SBVフィテッセ

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SBVフィテッセ
原語表記 Stichting Betaald Voetbal Vitesse Arnhem[1]
愛称 Vites
FC Hollywood at the Rhine
Airborne Football Club
De nummer 1 van Gelderland
クラブカラー  
 
創設年 1892年
所属リーグ エールディヴィジ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン アーネム
ホームスタジアム
ヘルレドーム
収容人数 21,248人[2]
監督 オランダの旗 エドワード・スターリング
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

スティヒティング・ベトバールト・フトバル・フィテッセStichting Betbaald Voetbal Vitesse)は、オランダヘルダーラント州アーネムを本拠地とするサッカークラブチーム。

概要[編集]

現在のSBVフィテッセの母体となるクラブの起源は1887年にまで遡る。この年、クリケットサッカーを行うスポーツ団体として「フィテッセ」というクラブが誕生した。「フィテッセ」はフランス語からとられたもので、スピードを意味する。この「フィテッセ」が現在のクラブに繋がっている。SBVフィテッセは、破産寸前に陥ったり、長い2部落ちを経験した時期もあったものの、1989-90シーズンにエールディヴィジに復帰後はアヤックスPSVフェイエノールトら強豪チームに次ぐ成績をおさめていた。1998-90シーズンのKNVBカップでは決勝まで進出(PSVに0-1で敗退)。1997-98シーズンにはギリシャ代表FWニコス・マフラスを擁し、アヤックス、PSVに次ぐ3位となった。マフラスは32試合で34得点を挙げ得点王に輝くと共にゴールデンブーツ賞を受賞した。

同じヘルダーラント州に本拠地を置くNECナイメヘンとはライバル関係にある。

ホームスタジアムのヘルレドームは1998年に新設され、EURO2000の会場にもなった。

毎年、1万席のシーズンチケットを販売し、その都度完売している。サポーターの大半はヘルダーラント州に在住しているが、彼らの中には隣国ドイツから越境してくるものもいる。

2010年8月、グルジアの実業家メラブ・ジョルダニア英語版により買収された[3]。その後毎年繰り返されるゴタゴタ続きのクラブ運営で「ラインのFC ハリウッド(FC Hollywood aan de Rijn)」と呼ばれている。

2017年4月、クラブは125年の歴史の中で初のメジャータイトルを獲得、KNVBカップ決勝にてリッキー・ファン・ウォルフスウィンケルの2得点もあり2-0のスコアでAZアルクマールを破った。

2020-21シーズン、KNVBカップの準決勝でVVVフェンローを下し、AFCアヤックスとの決勝に進出したが1-2で敗れた[4]。また、このシーズンのエールディヴィジで4位という成績を残したため、翌シーズンのUEFAカンファレンスリーグ予選出場権を獲得した。その予選ではダンドークFCRSCアンデルレヒトを下して本戦への出場を決めた。

しかし2023-24シーズン、財政難によりKNVBのライセンス要件を満たせていないとして、勝ち点18点はく奪を余儀なくされ、残り4試合でエールステ・ディヴィジ降格が決定した[5]

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

2016-17
1976-77, 1988-99
1965-66

国際タイトル[編集]

なし

過去の成績[編集]

EredivisieEerste Divisie
シーズン ディビジョン KNVBカップ
リーグ 順位
1988-89 エールステ・ディヴィジ 36 23 8 5 61 20 54 1位 準々決勝敗退
1989-90 エールディヴィジ 34 15 11 8 49 31 41 4位 準優勝
1990-91 エールディヴィジ 34 11 15 8 39 32 37 5位 準々決勝敗退
1991-92 エールディヴィジ 34 15 10 9 47 33 40 4位 ベスト16
1992-93 エールディヴィジ 34 16 14 4 58 29 46 4位 ベスト16
1993-94 エールディヴィジ 34 17 6 11 63 37 40 4位 3回戦敗退
1994-95 エールディヴィジ 34 14 12 8 55 44 40 6位 1回戦敗退
1995-96 エールディヴィジ 34 15 8 11 48 44 53 5位 1回戦敗退
1996-97 エールディヴィジ 34 15 10 9 53 41 55 5位 準々決勝敗退
1997-98 エールディヴィジ 34 21 7 6 85 48 70 3位 準々決勝敗退
1998-99 エールディヴィジ 34 18 7 9 61 44 61 4位 準々決勝敗退
1999-00 エールディヴィジ 34 18 9 7 67 43 63 4位 準決勝敗退
2000-01 エールディヴィジ 34 16 11 7 56 43 59 6位 準決勝敗退
2001-02 エールディヴィジ 34 16 12 6 45 34 60 5位 1回戦敗退
2002-03 エールディヴィジ 34 8 9 17 37 51 33 14位 準々決勝敗退
2003-04 エールディヴィジ 34 4 16 14 39 56 28 16位 ベスト16
2004-05 エールディヴィジ 34 16 6 12 53 49 54 7位 3回戦敗退
2005-06 エールディヴィジ 34 13 5 16 52 54 44 11位 2回戦敗退
2006-07 エールディヴィジ 34 10 8 16 50 55 38 12位 3回戦敗退
2007-08 エールディヴィジ 34 12 7 15 46 55 43 12位 2回戦敗退
2008-09 エールディヴィジ 34 11 10 13 41 48 43 10位 3回戦敗退
2009-10 エールディヴィジ 34 8 8 18 38 62 32 14位 3回戦敗退
2010-11 エールディヴィジ 34 9 8 17 42 61 35 15位 4回戦敗退
2011-12 エールディヴィジ 34 15 8 11 48 43 53 7位 準々決勝敗退
2012-13 エールディヴィジ 34 19 7 8 68 42 64 4位 準々決勝敗退
2013-14 エールディヴィジ 34 15 10 9 65 49 55 6位 4回戦敗退
2014-15 エールディヴィジ 34 16 10 8 66 43 58 5位 準々決勝敗退
2015-16 エールディヴィジ 34 12 10 12 55 38 46 9位 2回戦敗退
2016-17 エールディヴィジ 34 15 6 13 51 40 51 5位 優勝
2017-18 エールディヴィジ 34 13 10 11 63 47 49 6位 1回戦敗退
2018-19 エールディヴィジ 34 14 11 9 70 51 53 5位 準々決勝敗退
2019-20 エールディヴィジ 26 12 5 9 45 35 41 7位 準々決勝敗退
2020-21 エールディヴィジ 34 18 7 9 52 38 61 4位 準優勝
2021-22 エールディヴィジ 34 15 6 13 42 51 51 6位 準々決勝敗退

欧州の成績[編集]

現所属メンバー[編集]

2022年1月13日現在[6]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ドイツ マルクス・シューベルト
2 DF イスラエル エリ・ダサ
6 DF デンマーク ヤコブ・ラスムッセン
7 FW ベルギー ロイス・オペンダ ()
8 MF ノルウェー ソンドレ・トロンスタット
9 FW オーストリア アドリアン・グルビッチ
10 MF オランダ リーシェドリー・バズール ()
11 FW デンマーク ニコライ・ベードゥン・フレデリクセン
14 FW モロッコ ウサマ・タンナーヌ ()
16 DF クロアチア アロイス・オロツ ()
17 FW ナイジェリア ヒラリー・ゴング
18 DF チェコ トマーシュ・ハーイェク
20 MF フランス ヤン・グボホ ()
21 MF スロバキア マトゥーシュ・ベロ
No. Pos. 選手名
22 MF コソボ トニ・ドムジョニ ()()()
23 GK オランダ エリック・フェルスタッペン
24 GK オランダ イェルーン・フーヴェン
27 DF フランス ロマリック・ヤピ ()
29 FW オランダ トーマス・バイティンク
32 DF ドイツ マクシミリアン・ヴィッテク
33 GK オランダ ダーン・ライツィハー
36 MF オランダ パトリック・フルーフ
39 DF オランダ エンツォ・コルネリッセ
40 MF オランダ ダーン・ハイスマン
42 DF オランダ ミリオン・マンフーフ ()
44 FW エルサルバドル エンリコ・エルナンデス ()()()
52 GK オランダ ジャン・デ・レフト

※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍選手[編集]

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
6 DF デンマーク ヤコブ・ラスムッセン (フィオレンティーナ)
7 FW ベルギー ロイス・オペンダ (ブルッヘ)
No. Pos. 選手名
9 FW オーストリア アドリアン・グルビッチ (ロリアン)
20 MF フランス ヤン・グボホ (スタッド・レンヌ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- FW アルジェリア ウサマ・ダルファル (PECズヴォレ)
No. Pos. 選手名

ユース・アカデミー[編集]

フィテッセはこれまでに多くのトッププレイヤーを輩出している。その例としてアレクサンデル・ビュットネルケヴィン・ダイクスマルコ・ファン・ヒンケルテオ・ヤンセンヨン・ファン・ビューケリングニッキー・ホフスダヴィ・プレパーピート・フェルトハイゼンスタイン・スハールスロイ・マカーイリッキー・ファン・ウォルフスウィンケルなどがいる。アカデミーは年齢別に振り分けられたAからDまでおり、トップチーム昇格前の最終カテゴリーとしてヨング・フィテッセが存在する。また、フィテッセはAGOVVアペルドールンを始めとする計9つのアマチュアクラブと業務提携を結んでいる。

クラブカルチャー[編集]

ユニフォームとクラブカラー[編集]

1984-85シーズンから1899-1900シーズンまでは青の斜めラインに白地を基調としたユニフォームだった。また、当時は、ユニフォームは各自持参だったため、ユニフォームを試合に持ってこなかった選手には50セントの罰金が科された。1900年8月27日、クラブ経営者による話し合いの結果、今後は黄色と黒をクラブカラーに採用することを決定した。これ以降、クラブカラーはその2色に固定され、現在も受け継がれている。また、クラブカラーを正式に変更したのは、オランダ国内でフィテッセが初めてである。

2007年より毎年の9月17日~25日にかけて、フィテッセは紫と水色のストライプという期間限定の特別なユニフォームをホームゲームで身に着ける。これは、1944年の第二次世界大戦中、アーネムで起こったマーケット・ガーデン作戦の空挺部隊を称えるために作成されたものである。また、この期間、ホームゲームでは当時その空挺部隊に所属していた退役軍人をスタジアムに招待し、試合前にセレモニーを行っている。

シンボル[編集]

クラブのシンボルはで、エンブレムには双頭の鷹が描かれている。2008-09シーズンからはヘルトフ(公爵)という名前の鷹をマスコットに任命し、試合前にグラウンド上空を飛ぶよう訓練されていたが、初飛行を終えた2009年10月、イースト菌感染症によって死亡した[7]

サポーター[編集]

サポーターハウス

フィテッセが公式に認めたサポーターズクラブには現在3,000人もの会員が所属しており、サポーターズクラブに従事するボランティアは100人を超える。サポーターズクラブは年に6回、公式ガイドブックを出版している。2015年にはクラブからサポーターハウス(モニケンハイゼ)が授与され、試合前後の集合や決起集会などはここで行われている。

ライバル[編集]

フィテッセ最大のライバルはNECナイメヘン。両者のダービーはヘルダーセ・ダービーと呼ばれ、優雅でエレガントなサッカーをするフィテッセと粗削りで闘争心あふれるサッカーをするNECナイメヘンの戦いである。フィテッセはヘルダーラント州の州都の本拠地を、NECナイメヘンはヘルダーラント州最大の都市であるため、どちらがより上の都市であるかを争う意味もある。しかし、近年ではNECナイメヘンは昇降格を繰り返すクラブに変化しつつあり、両者の実力差と経済力は開き続ける一方である。両者のクラブでプレーした選手は少ないが、ペーテル・ヴィスヘルホフヴィレム・コルステンらがいる。

また、デ・フラーフスハップともライバル関係があるが、デ・フラーフスハップサポーターがフィテッセサポーターよりもライバル意識を持っている。他にも、ゴー・アヘッド・イーグルスなどにライバルにあたる。

歴代監督[編集]

ベルト・ヤコブス
レオ・ベーンハッカー
ヘンク・テン・カテ
ロナルド・クーマン
アート・デ・モス
フレット・ルッテン
ピーター・ボス
レオニード・スルツキー
氏名 国籍 期間
ジョン・ウィリアム・サトクリフ イングランドの旗 イングランド 1914-1915
ジェームズ・マクファーソン スコットランドの旗 スコットランド 1919-1920
チャールズ・グリフス イングランドの旗 イングランド 1920-1922
ヤン・ファン・ドルト オランダの旗 オランダ 1922-1924
ロバート・ウィリアム・ジェファーソン イングランドの旗 イングランド 1924-1927
ヘンリッヒ・シュワルツ ドイツの旗 ドイツ 1928-1936
ヘリット・ファン・ワイヘ オランダの旗 オランダ 1936-1938
ヘリット・ホルステン オランダの旗 オランダ 1938-1946
ジョージ・ローパー イングランドの旗 イングランド 1946-1947
ヘリット・ホルステン オランダの旗 オランダ 1937-1948
アレント・ファン・デル・ヴェル オランダの旗 オランダ 1948-1949
ヘリット・ホルステン オランダの旗 オランダ 1949
ヤン・ゾネンベルフ オランダの旗 オランダ 1949-1954
ヨゼフ・グラバー  オーストリア 1954-1957
ルイス・パストールス オランダの旗 オランダ 1957-1960
ブランコ・ヴィドヴィッチ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1960-1962
ヤン・ゾネンベルフ オランダの旗 オランダ 1962-1964
ヨゼフ・グラバー  オーストリア 1964-1966
フランス・デ・マンク オランダの旗 オランダ 1966-1969
コル・ブロム オランダの旗 オランダ 1969-1972
フランス・デ・マンク オランダの旗 オランダ 1972-1974
ネド・ブラトヴィッチ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1974-1975
ヤン・デ・ブーテル オランダの旗 オランダ 1975-1976
クレマンス・ヴェスターホフ (暫定) オランダの旗 オランダ 1976
ヘンク・ヴレムス オランダの旗 オランダ 1976-1982
レーン・ローイェン オランダの旗 オランダ 1982-1984
クレマンス・ヴェスターホフ オランダの旗 オランダ 1984-1985
ヤヌシュ・コヴァーリク ポーランドの旗 ポーランド 1985-1986
ハンス・ドリェー オランダの旗 オランダ 1986-1987
ニールス・オフェルヴェグ オランダの旗 オランダ 1987
ベルト・ヤコブス オランダの旗 オランダ 1987-1992
ハーバート・ニューマン ドイツの旗 ドイツ 1992-1995
ロナルト・スペルボス オランダの旗 オランダ 1995
フランス・タイセン (暫定)
ヤン・ヨングブルート (暫定)
オランダの旗 オランダ 1995-1996
レオ・ベーンハッカー オランダの旗 オランダ 1996-1997
ヘンク・テン・カテ オランダの旗 オランダ 1997-1998
アルトゥール・ジョルジェ ポルトガルの旗 ポルトガル 1998
ハーバート・ニューマン ドイツの旗 ドイツ 1998-1999
エドワード・スターリング (暫定)
ヤン・ヨングフルート (暫定)
オランダの旗 オランダ 1999
ロナルド・クーマン オランダの旗 オランダ 2000-2001
エドワード・スターリング オランダの旗 オランダ 2001-2002
ミケ・スヌーイ オランダの旗 オランダ 2002-2003
エドワード・スターリング オランダの旗 オランダ 2003-2006
アート・デ・モス オランダの旗 オランダ 2006-2008
ハンス・ヴェステルホフ オランダの旗 オランダ 2008
エドワード・スターリング (暫定) オランダの旗 オランダ 2008-2009
テオ・ボス オランダの旗 オランダ 2009-2010
ハンス・ファン・アルム (暫定)
ライモント・ファン・デル・フーヴ (暫定)
オランダの旗 オランダ 2010
アルベルト・フェレール スペインの旗 スペイン 2010-2011
ヨン・ファン・デン・ブロム オランダの旗 オランダ 2011-2012
フレット・ルッテン オランダの旗 オランダ 2012-2013
ピーター・ボス オランダの旗 オランダ 2013-2016
ロブ・マース オランダの旗 オランダ 2016
ヘンク・フレイザー オランダの旗 オランダ 2016-2018
エドワード・スターリング (暫定) オランダの旗 オランダ 2018
レオニード・スルツキー ロシアの旗 ロシア 2018-2019
ヨセフ・オースティング (暫定) オランダの旗 オランダ 2019
エドワード・スターリング (暫定) オランダの旗 オランダ 2020
トーマス・レッシュ ドイツの旗 ドイツ 2020-2022
フィリップ・コクー オランダの旗 オランダ 2022-2023
エドワード・スターリング オランダの旗 オランダ 2023-

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Stichting Betaald Voetbal "Vitesse-Arnhem"”. Kamer van Koophandel. 2023年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月21日閲覧。
  2. ^ Vitesse verlaagt capaciteit stadion GelreDome naar 25.000 zitplaatsen” (オランダ語). de Gelderlander (2009年12月28日). 2023年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月15日閲覧。
  3. ^ オランダのプロクラブが外国人によって買収されたのは初めてのケースである。
  4. ^ Neres’ stoppage-time goal seals Dutch Cup win”. AFCアヤックス. 2021年4月18日閲覧。
  5. ^ Vitesse degradeert door enorme puntenstraf na 35 jaar uit de Eredivisie” [Vitesse relegated due to enormous points deduction after 35 years of Eredivisie] (Dutch) (2024年4月19日). 2024年4月19日閲覧。
  6. ^ [1]
  7. ^ uefa.com (2009年10月16日). “マスコットの死”. 2009年10月18日閲覧。

外部リンク[編集]