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2011年には、本人の意向によりキャプテンに就任した。 |
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うんうん |
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== エピソード == |
== エピソード == |
2011年2月24日 (木) 11:07時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | ユータ | |||||
カタカナ | ミナミ ユウタ | |||||
ラテン文字 | MINAMI Yuta | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1979年9月30日(44歳) | |||||
出身地 | 神奈川県川崎市 | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ロアッソ熊本 | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 18 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
南 雄太(みなみ ゆうた、1979年9月30日 - )は、神奈川県川崎市出生、東京都杉並区出身のプロサッカー選手。Jリーグのロアッソ熊本所属。ポジションはゴールキーパー。
来歴
中学時代は読売ジュニアユースに所属、高校は静岡学園高校に進み1995年度の全国高校サッカー選手権大会優勝に貢献した。1997年にはまだ高校生ながらU-20日本代表に選出、ワールドユースでも正GKとして活躍し、将来を大いに期待された。1998年に柏レイソルに加入。ルーキーイヤーのナビスコカップから正位置を掴み、同年からはシドニー五輪を目指すU-21代表にも継続的に選出されて来た。1999年にはU-20代表の一員としてナイジェリアで行なわれたワールドユースに2大会連続で出場。日本が初めてFIFA主催の国際大会で決勝まで勝ち進むキーマンとして活躍した。しかしながら、以後はキックの精度や集中力に欠ける部分を指摘されることも多くなり、シドニー五輪一次予選を最後に曽ヶ端準に正GKの座を奪われ、U-22代表からも遠ざかってしまった。
2001年にはプロ入り後一度も警告を受けていない点が評価され、Jリーグアウォーズでフェアプレー個人賞を受賞している。2001年11月には、イタリア代表との親善試合前に日本代表GK楢崎正剛と川口能活が負傷したことから、急遽、試合当日にA代表への合流を要請された経験も持つ。ちなみにこの日ピッチにいたGKは五輪予選で南からポジションを奪った曽ヶ端であった。
2006年、柏がJ2に降格し、キャプテンだった明神智和が移籍したことでキャプテンに就任。チームをしっかり牽引し、1年でのJ1復帰に大きく貢献した。
明神らの移籍によって柏の最長在籍選手となり、柏を象徴する選手の一人としてサポーターから愛されたが、2008年シーズン途中に、移籍加入してきた菅野孝憲にポジションを奪われ、2番手GKとなる。それでも腐ることなく、常に試合出場の準備を怠らなかったが、柏が2度目のJ2降格を喫した2009年のオフ、コストカットの目的もあって柏から戦力外通告を受けた。
2010年より、J2のロアッソ熊本に移籍。J1クラブを含め、熊本より条件の良いオファーもいくつか届いていたが、戦力外発表の10分後には最初の連絡をしたという熊本の熱意が決め手になった。1年目は開幕からレギュラーに定着し、自身初となる公式戦全試合フル出場を果たした。
2011年には、本人の意向によりキャプテンに就任した。
エピソード
- 小学校時代はFWであったが、「ライバルが少ないから」という理由で読売ジュニアユースにGKで入団した。中学時代はサッカーよりもバスケットボールの方が好きだったという。
- 2004年5月22日のサンフレッチェ広島戦(広島ビッグアーチ)では、キャッチングしたボールを味方に投げようとした際、手元を誤り、真後ろの自陣ゴールにボールを投げ入れてのオウンゴールという世紀の大失態を犯してしまった。このプレーのために翌週発売の『週刊サッカーダイジェスト』では評価が10段階中の3.0、『週刊サッカーマガジン』では10段階中2.0と、通常は用いられないほどの極めて低い採点がつけられた。このあとの2試合はショックにより、本人の希望でメンバー外となる。
- 2007年からは、前年のチームのJ1昇格を機に「ゼロからやり直したい。」という自身の意向により、前年までつけていた背番号1をアビスパ福岡から移籍してきた水谷雄一に譲り、入団当時の背番号21に変更した。翌年、水谷は退団したため1番は空いたが、それでも南は背番号変更の意思はなく、若手GKの桐畑和繁に譲った。
所属クラブ
ユース経歴
- 宝陽幼稚園サッカー部(東京都杉並区)
- 武蔵丘FC(東京都世田谷区)
- ヴェルディジュニア
- ヴェルディジュニアユース
- 1995年 - 1997年 静岡学園高校
プロ経歴
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | 柏 | 21 | J | 22 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 27 | 0 |
1999 | J1 | 18 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 24 | 0 | ||
2000 | 1 | 20 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 22 | 0 | ||
2001 | 29 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 34 | 0 | |||
2002 | 27 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 35 | 0 | |||
2003 | 26 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 29 | 0 | |||
2004 | 28 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 32 | 0 | |||
2005 | 33 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 39 | 0 | |||
2006 | J2 | 45 | 0 | - | 0 | 0 | 45 | 0 | |||
2007 | 21 | J1 | 33 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 35 | 0 | |
2008 | 10 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 12 | 0 | |||
2009 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |||
2010 | 熊本 | 18 | J2 | 36 | 0 | - | 2 | 0 | 38 | 0 | |
2011 | 18 | - | |||||||||
通算 | 日本 | J1 | 246 | 0 | 35 | 0 | 11 | 0 | 292 | 0 | |
日本 | J2 | 81 | 0 | - | 2 | 0 | 83 | 0 | |||
総通算 | 327 | 0 | 35 | 0 | 13 | 0 | 375 | 0 |
その他の公式戦
- 2004年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2005年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
代表歴
- 1997年 1997 FIFAワールドユース選手権 U-20日本代表
- 1999年 1999 FIFAワールドユース選手権 U-20日本代表
- 2000年 シドニーオリンピック予選日本代表
- 2001年 A代表初選出(出場機会無し)
タイトル
- Jリーグフェアプレー個人賞(2001年)