洗平竜也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
洗平 竜也
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 青森県上北郡六戸町
生年月日 1979年1月9日(33歳)
身長
体重
178cm
75kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト2位
経歴(括弧内は在籍年)

洗平 竜也(あらいだい たつや、1979年1月9日 - )は、青森県上北郡六戸町出身の元プロ野球選手投手)。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] プロ入り前

光星学院高等学校では1年生の夏からエースとなるも、3年間連続して夏の甲子園県大会決勝で敗退、甲子園出場はならなかった。

高校卒業後は東北福祉大学に進学。吉見祐治がエースを張るなど、層の厚い大学ゆえ当初は登板機会が与えられなかったが、3,4年次にはエースクラスの働きを見せ、仙台六大学リーグ通算10勝0敗。4年の秋、明治神宮野球大会出場を決めるための北海道・東北地区王座決定戦では北海学園大学から19奪三振を記録してスカウトの注目を集めた。

2000年のドラフトでは、中日ドラゴンズを逆指名し、2位で入団[1]

[編集] プロ入り後

1位指名が高校生だったこともあり、洗平には首脳陣の大きな期待がかけられたが、キャンプでブルペン入りして最初の球を、なんと隣のキャッチャーのミットに投げ込んでしまう。その後もキャッチャーが座ったまままともに捕球することができる球はほとんどなく、ブルペン入りして早々と「ノーコン」のレッテルが貼られてしまう。そのキャンプでは何度かブルペン入りのチャンスを与えられたが制球力のなさは相変わらずで、キャンプの日程を半分も消化していないうちに二軍行きを命じられる(そしてその後一軍に上がることはなかった)。

ファームでも制球力は良くならず、結局在籍3年間で一度も一軍に上がることなく、1軍実働ゼロで2003年戦力外通告を受ける。

[編集] アマチュア復帰

2004年から社会人野球硬式野球クラブ東海レックスに入団したが、制球難は相変わらずで、ベーブルース杯では打者の頭に死球をぶつけたこともあった。

2007年シーズンをもって現役を引退している。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績

  • 一軍公式戦出場なし

[編集] 背番号

  • 32 (2001年 - 2003年)

[編集] 脚注

  1. ^ この年、中日は「天才投手」こと中里篤史を指名するためにわざとドラフト1位の枠を空けておいたともいわれる

[編集] 関連記事

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス