京極高景
表示
京極高景像(常立寺蔵) | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 文化8年11月29日(1812年1月13日) |
死没 | 文久3年7月20日(1863年9月2日) |
改名 | 滝之進(幼名)、高景 |
戒名 | 成徳院行誉高景道完 |
墓所 | 京都府京丹後市峰山町吉原 安泰山常立寺 |
官位 | 従五位下右近将監 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉、家慶 |
藩 | 丹後峰山藩主 |
氏族 | 深溝松平家、京極氏 |
父母 | 松平忠馮、京極高鎮 |
兄弟 |
井上正廬、松平忠侯、高景、中西元歴、 森川俊民、松平忠篤、真田幸忠、志賀、 板倉勝晥室、喜代 |
妻 | 山口弘致娘 |
子 | 高富 |
京極 高景(きょうごく たかかげ)は、江戸時代後期の大名。丹後国峰山藩10代藩主。官位は従五位下右近将監。
略歴
[編集]肥前国島原藩2代藩主・松平忠馮の六男として誕生。幼名は滝之進。
先代藩主・京極高鎮が天保5年(1834年)に死去したため、その養嗣子となって跡を継いだ。しかし、天保の大飢饉で多数の餓死者を出したうえ、天保の改革で商業的な悪影響を受けるなど、藩政は多難であった。嘉永2年(1849年)3月7日、長男・高富に家督を譲って隠居する。文久3年(1863年)7月20日、江戸で死去した。享年53。法号は成徳院行誉高景道完。墓所は京都府京丹後市峰山町吉原の安泰山常立寺。