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事件から12年後の[[2003年]]になって、[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による拉致]]の可能性を『[[週刊新潮]]』が[[警察庁]][[警備局]]の関係者の話として伝聞調で伝えて<ref>「失踪、記憶喪失の若人あきらも拉致被害者だった!」『週刊新潮』2003年9月4日号。</ref>、改めて事件がクローズアップされた。これらの北朝鮮拉致説について、若人の反応は、『週刊新潮』の取材申し込みに返答はなく、『[[サンケイスポーツ]]』紙が匿名の関係者からの伝聞の形で「そんなこと、あるわけないじゃないですか」と一笑に付していたことを伝えている<ref>[http://web.archive.org/web/*/http://www.sanspo.com/geino/top/gt200309/gt2003090201.html 若人あきら、改め我修院達也がフジ月9で連ドラ初出演] サンケイスポーツ 2003年[[9月2日]]。</ref>。
事件から12年後の[[2003年]]になって、[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による拉致]]の可能性を『[[週刊新潮]]』が[[警察庁]][[警備局]]の関係者の話として伝聞調で伝えて<ref>「失踪、記憶喪失の若人あきらも拉致被害者だった!」『週刊新潮』2003年9月4日号。</ref>、改めて事件がクローズアップされた。これらの北朝鮮拉致説について、若人の反応は、『週刊新潮』の取材申し込みに返答はなく、『[[サンケイスポーツ]]』紙が匿名の関係者からの伝聞の形で「そんなこと、あるわけないじゃないですか」と一笑に付していたことを伝えている<ref>[http://web.archive.org/web/*/http://www.sanspo.com/geino/top/gt200309/gt2003090201.html 若人あきら、改め我修院達也がフジ月9で連ドラ初出演] サンケイスポーツ 2003年[[9月2日]]。</ref>。

== 監督としての活動 ==
我衆院達也は現在、監督としてショートムービーの制作に参加している。ショートムービーは30分程の長さで、株式会社goingが中心となって制作を行っている。この映画作成の主な目的としては、映画で出演した役者の演技を他の芸能関係者に見てもらい新たな大物の役者を生み出すということである。そのために、定期的にオーディションを行い、ほとんどもしくは全く芸能の仕事の経験がない人を集めて、映画に出演するにふさわしい役者を選定している。しかし、これは表向きの話で、実際の我衆院達也は監督の仕事をほぼ行っていない。ショートムービーの作成では、キャスティング、脚本、撮影、撮影時の指示、編集を全て演技指導の講師に任せている。本人はゲストとして簡単にショートムービーに出演しているが、それ以外は撮影現場でただ傍観しているだけである。場合によっては現場にいないことさえある。また、オーディションで出演者を集める際、goingは仮歌スタッフのアルバイト募集と称してネットで呼び込みをし、事務所に赴いた人にアルバイトではなくオーディションの話を持ち掛け、オーディションに参加させる流れにもっていかせる。オーディションは9割方落ちると言うが、実際は100%通過でき、通過した場合、映画に出るためには多少レッスンを受ける必要があるなどと言い、映画出演のために38万円ものレッスン料を出演者に支払わせる。養成所はgoingが系列するSORA Academyというところで半年間行うが、週に一回3~4時間で内容も非常に薄いものである。映画には辞退しない限り必ず出演できるが、小さな試写会を行う程度で、演技の良し悪しに関わらず、その後別の仕事の話が来ることは一切ない。YouTubeやニコニコ動画でその映画が一応アップされるが、再生数はあってないようなものである。要するに、我衆院達也という名前を釣り餌にし多額のレッスン料を支払わせるという非常に卑劣な行いをしている。


==ものまね==
==ものまね==

2017年5月13日 (土) 00:08時点における版

がしゅういん たつや
我修院 達也
本名 菅野 彰之介
別名義 若人 あきら
生年月日 (1950-12-10) 1950年12月10日(73歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都渋谷区広尾
民族 日本人
血液型 B型
職業 歌手俳優声優
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1956年 -
主な作品
テレビドラマ
ビギナー
映画
鮫肌男と桃尻女
アテレコ
千と千尋の神隠し
ハウルの動く城
バラエティー番組など
オレたちひょうきん族
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我修院 達也(がしゅういん たつや、1950年12月10日 - )は、東京都渋谷区広尾出身の日本歌手俳優声優作詞家作曲家編曲家音楽プロデューサー。身長163cm、体重48kg、血液型B型。本名は「菅野彰之介(すがの あきのすけ)」、旧芸名は「若人 あきら(わかと あきら)」。

一本につながったカモメ型眉が特徴。玄制流空手道1級で双節棍(ヌンチャク)も使える。

来歴・人物

母が元女優であったことから、6歳から子役として活動。映画『私は貝になりたい』(1959年)など多数の有名作品に出演。18歳で「桜一平」として演歌歌手でデビュー。その後は「若戸章わかど あきら)」「若人あきら」と数度の改名を行っている。この当時はナイトクラブで弾き語りをしたり、キャバレーのショー回りで生計を立てる。

テレビで若人あきら名義で郷ひろみの歌真似を隠し芸としてやったのがうけて、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)、『ひるのプレゼント』(NHK)などで一躍人気者となり、レギュラー番組も増えた。

郷ひろみの家族とも旧知の仲で、郷が高熱による急病でベストテン番組(フジテレビ『ビッグベストテン』1980年2月29日放送回)に出演できなかった時、郷の母親の推薦で突如代役として歌ったことがあった。

一時期、番組の中の一企画としてものまね四天王に対抗して、原一平渥美清のものまねが得意)、鯉川のぼる鶴田浩二のものまねが得意)とともに「ものまね大魔王」をテレビ東京の番組の中で結成する。

1991年熱海市の海岸で釣りの最中突然行方不明となり、3日後に小田原市にて記憶喪失状態で発見された(後述)。

「我修院達也知誕」によると逆鯖読みの理由は、16歳で高校中退後、一人で生計を立てる為ナイトクラブで弾き語りをしようとしたが未成年の為に断られ、亡き父のスーツを着て髪型を変え髭を生やしてみると22 - 23歳に老けて見えると言われたことで思いつき、「22歳です!」と6歳上ということにして銀座のナイトクラブで弾き語りを始めたからである。

事件の影響で若人の名前が嫌になった本人は、イメージを刷新すべく、1993年に我修院達也へ4度目の改名(菩提寺の住職に依頼、経文から引用して付けてもらう。ゆえに作曲家のジョージ・ガーシュウィンをもじったのではない)。改名当初は仕事に恵まれず、通信カラオケの編曲やキャバレー回りをしていた。

が、1999年、子供の頃から我修院のファンだったという石井克人に起用され、『鮫肌男と桃尻女』に出演して役者として認知される。さらに、「アスパラドリンク」(田辺製薬)のテレビCM[1]SMAPFly」のプロモーションビデオなど、石井の作品に多く出演。これが注目され、スタジオジブリ作品では声優として参加するなど、独自の地位を確立。

基本的には休みをとらず、テレビや映画撮影、営業ステージのない日も41人の弟子(プロ歌手)の歌唱指導やレコード会社の音楽プロデューサーをやりながら作曲編曲の仕事をしている為にスタジオに籠ることも多い。

2007年12月にリリースされた郷ひろみのシングル曲「Good Times Bad Times」のプロモーションビデオに出演しており、同曲が使われているパチンコ新台「CR GO!GO!郷 2nd STAGE」(ニューギン)でも本人と共演している。2008年11月2日テレビ東京『田舎に泊まろう』に素顔と地声で出演。2011年10月「スマグラー」塚田マサコ(ジジイ)役で出演。その際、石井克人監督の注文により眉間を12年振りに剃り、髭を44年振りに伸ばした。

声色は低音・中音・高音と使い分けている。

失踪事件

1991年3月3日静岡県熱海市和田浜南の防波堤で釣りをしていた若人あきらが行方不明になった。警察に届け出が出され、若人が3日後に発見されるまで大々的な捜索がなされ、同時にワイドショースポーツ新聞女性週刊誌などマスメディアを騒がせることになった。若人あきらを捜索するのにかかった費用は約300万円だったという[1]

事件から12年後の2003年になって、北朝鮮による拉致の可能性を『週刊新潮』が警察庁警備局の関係者の話として伝聞調で伝えて[2]、改めて事件がクローズアップされた。これらの北朝鮮拉致説について、若人の反応は、『週刊新潮』の取材申し込みに返答はなく、『サンケイスポーツ』紙が匿名の関係者からの伝聞の形で「そんなこと、あるわけないじゃないですか」と一笑に付していたことを伝えている[3]

監督としての活動

我衆院達也は現在、監督としてショートムービーの制作に参加している。ショートムービーは30分程の長さで、株式会社goingが中心となって制作を行っている。この映画作成の主な目的としては、映画で出演した役者の演技を他の芸能関係者に見てもらい新たな大物の役者を生み出すということである。そのために、定期的にオーディションを行い、ほとんどもしくは全く芸能の仕事の経験がない人を集めて、映画に出演するにふさわしい役者を選定している。しかし、これは表向きの話で、実際の我衆院達也は監督の仕事をほぼ行っていない。ショートムービーの作成では、キャスティング、脚本、撮影、撮影時の指示、編集を全て演技指導の講師に任せている。本人はゲストとして簡単にショートムービーに出演しているが、それ以外は撮影現場でただ傍観しているだけである。場合によっては現場にいないことさえある。また、オーディションで出演者を集める際、goingは仮歌スタッフのアルバイト募集と称してネットで呼び込みをし、事務所に赴いた人にアルバイトではなくオーディションの話を持ち掛け、オーディションに参加させる流れにもっていかせる。オーディションは9割方落ちると言うが、実際は100%通過でき、通過した場合、映画に出るためには多少レッスンを受ける必要があるなどと言い、映画出演のために38万円ものレッスン料を出演者に支払わせる。養成所はgoingが系列するSORA Academyというところで半年間行うが、週に一回3~4時間で内容も非常に薄いものである。映画には辞退しない限り必ず出演できるが、小さな試写会を行う程度で、演技の良し悪しに関わらず、その後別の仕事の話が来ることは一切ない。YouTubeやニコニコ動画でその映画が一応アップされるが、再生数はあってないようなものである。要するに、我衆院達也という名前を釣り餌にし多額のレッスン料を支払わせるという非常に卑劣な行いをしている。

ものまね

出演作品

テレビドラマ

映画

携帯ドラマ

劇場アニメ

ゲーム

吹き替え

ナレーション

  • 裏ジャニ(2004年4月 - 7月、テレビ東京)
  • YOUたち!(2006年10月 - 2007年10月、日本テレビ)
  • ETV特集〜気になる数〜(2005年10月22日、NHK教育テレビ)

DVD

  • コスプレ幽霊 紅蓮女 DVD-BOX(2008年5月21日、バップ
  • エジソンの母 DVD-BOX(2008年5月21日、UNIVERSAL MUSIC K.K
  • ギョーカイ騒然! ココロにのこらない話 DVD(2009年7月22日) - ナレーション、件(くだん)の声
  • 淳二稲川のねむれない怪談(はなし)1 DVD(2009年8月7日、キングレコード) - 実体験怪談トークに出演

プロモーションビデオ

バラエティ

CM

脚注

  1. ^ 2005年11月23日(水)「東海林のり子の元現場クイズ」 TBSラジオ『ストリーム』公式サイト。
  2. ^ 「失踪、記憶喪失の若人あきらも拉致被害者だった!」『週刊新潮』2003年9月4日号。
  3. ^ 若人あきら、改め我修院達也がフジ月9で連ドラ初出演 サンケイスポーツ 2003年9月2日
  4. ^ ハウルの動く城”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月6日閲覧。
  5. ^ REDLINE”. マッドハウス. 2016年6月24日閲覧。
  6. ^ アルマゲドン”. 日曜洋画劇場. 2016年7月22日閲覧。
  7. ^ [オリラジ藤森]米アニメでチャラ男吹き替えに挑戦 劇中で海荷口説く”. マイコミジャーナル. 2012年8月9日閲覧。

関連項目

外部リンク