LTCM

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Long-Term Capital Management(ロングタームキャピタルマネジメント、通称:LTCM)は、かつてアメリカ合衆国コネチカット州に本部をおいて運用されていたヘッジファンドである。

沿革[編集]

創業と当初4年間の成功[編集]

金融工学を駆使したトレーディングシステムで投資を行う投資会社であった。統計学的な最適解であるシンプレックス法をもちいたトレーディングシステムを駆使していた。

LTCMはソロモン・ブラザーズ(現在はシティグループの一ブランド)で活躍していた債券トレーダーのジョン・メリウェザーの発案により設立され、1994年2月24日に運用を開始した。このファンドFRB(アメリカの中央銀行)元副議長デビッド・マリンズや、ブラック-ショールズ方程式を完成させ、共に1997年ノーベル経済学賞を受けた経済学者であるマイロン・ショールズロバート・マートンといった著名人が取締役会に加わっていたことから「ドリームチームの運用」と呼ばれ、当初より12億5000万USドルを世界各国の証券会社・銀行などの機関投資家、富裕層から集める事に成功した。メリウェザー自身は25億ドルの資金を集めることが目標であったが、この募集金額は、ファンド創始時のものとしては史上最高額となるものであった。

これはマリンズの加入によって民間のファンドでは通常ありえない投資資金の流れが生まれたためである。主なものとしては、香港土地開発局、シンガポール政府投資公社台湾銀行バンコク銀行、クウェート国営年金基金、イタリア銀行などがある。日本では住友銀行が1億ドルをLTCMに投資していた。

また著名人も数多くLTCMに投資した。ハリウッドエージェントのマイケル・オビッツ、ナイキのCEOであったフィル・ナイト、ベアー・スターンズCEOのジェームズ・ケインなどが多額の資金をLTCMに提供した。さらにはセント・ジョーンズ大学イェシバ大学ピッツバーグ大学なども資金を提供したことから、いかにLTCMが世間から期待され信用されていたかが伺える。

その運用方針は、流動性の高い債券がリスクに応じた価格差で取引されていない事に着目し、実力と比較して割安と判断される債券を大量に購入し、反対に割高と判断される債券を空売りするもの(レラティブ・バリュー取引)であった。コンピュータを用いて多数の銘柄について自動的にリスク算出、判断を行って発注するシステムを構築した。また、個々の取引では利益が少ないことから、発注量を増やし、レバレッジを効かせて利益の拡大を図った。その後、1995年にはM&A、1996年には金利スワップ取引、1997年には株式やモーゲージ取引のように、流動性が低く、かつ確実性の低い市場取引にも参入していった。

特定の市場や国などに攻撃を仕掛けるマクロファンドと異なり、市場に対して中立的な方針をとるこのファンドの運用は1998年初めまで成功し、当初の投下資金は4年間で4倍に膨れ上がった。平均の年間利回りは40%を突破した。結果としてLTCMへの信用が高まり、資本金65億USドル程度の会社が、UBSなど各国の金融機関の資金1000億USドルを運用するところまで規模を拡大した。

経営危機[編集]

しかし1997年に発生したアジア通貨危機と、その煽りを受けて1998年に発生したロシア財政危機が状況を一変させた。アジア通貨危機を見た投資家が「質への逃避」を起こしつつあった所へロシアが8月17日に短期国債債務不履行を宣言した事により、新興国の債券・株式は危険である、という認識が急速に広がり、投資資金を引き揚げて先進国へ移す様になったのである。LTCMはロシアが債務不履行を起こす確率は100万年に3回だと計算していた[1]。 LTCMの運用方針では、この新興国に対する投資家の動揺は数時間から数日の内に収束し、いずれ新興国の債権・株式の買い戻しが起こることを前提としており、それに応じてポジションをとった。これらの経済危機によって生まれた投資家のリスクに対する不安心理は収まらず、むしろますます新興国・準先進国からの資金引き上げを加速させていった。先進国の債券を空売りし、新興国の債券を買い増していたLTCMの経営は深刻な状態となった。

結果としてLTCMの運用は破綻し、資産総額が下がり始めてから約8ヶ月の間で1994年の運用開始時点の額を下回り、1998年9月18日頃には誰の目にも崩壊寸前である事が明らかとなった。

救済[編集]

だが、前述の通りLTCMは欧米の金融機関から投資された47.2億USドルを元手に、25倍のレバレッジをかけて、1290億USドルもの資金を運用しており、さらには1.25兆USドルに上る取引契約を世界の金融機関と締結していた。そのためLTCMが崩壊すると、ただでさえ前述の経済危機により不安定となっていた金融市場に多大な影響を与え、恐慌への突入も危惧された。また、その成功を見た多くの金融機関がLTCMの運用手法を模倣しており、それらも多大な損失を生み出していた状況であったため、なおさらのことであった。

そのため、一私企業の救済は自由経済の原則にそぐわないとして反対する声を押し切り、ニューヨーク連邦準備銀行の指示によりLTCMに資金を提供していた15銀行が、LTCMに最低限の資金を融通し、当面の取引を執行させて緩やかに解体を行わせていく事にした。またアメリカにおいてはFRB議長アラン・グリーンスパンの指示により、短期金利FFレートを1998年9月からの3ヶ月間で3回引き下げるという異常なまでの急速な対応をとり、LTCM破綻危機により拡大した金融不安の沈静化を図った。

これらの行動を受け、日本でも同様に1999年初めに金融恐慌を発生させないため(日本長期信用銀行日本債券信用銀行などの破綻の影響もあったが)、銀行への公的資金注入と、ゼロ金利政策の実施がなされている。

ただし、この救済融資は、融資先がヘッジファンドという従業員個人の才覚が財産である性格の組織であるため、日銀特融のような単純な緊急融資ではなかった。例えば、パートナー(運用者)らは、返済まで3年間は退職することは許されず、ボーナスや運用報酬はほとんどゼロという、トレーダーとしては屈辱的な契約を結ばされた。

また、この危機の最中にジョージ・ソロスウォーレン・バフェットという世界的な投資家やゴールドマン・サックスなどの巨大投資銀行がLTCMのノウハウを独占するために、共同あるいは単独で、足元を見た買収を打診しており、この救済も「FRB主導で行われた事実上の買収だったのでは?」という見方も出ている。当然のことながら、この一連の危機でLTCMのノウハウはすっかり流出してしまった。

ジョージ・ソロスや投資銀行が、アジア危機ロシア危機の余波を受けて身動きが取れなくなったLTCMを陥れるため、意図的に新興国市場に売りを浴びせ「質への逃避」を加速させたとの説もある。LTCMの中心人物であったジョン・メリウェザーは負債清算後に開業した「JWMパートナーズ」の説明会で「自然災害に対して保険を掛けるのは理に叶っている。しかし、相場の暴落に対して保険を掛けるのは間違いである。なぜなら、彼ら(保険の契約相手)は暴落を引き起こす能力を往々にして持っているからだ」と意味深なコメントを残している。

その後[編集]

LTCMに対する36億USドルの緊急出資のうち、9割が1999年中に返還された。これは想定されていたよりかなり前倒しの結果である。発案者のジョン・メリウェザーは、LTCMを清算した直後「JWMパートナーズ」という新しいヘッジファンドを開業し、2007年2月に起きた上海ショックの局面では円高トレンドに乗じた「円キャリーの巻き戻し」(売りポジションの円を買い戻すこと)による為替取引で利益をあげた。

LTCMにマイロン・ショールズとロバート・マートンという、ノーベル経済学賞受賞者が関与することで信頼を得ていたことに、ノーベル賞委員会は当惑し、二人に対する受賞の撤回とともに、ノーベル経済学賞自体の廃止さえ検討したと言われる。

脚注[編集]

関連項目[編集]