長野長広
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長野 長広(ながの ながひろ、1892年(明治25年)4月1日[1] – 1965年(昭和40年)3月23日[2])は、日本の衆議院議員(立憲民政党→日本進歩党→民主党→自由党)。文部政務次官、内務政務次官。
経歴
[編集]高知県長岡郡介良村(現在の高知市)出身[3]。1909年(明治42年)、高知県立農林学校を卒業[2]。小学校訓導、高知県立農業学校教諭、熊本農業学校教諭、実業補習学校教員養成所教諭、文部省社会教育官、宇都宮高等農林学校教授を歴任[2]。のち満州国文教部に勤務し、満州国体育連盟理事を兼ねた[3]。
1937年(昭和12年)、衆議院に補欠当選。同年の第20回衆議院議員総選挙で再選を果たした。
戦後は第22回から第26回まで連続5回当選を果たし、その間、第1次吉田内閣で文部政務次官を、片山内閣で内務政務次官を務めた。
著書
[編集]- 『農村教育新論』(同文書院、1931年)
- 『日本農村の新経営』(明文堂、1933年)
- 『青年学校の新経営』(同文書院、1935年)
- 『経済日本の農業政策』(巌松堂、1936年)
- 『義務制下の青年教育』(大日本教化図書、1939年)
- 『皇農 戦時農村の新建設理念』(照林堂書店、1944年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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