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史料に見える'''中世海部氏'''について。 |
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*'''海部但馬守'''は1352(正平7)年に[[細川顕氏]](あきうじ)によって、[[山城国]]久世荘の乱暴人を排除するよう命じられた('''平成9年国宝指定「東寺百合文書」'''による)。 |
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*1392(明徳3)年、[[京都五山]]の一つ、[[相国寺]]の落慶供養に、[[管領]]'''細川頼元'''に随従して、月毛の馬に乗って'''海部三郎経清'''が出てくる(「'''相国寺供養記'''」による) |
*1392(明徳3)年、[[京都五山]]の一つ、[[相国寺]]の落慶供養に、[[管領]]'''細川頼元'''に随従して、月毛の馬に乗って'''海部三郎経清'''が出てくる(「'''相国寺供養記'''」による) |
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*1420(応永27)年、阿波[[守護]]'''細川義之'''の若党「'''カイフト云者'''」が登場する(「[[満済]]准后日記」)等々 (以上平成7年版『海南町史』)。 |
*1420(応永27)年、阿波[[守護]]'''細川義之'''の若党「'''カイフト云者'''」が登場する(「[[満済]]准后日記」)等々 (以上平成7年版『海南町史』)。 |
2008年1月8日 (火) 13:35時点における版
かいようちょう 海陽町 | |
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 徳島県 |
郡 | 海部郡 |
市町村コード | 36388-0 |
法人番号 | 8000020363880 |
面積 |
327.67km2 |
総人口 |
7,627人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) |
人口密度 | 23.3人/km2 |
隣接自治体 |
海部郡牟岐町、美波町 那賀郡那賀町 高知県安芸郡東洋町、北川村、馬路村 |
町の木 | 未定 |
町の花 | 未定 |
海陽町役場 | |
町長 | 三浦茂貴 |
所在地 |
〒775-0203 徳島県海部郡海陽町大里字上中須128 |
外部リンク | 海陽町 |
ウィキプロジェクト |
海陽町(かいようちょう)は、徳島県の町。2006年(平成18年)3月31日、 海部郡の海南町、海部町、宍喰町が合併して誕生した。
地理
隣接している自治体
歴史
古い時代には海運が盛んな地域だった。豊富な森林資源と強力な海運力が、古い時代のこの地域の繁栄をもたらした。近代以前の水運は、現代では忘れ去られつつあるものの一つであり、注意が必要である。川の水力によって木材を流し、風と海流と人力という、燃料なしの航海術(エコ技術)で遠距離移動をしていた祖先達のことを、忘れてはなるまい。特産だった木材も刀剣も、近代以前は海運なしには成立しない。
古代
海部地区「芝遺跡」から出土した、3世紀の県外他地域産土器の数は県内最多。調査面積も少なく推測の域を出ないが、この3世紀の時期に徳島・高知ルートとして海上ルートが開発されたと考えられる。弥生時代終わり頃から古墳時代始め頃の土器は、徳島・香川・高知・岡山・関西(海部公民館報・平成17年7月25日号より)。
古墳
大里古墳は県南最大の横穴式円墳。
土佐日記
935年「土佐日記」成立。これによって、紀貫之が阿波南部を船で帰京したことがわかる。寄港地には諸説ある。江戸期前半に土佐藩主参勤交代の港として使われ、江戸期を通じて藩の重要な港だった東洋町甲浦港が当てられることが多い。しかし、古くからの海運の港としては、海陽町の港も、まさるとも劣るまい。
瑩山紹瑾禅師と城満寺
1290年代、海部の郡司によって曹洞宗中興の祖と言われる瑩山紹瑾が、吉田の城満寺に招かれた。曹洞宗には、道元が開いた「永平寺」と、瑩山紹瑾が開いた「總持寺」の、二つの大本山がある。總持寺(瑩山紹瑾)
古銭
1300年代後半、7万88枚の古銭が大里に埋蔵された。
中世海部氏
史料に見える中世海部氏について。
- 海部但馬守は1352(正平7)年に細川顕氏(あきうじ)によって、山城国久世荘の乱暴人を排除するよう命じられた(平成9年国宝指定「東寺百合文書」による)。
- 1392(明徳3)年、京都五山の一つ、相国寺の落慶供養に、管領細川頼元に随従して、月毛の馬に乗って海部三郎経清が出てくる(「相国寺供養記」による)
- 1420(応永27)年、阿波守護細川義之の若党「カイフト云者」が登場する(「満済准后日記」)等々 (以上平成7年版『海南町史』)。
このように、中世海部氏は、文献上では、まず京都に登場して、その名を知られる。中世阿波と細川氏の関係は深い。
中世海運
1445年東大寺伝来史料「兵庫北関入船納帳」によれば、海部船籍の船の兵庫への入港数は「四国一」、全体で見ても10位である(参考文献:林屋辰三郎編『兵庫北関入船納帳』中央公論美術出版・昭和56年)。
「兵庫北関入船納帳」というのは、東大寺の荘園であった兵庫北関(現神戸市兵庫区)において、文安2年(1445年)1年間にチェックされた入船の貨物状況を記録した帳簿である。林屋辰三郎氏が発見した。中世の関税台帳としては、同種史料がドイツハンザ同盟都市に1点残存しているのみという、極めて稀有の文献。記載内容は、入船月日・船籍所在地・貨物名。数量・関銭額・納入月日・船主名・問丸名。 千葉県佐倉「国立歴史民俗博物館」では、その貴重性のため「兵庫北関入船納帳」の複製が展示されている。
入港船数15隻以上の四国の港湾(千葉県佐倉「国立歴史民俗博物館」パンフレットNO.16より)
- 阿波(海部54・宍喰20・平島19)
- 土佐(甲浦26)
- 讃岐(宇多津47・塩飽35・嶋(小豆島か)29・引田21・三本松20・平山19)
- 伊予(弓削嶋26)
以上のように、中世阿波海部の海運は、唯一史料「兵庫北関入船納帳」によるならば、「四国一」なのである。
木材
このように、1445年当時は、海陽町から神戸まで、盛んに船が往来していた。積荷は木材である。なぜこのような遠い所から京都まで、木材のような大きな物を運んだのだろうか。それは、日本では、室町中期まで植林が行われず、浪費するばかりで、木がなくなってしまったことによる。
南北朝の動乱で、京都・畿内近国は戦場と化し、森林資源の浪費に拍車をかけた。京都五山の造営が始まった頃には、畿内の森林は伐り尽くされ、用材は遠隔地の山奥へと求められた。
しかし、大木があるだけでは伐り出しても運べない。海に近いか、いかだ流しができる大河川の流域沿いであることが必須である。その結果、東山道の美濃・飛騨と、南海道の阿波・土佐が選ばれた。
「兵庫北関入船納帳」によれば、
- 由良(淡路島)1万1640石、海部(阿波)9450石
- 宍喰(阿波)2460石、平島(阿波)1865石
- 牟岐(阿波)1690石、橘(阿波)430石
由良の木材も、他の史料で、阿波方面の物資を扱っていたことがわかっているので、阿波産であろう。室町中期の阿波は、年間2万8千石以上の木材を畿内地方に搬出していた。そして、海部と宍喰、つまり現海陽町だけで、1445年、兵庫北関通過の阿波産木材の約半数になるのである。
しかし、南国の木材は成長が早いために、木質が粗く、珍重されたのは木曾材だった。
(参考:週刊朝日百科・日本の歴史20・中世II・琵琶湖と淀の水系・今谷明・昭和61年)
海部刀
室町時代頃から「海部氏」の生産奨励によって「海部刀」が生産された。
海部城
1575年長宗我部元親が陸路侵入。瓦を使っていた県内三城の内の一つ、「海部城」が落城した。城主が姻族の加勢のため讃岐に出征中で、戦力不在のため、無血開城だった(参考『海部町史』昭和46年)。
木材の集散や海路の監視所として、海部川河口の「城山」は古くから重要拠点だった。城山は、かつては周囲を海部川が巡り、海に臨む「島」だった。戦後に埋め立て造成が進んだ。ここに城が築かれたのはいつなのか、諸説あっても根拠の提示はなされていない。
戦時中は、城山山麓に大規模な退避壕を構築(『海部町史』277p上段末)。城山山上には陸軍の監視所が設置され、監視員のための防空壕が構築された。それらの作業は、浅川以南の各町村から奉仕隊が交代で出動し、のべ人員は1万人を数えた(同 下段)。
80人鉄砲隊
- 蜂須賀氏入国後、大里に80人の鉄砲隊が配置され、50年後に半減したものの廃藩まで駐留した。
- 海部城代益田豊後処刑という事件の後、藩主お墨付き(判形)の水軍系武士36人も駐留した。海部郡代役所が置かれた。
- 2006年(平成18年)3月31日 海南町、海部町、宍喰町が合併し海陽町が発足。
教育
高等学校
中学校
小学校
- 海陽町立浅川小学校
- 海陽町立海部東小学校
- 海陽町立海部西小学校
- 海陽町立海南小学校
- 海陽町立川上小学校
- 海陽町立宍喰小学校
- 海陽町立宍喰小学校竹ヶ島分校
天然記念物
文化施設
- 阿波海南文化村
- 旧海南町時代に設立された。海南文化館、町立博物館、工芸館、いきいき館、三幸館などの諸施設を有する複合的文化施設。
- 〒775-0202 海陽町四方原字杉谷73番地
- Tel.0884-73-3100
- Fax.0884-73-3833
- URL:http://www.nmt.ne.jp/~bunka/
- 海陽町立博物館(旧海南町立博物館)
- 阿波海南文化村内に設立された町立の歴史・民俗学系博物館。同館収蔵品中、特に中世海部川流域の刀工が作り出した、この地域特有の海部刀を中心とした刀剣コレクションは、全国屈指の質と量を誇る。他に、中世の埋納銭としては四国一の出土枚数を記録する「大里古銭」など、町内で発掘収集された考古・民俗資料を豊富に収蔵している。同館には、民族考古学を専攻し、先史・古代日本の焼畑農耕文化の解明に取り組む学芸員一名が配置され、地道で個性的な研究と展示運営を推し進めている。小規模ながら、独創的な地方博物館の1つである。
- 開館時間:午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)、駐車場有り。
- TEL/0884-73-4080 FAX/0884-74-3504
- (関連文献)
- 郡司早直 2007「資料の集成と博物館」四国ミュージアム研究会編『博物館が好きっ!-学芸員が伝えたいこと-』、株式会社教育出版センター。
- 郡司早直 2002「来館者との交流空間としての展示室」『地域に生きる博物館』徳島博物館研究会編、教育出版センター。
- 郡司早直2001「日本の後発酵茶の文化系統」『ツンドラから熱帯まで:加藤晋平先生古稀記念考古学論集』博望2号、180~189。
- 郡司早直 1998「<開館>海南町立博物館」『出土銭貨研究会誌』9号。
交通
鉄道路線
道路
一般国道
県道
- 徳島県道101号船津野根線
- 徳島県道148号中部山系轟公園線
- 徳島県道196号浅川港線
- 徳島県道197号鞆奥港線
- 徳島県道298号上皆津奥浦線
- 徳島県道299号四方原海部線
- 徳島県道300号芥附海部線
- 徳島県道301号久尾宍喰浦線
- 徳島県道309号金目宍喰浦線