水間鉄道水間線

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水間線
水間線内を走る1000形電車
水間線内を走る1000形電車
水間鉄道水間線の路線図
路線総延長 5.5 km
軌間 1067 mm
電圧 1500 V 架空電車線方式直流
停車場・施設・接続路線
STRq
南海南海本線
STRrg
0.0 貝塚駅
eBHF
0.2 海塚駅 -1972
BHF
0.8 貝塚市役所前駅
BHF
1.2 近義の里駅
KRZu
JR西阪和線
BHF
2.0 石才駅
BHF
2.8 清児駅
eABZrf
犬鳴粉河方面(未成線
BHF
3.2 名越駅
BHF
4.3 森駅
BHF
4.7 三ツ松駅
BHF
5.1 三ヶ山口駅
STRrg ABZrf
KDSTe STR
水間車庫
KBHFe
5.5 水間観音駅

水間線(みずません)は、大阪府貝塚市貝塚駅から水間観音駅までを結ぶ水間鉄道鉄道路線

概要[編集]

水間寺(通称:水間観音)への参詣鉄道として建設された。沿線開発も進み通勤・通学路線となっている。 終点の水間観音駅の駅舎は、1926年の全通以来のもので、1998年に国の登録有形文化財に登録されている。

2007年にはPiTaPa導入を視野にスルッとKANSAI協議会に加盟した。そのPiTaPa導入は2009年6月1日のダイヤ改正から行われた[1]。水間線は2013年3月23日から開始された交通系ICカード全国相互利用の対象になっている。

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):5.5km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:10駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:全線電化(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式

運行形態[編集]

貝塚 - 水間観音間で1時間あたり3本、ただし深夜は1時間あたり2本が運転されている。途中駅で折り返す列車はない。

2009年6月1日より、PiTaPa導入と同時に朝夕ラッシュ時間帯を含む全列車がワンマン運転となった[1]。かつて朝夕のラッシュ時以外の時間帯の列車だけをワンマン化したこともあったが、その際、主な利用客である高齢者層がワンマン運転のシステムになじめなかったため、PiTaPaが導入されるまで早朝深夜以外の時間帯は再び車掌を乗務させていた。

車両[編集]

車両は南海電気鉄道の中古車両を使用していたが、1990年に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、全車両を元東急7000系電車の7000系に置き換えた。2004年現在、2両編成5本の計10両を所有している。2006年から7000系の一部が更新改造され1000形に改番されている。

旧在籍車[編集]

  • モハ3形(3・4)1927年汽車会社で新製された木製ボギー車。定員74人。4は踏切事故を起こした際に5に改番されたが1948年水間車庫火災により焼失、その台枠を利用してモハ55形(初代55)を製作する。3は1962年に廃車され会議室として使用されていたがのちに解体された。
  • モハ15形(15・16)1929年加藤車両で新製された半鋼製単車。定員50人。1939年日満工業に売却される。
  • モハ55形(2代目55)1953年にモハ55形(初代55)と交換のかたちで尾道鉄道のデキニ25が入線。もとは宇部鉄道デハニ101形(101)の半鋼製ボギー車(1930年日本車輌製) 定員90人、1970年廃車。
  • モハ55形(56)1953年に尾道鉄道のデハニ301が入線。その際に荷物室を撤去。もとは宇部鉄道デハニ301形(301)半鋼製ボギー車(1931年日本車輌製) 定員100人、1969年廃車。
  • モハ105形(105・106)1939年木南車両で新製された半鋼製ボギー車。定員70人。105は1946年水間車庫火災により焼失、106は1952年荒尾市営電気鉄道に売却された。
  • モハ250形(251・252)1958年及び1962年ナニワ工機で新製された全鋼製ボギー車。定員110人。1972年廃車。

利用状況[編集]

地域の住民や学生の足であるだけでなく、途中の石才駅近辺には自動車教習所があり、そこに通う人々が多く利用する。さらに正月には水間観音への参拝客でにぎわう。

輸送実績[編集]

水間線の近年の輸送実績を下表に記す。輸送量は減少している。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別輸送実績
年 度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 輸送密度
人/1日
特 記 事 項
通 勤
定 期
通 学
定 期
定期外 合 計
1970年(昭和45年)     144.8 385.9    
1975年(昭和50年) 158.5 106.0 151.5 416.0 8,410  
1976年(昭和51年) 156.8 107.6 153.1 417.5 8,164  
1977年(昭和52年) 158.0 105.2 152.2 415.6 8,150  
1978年(昭和53年) 153.7 111.6 151.8 417.2 8,050  
1979年(昭和54年) 151.8 113.4 151.2 416.5 8,016  
1980年(昭和55年) 151.6 110.4 154.4 416.5 8,010  
1981年(昭和56年) 154.7 105.5 153.5 413.8 7,961  
1982年(昭和57年) 151.2 100.6 149.8 401.7 7,749  
1983年(昭和58年) 145.8 92.2 142.5 380.5 7,407  
1984年(昭和59年) 142.5 91.2 135.2 368.9 7,174  
1985年(昭和60年) 139.6 92.4 133.7 365.7 7,076 自動閉塞化
1986年(昭和61年) 135.4 85.3 127.7 348.4 6,777  
1987年(昭和62年) 130.7 76.3 121.4 328.4 6,416  
1988年(昭和63年) 123.4 68.3 112.7 304.4 5,997  
1989年(平成元年) 120.2 60.4 110.7 291.3 5,775  
1990年(平成2年) 121.4 63.4 110.8 295.6 5,748 架線電圧を1500Vに昇圧 冷房電車導入
1991年(平成3年) 124.3 57.3 113.7 295.3 5,783  
1992年(平成4年) 130.5 59.1 115.9 305.5 5,903  
1993年(平成5年) 133.9 59.0 118.6 311.5 5,948  
1994年(平成6年) 137.7 60.8 113.1 311.6 5,912  
1995年(平成7年) 137.5 60.3 110.2 308.0 5,798  
1996年(平成8年) 129.9 53.1 102.7 285.7 5,385  
1997年(平成9年) 124.6 54.9 97.0 276.5 5,187  
1998年(平成10年) 116.6 57.7 92.7 267.0 5,026  
1999年(平成11年) 109.0 60.0 92.4 261.4 4,941  
2000年(平成12年) 106.7 55.4 88.6 250.7 4,748  
2001年(平成13年) 102.9 56.3 83.1 242.3 4,570  
2002年(平成14年) 94.1 55.0 78.5 227.6 4,275  
2003年(平成15年) 88.5 55.0 76.8 220.3 4,079  
2004年(平成16年) 87.3 54.8 73.0 215.1 3,964  
2005年(平成17年) 89.1 52.2 72.9 214.2 3,947  
2006年(平成18年) 90.0 55.2 73.7 218.9 4,043  
2007年(平成19年)            

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

収入実績[編集]

水間線の近年の収入実績を下表に記す。旅客運賃収入が増加した時期もあったが最近では減少している。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別収入実績
年  度 旅客運賃収入:千円/年度 運輸雑収
千円/年度
総合計
千円/年度
通勤定期 通学定期 定 期 外 手小荷物 合  計
1975年(昭和50年) 137,651 ←←←← 159,117     883 299,303
1976年(昭和51年)   ←←←←          
1977年(昭和52年)   ←←←←          
1978年(昭和53年)   ←←←←          
1979年(昭和54年)   ←←←←          
1980年(昭和55年)   ←←←←          
1981年(昭和56年)   ←←←←          
1982年(昭和57年)   ←←←←          
1983年(昭和58年)   ←←←←          
1984年(昭和59年)   ←←←←          
1985年(昭和60年)   ←←←←          
1986年(昭和61年) 207,220 ←←←← 225,247 0 432,467 4,093 436,560
1987年(昭和62年) 146,087 49,690 215,436 0 411,213 6,856 418,069
1988年(昭和63年) 141,144 45,509 204,976 0 391,629 6,652 398,271
1989年(平成元年) 156,394 46,714 222,252 0 425,360 3,140 428,500
1990年(平成2年) 153,560 47,527 213,988 0 415,075 5,563 420,638
1991年(平成3年) 157,515 42,929 219,179 0 419,623 9,663 429,286
1992年(平成4年) 164,215 44,287 220,637 0 429,139 10,686 439,825
1993年(平成5年) 168,028 44,374 224,334 0 436,736 11,348 448,084
1994年(平成6年) 171,546 45,591 214,896 0 432,033 11,071 443,104
1995年(平成7年) 170,604 44,879 212,139 0 427,622 11,945 439,567
1996年(平成8年) 173,655 42,796 214,570 0 431,021 10,665 441,686
1997年(平成9年) 166,658 43,769 203,001 0 413,428 10,051 423,479
1998年(平成10年) 156,962 45,964 194,225 0 397,151 8,864 406,015
1999年(平成11年) 147,755 48,034 193,915 0 389,704 9,052 398,756
2000年(平成12年) 144,493 44,179 186,028 0 374,700 8,491 383,191
2001年(平成13年) 138,936 44,128 174,374 0 357,438 7,300 364,738
2002年(平成14年) 126,910 42,657 163,972 0 333,539 10,813 344,352
2003年(平成15年) 118,955 40,699 160,559 0 320,213 14,314 334,527
2004年(平成16年) 116,884 38,984 152,589 0 308,457 14,712 323,169
2005年(平成17年) 119,222 36,516 153,875 0 309,613 18,641 328,254
2006年(平成18年)     155,338 0 314,626 15,871 331,698
2007年(平成19年)       0      

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

営業成績[編集]

水間線の近年の営業成績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別営業成績
年  度 営業収益
千円/年度
営業経費:千円/年度 営業損益
千円/年度
営業
係数
人件費 修繕費 経 費 諸 税 減 価
償却費
一 般
管理費
合  計
2006年(平成18年) 331,698 112,299 38,692 52,093 6,940 3,987 39,837 253,818 77,880 76.5
2007年(平成19年)                    
2008年(平成20年)                    

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

戦前の輸送収支実績[編集]

歴史[編集]

幻の分岐延長計画[編集]

清児駅から分岐し泉佐野市南部の犬鳴山を経て和歌山県那賀郡粉河町(現在の紀の川市)まで延長する計画があった。1950年に清児 - 粉河間の鉄道敷設免許を取得し、資金調達のため1953年に紀泉鉄道という別会社を設立して着工したものの、資金不足で工事は中止された。1963年に水間鉄道は紀泉鉄道を吸収合併し、維持していた免許も1967年に山越えとなる犬鳴 - 粉河間が当面開通の見込みが無いとの理由で当時の運輸省より免許返納を勧められたため起業を廃止。残る清児 - 犬鳴間も何度か第三セクター方式で再起が試みられたが、資金調達の目処がつかず、1996年にこの区間の建設も断念し、こちらも起業廃止届を申請し認可され計画は立ち消えとなった。

2006年現在、清児駅付近の住宅地内に残っていた用地は宅地化され、熊取町七山付近に痕跡が一部残るのみで、熊取ニュータウンの中央部に都市計画道路と一緒に確保されていた用地は道路用地を除きほとんど宅地化された(熊取ニュータウン内にある、敷地への立入りを禁ずる看板には水間鉄道のほかに道路管理者の名前も見える)。

駅一覧[編集]

  • 全駅大阪府貝塚市に所在、全列車が各駅に停車
  • 線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可能、|:列車交換不可
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 線路
貝塚駅 - 0.0 南海電気鉄道:南海本線
貝塚市役所前駅 0.8 0.8  
近義の里駅 0.4 1.2  
石才駅 0.8 2.0  
清児駅 0.8 2.8  
名越駅 0.4 3.2  
森駅 1.1 4.3  
三ツ松駅 0.4 4.7  
三ヶ山口駅 0.4 5.1  
水間観音駅 0.4 5.5  
  • 近義の里駅 - 石才駅間で、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線立体交差しているが、交差地点の近辺には両路線ともに駅はなく、接続はしていない。
  • 貝塚駅より0.2kmの地点には、かつて海塚駅があった(1925年 - 1972年)。開業当時はこの駅が起点駅であったためか、線内の距離標(キロポスト)は、現在でもこの地点を基準として設置されている。
    • 海塚駅跡付近に建つ0キロポストより貝塚側は「貝塚連絡線」という。貝塚連絡線は南海と水間鉄道との費用折半で建設されたため、ライバルであった阪和電気鉄道(JR阪和線の前身)との間には連絡駅を作らないことが条件の一つ[要出典]となっていた。

脚注[編集]

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  1. ^ a b いよいよ水間鉄道にPiTaPaが導入されます (PDF) - 水間鉄道プレスリリース 2009年5月14日
  2. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年8月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年1月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年2月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1934年2月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献[編集]

  • 小林庄三『水間鉄道』ネコパブリッシング、2006年

関連項目[編集]