫造し、削除されたりしていますが、グレードごとの別記事の統合提案と、百科辞典的でない記事の乱立の自粛をA15ff11300g氏に申し上げたいと思います。グレードごとの別記事や百科辞典的でない記事に対する苦言はスバル・レガシィの時に何回か書き込まれ、氏もそれを読んではいると思うのですが、一向に改善が見られないことを憂慮しております。他の方々もどうぞご意見をお願いします。--STB-1 2006年11月28日 (火) 13:41 (UTC)[返信]

  • 統合テンプレを全てこちらへ誘導しました。作業のついででしかありませんが、この記事のサイズ(49K)を鑑みたとしても、10K増やしてでも一旦統合して分割の方向性を調整された方がよろしいかと思いますので、賛成とさせていただきます。--open-box 2006年12月2日 (土) 12:22 (UTC)--補足:グレード以外に分割する妥当な選択がなければ、取り決め通り分割しないことも方向性の内です。--open-box 2006年12月2日 (土) 12:33 (UTC)[返信]
  • スバルff-1 1300Gに関しては、単純に統合して問題ないと思われますので、こちらも賛成で。A15ff11300gさんは、単独で記事を立てるか否かの方向性を、他の記事を参考にするなり、Wikipedia:ウィキプロジェクト 乗用車Wikipedia:ウィキプロジェクト 自動車で質問するなりしてはいかがでしょう(既に、一車種のグレードはその記事の中に記述する旨は到達しているようですが)。--open-box 2006年12月2日 (土) 12:33 (UTC)[返信]
  • すでにそれぞれの記事の内容とほぼ同じ内容の文章が統合先の記事にA15ff11300g氏によって記述されているため、それぞれの記事は削除依頼に提出しました。--STB-1 2006年12月20日 (水) 11:00 (UTC)[返信]
  • 削除してしまうと、統合することができません。統合なさるおつもりでしたら、恐れ入りますが削除依頼を取り下げていただけますでしょうか。現在ついている意見では、完全に存続させることはできかねます。--Bellcricket 2006年12月30日 (土) 23:23 (UTC)[返信]

スバル・ブラット[編集]

記事が長くなりましたので、スバル・ブラットの記事分割を提案します。--222.5.157.5 2007年6月10日 (日) 00:50 (UTC)[返信]

  • 分割に賛成します。ただ、履歴継承もなく、議論も尽くしておらす、一方的に分割されましたので、暫定的に復帰いたしました。--Kuha455405 2007年8月2日 (木) 13:32 (UTC)[返信]
  • 大変ご迷惑をお掛けしました。ブラットはスバル・レオーネがベースですが、そもそも「レオーネ」という名称が国内限定の呼称であり、ブラットは国内販売がされていないことから、全く別のクルマとして独立させすることが望ましいと思います。--a15ff11300g2007年8月3日(金)12:00(UTC)
  • 2007-07-20T20:23:54の版にて履歴継承を伴わない分割が行われ、分割先が削除されました。今後もし分割作業が行われるならば、実施者は履歴不継承に充分注意してください。--竃馬 2007年9月1日 (土) 05:16 (UTC)[返信]
  • 長期に渡って議論が停止したままでしたので、再度分割提案いたしました。提案から1週間過ぎても異論がなければ事実上合意したものと判断し、分割致したいと思います。--Kuha455405 2010年2月5日 (金) 13:12 (UTC)[返信]

レオーネ3世代の記述について[編集]

    • かなり執筆者の個人的主観が入った記述に偏っていると思います。基本的にスバル1000/ff-1シリーズが国内小型車市場に富士重工業が参入するための足がかりとなったクルマで、レオーネはその開発当初から現在も富士重工業の主要マーケットであるアメリカ市場を意識して設計された車です。このことは、初代レオーネの開発に携わった富士重工業の関係者からも確認しています。当時のトレンドであるロングノーズ・ショートデッキというスタイルの採用にも、単純にトレンドを取り入れた、というだけではなくて、当時アメリカで厳しくなりつつあった衝突安全基準、FMVSSを睨んで、衝突安全に関する技術がまだ未熟だった当時、フロントのクラッシュストロークを長く取る必然性から、ああいったスタイルになったのだそうです。事実、1976年度のアメリカ連邦安全局のクラッシュテストでは、レオーネがキャビンの変形、搭乗者の頭部障害値が最も軽かったという結果が出ています。自動車の価値をどこに見出すかはそれぞれの個人の主観で構いませんが、自動車メーカーとしては、その時代時代で製造する車に織り込まなければならない安全基準、公害対策などがあるわけで、一方的な執筆者の主観で断じてしまうことは、いたずらにそのクルマの存在価値を歪め、ウィキペディアの趣旨からしても好ましくないのではないでしょうか?また、1977年に追加された「グランダム」の名称の由来は「ポンティアックから拝借した」とのことですが、ネタ元はどこにありますか?根拠を教えて頂きたいものです。また、AB型レオーネの記述についてははっきりいって取材不足で、執筆者の悪意に近い主観にあまりにも偏りすぎていると思います。私のレオーネ4WDRXはいまでもきちんと6500rpmまで回るんですけどね。排気ガス規制強化の真っ只中で、トヨタにしろ日産にしろ回らないエンジンはもっと他にあったように個人的には感じるんですけどね。あくまで「個人的主観」ですがね。またロックアップ取り外しの件については、当時のスバルディーラーのメカニック複数に念のために尋ねてみたのですが、外したことはないとの話でした。さらに富士重工業が水平対向エンジンのOHC化に後ろ向きだったという記述については笑ってしまいました。実際には富士重工業社内ですでに1980年代の初頭からEA型エンジンのOHC化も含めた時期エンジンの検討は進んでいました。1984年のAA型の登場までOHC化が見送られた背景には、1980年、AB型レオーネがアメリカに投入された初年度にアメリカでの販売台数が一気に15万4000台に達して、サファリラリーなど再び活発になり始めたモータースポーツ活動によるイメージ訴求と併せて、OHVのままでも主要マーケットであるアメリカでは高い商品性が維持できていると判断されたためです。このことは、AB型レオーネのエンジンのパフォーマンスが国内他メーカーのエンジンに劣らないものであったことの証明になるでしょう。また、OHCがOHVより優れているという根拠もまた曖昧です。部品点数が少なくなる、タイミングベルトの交換が不要など、メリットもいろいろあると思うのですが。チョークがAB型レオーネの世代でも残っていたというのも、レオーネだけではなかったでしょうし、国産車のインジェクション化が進んだのは、1990年代も半ばを過ぎてからではなかったでしょうか?1980年代で4速オートマチックなんてそうそうなかったと思いますよ。AA型レオーネのフルタイム化についても、すでにATでは世界初の流体式クラッチMP-Tでフルタイム化されていますし、1985年のファミリアが採用したベベルギヤ式センターデフでも、デフロックすれば直結4WDに過ぎない訳で、純粋に自動車のエンジニアリングの歴史からすれば目新しいものでも特別なものでもないでしょう。「時流に乗る」といことが、単純に底の浅い自動車雑誌のご機嫌取りに過ぎないというのならその通りですが。、--a15ff11300g2009年4月4日(土)7:53(UTC)


2代目レオーネの写真の件[編集]

初めての投稿です。 2代目レオーネの紹介で使用されている赤い2代目レオーネ4WDの写真を見て驚きました。 私が1981年に東京モーターショーに行って撮った写真と同じ構図で、映っている人やクルマとの位置関係、ボディへの照明映り込みなど、違うところが見つからない位、同じです。 投稿者様の撮影とありますが、私が撮影した直前または直後の数秒で、同じ位置から撮られていたということなんですかね。下の写真は私がモーターショーで写したものをネガからスキャンしてデータ化したものです。 こんな偶然ってあるんですね。大変驚きました。

--Runner 4 2009年6月27日 (土) 14:36 (UTC)[返信]