「ステラーカイギュウ」の版間の差分
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|名称 = ステラーカイギュウ |
|名称 = ステラーカイギュウ |
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|画像=[[ファイル:Hydrodamalis gigas. |
|画像=[[ファイル:Hydrodamalis gigas skeleton - Finnish Museum of Natural History - DSC04529.JPG|250px]] |
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|画像キャプション = '''ステラーカイギュウ''' ''Hydrodamalis gigas'' |
|画像キャプション = '''ステラーカイギュウ''' ''Hydrodamalis gigas'' |
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|status = EX |
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'''ステラーカイギュウ'''(''Hydrodamalis gigas'')は、海牛目ジュゴン科ステラーカイギュウ属に分類される哺乳類。[[絶滅]]種。 |
'''ステラーカイギュウ'''(''Hydrodamalis gigas'')は、海牛目ジュゴン科ステラーカイギュウ属に分類される哺乳類。[[絶滅]]種。 |
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== 分類 == |
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{{see also|海牛目#日本での化石|ヤマガタダイカイギュウ}} |
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[[画像:Dusisiren jordani life restoration.jpg|thumb|left|[[日本列島]]から同属の[[カイギュウランドたかさと|アイヅタカサトカイギュウ]]や[[ヤマガタダイカイギュウ]]が発見されている、ステラーカイギュウに非常に近縁とされる{{仮リンク|ハーレム (動物学)|label=ドゥシシーレン|en|Dusisiren}}の想像図。]] |
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[[画像:Sapporo Kaigyu.jpg|thumb|left|サッポロカイギュウの骨格標本。]] |
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本種の種名の由来は、[[ドイツ人]]の医師で[[博物学]]者でもあった[[ゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラー]](ステラー)である。 |
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寒冷適応型のカイギュウ類に1科を立て、ダイカイギュウ科とすることもあり、この場合、ステラーカイギュウは'''ステラーダイカイギュウ'''とされる。 |
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本種は分類的にも尾びれなどの形態的にも、現生種では[[ジュゴン]]ともっとも近縁とされるが、対照的に寒冷適応型であり大きさなどの形態的要素にも大きな違いがあった。 |
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[[日本列島]]では、とくに[[北海道]]と[[東北地方]]から寒冷適応型のカイギュウ類の[[化石]]が比較的に多く発見されており、発掘例は約30体に達する。それの中にはステラーカイギュウの祖先に当たると思われる同属のピリカカイギュウ、{{仮リンク|ハーレム (動物学)|label=クエスタカイギュウ|en|Cuesta sea cow)}}に非常に近縁とされる、{{仮リンク|ハーレム (動物学)|label=タキカワカイギュウ|en|Takikawa sea cow}}、世界最古の大型カイギュウの一種とされるサッポロカイギュウ<ref>[https://hokkaido-digital-museum.jp/facility/sapporomuseum/ 札幌市博物館活動センター]</ref>、ステラーカイギュウそのものの化石であるキタヒロシマカイギュウ([[北広島市]]標本)が含まれている。 |
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また、[[2007年]]5月、東京都[[狛江市]]を流れる[[多摩川]]河床の約120万年前の[[地層]]から発見された大型カイギュウ類の全身骨格化石は、祖先種からステラーカイギュウに進化する途中の新種と見られている。この化石は、あごから尾まで全身の100個以上の骨がほぼそろっており、幼獣ながら全長5 - 6メートルと推定される。[[肋骨]]は左右に20個ずつあり、ステラーカイギュウより1個多く、その祖先種より1個少ないことから、進化の過程で肋骨を減らしつつあった中間種とみられる。 |
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== 形態 == |
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[[画像:Pallas Sea Cow.jpg|thumb|left|直接の観察の下に描かれたとされている唯一の絵画。]] |
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[[画像:Steller's sea cow skull.jpg|thumb|left|頭蓋骨の化石]] |
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[[画像:Em - Hydrodamalis gigas model.jpg|thumb|left|復元模型]] |
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本種は体長は7 - 9メートル、体重は8-10トンに達したとされており、現生カイギュウ類として最大であっただけでなく、現生哺乳類でも[[鯨類]]に次ぐ巨大な動物であった<ref>{{cite book |last1=Marsh |first1=Helene |author-link1=Helene Marsh |last2=O'Shea |first2=Thomas J. |last3=Reynolds III |first3=John E. |year=2011 |title=Ecology and Conservation of the Sirenia: Dugongs and Manatees |chapter=Steller's sea cow: discovery, biology and exploitation of a relict giant sirenian |publisher=[[Cambridge University Press]] |location=New York, New York |isbn=978-0-521-88828-8 |oclc=778803577 |pages=18–35 |chapter-url={{Google books|plainurl=yes|id=7pQgAwAAQBAJ|page=front}}}}</ref><ref>{{cite journal |last=Scheffer |first=Victor B. |author-link=Victor Blanchard Scheffer |date=November 1972 |title=The Weight of the Steller Sea Cow |journal=[[Journal of Mammalogy]] |doi=10.2307/1379236 |jstor=1379236 |volume=53 |number=4 |pages=912–914 }}</ref>。 |
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ステラーカイギュウは、体が巨大なことのほかにも、暖海性の[[ジュゴン]]や[[マナティー]]とは異なった特徴をいくつかもつ。際立った特徴の1つとして、ステラーカイギュウの成獣は、[[歯]]が退化して、ほとんどなくなっていた。彼らは、上顎と下顎の先に、登山靴の裏側のように細かい溝のついた固い角質の、[[嘴]]のような板をもち、よく動く[[唇]]とこの嘴を使って、岩に付いたコンブなどを噛みちぎって食べていた。 |
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また、{{要検証範囲|ステラーカイギュウのひれ状になった前足は、[[指]]の骨が完全に[[退化]]してなくなっていた。|date=2010年10月|title=右の写真を見ると全くそうは見えないのですが?}}近縁種のジュゴンも、[[アザラシ]]類も、クジラでさえ、5列に並んだ指の骨をもっており、このことは、ステラーカイギュウが非常に高い水準で海中生活に適応していたことを示している<ref>[[今泉忠明]]『絶滅野生動物事典』、[[角川ソフィア文庫]]、2020年、170頁</ref>。この前足は、体の中心に向かってかぎ型に曲がっており、骨格の構造から、彼らはこの前足を前後に動かして、岩に付いた藻をはぎ取ったり、水底を歩いたりしていたと考えられる。 |
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ステラーカイギュウの頭部は体に比べて小さく、[[首]]が短くて、胴体との境界はあまりはっきりしていなかった。[[目]]は小さく、口の周りには太い[[毛 (動物)|毛]]が生えていた。外から見た[[耳]]は豆粒大の大きさしかなく、あまり目立たなかったが、内耳の構造は発達しており、音はよく聞こえていたと考えられる。首の構造は非常に柔軟で、あまり体を動かさなくても広い範囲の餌を食べることができたと考えられる。 |
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[[尾]]は大きく平らで、先は[[クジラ]]の尾のように二股に分かれていた。その体を包む黒く丈夫な皮膚は、数多くのしわが刻まれ、厚さは2.5センチメートルもあり、木の皮のようだった。皮膚の下の脂肪層は10-20センチメートル以上もあった。 |
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== 分布 == |
== 分布 == |
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[[画像:F John Series 2 Rhytina card 20.jpg|thumb|ステラーカイギュウの群れ。]] |
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[[ベーリング海]]に分布していた<ref name="iucn" />。 |
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発見当時は[[ベーリング海]]に分布していた<ref name="iucn" />。[[タイプ (分類学)|模式標本]]の産地(基準産地・タイプ産地・模式産地)は[[ベーリング島]]<ref name="shoshani" />。 |
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発見当時、ステラーカイギュウはすでに、[[コマンドルスキー諸島]]などの限られた地域にしか生息していなかったが、[[更新世]]には[[房総半島]]までの[[日本列島]]の沿岸<ref>{{cite journal|first1=H.|last1=Furusawa|first2=N.|last2=Kohno|year=1994|title=Steller's sea-cow (Sirenia: ''Hydrodamalis gigas'') from the Middle Pleistocene Mandano Formation of the Boso Peninsula, central Japan|journal=Japanese Paleontological Society|volume=56|doi=10.14825/kaseki.56.0_26|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/kaseki/56/0/56_KJ00003661858/_pdf/-char/ja|language=ja}}</ref>から[[北米大陸]]の[[カリフォルニア州]]あたりまで分布していたことがわかる。その後、[[アリューシャン列島]]やその近辺に棲息が限定されたのは、気候変動だけでなく人類の影響も考えられる。 |
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[[タイプ (分類学)|模式標本]]の産地(基準産地・タイプ産地・模式産地)は[[ベーリング島]]<ref name="shoshani" />。 |
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北海道[[北広島市]]で発見されたステラーカイギュウ北広島標本は、北広島市中央公民館・[[北海道博物館|北海道開拓記念館]]に展示されている。この化石は、唯一のステラーカイギュウ化石と言われていたが、後に[[房総半島]]([[千葉県]])でもステラーカイギュウの化石が発見されている。 |
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== 生態 == |
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[[画像:Die Gartenlaube (1898) b 0416 1.jpg|thumb|想像図。]] |
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寒冷域に適応したために分厚い皮下脂肪を持っており、防寒用だけでなく、氷や岩で体に擦り傷が付くのを防いでいたと思われる。 |
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おそらくほとんど潜水できず、丸く隆起した背中の上部を、常に転覆したボートの船底のように水の外にのぞかせた状態で漂っていた。島の周辺の浅い海に、群れを作って暮らしていた。多くの個体の水に浸かった部分の皮膚には、数多くの小さな[[甲殻類]]が寄生しており、解剖した腸の中には[[線虫]]が寄生していたという。 |
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氷が流れ去るまで沖合いにいて、春になって氷がなくなると、再び海藻を食べ始るが、この春の初めに繁殖活動に入り、1年以上の[[妊娠]]期間を経て、1子を産んだと思われる。子どもたちは群れの中央で育てられ、つがいの絆はたいへん強かった、とシュテラーは記している。 |
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ステラーカイギュウたちは動作が鈍く、人間に対する警戒心ももち合わせていなかった。人間からの攻撃に対しても有効な防御の方法ももたず、ひたすら海底にうずくまるだけだった。また、仲間が殺されると助けようとするように集まってくる習性があった。特に、メスが傷つけられたり殺されたりすると、オスが何頭も寄ってきて取り囲み、突き刺さった銛やからみついたロープをはずそうとした。そのような習性も、ハンターたちに利用されることになった。 |
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=== 食性 === |
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[[画像:Rhytinae Stelleri dentes.jpg|thumb|本種の歯]] |
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潮に乗って海岸の浅瀬に集まり、[[コンブ]]などの褐藻類を食べた。冬になって[[流氷]]が海岸を埋めつくすと、絶食状態になり、脂肪が失われてやせ細った。このときのステラーカイギュウは、皮膚の下の[[骨]]が透けて見えるほどだったという。 |
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海藻類は非常に歴史の古い植物群であるにもかかわらず、現生の脊椎動物において海藻類を主食とするのはほぼカイギュウ類と[[ウミイグアナ]]に限定される。なお、ウミイグアナは[[アオサ藻綱|アオサ類]]や[[石灰藻類]]を主に食べるが、上記の通り、ステラーカイギュウはコンブ類などの[[褐藻類]]を食べていたとされる。 |
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現存する暖海性のカイギュウ類と同様、ステラーカイギュウも、コンブを口の中で噛んだりすりつぶすことは、あまりしていなかったと思われる。実際、シュテラーによれば、体の中には非常に大きな[[腸]]が内蔵されていたという。あまり噛み砕かれていない食べ物を完全に消化するために、そのような腸が必要だったのだろう。 |
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=== 生息環境 === |
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シュテラーの観察によると、ステラーカイギュウは浅瀬や海岸線を好み、[[河口]]でも頻繁に見られたとされている<ref name=whitmore>{{cite journal |last1=Whitmore Jr. |first1=Frank C. |last2=Gard Jr. |first2=L. M. |year=1977 |title=Steller's Sea Cow (''Hydrodamalis gigas'') of Late Pleistocene Age from Amchitka, Aleutian Islands, Alaska |journal=Geological Survey Professional Paper |volume=1036<!--|pages=1–18--> |url=http://pubs.usgs.gov/pp/1036/report.pdf |doi=10.3133/pp1036 |series=Professional Paper }}</ref>。 |
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== 寒冷適応型のカイギュウ類 == |
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ステラーカイギュウは、寒冷適応型のカイギュウ類(ステラーカイギュウ亜科)の、最後の生き残りだった。このカイギュウ類の系統は、ジュゴンのような、暖かい海で主に[[アマモ]]などの[[海草]]を食べて暮らすカイギュウ類から派生したが、より寒冷な海に育つ[[コンブ]]などの[[海藻]]類を食べ、体を大きくして大量の[[脂肪]]を蓄えることで、寒冷な気候に適応していた。ステラーカイギュウ以外の[[種 (分類学)|種]]は、有史以前に絶滅している。 |
ステラーカイギュウは、寒冷適応型のカイギュウ類(ステラーカイギュウ亜科)の、最後の生き残りだった。このカイギュウ類の系統は、ジュゴンのような、暖かい海で主に[[アマモ]]などの[[海草]]を食べて暮らすカイギュウ類から派生したが、より寒冷な海に育つ[[コンブ]]などの[[海藻]]類を食べ、体を大きくして大量の[[脂肪]]を蓄えることで、寒冷な気候に適応していた。ステラーカイギュウ以外の[[種 (分類学)|種]]は、有史以前に絶滅している。 |
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== 人間との関係 == |
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なお、海藻類は非常に歴史の古い植物群であるにもかかわらず、これを主な食物とする[[四足動物]]は、これらのカイギュウ類と[[ウミイグアナ]]以外ほとんど知られていない。なお、ウミイグアナは[[アオサ藻綱|アオサ類]]や[[石灰藻類]]を主に食べるが、上記の通り、ステラーカイギュウはコンブ類などの[[褐藻類]]を食べていたとされる。 |
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ステラーカイギュウの減少・絶滅の原因には主に人類による直接的・間接的な影響が指摘されているが、中には[[気候変動]]も本種の減少を後押ししたとする説もある。[[中世の温暖期]]によって[[コンブ]]の生息数や分布が大きく変化したことが、本種の地方絶滅を招いたとする説である<ref name=crerar>{{cite journal |last1=Crerar |first1=Lorelei D. |last2=Crerar |first2=Andrew P. |last3=Domning |first3=Daryl P. |last4=Parsons |first4=E. C. M. |year=2014 |title=Rewriting the history of an extinction—was a population of Steller's sea cows (''Hydrodamalis gigas'') at St Lawrence Island also driven to extinction? |journal=[[Biology Letters]] |doi=10.1098/rsbl.2014.0878 |pmid=25428930 |pmc=4261872 |volume=10 |issue=11 |page=20140878 }}</ref>。 |
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=== ヨーロッパ人による発見以前 === |
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寒冷適応型のカイギュウ類に1科を立て、ダイカイギュウ科とすることもあり、この場合、ステラーカイギュウは'''ステラーダイカイギュウ'''とされる。 |
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[[File:Sea otter with sea urchin.jpg|thumb|ステラーカイギュウの絶滅には世界規模での[[ラッコ]]の[[乱獲]]も間接的に影響を及ぼしていたと考えられている<ref name=kelp />。ラッコの世界的な激減には、欧米人だけでなく、程度の差異こそあれど[[アイヌ人]]をふくむ各地の[[先住民]]や[[日本人]]など他の多数の民族が関与していたために[[膃肭獣保護条約]]などが締結されてきた。]] |
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ステラーカイギュウの減少と絶滅には、人類による直接の狩猟だけでなく、[[ラッコ]]の[[乱獲]]によって[[生態系]]のサイクルが大きく乱されたことに起因する間接的な要素もあったとされる。 |
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一説には、[[ヨーロッパ人]]がステラーカイギュウを発見した際にはすでに'''約2,000頭'''まで減少しており、[[ヴィトゥス・ベーリング]]が本種を発見した時点で'''すでに[[絶滅危惧]]だった'''可能性も指摘されている<ref name=Sharko2021>{{cite journal|first1=F. S.|last1=Sharko|first2=E. S.|last2=Boulygina|display-authors=|title=Steller's sea cow genome suggests this species began going extinct before the arrival of Paleolithic humans|journal=Nature Communications|volume=12|issue=2215|doi=10.1038/s41467-021-22567-5|pmc=8044168|pmid=33850161|year=2021|page=2215|bibcode=2021NatCo..12.2215S}}</ref><ref>{{cite book |last=Ellis |first=Richard |author-link=Richard Ellis (biologist) |title=No Turning Back: The Life and Death of Animal Species |url=https://archive.org/details/noturningbacklif00elli |url-access=registration |publisher=[[Harper Perennial]] |year=2004 |location=New York, New York |isbn=978-0-06-055804-8 |oclc=961898476 |page=[https://archive.org/details/noturningbacklif00elli/page/134 134]}}</ref><ref name=turvey2006>{{cite journal |last1=Turvey |first1=S. T. |last2=Risley |first2=C. L. |year=2006 |title=Modelling the extinction of Steller's sea cow |journal=Biology Letters |pmid=17148336 |doi=10.1098/rsbl.2005.0415 |pmc=1617197 |volume=2 |issue=1 |pages=94–97}}</ref>。 |
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== 絶滅の経緯 == |
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[[アレウト族]]や[[シベリアユピック]]や彼らの祖先などは[[アリューシャン列島]]や[[セント・ローレンス島]]などに定住するようになったが、[[海獣]]を多く利用してきた彼らの移動・移住と共に各地のステラーカイギュウも地方絶滅を迎えた可能性がある。実際に、[[ニア諸島]]でも人類の狩猟対象にされていた可能性が指摘されており<ref>{{cite book |last1=Corbett |first1=D. G. |last2=Causey |first2=D. |last3=Clemente |first3=M. |last4=Koch |first4=P. L. |last5=Doroff |first5=A. |last6=Lefavre |first6=C. |last7=West |first7=D. |year=2008 |title=Human Impacts on Ancient Marine Ecosystems |chapter=Aleut Hunters, Sea Otters, and Sea Cows |publisher=University of California Press |isbn=978-0-520-93429-0 |oclc=929645577 |jstor=10.1525/j.ctt1pphh3 |doi = 10.1525/9780520934290-005 | pages=43–76|s2cid=226791158 }}</ref>、ヨーロッパ人がステラーカイギュウを発見した際にはすでに分布が壊滅的に限定されており、わずかな[[無人島]]にばかり集中していたことと合致しているとされる。しかし、ステラーカイギュウの各地での地方絶滅とこれらの人類(先住民)の相関関係については決定的に立証されたわけではない<ref name=whitmore/><ref name=domning2007 />。 |
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ステラーカイギュウの絶滅に間接的に大きな影響を及ぼしたと考えられている[[ラッコ]]の[[乱獲]]は世界規模で進行していた。ラッコの激減によって[[ウニ]]が激増し、ステラーカイギュウの餌となる海藻類を大幅に減少させたというメカニズムである。ステラーカイギュウの分布域においても、ヨーロッパ人が乱獲を行う以前から[[先住民]]もラッコの乱獲を行ってきた可能性も指摘されているが、先住民のラッコへの依存度は不明瞭な部分が大きい。一方で、先住民にはステラーカイギュウという格好の得物がすでに存在していたため、先住民によるラッコの乱獲はステラーカイギュウが各地で激減や地方絶滅を迎えてから本格的に開始された可能性もある<ref name=kelp>{{cite journal |last1=Estes |first1=James A. |last2=Burdin |first2=Alexander |last3=Doak |first3=Daniel F. |year=2016 |title=Sea otters, kelp forests, and the extinction of Steller's sea cow |journal=[[Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America]] |doi=10.1073/pnas.1502552112 |pmc=4743786 |pmid=26504217 |bibcode=2016PNAS..113..880E |volume=113 |issue=4 |pages=880–885|doi-access=free }}</ref><ref name=Anderson>{{cite journal |last=Anderson |first=Paul K. |date=July 1995 |title=Competition, Predation, and the Evolution and Extinction of Steller's Sea Cow, ''Hydrodamalis gigas'' |journal=[[Marine Mammal Science]] |doi=10.1111/j.1748-7692.1995.tb00294.x |volume=11 |issue=3 |pages=391–394}}</ref>。 |
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=== ヨーロッパ人による発見後 === |
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[[画像:Steller measuring a sea cow.jpg|thumb|狩猟の場面。]] |
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[[デンマーク]]出身の探検家[[ヴィトゥス・ベーリング]]が率いる[[ロシア帝国]]の第2次カムチャツカ探検隊は、[[1741年]]11月のはじめに遭難した。[[アラスカ]]探検の帰途、[[カムチャツカ半島]]のペトロハバロフスク港を目指して、[[アリューシャン列島]]づたいに西行していた探検船セント・ピョートル号が、嵐に遭遇し、カムチャツカ半島の東の沖200キロメートルに位置する[[コマンドルスキー諸島]]の[[無人島]](現[[ベーリング島]])で座礁した。 |
[[デンマーク]]出身の探検家[[ヴィトゥス・ベーリング]]が率いる[[ロシア帝国]]の第2次カムチャツカ探検隊は、[[1741年]]11月のはじめに遭難した。[[アラスカ]]探検の帰途、[[カムチャツカ半島]]のペトロハバロフスク港を目指して、[[アリューシャン列島]]づたいに西行していた探検船セント・ピョートル号が、嵐に遭遇し、カムチャツカ半島の東の沖200キロメートルに位置する[[コマンドルスキー諸島]]の[[無人島]](現[[ベーリング島]])で座礁した。 |
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乗員たちの多くは[[壊血病]]にかかっており、飢えと寒さの中、半数以上が死亡した。指揮官のベーリング自身も12月に他界したが、残された人々は、座礁したセント・ピョートル号の船体から新しいボートを建造し、翌[[1742年]]8月に島を脱出した。その指揮に当たったのが |
乗員たちの多くは[[壊血病]]にかかっており、飢えと寒さの中、半数以上が死亡した。指揮官のベーリング自身も12月に他界したが、残された人々は、座礁したセント・ピョートル号の船体から新しいボートを建造し、翌[[1742年]]8月に島を脱出した。その指揮に当たったのが[[ゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラー]]である。10ヶ月に及ぶ航海の末に[[ペトロパブロフスク・カムチャツキー|ペトロパブロフスク]]港にたどり着いた彼らは、英雄として迎えられた。 |
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[[画像:F John Series 2 Rhytina card 20.jpg|thumb|ステラーカイギュウの群れ。1902年の絵画]] |
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シュテラーは、探検中に見られた[[ラッコ]]や[[オットセイ]]などの毛皮獣のほかに、[[メガネウ]]という[[鳥類|鳥]](この鳥も、発見されたことが影響して結果的に絶滅する)と、遭難先の無人島(ベーリング島)で発見された巨大なカイギュウについても報告した。そのカイギュウは、長さ7.5メートル、胴回りが6.2メートルもあり、島の周辺に2,000頭ほどが生息すると推定された。シュテラーの航海日誌(ジャーナル)には、次のように記されている。「その島の海岸全域、特に川が海に注ぎ、あらゆる種類の海草が繁茂している場所には、われわれロシア人が『モールスカヤ・カローヴァ』({{lang-ru|морская корова}}; “海の牛”)と呼ぶカイギュウが、1年の各期を通じて、大挙して姿を現す」。 |
シュテラーは、探検中に見られた[[ラッコ]]や[[オットセイ]]などの毛皮獣のほかに、[[メガネウ]]という[[鳥類|鳥]](この鳥も、発見されたことが影響して結果的に絶滅する)と、遭難先の無人島(ベーリング島)で発見された巨大なカイギュウについても報告した。そのカイギュウは、長さ7.5メートル、胴回りが6.2メートルもあり、島の周辺に2,000頭ほどが生息すると推定された。シュテラーの航海日誌(ジャーナル)には、次のように記されている。「その島の海岸全域、特に川が海に注ぎ、あらゆる種類の海草が繁茂している場所には、われわれロシア人が『モールスカヤ・カローヴァ』({{lang-ru|морская корова}}; “海の牛”)と呼ぶカイギュウが、1年の各期を通じて、大挙して姿を現す」。 |
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約10年後の[[1751年]]になって、シュテラーはこの航海で得たラッコやアシカなどを含む数々の発見に関する観察記を発行している。[[アラスカ]]では見かけなかったこの動物についても、彼は体の特徴や生態などを詳しく記録している。 |
約10年後の[[1751年]]になって、シュテラーはこの航海で得たラッコやアシカなどを含む数々の発見に関する観察記を発行している。[[アラスカ]]では見かけなかったこの動物についても、彼は体の特徴や生態などを詳しく記録している。 |
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ハンターたちにとって好都合なことに、 |
ハンターたちにとって好都合なことに、本種は巨大ながらも簡単に捕殺できる生態的特徴や習性を持ち合わせており、[[銛]]や[[ライフル銃|ライフル]]で殺すことは容易だったが、何トンにもなる巨体を陸まで運ぶことは難しいため、ハンターたちはカイギュウをモリなどで傷つけておいて、海上に放置した。出血多量により死亡したカイギュウの死体が岸に打ち上げられるのを待ったのだが、波によって岸まで運ばれる死体はそれほど多くはなく、殺されたカイギュウたちのうち、5頭に4頭はそのまま海の藻屑となった。 |
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ステラーカイギュウには、仲間が殺されると、それを助けようとするように集まってくる習性があった。特に、メスが傷つけられたり殺されたりすると、オスが何頭も寄ってきて取り囲み、突き刺さった銛やからみついたロープをはずそうとした。そのような習性も、ハンターたちに利用されることになった。 |
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[[1768年]]、シュテラーの昔の仲間であったイワン・ポポフという者(マーチンの説もあり)が島へ渡り、「まだダイカイギュウが2、3頭残っていたので、殺した」と報告しているが、これがステラーカイギュウの最後の記録となった。ステラーカイギュウは、発見後わずか27年で姿を消したことになる。<!-- ちなみに、[[大黒屋光太夫]]たちが、同じアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着するのは、1783年7月のことである。--> |
[[1768年]]、シュテラーの昔の仲間であったイワン・ポポフという者(マーチンの説もあり)が島へ渡り、「まだダイカイギュウが2、3頭残っていたので、殺した」と報告しているが、これがステラーカイギュウの最後の記録となった。ステラーカイギュウは、発見後わずか27年で姿を消したことになる。<!-- ちなみに、[[大黒屋光太夫]]たちが、同じアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着するのは、1783年7月のことである。--> |
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その後もステラーカイギュウではないかと思われる海獣の捕獲や目撃が何度か報告されている。最も新しい報告例では、1962年7月のベーリング海で[[ソビエト社会主義共和国連邦|ソ連]]の科学者によって6頭の見慣れぬ巨大な海獣が観察されているが、それがステラーカイギュウなのか他の海獣類を見間違えたのかは不明。 |
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また、ステラーカイギュウの絶滅に伴い、[[クジラジラミ]]の一種でステラーカイギュウに寄生するCyamus rhytinaeも絶滅したとみられている。 |
また、ステラーカイギュウの絶滅に伴い、[[クジラジラミ]]の一種でステラーカイギュウに寄生するCyamus rhytinaeも絶滅したとみられている。 |
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=== 未確認の絶滅後の記録 === |
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== 形態・生態的特徴 == |
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絶滅したとされた後にもステラーカイギュウではないかと思われる海獣の捕獲や目撃が何度か報告されている。 |
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[[画像:Rhytinae Stelleri dentes.jpg|thumb|ステラーカイギュウの「歯」]] |
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ステラーカイギュウは、体長は7メートルを超え、一説には最大8.5メートルに達し、体重は5-12トンあったと言われている。現生カイギュウ類としては最大だった。おそらくほとんど潜水できず、丸く隆起した背中の上部を、常に転覆したボートの船底のように水の外にのぞかせた状態で漂っていた。島の周辺の浅い海に、群れを作って暮らしていた。潮に乗って海岸の浅瀬に集まり、コンブなどの褐藻類を食べた。冬になって[[流氷]]が海岸を埋めつくすと、絶食状態になり、脂肪が失われてやせ細った。このときのステラーカイギュウは、皮膚の下の[[骨]]が透けて見えるほどだったという。 |
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[[アッツ島]]では1800年代まで狩猟が行われていたとされる報告が存在する<ref name=domning2007>{{cite journal |last1=Domning |first1=Daryl P. |last2=Thomason |first2=James |last3=Corbett |first3=Debra G. |year=2007 |title=Steller's sea cow in the Aleutian Islands |journal=Marine Mammal Science |doi=10.1111/j.1748-7692.2007.00153.x |volume=23 |issue=4 |pages=976–983 |url=https://www.researchgate.net/publication/227985287}}</ref>。 |
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氷が流れ去るまで沖合いにいて、春になって氷がなくなると、再び海藻を食べ始るが、この春の初めに繁殖活動に入り、1年以上の[[妊娠]]期間を経て、1子を産んだと思われる。子どもたちは群れの中央で育てられ、つがいの絆はたいへん強かった、とシュテラーは記している。 |
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最も新しい報告例では、1963年7月に[[カムチャッカ半島]]の[[アナディリ湾]]で[[ソビエト社会主義共和国連邦|ソ連]]の科学者によって6頭の見慣れぬ体長6-8メートル程の[[海獣]]の群れが観察されているが、それがステラーカイギュウなのか他の海獣類を見間違えたのかは不明である。この動物達は浅瀬で海藻を食べており、長い鼻と分岐した唇を持っていたとされる<ref>{{cite book |last=Silverberg |first=R. |year=1973 |title=The Dodo, the Auk and the Oryx |publisher=[[Puffin Books]] |location=London, United Kingdom |isbn=978-0-14-030619-4 |oclc=473809649 |page=83}}</ref>。 |
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ステラーカイギュウは、体が巨大なことのほかにも、暖海性の[[ジュゴン]]や[[マナティー]]とは異なった特徴をいくつかもつ。際立った特徴の1つとして、ステラーカイギュウの成獣は、[[歯]]が退化して、ほとんどなくなっていた。彼らは、上顎と下顎の先に、登山靴の裏側のように細かい溝のついた固い角質の、[[嘴]]のような板をもち、よく動く[[唇]]とこの嘴を使って、岩に付いたコンブなどを噛みちぎって食べていた。 |
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また、[[千島列島]]北部、[[カムチャッカ半島]]、[[チュクチ半島]]からも地元の漁師たちによる目撃情報が寄せられている<ref>{{cite journal |url=http://paleoglot.org/files/Berzin&%2063.pdf |last1=Berzin |first1=A. A. |last2=Tikhomirov |first2=E. A. |last3=Troinin |first3=V. I. |translator-last=Ricker |translator-first=W. E. |year=2007 |orig-date=1963 |title=Ischezla li Stellerova korova? |trans-title=Was Steller's sea cow exterminated? |journal=Priroda |volume=52 |issue=8 |pages=73–75}}</ref><ref>{{cite journal |last1=Bertram |first1=C. |last2=Bertram |first2=K. |year=1964 |title=Does the 'extinct' sea cow survive? |journal=[[New Scientist]] |volume=24 |number=415 |page=313 |url={{Google books|plainurl=yes|id=Fa8-AQAAIAAJ|page=313}}}}</ref>。 |
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現存する暖海性のカイギュウ類と同様、ステラーカイギュウも、コンブを口の中で噛んだりすりつぶすことは、あまりしていなかったと思われる。実際、シュテラーによれば、体の中には非常に大きな[[腸]]が内蔵されていたという。あまり噛み砕かれていない食べ物を完全に消化するために、そのような腸が必要だったのだろう。 |
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[[Image:Hydrodamalis.jpg|thumb|300px|全身骨格]] |
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また、{{要検証範囲|ステラーカイギュウのひれ状になった前足は、[[指]]の骨が完全に[[退化]]してなくなっていた。|date=2010年10月|title=右の写真を見ると全くそうは見えないのですが?}}近縁種のジュゴンも、[[アザラシ]]類も、クジラでさえ、5列に並んだ指の骨をもっており、このことは、ステラーカイギュウが非常に高い水準で海中生活に適応していたことを示している<ref>[[今泉忠明]]『絶滅野生動物事典』、[[角川ソフィア文庫]]、2020年、170頁</ref>。この前足は、体の中心に向かってかぎ型に曲がっており、骨格の構造から、彼らはこの前足を前後に動かして、岩に付いた藻をはぎ取ったり、水底を歩いたりしていたと考えられる。多くの個体の水に浸かった部分の皮膚には、数多くの小さな[[甲殻類]]が寄生しており、解剖した腸の中には[[線虫]]が寄生していたという。 |
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ステラーカイギュウの頭部は体に比べて小さく、[[首]]が短くて、胴体との境界はあまりはっきりしていなかった。[[目]]は小さく、口の周りには太い[[毛 (動物)|毛]]が生えていた。外から見た[[耳]]は豆粒大の大きさしかなく、あまり目立たなかったが、内耳の構造は発達しており、音はよく聞こえていたと考えられる。首の構造は非常に柔軟で、あまり体を動かさなくても広い範囲の餌を食べることができたと考えられる。 |
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[[尾]]は大きく平らで、先は[[クジラ]]の尾のように二股に分かれていた。その体を包む黒く丈夫な皮膚は、数多くのしわが刻まれ、厚さは2.5センチメートルもあり、木の皮のようだった。皮膚の下の脂肪層は、10-20センチ以上あった。これは寒さから身を守るとともに、氷や岩で体に擦り傷が付くのを防いでいたと思われる。 |
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発見当時、ステラーカイギュウはすでに、コマンドル諸島などの限られた地域にしか生息していなかったが、10万年前の化石をみると、かつては日本沿岸から[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[カリフォルニア州]]あたりまで分布していたことがわかる。その後アリューシャンの島々にしか棲まなくなったのは気候の変化のためだが、1万2,000-1万4,000年前ごろにこの地域に人間が定住するようになったことも、部分的に影響しているかもしれない。 |
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== 標本 == |
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[[東海大学自然史博物館]]に、ステラーカイギュウの全身骨格標本が展示されている。これはロシアで捕獲されたものの複製である。 |
[[東海大学自然史博物館]]に、ステラーカイギュウの全身骨格標本が展示されている。これはロシアで捕獲されたものの複製である。 |
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専門家によるステラーカイギュウの唯一の観察記録は、シュテラー自身によるものだが、[[鳥羽水族館]]では、これに基づいて、ステラーカイギュウの復元標本の作成が何度か試みられている。 |
専門家によるステラーカイギュウの唯一の観察記録は、シュテラー自身によるものだが、[[鳥羽水族館]]では、これに基づいて、ステラーカイギュウの復元標本の作成が何度か試みられている。 |
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2017年11月、コマンドルスキー諸島において、[[マリア・シトワ]]らの研究チームが全長が5メートルを超えるほぼ完全な姿の骨格を発掘した。[[ジョージ・メイソン大学]]の[[ローレライ・クレラー]]によれば、これはステラーが発見したものの置いて行かざるを得なかった個体かもしれないという<ref>{{Cite web|和書|date=2017-11-27 |url=http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/112400455/ |title=絶滅した巨大カイギュウの骨格を発見、ロシア |publisher=ナショナルジオグラフィック | |
2017年11月、コマンドルスキー諸島において、[[マリア・シトワ]]らの研究チームが全長が5メートルを超えるほぼ完全な姿の骨格を発掘した。[[ジョージ・メイソン大学]]の[[ローレライ・クレラー]]によれば、これはステラーが発見したものの置いて行かざるを得なかった個体かもしれないという<ref>{{Cite web|和書|date=2017-11-27 |url=http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/112400455/ |title=絶滅した巨大カイギュウの骨格を発見、ロシア |publisher=ナショナルジオグラフィック |access-date=2017-11-30}}</ref>。 |
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== 化石 == |
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[[画像:Steller's sea cow skull.jpg|thumb|ステラーカイギュウの頭蓋骨の化石]] |
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日本でも、北海道と[[東北地方]]から、寒冷適応型のカイギュウ類の[[化石]]が、のべ30体ほど発見されており、その中にはステラーカイギュウの祖先に当たると思われる同属のピリカカイギュウや、ステラーカイギュウそのものの化石であるキタヒロシマカイギュウ(ステラーカイギュウ北広島標本)が含まれている。 |
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北海道[[北広島市]]で発見されたステラーカイギュウ北広島標本は、北広島市中央公民館・[[北海道博物館|北海道開拓記念館]]に展示されている。この化石は、唯一のステラーカイギュウ化石と言われていたが、後に[[房総半島]]([[千葉県]])でもステラーカイギュウの化石が発見されている。 |
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また、[[2007年]]5月、東京都[[狛江市]]を流れる[[多摩川]]河床の約120万年前の[[地層]]から発見された大型カイギュウ類の全身骨格化石は、祖先種からステラーカイギュウに進化する途中の新種と見られている。この化石は、あごから尾まで全身の100個以上の骨がほぼそろっており、幼獣ながら全長5 - 6メートルと推定される。[[肋骨]]は左右に20個ずつあり、ステラーカイギュウより1個多く、その祖先種より1個少ないことから、進化の過程で肋骨を減らしつつあった中間種とみられる。 |
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2024年5月2日 (木) 17:44時点における版
ステラーカイギュウ | ||||||||||||||||||||||||||||||
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ステラーカイギュウ Hydrodamalis gigas
| ||||||||||||||||||||||||||||||
保全状況評価[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||
EXTINCT (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) | ||||||||||||||||||||||||||||||
分類 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
Hydrodamalis gigas (Zimmerman, 1780)[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||
シノニム | ||||||||||||||||||||||||||||||
Manati gigas Zimmermann, 1780[2] | ||||||||||||||||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
ステラーカイギュウ[3] | ||||||||||||||||||||||||||||||
英名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
Steller's sea cow[2] | ||||||||||||||||||||||||||||||
後期更新世以降の分布図
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ステラーカイギュウ(Hydrodamalis gigas)は、海牛目ジュゴン科ステラーカイギュウ属に分類される哺乳類。絶滅種。
分類
本種の種名の由来は、ドイツ人の医師で博物学者でもあったゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラー(ステラー)である。
寒冷適応型のカイギュウ類に1科を立て、ダイカイギュウ科とすることもあり、この場合、ステラーカイギュウはステラーダイカイギュウとされる。
本種は分類的にも尾びれなどの形態的にも、現生種ではジュゴンともっとも近縁とされるが、対照的に寒冷適応型であり大きさなどの形態的要素にも大きな違いがあった。
日本列島では、とくに北海道と東北地方から寒冷適応型のカイギュウ類の化石が比較的に多く発見されており、発掘例は約30体に達する。それの中にはステラーカイギュウの祖先に当たると思われる同属のピリカカイギュウ、クエスタカイギュウに非常に近縁とされる、タキカワカイギュウ、世界最古の大型カイギュウの一種とされるサッポロカイギュウ[4]、ステラーカイギュウそのものの化石であるキタヒロシマカイギュウ(北広島市標本)が含まれている。
また、2007年5月、東京都狛江市を流れる多摩川河床の約120万年前の地層から発見された大型カイギュウ類の全身骨格化石は、祖先種からステラーカイギュウに進化する途中の新種と見られている。この化石は、あごから尾まで全身の100個以上の骨がほぼそろっており、幼獣ながら全長5 - 6メートルと推定される。肋骨は左右に20個ずつあり、ステラーカイギュウより1個多く、その祖先種より1個少ないことから、進化の過程で肋骨を減らしつつあった中間種とみられる。
形態
本種は体長は7 - 9メートル、体重は8-10トンに達したとされており、現生カイギュウ類として最大であっただけでなく、現生哺乳類でも鯨類に次ぐ巨大な動物であった[5][6]。
ステラーカイギュウは、体が巨大なことのほかにも、暖海性のジュゴンやマナティーとは異なった特徴をいくつかもつ。際立った特徴の1つとして、ステラーカイギュウの成獣は、歯が退化して、ほとんどなくなっていた。彼らは、上顎と下顎の先に、登山靴の裏側のように細かい溝のついた固い角質の、嘴のような板をもち、よく動く唇とこの嘴を使って、岩に付いたコンブなどを噛みちぎって食べていた。
また、ステラーカイギュウのひれ状になった前足は、指の骨が完全に退化してなくなっていた。[要検証 ]近縁種のジュゴンも、アザラシ類も、クジラでさえ、5列に並んだ指の骨をもっており、このことは、ステラーカイギュウが非常に高い水準で海中生活に適応していたことを示している[7]。この前足は、体の中心に向かってかぎ型に曲がっており、骨格の構造から、彼らはこの前足を前後に動かして、岩に付いた藻をはぎ取ったり、水底を歩いたりしていたと考えられる。
ステラーカイギュウの頭部は体に比べて小さく、首が短くて、胴体との境界はあまりはっきりしていなかった。目は小さく、口の周りには太い毛が生えていた。外から見た耳は豆粒大の大きさしかなく、あまり目立たなかったが、内耳の構造は発達しており、音はよく聞こえていたと考えられる。首の構造は非常に柔軟で、あまり体を動かさなくても広い範囲の餌を食べることができたと考えられる。
尾は大きく平らで、先はクジラの尾のように二股に分かれていた。その体を包む黒く丈夫な皮膚は、数多くのしわが刻まれ、厚さは2.5センチメートルもあり、木の皮のようだった。皮膚の下の脂肪層は10-20センチメートル以上もあった。
分布
発見当時はベーリング海に分布していた[1]。模式標本の産地(基準産地・タイプ産地・模式産地)はベーリング島[2]。
発見当時、ステラーカイギュウはすでに、コマンドルスキー諸島などの限られた地域にしか生息していなかったが、更新世には房総半島までの日本列島の沿岸[8]から北米大陸のカリフォルニア州あたりまで分布していたことがわかる。その後、アリューシャン列島やその近辺に棲息が限定されたのは、気候変動だけでなく人類の影響も考えられる。
北海道北広島市で発見されたステラーカイギュウ北広島標本は、北広島市中央公民館・北海道開拓記念館に展示されている。この化石は、唯一のステラーカイギュウ化石と言われていたが、後に房総半島(千葉県)でもステラーカイギュウの化石が発見されている。
生態
寒冷域に適応したために分厚い皮下脂肪を持っており、防寒用だけでなく、氷や岩で体に擦り傷が付くのを防いでいたと思われる。
おそらくほとんど潜水できず、丸く隆起した背中の上部を、常に転覆したボートの船底のように水の外にのぞかせた状態で漂っていた。島の周辺の浅い海に、群れを作って暮らしていた。多くの個体の水に浸かった部分の皮膚には、数多くの小さな甲殻類が寄生しており、解剖した腸の中には線虫が寄生していたという。
氷が流れ去るまで沖合いにいて、春になって氷がなくなると、再び海藻を食べ始るが、この春の初めに繁殖活動に入り、1年以上の妊娠期間を経て、1子を産んだと思われる。子どもたちは群れの中央で育てられ、つがいの絆はたいへん強かった、とシュテラーは記している。
ステラーカイギュウたちは動作が鈍く、人間に対する警戒心ももち合わせていなかった。人間からの攻撃に対しても有効な防御の方法ももたず、ひたすら海底にうずくまるだけだった。また、仲間が殺されると助けようとするように集まってくる習性があった。特に、メスが傷つけられたり殺されたりすると、オスが何頭も寄ってきて取り囲み、突き刺さった銛やからみついたロープをはずそうとした。そのような習性も、ハンターたちに利用されることになった。
食性
潮に乗って海岸の浅瀬に集まり、コンブなどの褐藻類を食べた。冬になって流氷が海岸を埋めつくすと、絶食状態になり、脂肪が失われてやせ細った。このときのステラーカイギュウは、皮膚の下の骨が透けて見えるほどだったという。
海藻類は非常に歴史の古い植物群であるにもかかわらず、現生の脊椎動物において海藻類を主食とするのはほぼカイギュウ類とウミイグアナに限定される。なお、ウミイグアナはアオサ類や石灰藻類を主に食べるが、上記の通り、ステラーカイギュウはコンブ類などの褐藻類を食べていたとされる。
現存する暖海性のカイギュウ類と同様、ステラーカイギュウも、コンブを口の中で噛んだりすりつぶすことは、あまりしていなかったと思われる。実際、シュテラーによれば、体の中には非常に大きな腸が内蔵されていたという。あまり噛み砕かれていない食べ物を完全に消化するために、そのような腸が必要だったのだろう。
生息環境
シュテラーの観察によると、ステラーカイギュウは浅瀬や海岸線を好み、河口でも頻繁に見られたとされている[9]。
ステラーカイギュウは、寒冷適応型のカイギュウ類(ステラーカイギュウ亜科)の、最後の生き残りだった。このカイギュウ類の系統は、ジュゴンのような、暖かい海で主にアマモなどの海草を食べて暮らすカイギュウ類から派生したが、より寒冷な海に育つコンブなどの海藻類を食べ、体を大きくして大量の脂肪を蓄えることで、寒冷な気候に適応していた。ステラーカイギュウ以外の種は、有史以前に絶滅している。
人間との関係
ステラーカイギュウの減少・絶滅の原因には主に人類による直接的・間接的な影響が指摘されているが、中には気候変動も本種の減少を後押ししたとする説もある。中世の温暖期によってコンブの生息数や分布が大きく変化したことが、本種の地方絶滅を招いたとする説である[10]。
ヨーロッパ人による発見以前
ステラーカイギュウの減少と絶滅には、人類による直接の狩猟だけでなく、ラッコの乱獲によって生態系のサイクルが大きく乱されたことに起因する間接的な要素もあったとされる。
一説には、ヨーロッパ人がステラーカイギュウを発見した際にはすでに約2,000頭まで減少しており、ヴィトゥス・ベーリングが本種を発見した時点ですでに絶滅危惧だった可能性も指摘されている[12][13][14]。
アレウト族やシベリアユピックや彼らの祖先などはアリューシャン列島やセント・ローレンス島などに定住するようになったが、海獣を多く利用してきた彼らの移動・移住と共に各地のステラーカイギュウも地方絶滅を迎えた可能性がある。実際に、ニア諸島でも人類の狩猟対象にされていた可能性が指摘されており[15]、ヨーロッパ人がステラーカイギュウを発見した際にはすでに分布が壊滅的に限定されており、わずかな無人島にばかり集中していたことと合致しているとされる。しかし、ステラーカイギュウの各地での地方絶滅とこれらの人類(先住民)の相関関係については決定的に立証されたわけではない[9][16]。
ステラーカイギュウの絶滅に間接的に大きな影響を及ぼしたと考えられているラッコの乱獲は世界規模で進行していた。ラッコの激減によってウニが激増し、ステラーカイギュウの餌となる海藻類を大幅に減少させたというメカニズムである。ステラーカイギュウの分布域においても、ヨーロッパ人が乱獲を行う以前から先住民もラッコの乱獲を行ってきた可能性も指摘されているが、先住民のラッコへの依存度は不明瞭な部分が大きい。一方で、先住民にはステラーカイギュウという格好の得物がすでに存在していたため、先住民によるラッコの乱獲はステラーカイギュウが各地で激減や地方絶滅を迎えてから本格的に開始された可能性もある[11][17]。
ヨーロッパ人による発見後
デンマーク出身の探検家ヴィトゥス・ベーリングが率いるロシア帝国の第2次カムチャツカ探検隊は、1741年11月のはじめに遭難した。アラスカ探検の帰途、カムチャツカ半島のペトロハバロフスク港を目指して、アリューシャン列島づたいに西行していた探検船セント・ピョートル号が、嵐に遭遇し、カムチャツカ半島の東の沖200キロメートルに位置するコマンドルスキー諸島の無人島(現ベーリング島)で座礁した。
乗員たちの多くは壊血病にかかっており、飢えと寒さの中、半数以上が死亡した。指揮官のベーリング自身も12月に他界したが、残された人々は、座礁したセント・ピョートル号の船体から新しいボートを建造し、翌1742年8月に島を脱出した。その指揮に当たったのがゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラーである。10ヶ月に及ぶ航海の末にペトロパブロフスク港にたどり着いた彼らは、英雄として迎えられた。
シュテラーは、探検中に見られたラッコやオットセイなどの毛皮獣のほかに、メガネウという鳥(この鳥も、発見されたことが影響して結果的に絶滅する)と、遭難先の無人島(ベーリング島)で発見された巨大なカイギュウについても報告した。そのカイギュウは、長さ7.5メートル、胴回りが6.2メートルもあり、島の周辺に2,000頭ほどが生息すると推定された。シュテラーの航海日誌(ジャーナル)には、次のように記されている。「その島の海岸全域、特に川が海に注ぎ、あらゆる種類の海草が繁茂している場所には、われわれロシア人が『モールスカヤ・カローヴァ』(ロシア語: морская корова; “海の牛”)と呼ぶカイギュウが、1年の各期を通じて、大挙して姿を現す」。
そのカイギュウ1頭から、3トンあまり(200プード)の肉と脂肪を手に入れることができた[18]。そしてその肉は、子牛に似た味と食感をもっていた。言うまでもなく、遭難中のシュテラーたちにとって、このカイギュウたちは有用な食料源となった。美味であるばかりではなく、比較的長い時間保存することができたため、その肉は彼らが島を脱出する際、たいへん助けとなった。皮は靴やベルト、ボートを波から守るカバーに利用され、ミルクは直接飲まれたほか、バターにも加工された。脂肪は甘いアーモンド・オイルのような味がし、ランプの明かりにも使われた。彼らが生還できたのは、このカイギュウの生息域でそれを有用に利用できたからであった。
ステラーカイギュウと名づけられたこの海獣の話はすぐに広まり、その肉や脂肪、毛皮を求めて、カムチャツカの毛皮商人やハンターたちが、数多くコマンドル諸島へと向かい、乱獲が始まった。
約10年後の1751年になって、シュテラーはこの航海で得たラッコやアシカなどを含む数々の発見に関する観察記を発行している。アラスカでは見かけなかったこの動物についても、彼は体の特徴や生態などを詳しく記録している。
ハンターたちにとって好都合なことに、本種は巨大ながらも簡単に捕殺できる生態的特徴や習性を持ち合わせており、銛やライフルで殺すことは容易だったが、何トンにもなる巨体を陸まで運ぶことは難しいため、ハンターたちはカイギュウをモリなどで傷つけておいて、海上に放置した。出血多量により死亡したカイギュウの死体が岸に打ち上げられるのを待ったのだが、波によって岸まで運ばれる死体はそれほど多くはなく、殺されたカイギュウたちのうち、5頭に4頭はそのまま海の藻屑となった。
1768年、シュテラーの昔の仲間であったイワン・ポポフという者(マーチンの説もあり)が島へ渡り、「まだダイカイギュウが2、3頭残っていたので、殺した」と報告しているが、これがステラーカイギュウの最後の記録となった。ステラーカイギュウは、発見後わずか27年で姿を消したことになる。
また、ステラーカイギュウの絶滅に伴い、クジラジラミの一種でステラーカイギュウに寄生するCyamus rhytinaeも絶滅したとみられている。
未確認の絶滅後の記録
絶滅したとされた後にもステラーカイギュウではないかと思われる海獣の捕獲や目撃が何度か報告されている。
アッツ島では1800年代まで狩猟が行われていたとされる報告が存在する[16]。
最も新しい報告例では、1963年7月にカムチャッカ半島のアナディリ湾でソ連の科学者によって6頭の見慣れぬ体長6-8メートル程の海獣の群れが観察されているが、それがステラーカイギュウなのか他の海獣類を見間違えたのかは不明である。この動物達は浅瀬で海藻を食べており、長い鼻と分岐した唇を持っていたとされる[19]。
また、千島列島北部、カムチャッカ半島、チュクチ半島からも地元の漁師たちによる目撃情報が寄せられている[20][21]。
標本
東海大学自然史博物館に、ステラーカイギュウの全身骨格標本が展示されている。これはロシアで捕獲されたものの複製である。
専門家によるステラーカイギュウの唯一の観察記録は、シュテラー自身によるものだが、鳥羽水族館では、これに基づいて、ステラーカイギュウの復元標本の作成が何度か試みられている。
2017年11月、コマンドルスキー諸島において、マリア・シトワらの研究チームが全長が5メートルを超えるほぼ完全な姿の骨格を発掘した。ジョージ・メイソン大学のローレライ・クレラーによれば、これはステラーが発見したものの置いて行かざるを得なかった個体かもしれないという[22]。
出典
- ^ a b c Domning, D. 2016. Hydrodamalis gigas. The IUCN Red List of Threatened Species 2016: e.T10303A43792683. doi:10.2305/IUCN.UK.2016-2.RLTS.T10303A43792683.en. Downloaded on 06 July 2019.
- ^ a b c d e Jeheskel Shoshani, "Order Sirenia," Mammal Species of the World, (3rd ed.), Don E. Wilson & DeeAnn M. Reeder (ed.), Volume 1, Johns Hopkins University Press, 2005, Pages 92-93.
- ^ 川田伸一郎, 岩佐真宏, 福井大, 新宅勇太, 天野雅男, 下稲葉さやか, 樽創, 姉崎智子, 横畑泰志 「世界哺乳類標準和名目録」『哺乳類科学』58巻 別冊、日本哺乳類学会、2018年、1-53頁, doi:10.11238/mammalianscience.58.S1。
- ^ 札幌市博物館活動センター
- ^ Marsh, Helene; O'Shea, Thomas J.; Reynolds III, John E. (2011). “Steller's sea cow: discovery, biology and exploitation of a relict giant sirenian”. Ecology and Conservation of the Sirenia: Dugongs and Manatees. New York, New York: Cambridge University Press. pp. 18–35. ISBN 978-0-521-88828-8. OCLC 778803577
- ^ Scheffer, Victor B. (November 1972). “The Weight of the Steller Sea Cow”. Journal of Mammalogy 53 (4): 912–914. doi:10.2307/1379236. JSTOR 1379236.
- ^ 今泉忠明『絶滅野生動物事典』、角川ソフィア文庫、2020年、170頁
- ^ Furusawa, H.、Kohno, N.「Steller's sea-cow (Sirenia: Hydrodamalis gigas) from the Middle Pleistocene Mandano Formation of the Boso Peninsula, central Japan」『Japanese Paleontological Society』第56巻、1994年、doi:10.14825/kaseki.56.0_26。
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