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エバレット (哨戒フリゲート)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エバレット
基本情報
建造所 カイザー・カーゴ社
艦歴
進水 1943年9月29日
就役 1944年1月22日
1950年7月26日
退役 1945年8月16日
1953年3月10日
除籍 1961年12月1日
その後 海上自衛隊に貸与
要目
基準排水量 1,430トン
満載排水量 2,415トン
全長 92.6m
最大幅 11.4m
吃水 4.1m
機関 ボイラー3基 5,500軸馬力
タービン2基 2軸推進
最大速力 20ノット
乗員 170名
兵装 50口径3インチ単装緩射砲×3基
56口径40mm連装機銃×2基
70口径20mm単装機銃×9基
ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基
片舷用爆雷投射機(K砲)×8基
Mk.9爆雷投下軌条×2条
レーダー SA 対空捜索用×1基
SL 対水上捜索用×1基
Mk.51 射撃指揮装置×2基
ソナー QBFまたはQJA 探信儀×1基
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エバレット (USS Everett, PF-8) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲートタコマ級フリゲートの1隻。艦名はワシントン州エバレットに因む。

艦歴

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エバレットはカリフォルニア州リッチモンドのカイザー・カーゴ社で起工する。1943年4月15日まではPG-116と呼ばれた。1943年9月29日にコーネリア・M・フィッチ夫人によって命名、進水し、1944年1月22日に艦長W・L・デイヴィス沿岸警備隊少佐の指揮下就役した。

整調および訓練後、エバレットはアラスカ州アダック島に向けて出航し、1944年4月22日に到着、アリューシャン列島の荒天下、哨戒および船団護衛任務に16ヶ月間従事した。1945年8月16日にアラスカ州コールド・ベイで退役し、レンドリース法の下ソ連海軍に貸与された。ソ連では「護衛艦」を意味する「EK」の略号が付与され、EK-15ロシア語:ЭК-15エーカー・ピトナーッツァチ)と命名された。1945年8月26日には、警備艦として太平洋艦隊に配備された。

1949年11月15日、アメリカ海軍に返還されたエバレットは日本横須賀で広範囲オーバーホールが行われ、1950年7月26日に再就役した。香港でステーション艦として任命され、国連軍の封鎖作戦および朝鮮半島沖での護衛任務に従事した。北朝鮮元山を砲撃中の1951年7月3日、エバレットは沿岸砲台からの直撃を受け、1名が死亡し7名が負傷したが、船体への損害は軽微であった。

1953年3月10日、エバレットは横須賀で退役し、1953年8月29日、日米船舶貸与協定に基づき第7回貸与艦として警備隊(後の海上自衛隊)に貸与され、「きり (PF-11)」 として就役し、横須賀地方隊に編入された。1954年1月10日大湊地方隊に編入。同年7月10日、再び横須賀地方隊に編入。1956年4月1日、第11護衛隊が新編され「くす」とともに編入された。1957年5月10日、第11護衛隊の廃止及び練習隊群の新編により第2練習隊に編入。同年9月1日、艦番号がPF-291に変更された。1958年には第2回遠洋練習航海に参加。1961年9月1日第2掃海隊群新編により旗艦として編入。同年12月1日にアメリカ海軍から除籍。1970年3月31日、保管船(YAC20)に区分変更され呉教育隊の実習艦として使用された。1975年10月1日に除籍。1976年1月22日にアメリカ海軍に返還された。

エバレットは朝鮮戦争の戦功で4個の従軍星章を受章した。

外部リンク

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