西村熊雄

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西村 熊雄(にしむら くまお、1899年1月27日 - 1980年11月12日)は、日本外交官

経歴[編集]

佐賀県出身。佐賀中学五高を経て1923年大正12年)、東京帝国大学法学部法律学科(英法)卒業後外務省入省、在中華民国日本国大使館外交官補。入省同期や前後期に井口貞夫(駐米大使、外務事務次官)、田尻愛義(外務次官、大東亜次官、政務局長)、安東義良(駐ブラジル大使、欧亜局長)、伊東隆治(自治政務次官衆議院議員)などがいる。

在フランス日本国大使館書記官を経て、1937年条約局三課長、1940年条約局一課長、1944年ハノイ総領事終戦敗戦)後の1947年から1952年の条約局長時にサンフランシスコ平和条約旧日米安保条約締結の事務にあたる。

1952年から1956年まで駐フランス大使を務め、のちハーグ常設仲裁裁判所判事、原子力委員会委員、財団法人吉田茂記念事業財団役員等を務めた。

著作[編集]

著書
  • 『安全保障条約論』 時事通信社〈時事新書〉、1959年。
  • 『日本外交史27 サンフランシスコ平和条約』鹿島研究所出版会、1971年。
  • 『サンフランシスコ平和条約・日米安保条約-シリーズ戦後史の証言 占領と講和 7』 中央公論新社〈中公文庫〉、1999年。
翻訳

参考[編集]

  • 『日本人名大辞典』講談社