DonDokoDon

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Kto2038 (会話 | 投稿記録) による 2022年10月18日 (火) 15:56個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎メンバー)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

DonDokoDon
メンバー 山口智充
平畠啓史
別名 ドンドコ
結成年 1994年
解散年 2006年(活動停止年)
事務所 吉本興業
活動時期 1994年 - 2006年
出身 銀座7丁目劇場のオーディション
出会い 宝塚ファミリーランド
現在の活動状況 事実上の解散状態(両者ピンで活動)
芸種 漫才コント
ネタ作成者 山口智充
現在の代表番組 なし
過去の代表番組 爆笑オンエアバトル
ワンナイR&R
くさデカ
同期 ロンドンブーツ1号2号
ペナルティ
土肥ポン太
小籔千豊
2丁拳銃
COWCOW
浜本広晃(テンダラー
渡部建アンジャッシュ
設楽統バナナマン
阿佐ヶ谷姉妹など
受賞歴
1999年 爆笑オンエアバトル 初代チャンピオン
2000年 国立演芸場花形演芸大賞 銀賞
2001年 M-1グランプリ 決勝9位
テンプレートを表示

DonDokoDon(ドンドコドン)は、山口智充平畠啓史からなる日本のお笑いコンビ。2000年代にコンビとしての活動が少なくなり、所属している吉本興業のウェブサイトではDonDokoDonのページが削除され山口、平畠それぞれの個人紹介ページに変更されており、事実上の解散状態となっている[1]

メンバー

  • 山口 智充(やまぐち ともみつ、 (1969-03-14) 1969年3月14日(55歳) - )ボケ・ネタ作り担当。
  • 平畠 啓史(ひらはた けいじ、 (1968-08-14) 1968年8月14日(55歳) - )ツッコミ担当。

来歴

山口と平畠は共に宝塚ファミリーランドに勤めており、山口はイベントの司会業を、平畠はイベントの音響を担当していた。そこで2人は親交を深め、会社の忘年会の余興も2人で担当したことがある。その後、2人は別々の時期に退社。退社後2人は再び親交を深め、半年ほど2人で結婚式の司会などのバイトをこなす。そんな中、毎日放送の視聴者参加型の演芸番組『素人名人会』に参加し、名人賞を受賞する。

この時期にプロの芸人になることを志し、上京。事務所にはこだわらず、いろんな東京の事務所のオーディションを受け、銀座7丁目劇場のオーディションに合格する。東京吉本所属となり、1994年2月に本格的にコンビ結成しデビュー。2人は大阪出身ではあるが、東京を拠点に活動した。

1999年に爆笑オンエアバトル初代チャンピオンに輝くなど、結成当初はコンビでの活動が主であった。しかし山口が「明石家マンション物語」(フジテレビ系列)に出演し全国的な知名度を得たのを皮切りに、以降は多彩なものまねや声帯模写などを活かして山口がピンで活動する事が多くなっていった。

2001年、第1回M-1グランプリに決勝進出を果たす。キャッチフレーズは「無冠の帝王[注 1]。なお、後述にもあるように2人とも芸人を始めた時期がやや遅かったため、結成7年目ながらこの時点で年齢が30を超えていた[注 2]。先述の通りこの頃から山口はピンで活躍しており、決勝10組の中でも知名度は抜群で満を持しての出場だったが最終的な結果は10組中9位[注 3]に終わる。この年は7人の特別審査員だけではなく、札幌大阪福岡の吉本興業の劇場に集まった各100人の一般客が1人1点で審査するシステムも導入されていたのだが、比較的大阪寄り(大阪吉本所属の芸人)ではない一部出場コンビ[注 4]に対しての大阪会場の得票が著しく低く、すでに大阪から東京に進出し東京吉本に所属していたDonDokoDonもその煽りを受けてしまう形となってしまった[注 5][注 6][注 7]。なお翌年以降は一度も出場していない。

以降もコンビとしての活動は縮小傾向にあり、静岡県で人気番組となった『くさデカ』(テレビ静岡制作)も、山口の出演頻度は2001年11月より段階的に減少して最終的に2003年に降板し[注 8]、レギュラー番組『ワンナイR&R』(フジテレビ系列)は2000年から2006年まで続くが、開始当初より平畠の出番は微少で山口との絡みも少なかった。

山口はマルチタレントとして活動、平畠は芸能界屈指のサッカー通として関連番組に多く出演するほか[2]、引き続き『くさデカ』に出演するなど、静岡では高い知名度を持っている。

概要・芸風

コンビで行う漫才は山口のモノマネを活かしたスタイルで、対照的に平畠は地味なキャラクターを売りにしている。

共に1968年度生まれで、山口が2000年頃にはブレイクしレギュラー番組を多数持ったことから2000年代半ばにはベテラン芸人入りしていたと思われがちだが、実際は二人ともサラリーマンを経て25〜26歳で吉本興業に入ったため、同年代の芸人に比べて芸歴は短い。このため、宮迫博之(元雨上がり決死隊)、千原兄弟ナインティナインココリコ中川家陣内智則など年下の先輩が多い。ロンドンブーツ1号2号ペナルティや、大阪NSCでは12期生の小籔千豊土肥ポン太などが同期に当たる。1年先輩には中川家・陣内・ケンドーコバヤシなど、1年後輩には次長課長タカアンドトシなどがいる。

受賞歴

事実上の解散

2006年12月に『ワンナイR&R』が終了したことでコンビ名義でのレギュラー番組は消滅した。それ以前から、漫才の舞台などコンビでの仕事も行われなくなった。後に『さんまのまんま』(2013年7月27日放送分、関西テレビ制作・フジテレビ系列)に山口が出演した際に、司会の明石家さんまから「DonDokoDonは、今どうなってるの?」と聞かれた山口は、「バラバラの活動です。(2人では)やってないです。」と話し、「解散はしてないの?」と確認されると、「解散ってのも微妙なんですけど、『解散します。』って言っても『どうでもええわ』って人も居るじゃないですか。『解散』って言葉はマイナスなんで、言う事は、無いんかなと。」と自然消滅の形でコンビを解消した事を明かした[1]2020年に山口が『ダウンタウンなう』(フジテレビ系列)に出演した際も、「活動はもうして行きませんと吉本には言っている。」「まだ何もしてへん奴が『解散』と言うのは、おこがましい。」とほぼ同様の説明をしている。尚、直接的な解散に至った理由や原因等は、2022年現在も2人の口からは発せられていないが、以前からの不仲が理由とされる。

吉本興業の公式サイト上でコンビの情報は削除されている他、TVガイド(2007年度以降)・JUNON(2008年度以降)のタレント名鑑やライブイベント『LIVE STAND 07』等でも2人は、別々に表記されている。メンバー本人や所属事務所によるコンビの活動休止や正式な解散等なの発表はされていないが、既にコンビの情報が削除されている事から事実上のコンビ解散とされている。

事実上の解散前もコンビ仲が特に悪く、周囲の芸人仲間も「喧嘩が絶えない。」等2人の不仲を認めている発言をしている。例として、事務所の先輩の藤本敏史FUJIWARA)は2人の関係性について「仲良かった時無い。」と暴露しており[3]、また後輩であるトータルテンボスカンニング竹山からコンビ仲について聞かれた際に「(その件は)本当に触れられないやつ」と語っている[4]

一方でゴリガレッジセール)は沖縄のテレビ番組にて「DonDokoDonは2人の方向性が違っただけなのでね。でも2人が出会わなければ銀座7丁目劇場のオーディションを受けることも無かったでしょうし吉本に入ることもなかった。そしてワンナイで僕らと共演することも無かったでしょう。2人が出会った奇跡に感謝です。」とコメントしている。

出演番組

個人の出演番組は山口智充、平畠啓史をそれぞれ参照。

テレビ

バラエティ・報道番組

ドラマ

山口 - バタヤン 役
平畠 - サンペイ 役
山口 - 村田雅史 役
平畠 - 牧師 役
山口 - 永倉新八
平畠 - 葛山武八郎

ラジオ

脚注

注釈

  1. ^ ネタ前の紹介VTRでは「受賞歴なし」と紹介されているが、厳密に言えば本放送前に「爆笑オンエアバトル」で初代チャンピオンに輝いているなど、受賞歴が全く無かった訳ではない。
  2. ^ ネタ前の紹介VTR内でも「決勝大会最年長コンビ」と紹介されていた。
  3. ^ 特別審査員の合計が520点、一般審査員の合計が94点、両方を足した総合計が614点。
  4. ^ 唯一関東出身のコンビであったおぎやはぎ松竹芸能所属のますだおかだアメリカザリガニなど。
  5. ^ 大阪会場からは100点満点中18点しか獲得できず、おぎやはぎの9点に次いで2番目に低い記録を出してしまった(因みに今大会で一般審査員の総合計が100点を越えなかったのはおぎやはぎとDonDokoDonの2組のみである)。またDonDokoDonの一般審査員による点数が画面に表示された際、余りにも大阪会場の点数が低すぎると感じたのか特別審査員の松本人志ダウンタウン)は本番中にもかかわらず「大阪の客ちょっと頭おかしいんちゃいますか!?」と声を荒らげていた。
  6. ^ 特別審査員の春風亭小朝は当時の2人の漫才を見て「関脇の人が横綱相撲取っちゃった、みたいな感じ」と評している。
  7. ^ 翌年の2002年以降の大会は「公平性に欠ける」という意見から一般審査員による投票は廃止されている。
  8. ^ 各々で違う店にロケを行う方式を採用している。
  9. ^ 初代チャンピオンであるにも関わらず、歴代チャンピオンの中で唯一通常回以外の特番に出演した実績が一切なく(蔵出しSPで過去に披露したネタが再放送された程度で、この時彼らはVTRで出演し、コメントをしている。)、毎年のチャンピオン大会にて歴代チャンピオンの1組として軽く触れられたり、プラチナバトラーに認定されて番組内で紹介された程度に留まっていた。
  10. ^ ただし後継番組の「オンバト+」も含めるとトレンディエンジェル(3代目チャンピオン)が出場回数5回(4勝1敗)で歴代最少記録となる。
  11. ^ 次に少ないのはルート33(2・3代目チャンピオン)とNON STYLE(9代目チャンピオン)の2回。
  12. ^ 第1回チャンピオン大会前まで3勝を達成した吉本興業所属の芸人もDonDokoDonのみである。
  13. ^ このオフエアとなった回の敗者コメントで平畠は「次回にちなんでもうトレーニングは開始しております」と発言し、山口は上半身裸で腕立て伏せを行っていたが、これを最後に番組には出場しなくなってしまった。

出典