石井和義
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(石井館長から転送)
石井 和義 | |
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生年月日 | 1953年6月10日(71歳) |
出身地 | 日本・愛媛県宇和島市 |
別名 | 石井館長 |
居住 | 日本 |
スタイル | 正道会館 空手 |
師匠 | 芦原英幸 |
著名な弟子 |
角田信朗 佐竹雅昭 |
石井 和義(いしい かずよし、1953年(昭和28年)6月10日 - )は、日本の空手家。実業家。愛媛県宇和島市出身。愛媛県立宇和島東高等学校卒業。
空手団体である正道会館の創始者で、総合格闘技イベントの草分け的存在となったK-1の創立者として知られる[1]。
経歴
[編集]愛媛県北宇和郡三間町(現在の宇和島市)生まれ。14歳の頃から空手を始め、16歳で極真会芦原道場入門し、17歳で黒帯を修得、22歳で大阪に極真会館芦原道場大阪支部を設立した[2]。その後は神戸市、京都市、奈良市、堺市、岡山市に支部を拡大した。これまでに門下生は約10万人を指導したとされる[2]。
1980年(昭和55年)に独立して新日本空手道連盟正道会館を創設。現在では全国に約300教室を展開する正道会館の宗師となる。空手普及の目的で1993年(平成5年)にK-1グランプリを開催[2]。
事件
[編集]2003年(平成15年)2月3日、証拠隠滅教唆容疑で逮捕。5月22日に保釈金4,000万円を支払い保釈される。ケイ・ワン脱税事件により表舞台から姿を消したが、正道会館専門誌『正道』では宗師として登場している。2004年(平成16年)1月14日、脱税と証拠隠滅教唆について東京地方裁判所は懲役1年10か月の実刑判決を下す。同年12月6日の控訴審でも地裁の判断を支持し石井の控訴を棄却。2006年(平成18年)11月21日に最高裁の上告棄却により懲役1年10か月の実刑が確定したが、健康状態が悪かったため収監は先送りとなる[3]。
2007年(平成19年)6月11日に収監。その後、2008年(平成20年)8月7日、静岡刑務所を出所した。
著書
[編集]- 『実戦正道カラテ』(スポーツライフ社、1983年)
- 『勝つための空手』(ベースボール・マガジン社、1991年)
- 『空手超バカ一代』(文藝春秋、2009年)
- 『どるから』(まんがライフWIN、原作名義)
脚注
[編集]- ^ 「難波道場」『第二章 放浪、四国へ』、327頁。
- ^ a b c “石井和義 プロフィール”. HMV&BOOKS. 2021年4月5日閲覧。
- ^ “石井和義は「逮捕までいかない」と楽観する声がなかったわけでもないが…”. 日刊ゲンダイ. 2023年9月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 谷川貞治、石井和義『アンディ・フグの生涯』(広済堂出版、2000年)
- 佐藤猛『ブレイク・スルー K-1舞台裏の物語』(JPS、2004年)
- 森功「石井館長初告白、大晦日「格闘技戦争」の内幕、TV3局激突、曙参戦の裏事情を語り尽くす」(『文藝春秋』2004年4月号)
- 「学会系スポーツ選手、最新版54人リスト」(『週刊文春』2005年3月31日号)
外部リンク
[編集]- 館長紹介 新日本空手道連盟 正道会館 - 国際正道 空手連盟 FIKA
- 石井館長のオフィシャルブログ - Ameba Blog
- 石井和義 (@ishiikazuyoshi) - X(旧Twitter)