築別駅
築別駅 | |
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駅跡(2011年7月28日) | |
ちくべつ Chikubetsu | |
◄羽幌 (6.7 km) (4.8 km) 天塩有明► | |
所在地 | 北海道苫前郡羽幌町字築別 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 羽幌線 |
キロ程 | 65.0 km(留萠起点) |
電報略号 | チヘ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1941年(昭和16年)12月9日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)3月30日[1] |
乗換 | 羽幌炭礦鉄道(1970年12月25日廃止) |
備考 | 羽幌線廃線に伴い廃駅[1] |
築別駅 | |
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ちくべつ Chikubetsu | |
(2.7 km) 五線► | |
所属事業者 | 羽幌炭礦鉄道 |
所属路線 | 羽幌炭礦鉄道線 |
キロ程 | 0.0 km(築別起点) |
開業年月日 | 1941年(昭和16年)12月14日 |
廃止年月日 | 1970年(昭和45年)12月25日 |
備考 | 路線廃止による。 |
築別駅(ちくべつえき)は、北海道苫前郡羽幌町字築別にあった日本国有鉄道(国鉄)羽幌線・羽幌炭礦鉄道築別炭鉱線の駅(廃駅)である。電報略号はチヘ。事務管理コードは▲121616[2]。
1970年(昭和45年)9月までは急行「はぼろ」の停車駅であったが、末期は一部の普通列車が通過した(1986年(昭和61年)11月1日改定の時刻(廃止時の時刻表)で下りのみ1本(急行「はぼろ」後継の主要駅停車列車。上りは停車)[3])。
歴史
[編集]1970年(昭和45年)に羽幌炭鉱が閉山するまでは、築別炭砿(築別坑)へ向かう羽幌炭礦鉄道が接続した。
また、未成線となった名羽線は当駅から分岐して深名線朱鞠内駅へ接続する計画であり、羽幌炭礦鉄道と重複する当駅から曙駅にかけての区間は、その路盤を利用する予定であった。
- 1941年(昭和16年)
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1957年(昭和32年)11月6日 - 当駅 - 初山別駅間延伸開通に伴い中間駅となる。
- 1961年(昭和36年)1月15日 - 小樽駅・札幌駅 - 当駅間(函館本線、留萠本線、羽幌線経由)の準急「るもい」が運行開始。当初は下りが小樽発、上りが札幌行きだったが、同年10月1日から上下とも小樽発着となる。
- 1962年(昭和37年)5月1日 - 準急「るもい」の運行区間を延長し、札幌駅 - 幌延駅間(函館本線、留萠本線、羽幌線経由)の急行「はぼろ」が運行開始。当駅も停車駅となる。
- 1969年(昭和44年)10月1日 - 業務委託化。
- 1970年(昭和45年)9月7日 - 急行「はぼろ」の停車駅から外され、通過となる。
- 1970年(昭和45年)12月15日 - 羽幌炭礦鉄道線廃止[4]。
- 1982年(昭和57年)3月29日 - 貨物・荷物取り扱い廃止[1]。同時に無人化[5][6]。
- 1987年(昭和62年)3月30日 - 羽幌線の廃線に伴い廃止となる[1]。
駅名の由来
[編集]所在地名より。アイヌ語の「チュクペッ(cuk-pet)」(秋・川)に由来するとされる。この説は永田方正によるもので、山田秀三は永田説を踏まえて、秋にサケの多く上る川があったのではないかと推測している[7][8]。
ただし、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』ではこれと同説を紹介しつつも疑問を呈し、「チケㇷ゚ペッ(ci-ke-p-pet)」(自分・を削った・もの・川=切り立った崖の下を流れる川)由来の説が正しいようだ、としている[7]。
駅構造
[編集]かつては単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線に貨物側線を有する列車交換可能な職員配置駅(地上駅)であったが、廃止時点で、無人駅化の上、線路の西側(幌延方面に向かって左手側)の駅舎に面した単式ホーム1面1線に縮小されていた。このほか、廃止後撤去された島式ホーム跡への1線が側線として残り、ほかに駅舎側に幌延方から分岐した側線を1線有していた[9]。
羽幌炭鉱鉄道が存在した頃は、炭鉱からの石炭車は一旦スイッチバックしてストックヤードに入り、そこから羽幌線に入って留萌方面に向かっていた。留萌駅では道外向けに船積みされたほか、道内向けの分はさらに留萌本線に入り深川駅方面へと輸送された[10]。当時は配給の石炭の質が悪いため、貨車に積まれた羽幌炭を国鉄の職員が夜中にこっそりくすねることも多かったという[10]。
利用状況
[編集]- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は23人[9]。
駅周辺
[編集]- 北海道道356号築別炭砿築別停車場線
- 国道232号(天売国道/日本海オロロンライン)
- 築別郵便局
- 築別川
- 沿岸バス「築別」停留所
駅跡
[編集]1999年(平成11年)時点では荒地になっており、駅前商店が残る[11]。また貨物ホームのみが草生しながら残っている。
隣の駅
[編集]- 日本国有鉄道
- 羽幌線
- 羽幌炭礦鉄道
- 築別炭鉱線(廃止)
- 築別駅 - 五線駅
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、872頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、231頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 時刻表『JNR編集 時刻表 1987年4月号』(弘済出版社、1987年4月発行)JRニュース13ページより。
- ^ a b 「涙のお別れ列車 羽幌炭砿鉄道に終止符」『北海道新聞』1970年12月15日、朝刊。
- ^ 「通報 ●深名線上多度志駅ほか9駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1982年3月29日、3面。
- ^ 「羽幌線 合理化スタート 寂しい無人化築別駅」『北海道新聞』1982年3月30日、朝刊、道北版。
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、108頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ “アイヌ語地名リスト セッ~ツキガ P71”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月14日閲覧。
- ^ a b 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)201ページより。
- ^ a b ⑮築別駅 - 鈴木商店記念館
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVI』(JTBパブリッシング、1999年3月発行)24ページより。