ジミー・ベイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Gun Nagata (会話 | 投稿記録) による 2020年5月16日 (土) 07:44個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:肺癌で亡くなった人物を追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ジミー・ベイン(Jimmy Bain、1947年12月19日 - 2016年1月23日)は、スコットランド生まれのベーシスト作曲家。フルネームは、ジェームズ・スチュアート・ベイン(James Stuart Bain)。リッチー・ブラックモアのバンド・レインボーや、その元メンバー・ロニー・ジェイムス・ディオのバンド・ディオのメンバーだったことで知られる。

来歴

1947年12月19日、スコットランドのハイランドカウンシル・エリアニュートンモアに生まれる。少年時代より、地元のアマチュアバンドとセッションを組んでおり、両親と弟がカナダバンクーバーへ移住したのに伴い、自らも引っ越す直前まで、ストリート・ノイズというローカル・バンドとセッションを繰り返していた。しかし、移住して間もなくイギリスに帰国し、1974年より本格的にプロミュージシャンとしての活動を開始する。なお、当時ベイビーズにスカウトされたことがあったが結局断っている。

レインボー在籍時

1975年9月オーディションの結果、解雇されたクレイグ・グルーバーの後任として、レインボーに加入。きっかけは、ロンドンのライブハウスで演奏しているところ、客として来ていたリッチーから実力を見込まれたことだった[1]。翌年2月にリリースされた『虹を翔る覇者』のレコーディングに参加し、アルバムのライブ・ツアーにも出演し、12月には初めて来日した。しかしながら、1977年2月にバンドから解雇された。なお、彼のライブ・パフォーマンスの一部は『レインボー・オン・ステージ』にて聴くことができる。

ワイルド・ホーシズ在籍時

その後、シン・リジィの元ギタリスト・ブライアン・ロバートソンと共に、ワイルド・ホーシズを結成。ジミー自身は、ベースの他にヴォーカルを兼任していた。

ディオ在籍時

他アーティストとの共演

2013年8月3日、ディオ時代共に活動していたヴィヴィアン・キャンベルヴィニー・アピス、元リンチ・モブのアンドリュー・フリーマンらと結成した『LAST IN LINE(ラスト・イン・ライン)』の初ライブをカリフォルニアで開催[2]

2016年、ラスト・イン・ラインとしてのデビューアルバム「HEAVY CROWN(ヘヴィ・クラウン)」をリリース。アルバムのプロデュースは、ディオにも参加経験のあるドッケンのジェフ・ピルソン[3]

ソロ活動

死去

ディオの黄金期のメンバーらと結成した『ラスト・イン・ライン』のライブが行われるクルーズ船のキャビンの中で亡くなっているのが発見された。(現場に同席していたTV司会者のエディ・トランクは「ジミーは土曜日の夜、彼のキャビンの中で発見された」と証言している[4]。)

2016年1月24日に亡くなったと報道されたが、正式には前日の23日である。 死因は肺がんであった(監察医が特定)。 ヴィニー・アピスは、「ジミーは、肺がんを患っていることは知らなかったが、肺炎にかかっているのはわかっていて、治療を受けていた」と追悼コメントで明かした[5]

参照

外部リンク