R.E.M.
R.E.M. | |
---|---|
![]() | |
基本情報 | |
出身地 |
![]() ジョージア州アセンズ |
ジャンル | オルタナティヴ・ロック、インディー・ロック、フォークロック、ジャングル・ポップ、ポストパンク |
活動期間 | 1980年 - 2011年 |
レーベル |
Hib-Tone I.R.S. Records(ユニバーサル ミュージック グループ) ワーナー・ブラザース・レコード |
公式サイト |
www |
メンバー |
マイケル・スタイプ ピーター・バック マイク・ミルズ |
旧メンバー | ビル・ベリー |
R.E.M.(アール・イー・エム)は、アメリカ合衆国のオルタナティヴ・ロックバンド。1980年に結成され、2011年に解散[2]。2004年にローリング・ストーン誌が発表した「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第97位に選ばれている。2007年にロックの殿堂入り。
メンバー[編集]
- マイケル・スタイプ(Michael Stipe) - ボーカル
- ピーター・バック(Peter Buck) - ギター、マンドリン
- 2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第94位[要出典]。
- マイク・ミルズ(Mike Mills) - ベース、ピアノ
旧メンバー[編集]
- ビル・ベリー(Bill Berry) - ドラム(1997年脱退)
来歴[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
1980年にジョージア州アセンズにて、マイケル・スタイプ(ボーカル)、ピーター・バック(ギター)、マイク・ミルズ(ベース)、ビル・ベリー(ドラム)の4人で結成された。
米国のインディーレーベル"Hib-Tone"よりシングル「レディオ・フリー・ヨーロッパ(Radio Free Europe)」で1981年にデビュー。翌年にA&M傘下のインディーレーベルI.R.S.に移籍。5枚のアルバムをリリースした後、6枚目のアルバム『グリーン』よりワーナーへと移籍。
1997年にドラムのビル・ベリーが健康上の理由により脱退。以後は3人で活動。
2007年に、ロックの殿堂入り。授賞式でのプレゼンターは、パール・ジャムのエディ・ヴェダー。
活動31年目の2011年9月21日、公式ホームページにて解散を発表。「僕らのファン、友人たちへ:生涯の友として共に歩んできたR.E.M.としての活動を、終わりにすることに決めた。」等とコメントした[2]。
ディスコグラフィ[編集]
オリジナルアルバム[編集]
- 1983年『マーマー』Murmur - 36位、ゴールド (US)
- 1984年『夢の肖像』Reckoning - 27位、ゴールド (US)
- 1985年『玉手箱』Fables Of The Reconstruction - 28位、ゴールド (US)
- 1986年『ライフズ・リッチ・ページェント』Lifes Rich Pageant - 21位、ゴールド (US)
- 1987年『ドキュメント』Document - 10位、プラチナ (US)
- 1988年『グリーン』Green - 12位、2xプラチナ (US)
- 1991年『アウト・オブ・タイム』Out Of Time - 1位、4xプラチナ (US)
- 1992年『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』Automatic For The People - 2位、4xプラチナ (US) 1位 (UK)
- 1994年『モンスター』Monster - 1位、4xプラチナ (US) 1位 (UK)
- 1996年『ニュー・アドベンチャーズ・イン・ハイ・ファイ』New Adventures In Hi-Fi - 2位、プラチナ (US) 1位 (UK)
- 1998年『アップ』Up - 3位、ゴールド (US) 1位 (UK)
- 2001年『リヴィール』Reveal - 6位、ゴールド (US) 1位 (UK)
- 2004年『アラウンド・ザ・サン』Around The Sun - 13位、ゴールド (US) 1位 (UK) 1位 (WorldWide)
- 2008年『アクセラレイト』Accelerate - 2位 (US) 1位 (UK) 1位 (WorldWide)
- 2011年『コラプス・イントゥ・ナウ』Collapse Into Now
ライヴアルバム[編集]
ベストアルバム[編集]
- 1990年『エポニマス』Eponymous
- 1991年『The Best Of R.E.M.』
- 2003年『イン・タイム:ザ・ベスト・オブ・R.E.M. 1988-2003』In Time - The Best of R.E.M. 1988-2003
- 2006年『And I Feel Fine - The Best of I.R.S. Years 1982-1987』
- 2011年『Part Lies, Part Heart, Part Truth, Part Garbage: 1982-2011』
音楽性[編集]
![]() |
歌詞やバンドの姿勢にこめられた文学的・政治的なメッセージや、楽曲の高いアート性から、1980年代におけるUSカレッジ・チャートの雄としてアンダーグラウンドシーンに君臨したオルタナティヴ・ロック黎明期における代表的なバンドである。
インディーズ時代[編集]
アルペジオを多用したギターサウンドと、メロディアスなベースラインが特徴である。
この時期の作品には歌詞が一切掲載されておらず、スタイプの歌唱も聞き取りづらかった為に、「アメリカ人でも殆ど何を歌っているのかわからない」と言われたほど。
そんなミステリアスな雰囲気を秘めた、ややニュー・ウェーブ調で、パンク・ロック、サイケデリック・ロック、カントリーを彼らなりに消化した作風は早い時期から注目され、デビューアルバム『マーマー』はローリング・ストーンの1983年ベストアルバムに選出された。
ワーナー時代[編集]
移籍後のアルバム『グリーン』にて、マンドリンやアコーディオン等のトラディショナルな楽器を積極的に取り入れ、後の「ルージング・マイ・レリジョン(Losing My Religion)」の大ヒットへと繋がる。
ストリングスを大々的に取り入れた『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』、ノイジーなロックアルバム『モンスター』、各地でのライブ演奏やサウンドチェックを8トラックに録音した『ニュー・アドベンチャーズ・イン・ハイ・ファイ』、と作風の異なるアルバムを次々と発表した。
歌詞やスタイプの歌唱は明瞭になり、ステージでは政治的なメッセージを声高にオーディエンスに働きかける事も。その姿勢自体がオルタナティヴ・ロックの潮流の代表・先駆となっていった。
商業成績[編集]
![]() |
全米各地のカレッジ・ラジオのサポートにより徐々に人気を広げていった。
初のヒット・シングルとなった1987年の「ザ・ワン・アイ・ラブ(The One I Love)」はアメリカ、イギリス、カナダにてTop 20入り。アルバム『ドキュメント』は初のミリオンヒットとなった。
代表作は1991年の『アウト・オブ・タイム』でグラミー賞7部門にノミネートされた。収録曲「ルージング・マイ・レリジョン(Losing My Religion)」は全米4位を記録。Best Short Form Music VideoとBest Pop Performance by a Duo or Group with Vocalを受賞。
『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』は、死をテーマにしているとされ、内省的な作風ながら、全世界で1,500万枚以上売れた[3]。
関連バンド・ミュージシャン[編集]
![]() |
- 「ウィチタ・ラインマン」 - 1996年のCDマキシシングル「Bittersweet Me」のB面。1995年9月15日にテキサス州ヒューストンで演奏されたライブ音源。2014年発売のコンピレーション・アルバム『Complete Rarities: Warner Bros. 1988–2011』に収録された。
- 「ジェントル・オン・マイ・マインド」 - 2007年のアルバム『Sounds Eclectic: The Covers Project』に収録。録音は2001年6月12日に行われた。
- 「ガルベストン」 - 1995年のドキュメンタリー『Rough Cut』に登場。コンサートのリハーサル場面が収録されている。
- 「恋はフェニックス」 - 1995年のツアーで演奏された[6]。
日本公演[編集]
- 1984年 11月5日 早稲田大学、8日 青山学院大学、10日 横浜国立大学、11日 専修大学
- 1989年 1月26日・27日 MZA有明
- 1995年 2月1日・2日 日本武道館
- 2005年 3月16日 日本武道館、17日 愛知県芸術劇場大ホール、18日 グランキューブ大阪メインホール (いずれの公演もdoaがオープニングアクトを務めた。)
エピソード[編集]
![]() |
- ローリング・ストーン誌の表紙を飾った際には、「アメリカ最高のロック・アンド・ロール・バンド」、「世界で最も重要なロックバンド」と紹介された[要出典]。
- スタイプとバックは、当時バックが働いていたレコード店で出会い意気投合。スタイプが購入するレコードはどれもバックが自分用に確保しておいた品物だったという。
- ミルズとベリーは高校以来の音楽仲間で、二人はジョージア大学に通っていた。
- R.E.M.という名前に決定する前に候補として挙げられていたバンド名は、Cans of Piss(小便缶)、Slug Bank(ナメクジ銀行)、Twisted Kites(からまった凧)、Negro Wives(黒人の妻達)。
- 1984年の来日時には爆風スランプが前座を務めた。
- 1995年、菓子メーカー、ハーシーフーズ社が米国でチョコレート菓子「キットカット」でR.E.M.のコンサートチケットが当たる懸賞をアーティスト側に無断で発表し、R.E.M.は提訴した。のちに和解し、提訴は取り下げた。
脚注[編集]
- ^ サポート・ドラマー
- ^ a b “R.E.M.がオフィシャル・サイトにて解散を発表” (2011年9月22日). 2015年7月27日閲覧。
- ^ 収録曲の「マン・オン・ザ・ムーン(Man On The Moon)」は、実在した鬼才コメディアンアンディ・カウフマンをモチーフにしており、後に製作された彼の伝記映画のタイトルにもなった。R.E.M.は、この映画の音楽も担当した。
- ^ R.E.M. - Losing My Religion (Vinyl) at Discogs
- ^ R.E.M. - Dead Letter Office (Cassette) at Discogs
- ^ R.E.M. Concert Setlist at Desert Sky Pavilion, Phoenix on November 4, 1995 | setlist.fm
- ^ http://www.blender.com/guide/67796/33-things-you-should-know-about-nirvana.html
- ^ レム睡眠(Rapid Eye Movement)に由来するとも言われている[要出典]が、本人らは明言しておらず諸説ある。