金沢市立工業高等学校
金沢市立工業高等学校 | |
---|---|
課題研究で作成されたパノラマ写真の一部 | |
北緯36度35分31.4秒 東経136度36分58.2秒 / 北緯36.592056度 東経136.616167度座標: 北緯36度35分31.4秒 東経136度36分58.2秒 / 北緯36.592056度 東経136.616167度 | |
過去の名称 |
金沢市立工業学校 金沢市立第一工業学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 金沢市 |
学区 | 石川県全域 |
併合学校 | 金沢市立第二工業学校 |
設立年月日 | 1928年 |
創立記念日 | 5月25日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
機械科 電気科 電子情報科 建築科 土木科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D117220100112 |
高校コード | 17150G |
所在地 | 〒920-0344 |
石川県金沢市畝田東一丁目1番地1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
金沢市立工業高等学校(かなざわしりつ こうぎょうこうとうがっこう、英: Kanazawa Municipal Technical High School)石川県金沢市畝田東にある市立の工業高等学校。通称は石川県立工業高等学校の「県工」に対し、「しりこう」『市立(しりつ)工業(こうぎょう)から』と呼ばれることが多く、地元では校名を「金市工(きんしこう、きんいちこう)」と表記されることが多い。石川県立工業高等学校と共に校名表記が無い珍しい学校である[注釈 1]。
設置学科
[編集]概要
[編集]2012年(平成24年)度に新校舎が完成した。金沢市設置の唯一の工業高校であり、「ものづくりコンテスト」への出場や「2級、3級の技能検定」の取得など、資格取得の活動が盛んである。全国的にも2級技能検定を高校生で取得させることは難しく、地域からの高い評価を受けている。教育理念(詳細下記)は「金沢市及び地域産業の発展に貢献する」ことを目的としていることから、地域産業のニーズにあった教育が展開されている。生徒指導について高い評価を得ており、生徒の通学の「傘さしゼロ運動」や「挨拶運動」など実施している。部活動も盛んであり、相撲、水球、吹奏楽などで全国大会入賞をする実績がある。石川県庁や石川県立金沢西高等学校の近くに所在する。
1.教育理念
金沢市立工業高等学校は、金沢市及び地域産業の発展に貢献するために、質実剛健にして勤勉進取の気概を備えた有為なる人材を育成する。
2.校訓
(1) 高い教養と優れた技能を
(2) 責任ある言動と協調の精神を
(3) 勤労の喜びと健全な心身を
3.教育方針
(1) 「ものづくり」の感性と工業の基礎・基本を身に着けた創造性豊かな人材を育成する。
(2) 部活動、生徒会活動、学校行事への積極的な参加を通じて、豊かな人間性や自主・自立の精神、ルール・マナーを守る人材を育成する。
(3) 実習や課題研究を通して、働くことの意義や喜びを実感するとともに、社会の動きに関心を持つ人材を育成する。
沿革
[編集]- 1928年(昭和3年)
- 4月1日 - 金沢市立工業学校が金沢市小将町高等小学校内で開校。
- 5月25日 - 開校式(以後、この日をもって開校記念日と定める)。
- 1930年(昭和5年)8月25日 - 本館新築落成につき移転。
- 1934年(昭和9年)9月1日 - 中等学校卒業を入学資格とする専修科を併設。
- 1935年(昭和10年)3月26日 - 専修科を第二部と改称。
- 1938年(昭和13年)4月11日 - 第二本科(夜間授業)新設。
- 1942年(昭和17年)3月3日 - 第二部廃止。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 校名を金沢市立第一工業学校と変更。
- 1945年(昭和20年)4月1日 - 第二本科を専修科と改称。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 金沢市立工業高等学校(機械・電気・建築・土木課程:本科第一部)を設置。専修科を廃止し、本科第二部(機械・電気・建築課程:定時制夜間授業)併設。金沢市立第二工業学校廃止に伴い同校生徒を編入。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 本科第一部に家庭課程新設。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 本科第一部に電子課程新設。
- 1963年(昭和38年)
- 4月1日 - 本科第一部に精密機械科新設し、家庭科を募集停止。
- 12月25日 - 金沢市畝田町に新校舎竣工、移転。
- 1968年(昭和43年)10月5日 - 創立40周年記念図書館竣工。
- 1978年(昭和53年)9月26日 - 創立50周年記念同窓会館竣工。
- 1979年(昭和54年)4月1日 - 設備工業コース新設。
- 1986年(昭和61年)12月12日 - 特別教育活動学習棟竣工。
- 1987年(昭和62年)11月15日 - CAI教室開設。
- 1989年(平成元年)
- 4月1日 - 本科第一部に電子機械科と情報科を新設。
- 12月20日 - 情報教育実習棟竣工。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 第一実習棟改築竣工。
- 1995年(平成7年)4月1日 - 精密機械科募集停止。
- 1996年(平成8年)11月11日 - 校内LAN完成。
- 1997年(平成9年)7月7日 - 屋内温水プール棟竣工。
- 2000年(平成12年)4月1日 - 機械科と電子機械科、電気科と電子科をくくり募集実施。
- 2001年(平成13年)4月1日 - 本科第一部に機械テクノロジー科と情報システム科を新設。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 2学期制を導入。
- 2005年(平成17年)7月29日 - 新体育館竣工。
- 2008年(平成20年)
- 4月1日 - 本科第一部の機械テクノロジー科を機械科、情報システム科を電気情報科に学科改編。
- 7月30日 - 新第二実習棟竣工。
- 2009年(平成21年)3月‐専攻科廃止。
- 2010年(平成22年)12月1日 - 教室棟・管理棟竣工。
- 2011年(平成23年)3月31日 - 本科第二部(夜間定時制)閉校。
- 2012年(平成24年)4月1日 - 電気情報科を電気科と電子情報科に学科改編。
- 2013年(平成25年)3月24日 - 全館改築竣工。
校歌
[編集]- 校歌 - 作詞:鴻巣盛広、作曲:今井松雄
- 応援歌
- 金工魂
- 千古の鎮め - 「千古の鎮め」の元歌は軍歌の「歩兵の本領」である。
- 野村が丘
- 覇者の腕
- 賛歌
学校行事
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 4月 - 始業式、入学式、定期健康診断、生徒会リーダー研修会
- 5月 - 遠足、1学期中間考査、3年生三者懇談、創立記念日、前期PTA総会、高校相撲金沢大会全校応援
- 6月 - 石川県高校総体・総文、北信越高校体育大会、高文連文化教室、学校周辺クリーン活動
- 7月 - 民間企業求人開始、1学期末考査、校内体育大会、保護者懇談会
- 8月 - 全国高校総体、就業体験 全国ソーラーラジコンコンテスト 高校生ものづくりコンテスト 体験入学
- 9月 - 2学期始業式、石川県高校新人体育大会(前期)、ロボット相撲北信越大会、民間就職試験開始
- 10月 - 2学期中間考査、2年生修学旅行、金工祭(文化祭)、保護者懇談会、アイディアロボット石川県大会、金沢マラソンボランティア活動
- 11月 - 石川県高校新人体育大会(後期)
- 12月 - 2学期末考査、校内読書会
- 1月 - 大学入試センター試験、3学期始業式
- 2月 - 3学期末考査、予餞会、後期PTA総会
- 3月 - 卒業式、3学期終業式
部活動
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
相撲部、水球は毎年のように全国大会で入賞している。吹奏楽部は全日本吹奏楽コンクールに数回出場。測量部ではものづくりコンテストの全国優勝。電気技術部では高校生で全国初の2級技能検定合格など。野球部は第42回と第55回全国高校野球選手権大会に出場。
- 運動部 - サッカー、女子サッカー、野球、バレーボール、バスケットボール、ハンドボール[1]、テニス、バドミントン、卓球、水泳・水球、陸上競技、剣道、弓道、柔道、相撲、チアリーダー、新体操
- 文化部 - 生花、英語、茶道、写真、将棋、新聞、吹奏楽、美術、放送、マイクロコンピュータ、エレクトロニクス、PC検定、建築、メカトロニクス、和装、土木技術、電気技術
- 同好会 - 進学学習クラブ
所在地
[編集]〒920-0344 石川県金沢市畝田東一丁目1番地1
アクセス
[編集]著名な出身者
[編集]- 國見泰央 - プロボクサー
- 塚本勲 - 加賀電子代表取締役社長
- 出島武春 - 元大相撲力士(武蔵川部屋)
- 玉乃島新 - 元大相撲力士(片男波部屋)
- 丹蔵隆浩 - 元大相撲力士(阿武松部屋)
- 武誠山一成 - 元大相撲力士(武蔵川部屋)
- 舛ノ湖大明 - 元大相撲力士(千賀ノ浦部屋)
- 若八嶋泰成 - 元大相撲力士(松ヶ根部屋)
- 朝乃若樹 - 大相撲力士(高砂部屋)
- 朝志雄亮賀 - 大相撲力士(高砂部屋)
- 深井拓斗 - 大相撲力士(高砂部屋)[2][3]
- 東俊介 - 元ハンドボール選手
- 舛田圭太 - バドミントン選手
- 坂井一将 - バドミントン選手[4]
- 米沢外秋(金沢工業学校時代) - 元石川県議会議員、米沢電気工事創業者
- 馬淵良 - 元飛込み選手、1956年メルボルンオリンピック、1960年ローマオリンピック日本代表
- 作野広昭 - 石川県議会議員、元白山市長、元松任市議会議員
注釈
[編集]- ^ 「工業」は「商業」「農業」「実業」などと同様に教育課程上の種別を示す用語であり、通常は「●●工業」などと称される。そのため、「工業」だけでは校名にはならない。
出典
[編集]- ^ “中部地方のハンドボールの強豪校について”. 【SPAIA】スパイア (2017年2月16日). 2020年11月16日閲覧。
- ^ 大相撲7月場所 三段目は深井が優勝 日本放送協会(2020年8月2日、2020年9月6日閲覧)
- ^ 全日本相撲選手権大会で準Vの深井拓斗くんを直撃インタビュー(平成28年度) 羽咋市(2019年1月10日、2020年9月6日閲覧)
- ^ 『チャレンジ東京五輪⑥ 「打倒桃田」諦めない バドミントン坂井一将(日本ユニシス)球の威力、質を上げる』 北國新聞朝刊31面(2019年1月22日、2021年3月26日閲覧)