サイダー

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サイダー: cider)は、国や地域によって定義が様々であるが、日本韓国では、甘味酸味で味付けされた、アルコールを含まない、無色透明の炭酸飲料で、通常は柑橘類の香味が付く。

概要

三ツ矢サイダースプライトなどの炭酸入り清涼飲料水は、英語圏では、レモンライム(lemonlime)と呼ばれ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドでは、レモネード(lemonade)と呼ばれる。

サイダーの語源は、英語圏でリンゴ酒を意味するサイダー(: cider)である。サイダーという言葉が日本では清涼飲料の名前として浸透しているため、リンゴ酒を呼ぶのにはフランス語シードル: cidre)が代わりに使われる。シードルは、まだ日本に浸透していないため、リンゴのスパークリングワインと説明されることもあるがワインは本来葡萄酒を意味する言葉であり、混乱をまねくことがある。

各国のサイダー

イギリスのサイダー(英語: cider, cyder)およびフランスシードルフランス語: cidre)は「リンゴ酒」である。イギリスでは発泡性がある場合が多いが、フランスでは発泡性がない場合が多い。

アメリカ合衆国カナダでは、サイダー(英語: cider)は「精製、熱加工していないリンゴ果汁」を指す。

一覧

名称 読み アルコール 炭酸 備考 画像
フランス cidre シードル × 琥珀色 透明
ドイツ Apfelwein アプフェルヴァイン × 琥珀色 透明
スペイン sidra シードラ 琥珀色 透明
イギリス cider
cyder
サイダー 琥珀色 透明
アメリカ
カナダ
cider
apple cider
soft cider
sweet cider
サイダー
アップルサイダー
× × 赤色 混濁
日本 サイダー - × 無色 透明
韓国 사이다 - × 無色 透明

日本のサイダー

近年は飲料の多様化、また茶など無糖飲料の人気が高まっていることから、飲料全体の販売量に占めるサイダーの割合は低下傾向にある。日本における各地の小規模製造者の製造するサイダーは「地サイダー」あるいは「ご当地サイダー」のように呼ばれる。

歴史

1853年ペリー提督率いる黒船来航の際、その船員の飲物として炭酸飲料が日本に伝来したという[1]

日本のサイダーの発祥の地は横浜で、1868年、外国人居留地で設立されたノース&レー商会(経営者はイギリス人ノースレー[2]。またはジョン・ノースとレー・WあるいはW・レイの共同経営という説あり[3][4])が製造販売を始めた、パイナップルとリンゴのフレーバーをつけた炭酸飲料である「シャンペン・サイダー」が日本で最初のサイダーとされる。しかし、このシャンペン・サイダーは在留外国人向けの商品だったため、上流階級や特権階級以外の一般の日本人が飲むことはできなかった。

1875年、横浜扇町の秋本己之助がノース&レー商会に勤める西村甚作の助言で作った「金線サイダー」(当初は「日の出鶴」という商品名だったが1889年に改称)が発売され、1899年に登場した王冠を使用した瓶入りの製品が、日本で本格的に流通した最初のサイダーとなった[5]。このとき、シャンペン・サイダーと異なりパイナップルのフレーバーを用いずリンゴのフレーバーのみとしたことから、シャンペンの名を除いたサイダーという商品名にしたとされている。

また、1884年発売の三ツ矢平野水とそれをベースにした1907年発売の三ツ矢サイダー、および1897年から1899年頃発売の岐阜県養老郡養老町養老サイダー(当初は「伊吹サイダー」という商品名だったが1900年に改称)も一部で日本初のサイダーとして紹介されている[6][7]。なお、三ツ矢サイダーと金線サイダーは後に製造会社の合併により兄弟銘柄となり、その後三ツ矢サイダーのみが残されたため、三ツ矢サイダーは日本初のサイダーの歴史を受け継いでいる商品とも言える。

1904年にイギリスの実業家ロバート・ニール・ウォーカーが長崎で発売した「BANZAIサイダー」は日本で最初に大量生産された清涼飲料水と言われる。BANZAIサイダーは15年間に亘って販売された。

その後各地で製造するものが現れ、大正時代の東京では日進舎が花月印サイダー[8]を、宮川商店が君が代サイダー[9]を製造販売していた。

第二次世界大戦当時、サイダーは敵性語ということで「噴出水」(ふんしゅつすい)と呼ばれていた[要出典]

後、アメリカ統治下の奄美大島では1952年に巴麦酒が設立され、トモエサイダーが販売されたが、1953年の奄美群島本土復帰で商品の競争力がなくなり、1年余りで廃業となった[10]

脚注

  1. ^ 黒船ペリーにちなんで、地サイダー「横須賀ペリーサイダー」販売”. 横須賀経済新聞. 2013年5月28日閲覧。
  2. ^ 清涼飲料よもやま話 第9話「サイダー、シトロン、レモン、ライム等の透明炭酸飲料」一般財団法人日本清涼飲料検査協会
  3. ^ 日本フレーバーの軌跡NIPPON FLAVOUR KOGYO CO.,LTD.
  4. ^ 日本のサイダー発祥の地横浜。日本で初めて炭酸飲料の製造・販売を手掛けた坪井食品株式会社 代表取締役 坪井裕平さんyokohama now
  5. ^ エクスポート、昭和初期の味「横浜ポートサイダー」を発売 - 日経デザイン - 日経BP社
  6. ^ 日刊工業新聞MOOK編集部『身近なモノの履歴書を知る事典』、串間努・町田忍『ザ・ジュース大図鑑』扶桑社
  7. ^ 日比野裕『伝説・養老サイダーと菊水霊泉―日本最初のサイダーを支えた者たちとそれを育んだ不老不死霊泉の伝説』文芸社
  8. ^ 兒島新平、「花月印サイダーは斯くの如き人格の人が作る」『三府及近郊名所名物案内』pp79-80、1918年、東京、日本名所案内社 [1]
  9. ^ 兒島新平、「宮川商店製造の君が代サイダー」『三府及近郊名所名物案内』2版 pp66-67、1919年、東京、日本名所案内社 [2]
  10. ^ 吉田元、「軍政下奄美の酒(2)」『日本醸造協会誌』第101巻第12号、2006年、東京、公益財団法人日本醸造協会 [3]

関連項目