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Portal‐ノート:歴史/過去ログ2

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テンプレートの導入について

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    • 最初の定義文につき、本来の姓名を記すケースと皇帝名を記すケースが混在していますが、できれば見出しと最初の一文は統一すべきだと思われるので、皇帝名で項目が立てられているケースは皇帝名に統一する。
    • その後は私は今までの記事を参照に、何代皇帝、姓は○、名、字、廟号の順に書いてますが、もしかしたら姓と名をひっつけて書く方が分かりやすいのかも。中文版はそうなってました。
    • 末尾に次代と前代、王朝名へのリンクを組み込んだフォームを共通適用する。
    • 中国皇帝一覧へのリンクもあった方が便利な気がしますが、どこに入れるべきかは自信がありません。現在のところ一部の記事で参考リンクとして張られていますが、テーブルに組み込んでもいいかもしれない。
    • 現在慣用的に使われているものでもいいですが、誰かかっこいいフォームを作れませんか……?<他力本願
      • 最後の部分のフォームについて。部外者ですが、以下のようなのはどうでしょう。デンマーク語版で使われているものに手を加えたものです。中国帝王一覧へのリンクがなくてもいいのでしたら「王朝名」「先代」「次代」を変数とするテンプレートとすればだいぶ楽になるのではないでしょうか(この場合中国以外にも使えるようになるので汎用性がかなり高くなります)。
先代: 皇帝 次代:
建文帝 洪熙帝

霧木諒二 2005年5月20日 (金) 20:14 (UTC)

なるほどー。良い感じです。
テンプレート絡みで変数を使う方法はよく理解できていないのですが、自分で使っていた感覚では皇帝一覧を参照することがかなり多いです。実際、天皇家や他の国の国王・皇帝の記事を見ても大抵はそうなってますので、一覧を組み込む方が使いやすいと個人的には思います。まるごとテンプレ化したフランス王・皇帝の例(例えばルイ14世)はさすがに極端ですが。壮観ですねwNukkie
Template:君主を作りました。{{君主|王朝名|先代|次代}}のようにして使ってください。こんな風に。
先代: イギリス君主一覧
[プランタジネット朝]]
次代:
ジョン(欠地王) エドワード1世
いかがでしょうか。中央の部分が狭いようでしたら比率を変えたほうがいいかもしれません。#個人的にはフランスはやりすぎだと思います。記事本文より大きいテンプレって…。霧木諒二 2005年5月21日 (土) 07:20 (UTC) 修正2005年5月22日 (日) 07:57 (UTC)
素早い作業に感謝いたします。私はこれでいいと思いますが、影響する範囲が大きいですので他の方の意見がないかしばらく様子を見てから導入したいと思います。しばらく待って意見がなかったら自分の関わったところから勝手に動いちゃえ……wNukkie 2005年5月21日 (土) 12:58 (UTC)
いまさら気づいたんですが、これ首相とか大統領にも使えますね。とすると「君主」じゃなくて「元首」とかの方がよかったのでしょうか…。―霧木諒二 2005年5月21日 (土) 13:04 (UTC)
さらにいまさらですが、Template:先代次代というものがすでにあることに気づきました。使われていませんが。テンプレート名としてはこちらのほうが適切な気がします。あと他に気づいたところでは、先代・次代の在位年(例は忘れました)、および自身の在位年(例:ベンジャミン・ディズレーリ)、代数(例:推古天皇)を書いている場合があります。それらをどうするか考えたほうがいいかもしれません。また微妙に違うものとしてバシレイオス1世のような型も見つけました。あとはフェルナンド2世のような場合どうしましょう。その王位の数だけ貼ればいいでしょうか。―霧木諒二 2005年5月27日 (金) 11:27 (UTC)

どうも、会話ページからやって来たTemplate:先代次代の初版の者です。HTMLの妥当性を考えて、あの様なものになったのですが、本当はTemplate:君主の様に種別等は間に入れたい処で……HTMLにも考慮しながらでも出来なくは無い筈ですが、面倒臭くてやってない状態です:D 未だ普及していないうちに仕様を決めたい処です。

在位年は本文と重複して冗長になる感があり、入れなくても良いかなと思っています。代数は入れても良いかとは思いますが此れも本文に有れば冗長でしょうか……。あと、「{{{種類}}}」と「{{{1}}}」の違いは何うしましょうか。「フェルナンド2世 (アラゴン王)」は三つ程テンプレートを使う事になるのかも知れません。

因みにTemplate:天皇Template:ローマ教皇は「Template:先代次代」を元としています。--kahusi - (會話) 2005年5月27日 (金) 17:29 (UTC)

私の意見を。
  • テンプレートの名前については、Template:君主は削除しTemplate:先代次代を用いたほうがいいと思います。首相などのように君主でない人物にも使われるだろうということが理由です。{{即時削除}}貼ればすぐ消してもらえますし。
  • 在位年もしくは代数については、どちらかを入れたほうがいいと思います。復位、重祚、再任などが区別しやすくなるからです。でどちらを入れるかですが、私はどちらかといえば在位年をいれた方がいいかと思います。代数は数えにくいのではないかと感じるからです。ただ在位年は未詳のことがありうるので、強く主張するわけではありません。
  • スタイルについてですが、区切りがあったほうがフェルナンド2世のように称号がくっついたり離れたりする人物がわかりやすくなるだろうという理由により以下のような英語版風のものにすることを提案します。尤もそのような場合はテンプレートは用いずに直に表を書くでしょうが…。英語版では複数のテンプレートを使い分けていますが(参考)、そこまでする必要はないでしょう。しかし何でこれ変なところで改行してるんだろう?


先代:
宮沢喜一
内閣総理大臣の一覧
1993年 - 1994年
次代:
羽田孜


霧木諒二 2005年5月29日 (日) 03:44 (UTC)
  • 私も在位年を推したいと思います。不明な場合については代数もしくは○○年頃あたりで個別に対応。
  • 複数の在位表が必要な場合もデザインの一貫性を保つためできるだけテンプレートを利用したい方がよいと思います。たとえばTemplate:Babel-2のような方法で複数件にも対応できないものでしょうか。ちょっと私もいじってみたいと思います。
  • レイアウトについてはよくわかりませんがTemplate:君主を流用しましょうか。--こいつぅ(会話) 2005年5月29日 (日) 04:36 (UTC)
en:Template talk:Succession boxをご覧ください。en:Template:Start boxen:Template:End boxen:Template:Succession boxen:Template:Succession box two to twoなどといった複雑なテンプレートを組み合わせることで一応大抵の条件に対応しているようです。―霧木諒二 2005年5月29日 (日) 04:55 (UTC)

(区切り)

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利用者:Kahusi/Template試作1に作ってみました。HTMLの妥当性を考慮して、dlリストとpositionプロパティを利用しています。在位年を採用。en版風ですが複雑なものは想定していません。--kahusi - (會話) 2005年5月29日 (日) 22:43 (UTC)

言いだしっぺです。なのに議論に参加せず放置してしまっており申し訳ありません。頭が下がります……。
細かい部分ですが在位年については「在位:」(その他、「在任」等状況に合わせて)と書く方が良いかと思います。在位が長い場合、ぱっと見た感じで生没年と混乱しそうな気がしましたので。代数とか含めて適当に自己判断でアレンジ、かな?
他については特にありません。テンプレートを使うからにはなるべく単純化したいので、複数のテンプレートを使うのは避けたいところです。フェルナンド2世のような複雑なケースの場合、どうしても仕方がない場合はそこだけテンプレを使うのを放棄するしかないのかも……(汗)Nukkie 2005年5月30日 (月) 15:33 (UTC)
さらにさらにTemplate:Prev-nextがあることに気づきました。どうしましょう。―霧木諒二 2005年6月16日 (木) 21:01 (UTC)
  • すべてをTemplateにする必要はないと思いました。例えば、フェルナンド2世とか。こんな形に、というサンプルを用意しておけば、それにあわせて、作れますし。
  • フランス王のテンプレは、フランス語版からの輸入品ですが、40人程度までなら、一覧にしてしまった方が、どのあたりの王様なのか一目瞭然で、あれはあれで便利だなと思ってるのですが(あれをコンパクト化するのに、どれだけ苦労したことか)。
  • テンプレの在位年ですが、「年」の文字は省略してしまった方が、スマートだと思います。--oxhop 2005年6月18日 (土) 18:02 (UTC)

テンプレート化に必ずしもそれほどこだわるべきではないという意見が多いようですが、私はむしろテンプレート化にこだわるべきと主張したいと思います。理由は似通った以下の2点。せっかく英語版にすぐれた先例があるのですからリスクを恐れることはないのでは。--こいつぅ 2005年6月18日 (土) 18:27 (UTC)

  • 体裁の変更や編集方針の変更が行われたときにテンプレートのみを変更すれば自動的に全ての記述に適用可能になる。この際、適用されなかった手書きのテーブルを追跡するのが非常に困難。
  • テンプレートを利用すれば、「リンク元」による参照が可能で編集の際の一覧性に便利。--こいつぅ 2005年6月18日 (土) 18:27 (UTC)

フランス王のテンプレートは未だ小さく出来るのでは。取敢ず自分案の決定稿(?)をば:

フッタ - 國旗 - 國歌 - 國名 - 國章

フェルナンド2世 (アラゴン王)程複雑なら非テンプレートも已む無しかも知れません……。唯、出来る限りテンプレートで、という事で。--kahusi - (會話) 2005年6月19日 (日) 00:41 (UTC)

できる限りテンプレートで、というのに賛成です。さすがに英語版でもフェルナンド2世はテンプレート化してませんね。英語版を見たところ、大体次のようなテンプレを用意すればいいようです。
  • ボックスの開始・終了
  • 称号が一つの時(大抵のローマ教皇や天皇など。および先代と次代が同じ称号を持っていて分ける必要がないとき)
  • 称号が二つの時(先代が二人の場合()、次代が二人の場合())
  • 称号が三つの時(先代が三人、次代が一人()、次代が三人、先代が一人())
これ以上複雑になるとタグ打ちになっているようです。で、よろしければkahusiさんに上記7個のテンプレートの作成をお願いできませんでしょうか。私はちょっとあのタグが理解できなかったので…。
私は個人的にはフランス王のテンプレは冗長だと思ってます。フランス王に加えてナバーラ王だったフィリップ4世とかいますし。同じようなのをあちこちで導入してコンラート4世に神聖ローマ皇帝とシチリア王とエルサレム王の一覧を貼ったら恐ろしいことになるんじゃないかなぁと思うのですが。使うならTemplate:江戸幕府将軍くらいまでシンプルにしたほうがいいのではないでしょうか。―霧木諒二 2005年6月20日 (月) 02:09 (UTC)

伊藤博文は、こんな感じになるんでしょうか? (Kahusiさんの試作テンプレを使用してます。)

フッタ - 國旗 - 國歌 - 國名 - 國章

フッタ - 國旗 - 國歌 - 國名 - 國章

フッタ - 國旗 - 國歌 - 國名 - 國章

フッタ - 國旗 - 國歌 - 國名 - 國章

やっぱり、日本の首相は、代数を入れた方がいいかなぁ。--oxhop 2005年6月20日 (月) 14:27 (UTC)

マークアップの関係上、

フッタ - 國旗 - 國歌 - 國名 - 國章

フッタ - 國旗 - 國歌 - 國名 - 國章

フッタ - 國旗 - 國歌 - 國名 - 國章

フッタ - 國旗 - 國歌 - 國名 - 國章

と書いた方が良いかと思います。それともテンプレートを変えた方が良いでしょうか……。--kahusi - (會話) 2005年6月21日 (火) 04:46 (UTC) % 霧木諒二氏の複雑なテンプレは、利用者‐会話:Kahusi/Template試作1#プレヴューで考えてみましたが、Firefox以外では巧く出来ず……

全部まとめないと見苦しいのではと思っていたのですが、兼任していない場合はその数だけ貼るということでもよさそうですね。kahusiさんの案でいいのではないでしょうか。
複雑なものについて、リストを用いているというのでこういうのはどうでしょう。kahusiさんのテンプレをいじっていて思いつきで作ったのでなんかおかしかったら言ってください。直せませんが。一応IE6.0、firefox1.0、Opera8.0でまともに表示されてます。
スウェーデン国王
1872年 - 1907年
先代:
カール15世ヨハン
次代:
グスタフ5世
ノルウェー国王
1872年 - 1905年
先代:
カール15世ヨハン
次代:
ホーコン7世
無謀だったかもしれない。―霧木諒二 2005年6月21日 (火) 14:11 (UTC)

長くなってきましたね。利用者‐会話:Kahusi/Template試作1#試作で色々してみました。「そのさん」は霧木氏のと大差無いですが、一方を「display:none」としています。あと間隔空けを。--kahusi - (會話) 2005年6月22日 (水) 08:26 (UTC)

(区切りその2)

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議論が止まってしまいましたね……。だいたいフォームも出払った気がしますので、Template:Prev-next利用者‐会話:Kahusi/Template試作1、どこかに消え失せたTemplate:君主、特定ジャンルの既存のテンプレートあたりを元に投票して、テンプレを絞ってしまいたいと思うのですがいかがでしょう。他に良いテンプレ案があるようなら公開を待ちたいところですが(なお私自身については、現状存在する案の中から選ぶことで不満はありません)。 ※ただ、既に独自にテンプレを作っているものも多く、ここで投票することの有意さにやや不安はありますが……。Nukkie 2005年7月11日 (月) 08:07 (UTC)
議論が止まってしまいましたね…。スタイルは利用者‐会話:Kahusi/Template試作1に一票。テンプレート名はTemplate:Prev-nextに一票。英語版でも独自の一覧系テンプレと先代次代テンプレを併用しているようですので、私はその辺はあまり気にしていません。―霧木諒二 2005年8月1日 (月) 03:57 (UTC)
利用者‐会話:Kahusi/Template試作1#リクエストに修正案のリクエストをしておきましたので、チェックよろしくお願いします。
内閣総理大臣は、「第1次: 」の部分を「第○代: 」とした方が、上の伊藤博文の例の2段目次代「松方正義」と3段目先代「松方正義」が同一のもの(代)を指していることがわかるので良いと思いました。全ての段に「内閣総理大臣」と入れるのであれば、他の職務のテンプレを追加したとしても、第1次、第2次…ということは上下関係からわかるので、無駄な情報かな、と。
あと、吉田茂のように連続再任してるケースは、現状のように、第48、49、50、51代をまとめて1段でいいんですよね?--oxhop 2005年8月5日 (金) 14:38 (UTC)

取敢ず1対1のものだけTemplate:先代次代に投稿しました。Template:Prev-nextにしなかったのは、変数(?)の関係でより影響が少ない方を、と。--kahusi - (會話) 2005年8月5日 (金) 15:19 (UTC)

取り敢えず武帝 (南朝梁)以下3代に試用してみました。こんな感じでしょうか。Nukkie 2005年8月6日 (土) 01:24 (UTC)
内閣総理大臣と自民党総裁は、完了しました。--oxhop 2005年8月7日 (日) 12:17 (UTC)
ローマ教皇特別:whatlinkshere/Template:Prev-nextは貼り替えました。この二つのテンプレートは削除依頼してもいいでしょうか?すいません「年」を除くのを忘れてました。霧木 諒二 2005年8月7日 (日) 18:26 (UTC)
天皇の貼り替えも終了し、この3個は削除依頼に出しました。―霧木 諒二 2005年8月19日 (金) 15:49 (UTC)

多くなってきたので整理したいと思いますが実際に動く前に予め意見を伺おうかと思います。ぱっと見でサブカテゴリにした場合に多そうなのは

かという感想を持ちました。楚漢戦争期については悩みが多いです。前漢でくくった方が定義がはっきりするのでしょうが、かといって項籍劉邦を分断するのもどうかと思いまして。

参考:利用者:こいつぅ/楚漢戦争期の人物一覧 : 草案を作ってみました。

概ね賛成です。確かに前漢の方がはっきりすると思いますが、項籍と劉邦を分断するのが気になるのも全くその通りで……。結局は仕方がないのかなと。時代をまたがる人物がそうなることは必須ですし、利用者にとってより便利な形で切るのも方法だと思います。既にCategory:三国志の登場人物はそうなってますし。Nukkie 2005年5月20日 (金) 14:58 (UTC)

ありがとうございます。しかし今思い返してみると殷代という括り方は問題があるかもしれないと思うようになりました。恐らく将来的に春秋戦国時代で括るであろうことを勘案すると境界が難しい。とまれ楚漢戦争でまとめることに関してはある程度見通しが立ってきました。編集するページ数が多いのでできればもうひとかたの意見を伺ってから動こうかと思います。--こいつぅ(会話) 2005年5月21日 (土) 11:50 (UTC)

関連して僕が個人的に暖めていた(しかし暖めすぎて腐り始めていた)考えが一応ありましたので、この機会に書いてみます。
Category:中国史の人物の細分化はCategory:中国の歴史の細分化とセットで進めるべきと考えます。中国の歴史、中国史の人物はとにかく項目の数が相当に及ぶことは間違いないですから、将来的に今の単純なカテゴリでは整理しきれないことは目に見えているわけで、先々のカテゴリ整備のことを考えると、今とりあえず多い部分だけを見繕って切り出す、という方策にはあまり賛成できません。たとえば、「殷代の人物」というカテゴリをつくるなら、対応する「殷代」というカテゴリをつくるべきです。なぜなら、そうするとカテゴリ間の関連付けがつけやすく、ひいては直感的に理解しやすいカテゴリの階層構造をつくりやすいだろうと想像されるからです。
では具体的にどういう時代区分にするかですが、やはり基本的に王朝別にすべきだと思います。ただ春秋戦国以前は量的にどうしても少なくなるので、上古とか三代とか大きめの括りを使ったほうがよいんじゃないでしょうか。また、楚漢は「秦代の人物」に含め、前漢にかぶる人物は「漢代の人物」とふたつカテゴリを張ったほうが管理しやすいと思います(これは三国時代についても同様と思います)。
急いで書いたので考えがまとまりきっていませんが、とりあえず急がないでほしいかな、と。Safkan 2005年5月29日 (日) 14:46 (UTC)
おおむねSafkanさんに賛同します。楚漢戦争などはわずかな時期のため、秦・漢にまたがる人物が山ほどでますが、重複ということでいいですかね?まあそれをいえばはるか後代の袁世凱・孫文あたりも問題が出るわけですが。Aboshi 2005年5月29日 (日) 15:15 (UTC)
補足して。前言と矛盾しますが…「秦代がきわめて短いという事実にかんがみて秦漢の人物というさらに大きなくくりにする」という手、あるいは「楚漢戦争期の人物」というカテゴリをつくって「秦代の人物」というカテゴリと「前漢の人物」というカテゴリの両方の下位カテゴリに置く、という手もありえるとは思います。呂后や陳平のように活動時期が楚漢戦争期と前漢の両方にまたがる場合はやはりひとりに両方のカテゴリをはっても問題ないと思いますし、ひとつの項目に対する時代別カテゴリの複数付与は柔軟に行ってよいのでは。Safkan 2005年6月1日 (水) 12:25 (UTC)
活発なご議論ありがとうございます。ご意見を伺って楚漢戦争云々は撤回し、明確な時代区分に基づくサブカテゴリを作る方針を提起したいと思います。王朝の開祖などは大体前王朝とかぶるのでしょうが、Safkan氏の仰るとおり問題にはならないでしょう。そうなるとすでにサブカテゴリになっている三国志などは初めから難題ですがね。それにしても三国志の人物は予想の範囲とはいえものすごく多いですね。--こいつぅ(会話) 2005年6月4日 (土) 13:52 (UTC)

フランスの政体の記事名について

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フランスの歴史を見ていただければお分かりいただけると思いますがフランスの第一共和政以降の政体の表記が統一されていない状態が続いております。統一に向けた議論をで始めたいと思います。皆様のご参加をお願いいたします。--Juyukichi 2005年5月8日 (日) 16:27 (UTC)

近代以前の日本の人物の生没年に関して

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明治以前の日本の人物の生没年を見ると「年号+旧暦(新暦)」のケースと逆に「新暦(年号+旧暦)」で書かれているケースがあって統一感がないのが現状となっていますが、私としてはやはり彼らが生きた時代の基準に合わせて「年号+旧暦(新暦)」に統一するのがベストに思えるのですが…。--202.223.93.110 2005年7月11日 (月) 03:20 (UTC)

う~ん、既に浜の真砂ほどの項目が執筆されてますから、今からの統一はちょっと困難な気がいたします。個人的にはどっちかというと「西暦(年号+旧暦)」派ではあるんですが(理由は長くなるので書かない)、併記さえされていれば、とりあえずOKなんではないでしょうか・・・。shimoxx 2005年7月24日 (日) 13:56 (UTC)
と言ってはみたものの、よくよく考えてみると、西暦と旧暦では年が明ける時期が違いますから、特に旧暦12月(+閏12月)を西暦換算する時は注意が必要ですね。だから、併記しててもOKじゃない場合もあるということ。どうすべいかなあ・・・。shimoxx 2005年8月20日 (土) 15:11 (UTC)

再選考

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表の「最近の話題」にも書きましたが、シュメールProject:秀逸な記事の再選考にかけました。みなさまのご意見をお願いします。--Aphaia 2005年8月1日 (月) 10:18 (UTC)

公家の名乗りについて

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確認したのですが、公家の名乗りについて、「」や「藤原」といった氏姓を用いて項目を立てる時期と「久我」・「近衛」といった家名を用いて項目を立てる時期の境界線は平安時代と鎌倉時代(1200年前後)にあると考えていいのでしょうか?--水野白楓 2006年1月14日 (土) 10:19 (UTC)

そもそも年代で分かれているのではないと考えます。もちろんそのころに多いと言うのは事実ですが。たとえば藤原氏であれば、藤原忠通は之で正しいが、近衛基実の場合は藤原基実では間違いか?と問われれば答えは否となります。明確な分け隔ては難しいと思いますが、一般的に(歴史家などによって異見はあるが)九条兼実などは九条家の祖であり彼から九条という名乗りになっているわけですからそのように書けばよろしいのかと考えます。--伯龍 2006年5月18日 (木) 06:04 (UTC)

イギリスの歴史Template

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テンプレート(案)作りました。ついては、ノート:イギリスの歴史を議論の場にできればと思っとります。イギリスの歴史に関するテンプレート(案)についてご意見などなど、よろしくお願いします。m(_ _)m アズンチャ 2006年2月2日 (木) 16:41 (UTC)


日本の歴史スタブの提案

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現在Category:歴史関連のスタブ項目が多すぎるように思います。項目の多いカテゴリで見る限りでも3593項目になっていますので、それ以上はあることになります。せめて日本の歴史関連のスタブ項目をサブカテゴリにすべきかと思いますが、新参者のため、過去に同様の検討がなされたかどうか分かりません。ついては、ノート:日本の歴史で議論したいと思っていますので、必要・不必要等の御意見をお願いします。ろう 2006年4月10日 (月) 03:12 (UTC)

ノート:日本の歴史に提案してから1ヶ月たちましたが、今のところ様以外の書き込みがありません。趣旨としては、スタブを成長させたいと思う人の利便性を図るためです。スタブテンプレートの貼り直し作業はかなり大変だと思いますし、複数の人で地道に行う必要があると思います。もちろん言い出しっぺの私は頑張るつもりですが、ある程度のコンセンサスを得ておきたいので賛否を書き込み頂ければ幸いです。
こんな感じです。--ろう 2006年5月9日 (火) 03:28 (UTC)
全く反響がなくて少なからず残念です。作業は、次のとおりでいいんでしょうか?
1.「Wikipedia:スタブカテゴリ」に次を追加
|- <!--日本の歴史--> | <code>{{[[Template:Japanese-history-stub|Japanese-history-stub]]}}</code> *[[Template‐ノート:Japanese-history-stub|ノート]]、[[:Category:日本の歴史関連のスタブ項目|カテゴリ]] *'''ポータル''':[[Portal:歴史|歴史]] *'''用途''':日本の歴史に関するスタブ | {{Japanese-history-stub}}
2.「Template:Japanese-history-stub」に次を追加
<div class="boilerplate metadata" id="stub"> {| cellspacing="2" cellpadding="3" style="width:80%;border:solid #999 1px;background:#F8F8F8;margin:0.5em auto;clear:both" |style="width:10%;text-align:right"|[[画像:Castle_in_Inuyama.JPG|50px|執筆の途中です]] |style="color:black"|この「'''{{PAGENAME}}'''」は、[[日本の歴史]]に関連した'''[[Wikipedia:スタブ|書きかけ項目]]'''です。この記事を[{{SERVER}}{{localurl:{{NAMESPACE}}:{{PAGENAME}}|action=edit}} 加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。] |} </div> [[Category:日本の歴史関連のスタブ項目]]
3.「Category:日本の歴史関連のスタブ項目」に次を追加
{{Stub Category|[[日本の歴史]]|Japanese-history-stub|[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 歴史|歴史]]|[[Wikipedia:ウィキポータル 歴史|歴史]]|な にほんのれきしかんれんのすたふこうもく}} [[Category:日本史|*]] [[category:歴史関連のスタブ項目]] [[en:Category:Japanese history stubs]]
4.貼り直し作業
{{history-stub}}→{{Japanese-history-stub}}
特段ご反対のないようでしたら来週くらいから順次作成します。ろう 2006年5月12日 (金) 07:23 (UTC)

インデント戻します。よいと思います。歴史スタブは膨大すぎるので、もっと細分化してもいいと考えています。さしあたり一歩目として日本史を独立させることに賛成します。--S kitahashi(Plé)2006年5月14日 (日) 16:27 (UTC)

ご返答ありがとうございます。ノート:日本の歴史の議論では、有名な記事に対して試行して、テンプレの存在を宣伝するという流れになっております。本日から少しずつ張り替えを行いたいと思います。
--ろう 2006年5月15日 (月) 23:44 (UTC)
私も賛成いたします。(あまり議論には参加しないほうなので気づいていませんでした。。。)微力ですが、歴史分野で活動しているものとして少し張替えを行えればと思います。--伯龍 2006年5月18日 (木) 06:08 (UTC)

グレゴリオ暦の月日記事とユリウス暦の月日について

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現在ぺディアにおいて月日の記事はグレゴリオ暦と日本の太陰暦である旧暦の記事があります。私はユリウス暦記事にグレゴリオ暦の月日記事の関連付けをすべきではないと思い編集してきましたが、私のノートに以下疑問がよせられコピーしました。どうも過去に議論され決定されたのか不明のためここで議論したいと存じます。Izayohi 2006年11月2日 (木) 01:12 (UTC)

気付いたのが遅れたため、数日前のご編集を蒸し返すようで恐縮ですが、カトリーヌ・ド・メディシスにて、日付のリンクを外しておられますね。また、同様の編集を他の記事でも行っておられ、リンクが再び張られたものをリバートすることもなさっておられるようですが、これはどこでの議論に基づくものでしょうか。
現在の日付の記事は、いずれも「○月○日はグレゴリオ暦で年始から○日目に当たり」とは書いていますが、「グレゴリオ暦の○月○日は年始から○日目に当たり」とは書いておりません。ゆえに、年始や年末までの日の基準にグレゴリオ暦を用いているだけで、太陽暦の日付の記事そのものが「グレゴリオ暦の日付」だけのトピックに限定するとは現状では書かれていません。また、同様の書式で書かれている英語版、フランス語版、スペイン語版の日付記事ではユリウス暦のトピックもあわせて記述されています。
ノート:1月1日を見る限りでは、日本語版でも過去の議論では、日付記事にグレゴリオ暦・ユリウス暦のトピックを双方入れることに特に異論は出ていなかったように見えるのですが、その後、どこかで議論がなされたのでしょうか。
西洋旧暦と新暦で日付がずれることぐらいは認識していますが、暦法としてはどちらも太陽暦であり違いは閏年の置き方だけですから、杓子定規にリンクをはずすことには違和感を覚えるのです。他方、どこかで議論がなされているのであれば、(今後も16世紀フランスのトピックを立ち上げることはいくつもあると思いますので)今後の日付の扱いに反映致したいと思います。お手数ですが御教示ください。--Sumaru 2006年11月1日 (水) 11:51 (UTC)

追記しておきます。Izayohiさんはこの節の冒頭で「月日の記事はグレゴリオ暦と日本の太陰暦である旧暦の記事があります」とおっしゃっていますが、私はこの前提自体がおかしいのではないかと考えています。現在の日付の記事は、「一般的な太陽暦の365日の記事と日本の旧暦360日の記事」に過ぎないと思うのです。上記ノート:1月1日のほか、ノート:365日でもグレゴリオ暦かユリウス暦かを限定しない「太陽暦の記事」という前提で議論がなされていますし、Wikipedia:各日のスタイルガイドでも、グレゴリオ暦の日付だとは限定されていないからです。--Sumaru 2006年11月2日 (木) 03:20 (UTC)

次の理由から編集しました。Izayohi 2006年11月6日 (月) 13:23
  1. 年月日の記事はグレゴリオ暦で○○から○日という定義の記事である。
  2. イギリスやロシアなどユリウス暦の使用がグレゴリオ暦以後もかなりの期間使用され併記される記事がある。
  3. グレゴリオ暦とユリウス暦の月日は一致したことはない。
  4. グレゴリオ暦とユリウス暦のみが太陽暦(地球の公転を1年とする暦のこと)なのではない。

Izayohiさんのお答えに対する疑問点を列挙します。

1について
Izayohiさんの会話ページにも書きましたが、「グレゴリオ暦の○月○日は」と「○月○日はグレゴリオ暦で年始から…」というのでは意味が若干異なると思います。前者の場合グレゴリオ暦限定になりますが、後者の場合は「(太陽暦の)○月○日はグレゴリオ暦で(は)年始から…」と読む余地があります。ほぼ同じ文面の英語版やフランス語版の記事で新暦旧暦双方の記述があっても問題が起こっていないのも、そういうことだろうと思います。
2について
たとえば2月革命 (1917年)などは旧暦で統一すると予め断っていますが、こうした編集では何故駄目なのでしょうか。また、どのような記事で併記されているのか私には思いつきませんが、その記事の英語版などではどのような扱いになっているのでしょうか。
3について
古代ローマの歴史には疎く、また計算したこともありませんので断言しかねますが、スタート地点の何十年かは一致していたのではありませんか。閏年を余計においていたためにユリウス暦がグレゴリオ暦式の計算に比べてずれていったわけですから。
それは的外れな指摘なのかもしれませんが、一致しようとしなかろうとそこはどちらでもよい問題だと思います。「太陽暦の1月1日」の記事であるのなら、「ユリウス暦の1月1日」の事柄と「グレゴリオ暦の1月1日」の事柄をともに盛り込むことに問題はなく、換算する必要はないのですから。繰り返しますが、英語版や仏語版ではこの点の換算をしていません。
4について
当然それは私も認識しておりますが、暦の種類の話をしだせば、日本の旧暦の改変された種類は西洋の比ではないと思いますが。なぜそちらは旧暦360日で統一してよくて、西洋の場合は高々400年間で3日のズレしか生じない2つの暦法を区別する必要があるのでしょうか。--Sumaru 2006年11月6日 (月) 15:08 (UTC)
再回答です。なお、この問題はノート:アイザック・ニュートンで議論されたことがありました。Izayohi 2006年11月6日 (月) 22:44 (UTC)
  1. これについては、現在の記述はわかりにくいので、どちらでもよいのできちんと限定できるように記述していただけばよい事だと思います。
  2. 旧暦での記述してはいけないなど発言したことはないです。そういう注釈が全ての記事にあったほうがいいと思っています。併記はアイザック・ニュートンなどあります。
  3. ユリウス暦の記事に1月は現在の冬至のあたりという記述があります。これだと1年の起点が冬至だったようにも思えますが。
  4. 統一しなければならないとも発言していません。日本の旧暦の月日について問題があるとは思います。ですが、グレゴリオ暦とユリウス暦は明白に区別できるので、区別できるものは区別すべきと思っております。


sumaruです。誠実にお答えいただいているのは分かるのですが、少々論点がずれているように思います。改めて整理しておきますが、ここで議論したいのは次の2点です。

  1. 365日の各日付の記事は、「太陽暦としてのその日付」であるはずなので「グレゴリオ暦のその日付」の事柄も、「ユリウス暦のその日付」の事柄も書いてよいのではないか。
    過去の日本語版の議論も、他国語版の日付記事も、このような方針に準拠されていると思います。ノート:アイザック・ニュートンの議論もこれ自体は否定していません(というか、この議論は歴史記事での暦法の扱いをどうするかであって、日付記事の扱いや歴史記事内の日付のリンクのあり方を示したものではないと思います。ちなみに、この記事の英語版は秀逸な記事に選ばれていますが、そこでも新暦と旧暦のどちらの日付にもリンクが貼られていますね)。この点(過去の方針や他国語版との整合性)については未だにコメントを頂いていないように思います。
    後でも触れますが(そしててっきり御存知だと思っていたのですが)ユリウス暦は一枚岩ではありませんし、Izayohiさんもおっしゃるように太陽暦は西洋旧暦と現行暦だけではないのですから、「年始からの日付」や「年末までの日付」を示すためには、いずれの暦を基準にしたのかを明示する必要があります。その意味で、別に現状の記述でも問題はないと考えますが、「どちらでもよいのできちんと限定できるように記述していただけばよい事だと思います。」と仰っているのは、日付記事の定義文を微調整することでユリウス暦の事柄を併記することに反対しない、という意味にとってよろしいのでしょうか。
    というか、Izayohiさんが日付記事からグレゴリオ暦以外のトピックを削りまくっていることを厳格に適用するならば、(明治期日本では当初ユリウス暦もどきを導入していたわけですから)自由民権運動の大半も日清戦争関連のトピックも削らなければならないという事態になると思います。しかし、百科事典である以上、徒に情報を削るよりはうまく存続させる方法を模索する方がよいのではないでしょうか。
  2. 歴史記事に関して、ユリウス暦の日付のリンクを外す必要はないのではないか。なぜ、換算しなければならないという(過去に議論されたことのない)前提によってリンクを外すのか。
    「旧暦での記述してはいけないなど発言したことはないです。」と仰いますが、そんなことを責めた覚えは私にもありません。私が言いたいのは、断り書きがしっかりしてあれば、併記されている記事(あるいは2月革命のように旧暦で統一されている記事)でも、ユリウス暦の日付とグレゴリオ暦の日付双方にリンクが張られていようと問題ないのではないか、ということです(あくまでも問題にしているのはユリウス暦のリンクを外すという行動です)。そういう意味では、併記されている記事にしっかり注記すべきというIzayohiさんの御提言は、私の立場からももちろん異論はありません。
    ノート:アイザック・ニュートンでの結論?(suisuiさんの最後の提案に異論がついていないのでそう見なしてよいと思いますが)では、1582年以前はユリウス暦を基準にする、とあるだけで換算しなければならないとも、換算することが望まれる、とも書かれていませんし。そして換算することが前提になっていない限り、ふたつの暦の日付に区別は存在しません。

(追記)ユリウス暦はアウグストゥスの改暦の前と後で異なります。改暦前の日付が一致しないのは当たり前の話ではないでしょうか(冬至云々も改暦前の話です)。そして、改暦からグレゴリオ暦制定までの1570年ほどの間でズレは10日ほどだったわけですから、「400年で3日のズレ」から逆算すれば、スタート地点の数十年のズレは0日だったことになるんじゃないかなあ、と思って上のように書きました。どのみち、きちんと調べた上での算定ではありませんが。--Sumaru 2006年11月7日 (火) 03:41 (UTC)

(訂正)すぐ上の記述は根本的な計算間違いに自分で気付いたので撤回します。ですが、Izayohiさんの会話ページにあったこちらで換算してみると、西暦200年から299年までの100年間は、ユリウス暦の日付とグレゴリオ暦の日付がピッタリ一致しているようですね。この換算が正しいとすれば、この点はIzayohiさんの主張の補強材料にはなりえませんし、むしろ区別をすべきだという主張からすると余計にややこしいことになるのではないかと思います。--Sumaru 2006年11月8日 (水) 11:11 (UTC)


 お疲れ様です。日付編集中心の利用者です。Izayohi様とは高師直の編集の件で以前にもお世話になりました。その節はどうもありがとうございました。  ところで日付の件なのですが、上記の議論とノート:アイザック・ニュートンの内容を踏まえて、

  1. 人物項目の生年月日は現在から1582年10月15日まではグレゴリオ暦、10月4日以前はユリウス暦を基本とし、和暦の場合は明治5年12月2日以降はグレゴリオ暦基本、天正10年9月19日までが和暦&グレゴリオ暦、それ以前はユリウス暦で、推古元年(593年1月1日)までは和暦と並記とする。架空の暦使用は論外。
  2. 日付の記事(1月1日など)はグレゴリオ暦かユリウス暦かを限定しない「太陽暦の記事」なので、ひとつひとつの事柄にグレ暦ユリ暦の換算する必要はない。英語版や仏語版でも同様この点の換算をしていない。
  3. 日本の旧暦の月日については問題があるものの、グレゴリオ暦とユリウス暦は明白に区別できるので、区別できるものは区別すべきである。
  4. Izayohi様のユリウス暦日付リンク消しの件は継続審議中。

という感じでよろしかったでしょうか。(間違っていたら申し訳ございません)

高師直の日付リンク消しの件以来、私も意見の統一が図られるまで、「日付記事に歴史上の人物を登録し、日付記事の極端な近現代偏重傾向を解消する」という作業を一時停止しておりますが、修正したい記事を停止中にもいくつか見つけてしまった状態ゆえに、そろそろ編集作業を再開したいと思い、このたび批判覚悟で書き込みを行いました。

個人的な意見といたしましては…

ユリウス暦日付リンク消しの件ですが、Izayohi様の発言(ですよね)の中に、「旧暦での記述してはいけないなど発言したことはないです。そういう注釈が全ての記事にあったほうがいいと思っています。併記はアイザック・ニュートンなどあります。」というのがございましたが、この発言を考慮いたしますとIzayohi様の日付リンク消し作業の際には、その労力を使ってついでにユリ暦グレ暦の併記なり生年月日の前に「ユリウス暦」と記載するなり(たとえば高師直の場合は「正平6年/観応2年2月26日ユリウス暦1351年3月24日)」のような感じで)といった作業も行うほうがよろしいかと思われます。少なくとも高師直の件のように何もいわずアピール不足のまま日付リンク消しを行った場合は、私のように「日付にリンクし忘れている」と判断して加筆を行う輩が続出する恐れがあり、利用者登録を行っていない匿名一般編集人がゴマンといる現状を考えると、あまり得策ではないように思われます。

ただ私としましては、Sumaruの意見と一部被りますが、できれば日付リンクに関しては英語版仏語版wikiと同様の手法を採用する(というか「合わせる」)方が宜しいかと思われます。私が見た限りでは、(多忙ゆえwikiを見ている時間が短いことも一因かもしれませんが)Izayohi様以外に積極的にユリウス暦リンク消し作業を行っている人を見かけないことや、英語版のEmperor Tsuchimikadoの記事みたいに海外でも歴史上の日本人記事の生年月日に関しては日付リンク外しをしていない(日本語版の土御門天皇の記事もこれに準じている)ことを考慮いたしますと、どうしても「合わせる」ということが必要になってくるのではないかと思ってしまいます。それに日本語版wikiだけ歴史人物の生年月日部分の日付リンクが軒並み黒文字というのは、もし外国人が日本語版wikiを閲覧した際には非常に奇異に感じてしまうのではないでしょうか。

もうひとつ確認なのですが、日付記事の「できごと・誕生日・没日」の欄の日付は、「西暦1582年10月15日まではグレゴリオ暦、10月4日以前はユリウス暦の日付が対象で、それに和暦元号を付記する」という形式で宜しかったでしょうか。こちらのほうに関しましてはWikipedia:各日のスタイルガイドノート:1月1日あるいはニュートンのノートなどを総合的に判断いたしますとこのような形式に落ち着くのではないかと思われるのですが、如何でしょうか。

ふざけた名前の利用者のコメントゆえ「なんじゃこりゃ」と思われる部分も多々あると思われますが、どうかどうか、よろしくお願いいたしますと同時に、今後ともよろしくお願いいたします。何卒、何卒。--日本一弱い男 2006年11月10日 (金) 8:46 (UTC)

sumaruです。少々長くなります。
推古期を基準にしたスタイルまでがどこかで定められているかは私は存じませんが、人物記事の生年月日は現在Wikipedia:スタイルマニュアル_(人物伝)#生年月日・没年月日およびそこの例に従うことが推奨されています。これらが「考慮すべきガイドライン」であるのに対し、Izayohiさんが行っておられたリンク外し等は議論が提起されたことが無かったものです。
日付記事の扱いは、仰るとおり
>日付記事の「できごと・誕生日・没日」の欄の日付は、「西暦1582年10月15日まではグレゴリオ暦、10月4日以前はユリウス暦の日付が対象で、それに和暦元号を付記する」という形式で宜しかったでしょうか。
でよろしいと思います。現状の「考慮すべきガイドライン」であるWikipedia:各日のスタイルガイド等からは私も全く同じように読み取れますし。ただ、「旧暦併記」は「できごと」欄についてしか書かれていないため、近世までの日本史の人物の生年月日等を換算した上で365日の方に入れるのが適切なのかは私には判断がつきません(誕生日等は旧暦360日の日付の方に記載するにとどめたほうがよい可能性もあります)。後腐れのない手続きを重んじられるのでしたら、Wikipedia‐ノート:各日のスタイルガイドで議論を投げかけてみて1週間ほど待って反対意見が出ない、または反応自体がないときに、そうした編集を再開するという形にするのも一つの手かとは思います。
>少なくとも高師直の件のように何もいわずアピール不足のまま日付リンク消しを行った場合は、私のように「日付にリンクし忘れている」と判断して加筆を行う輩が続出する恐れがあり、利用者登録を行っていない匿名一般編集人がゴマンといる現状を考えると、あまり得策ではないように思われます。
>それに日本語版wikiだけ歴史人物の生年月日部分の日付リンクが軒並み黒文字というのは、もし外国人が日本語版wikiを閲覧した際には非常に奇異に感じてしまうのではないでしょうか
全く同感です。西洋人が西洋史を記述するときの慣例に、あえて日本語版でだけ反するメリットがあるとは私には思えませんし、Izayohiさんに他国語版との整合性をお尋ねしているのもそのためです。なお、高師直の件は(Izayohiさんのうっかりミスだったそうですが)議論が終息する前に「考慮すべきガイドライン」に反する編集を強行したIzayohiさんの側に非があるため、日本一弱い男さんに落ち度は無かったと考えます。
私はルイーズ・ラベを一昨日立ち上げましたが、そこではユリウス暦時代の日付にリンクを貼りました。これは別にIzayohiさんへのあてつけではなくて、議論が終息していない(というか、Izayohiさんからのお答えがない)状況では、現在合意がなされている「考慮すべきガイドライン」と、「Izayohiさん独自の基準」とのどちらをとりあえず優先すべきかはいうまでもないからです。
とりあえず72時間以上議論が止まっていたわけですし、「考慮すべきガイドライン」に沿った編集をする分には、日本一弱い男さんが責められるいわれはないのではないでしょうか。--Sumaru 2006年11月10日 (金) 14:29 (UTC)
ご意見ありがとうございます。大変参考になりました。
私がまだ一般利用者として誕生日・忌日加筆を行っていたとき、何もわからずにひたすら西暦年号のみを入力しまくっていたら、あとでベテラン利用者の方が何も言わずに和暦年月日を追加してくれていて、「そうなんだ。そうやって記載するものなんだ」と自覚し、以後記載の際にはすべて「西暦(和暦年月日)」という形式で入力するようになったということがありました。よく見たら他の誕生日・忌日の記載もすべて古代~幕末までの人物は西暦プラス和暦という表記方法になっておりましたし、おそらくは生年月日部分も「できごと」欄同様に「旧暦と新暦が混在した時代のできごとについては旧暦を並記するようにしてください」のルールが適用されているものと思われますが、一応Sumaru様のおっしゃられていたとおりWikipedia‐ノート:各日のスタイルガイドで確認をとってみたいと思います。それと、「誕生日等は旧暦360日の日付の方に記載するにとどめたほうがよい可能性もあります」とのご助言に関してなのですが、私が日付編集に手を出す以前から歴史上の日本人がベテランさんによってすでに何件も旧暦じゃない日付欄に登録されていたことを考慮しますと、おそらく以前に何らかの形で「旧暦じゃないほうの日付欄にも日本人OK」の合意がなされているのかも…という可能性がございますので、とりあえずこちらの方も同様に議題にかけて確認を取ってみたいと思っております。(「近世以前の人物は通常の日付欄じゃないほうに入れてください」というルールの場合、極めて重大な編集ルールとなる可能性が高いので、各日のスタイルガイドでも何らかの表記がなされていなければならないことになりますし…)
少なくともスタイルマニュアルの例を見ると、ユリウス暦時代に生まれた徳川家康やインノケンティウス3世も、生年月日にはしっかりとリンクが張られていますね…。私といたしましては、とりあえずWikipedia‐ノート:各日のスタイルガイドの返事待ちということで、返答を見てから今後の身の振り方について考える、ということにしたいと思っております(合意がなされた場合にはスタイルマニュアル優先という解釈を採用するという方向で)。
ただ私が記載しました、3月24日の忌日欄にある高師直の項目だけは、現在審議中の部分のひとつということで、とりあえず議論に収束がつくまで一時的に削除することにいたします(片方が黒文字でもう片方が堂々と日付欄掲載、というのも気になるので)。私としましても、もう一度各ガイドラインを読み直して、自身の解釈に問題はないか、あるいは解釈文に「穴」はないか、確かめてみたいと思っております。長文失礼いたしました。何卒、何卒。--日本一弱い男 2006年11月11日 (金) 11:29 (UTC)
上記で「誕生日等は旧暦360日の日付の方に記載するにとどめたほうがよい可能性もあります」と申し上げましたが、これは考え過ぎだったかも知れません。他国語版との整合性を考えるなら、むしろ365日の方に日本史上の人物の生没年が記載されていないと、外国人読者には不親切にも思えますし。日付のリンクの方で他国語版との整合性を問題にしていながら、この点を見落としていたのは不適切でした。失礼致しました。
ともあれ、
>とりあえずWikipedia‐ノート:各日のスタイルガイドの返事待ちということで、返答を見てから今後の身の振り方について考える
という姿勢でおられるのなら、仮に1週間ほど待ってそちらのノートで何の反応もなくとも、編集を再開してしまってよろしいだろうと思います。
私も日本一弱い男さんのような慎重な編集姿勢を心がけてゆきたいものです--Sumaru 2006年11月12日 (日) 04:58 (UTC)

議論の終息に向けて

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Izayohiさんが最後に書き込んでから1週間が過ぎました。これ以上のご意見が無いようであれば、Izayohiさんが大量かつ長期にわたり行ってこられた2点、つまり

  1. ユリウス暦時代の人物記事で月日の内部リンクを外す。
  2. 365日の各月日の記事に書き込まれたユリウス暦時代の項目(事件、誕生日など)は一括して削除。

は、順次差し戻していきたいと思います。なぜならば、1.はWikipedia:スタイルマニュアル_(人物伝)の例示に反していますし、2.はwikipedia:各日のスタイルガイドや過去の議論、他言語版等との整合性が不明確なままだからです。

wikipedia:コメント依頼には11月3日付で掲出しておりますし、Izayohiさんは何人かの方に議論への参加を呼びかけておられたようですが、Izayohiさんの編集を追認する形でのスタイルマニュアル等の改訂をすべきだという意見はありません。である以上、従来の議論や慣例に沿った編集が尊重されるべきではないでしょうか。とはいえ、Izayohiさんの履歴を見る限りでは修正しなければ記事があまりにも多く影響が広範囲に及ぶため、一応、このメッセージの投稿からもうしばらく待ちます。--Sumaru 2006年11月15日 (水) 03:12 (UTC)

わざわざありがとうございます。私もとりあえず確認のためにスタイルガイドのノートに書き込みしてみたのですが、予想通りというべきかどうか、「返事無し」の対応となりましたので、ちと消化不良感が残りますがSumaru様のご助言どおり私もそろそろ日付編集作業の再開の準備に取りかかりたいと思います。こんな形で議論の収束を向かえるのは些か残念な気もいたしますが…。
とりあえず、日付欄の高師直に関しては完全解決ではないとの解釈から私自身の手で敢えて編集せず、その代わり「他の投稿者が高師直を追加するのを待つ」というスタンスでいくことにします(当事者の手で編集するよりは後腐れないことになると思うので)。それ以外の日付記事に関しましては、現状でもまだまだ「今高古低」の状態ですので、牛歩ながら追加作業を行っていきたいと思っております。あとユリウス暦リンク外しに関しては、こちらから積極的に出るのも少々気が引けますので(そもそもユリウス暦リンク修復のために利用者登録したわけでもないので)、日付記事登録作業の際に該当記事を見つけた場合のみ修復するという形で行きたいと思います。
>私も日本一弱い男さんのような慎重な編集姿勢を心がけてゆきたいものです
いや、単に慎重すぎるだけです(汗)。Sumaru様にはいろいろとお世話になりました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。またこのような議論の場にご招待いただいたIzayohi様にも御礼申し上げます。ご両人とも、今後もお手柔らかによろしくお願い申し上げます。何卒、何卒。--日本一弱い男 2006年11月16日 (金) 17:43 (UTC)
72時間以上が過ぎましたがIzayohiさんからの反論も、他の方によるIzayohiさんの擁護意見もありませんでしたので、議論は終息したものと見なします。
Izayohiさんが行った編集は順次差し戻していきます(あまりにも分量が多いので数日がかりで行うかもしれませんが)。「気付いた人が~」というやり方でなく私の方で直していこうと思うのは、Izayohiさんが活動歴の長い方だからです。そういう方があれほど大量にリンク外しを行っていたのですから、活動歴の浅いユーザーさんの中には、スタイルマニュアルを確認せずにそちらが正しいスタイルだと思い込んでしまう人が出てくるかもしれないですし、そうなると同様の編集が拡散しかねないという点を危惧しているのです。
高師直については日本一弱い男さんの御意思を尊重して、私としても手を触れないでおきますが。--Sumaru 2006年11月18日 (土) 12:25 (UTC)

ウィキポータル分類についての議論参加のお願い

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Template:ウィキポータルにおいて細分化した項目が増え、ポータル総数51、ドラフトまで合わせると78に上り、ポータル一覧が非常に見づらくなってきています。現状は全てのポータルを表示させていますが、全く関連のないポータルまで表示されるのは意味がありません。英語版に習ってポータルを8つに分類しカテゴリ分けをしたあと、主要ポータルの立ち上げとサブポータル(階層など)の検討をしていきたいと思います。つきましては分類方法についてWikipedia‐ノート:ウィキポータル#ポータルの分類案までご意見をお願いします。特に Portal:歴史 は主要ポータルのひとつとして挙げられていますので今後の編集の方向性についてご意見をお願いします。--八代将軍 2006年11月4日 (土) 08:09 (UTC)

記事「江戸時代」について

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記事江戸時代ですが、この差分→[1]概要文化・芸術の節がバッサリ落とされているんですが、これは何か経緯があっての削除か、事情をご存知の方はおられますでしょうか?--ととりん 2006年12月22日 (金) 10:50 (UTC)

ととりんさん、ノートでも大量削除の議論は行われてません。この編集を行ったIPの投稿記録を見るとどうやら。。。3ヵ月以上誰も気がつかなかったようです。変なことが書かれると誰かが気付くのですが、一部の節をまるごと削られると全体の文章そのものは成り立っているので意外と気がつかないようです。わたしの方で概要節、文化・芸術節の復帰を行っておきました。三ヶ月以上も前の一時的な行為と思いますので、今のところ保護等の依頼は不要と思います。--味っ子 2007年1月4日 (木) 02:29 (UTC)
やはりそうでしたか。自分も久しぶりに記事を見たときには、すぐに気がつきませんでした。復帰の方も手配していただき、ありがとうございます。--ととりん 2007年1月11日 (木) 11:19 (UTC)

復帰した概要部に関して早速、ノート:江戸時代で見直しが提案されています。興味のある方はご覧下さい。--ととりん 2007年1月11日 (木) 11:19 (UTC)

近世オランダ歴史項目なのですが、アングリカン・コミュニオンに関連記事として記載されており、しかしユトレヒト同盟の項目には聖公会への言及がありません。関連をご存知の方は、後者にそのことを加筆していただけると嬉しいです。そうでなければ、どのような関連があるか不明なものとして、いったん外すのがよいのではないかと思いますが……いかがでしょうか。

みなさまご多忙のところ、申し訳ございませんが、よろしくご配慮のほどをお願いいたします。--Aphaia 2007年1月31日 (水) 04:44 (UTC)

古代ローマ支配下のエジプトの記事名

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どこに相談すればよいか迷いましたが、ここに歴史に詳しい方が集まると思いましたので、ご相談します。助言いただけると助かります。今私は、古代ローマ支配下のエジプト属州の記事を作成するため、en:Aegyptus (Roman province) の翻訳作業をしています。記事名について悩んでおり、

  1. アエギュプトゥス
  2. アイギュプトス
  3. ローマ領エジプト
  4. 属州エジプト
  5. エジプト属州

など候補として考えています。1.はラテン語の地名に従っていてTemplate:ローマ帝国の属州にも使われています。しかし、ネットを検索すると2.の方が多そうです。3.はTemplate:ローマ帝国の属州のリンク先(赤リンク)です。4.はTemplate:古代エジプトの王朝のリンク先(赤リンク)です。なお、他のローマ属州については、現在の地名と紛らわしいときだけマケドニア属州のように後に「属州」と加えていて、つまり5.の方法をとっています。どの記事名が良いかご意見いただけませんでしょうか?--Coleus 2007年3月7日 (水) 09:09 (UTC)

私見で宜しければ。1.で作成し、3.、4.はテンプレートの変更、2.、5.はリダイレクトでいいのではないでしょうか?ただエジプト属州は皇帝領ですので厳密に言えば「属州」ではないのではないかという疑問もありますが。--ろう(Law soma) 2007年3月8日 (木) 00:02 (UTC)
Googleで検索したところ[2]同名のギリシア神話の人物)が見つかりました。これを見るとAegyptus(アエギュプトゥス)はラテン語、Aígyptos(アイギュプトス)はギリシア語と推測できます。この推測が正しいなら、ローマ帝国の地域区分の記事ですからラテン語名のほうがいいと思います。また3のリンクを作成したのは私ですが、なぜこの赤リンクを作ったのか思い出せません(ごめんなさい)。--粗製濫造 2007年3月8日 (木) 06:20 (UTC)
ろうさん、粗製濫造さん、ご意見ありがとうございました。新規記事としてアエギュプトゥスを作り、アイギュプトスエジプト属州とをリダイレクトしました。二つのテンプレートは修正しました。なお、皇帝私領なので本来は属州とは違うと思いますが、翻訳元にはその説明が無く、私も知識や資料がないので、今回の記事ではその説明をしていません。ノートに補足しておいて、他の方の加筆を待ちたいと思います。--Coleus 2007年3月9日 (金) 08:28 (UTC)

松平氏・徳川氏のカテゴリについて

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今のところ松平氏や徳川氏の人物にはCategory:松平氏Category:徳川氏がついていますがそれらのカテゴリには以下のような「○○松平氏」や「○○徳川氏」のカテゴリがあります。

これらのカテゴリはページ数が少なく、例えばCategory:清水徳川氏には清水徳川家しかありません。しかし、これは決して無用ということではなく、ページ数の多いCategory:松平氏Category:徳川氏からむしろ張り替える必要があると思います。また、必要に応じてCategory:会津松平氏(保科姓の正之、正頼、正経も含めるべき。また、Category:松平氏だけでなくCategory:保科氏にも含める)やCategory:越智松平氏もつくるべきです。

さらに、御連枝のカテゴリは本家のカテゴリのサブカテゴリにすべきだと思います。Category:松平氏には家康や家康以前の宗家当主および家康の傍系の十八松平の人物(十八松平のいずれかの家を養子として継いだ家康の男系子孫(例:松平忠輝)や長沢松平家の養子になった大河内松平家の人物も含むべき)を、Category:徳川氏には将軍家やその妻子、さらには独立したカテゴリをつくる必要のない駿河徳川家、甲府徳川家、館林徳川家の人物のみを入れるべきです。たとえば松平容保ならCategory:尾張松平氏Category:会津松平氏に含めるといった具合です。久松、奥平、戸田、松井、本庄の各松平家については一応保留しておきます。--やりたこ 2007年5月2日 (水) 01:42 (UTC) (訂正)--やりたこ 2007年5月2日 (水) 04:04 (UTC) (若干修正)--やりたこ 2007年6月14日 (木) 08:04 (UTC)

誰も書いていないのですが私の提案に反対意見はない、もしくは実行してもいいと言うことなのでしょうか。確認をお願いします。--やりたこ 2007年6月14日 (木) 08:04 (UTC)
この手の問題提起はウィキプロジェクト 日本史ノートで行なった方がよいかと思います。--ウィキワッチー 2008年7月17日 (木) 20:49 (UTC)

「右衛門佐」の記事名について

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人物記事の右衛門佐について、適切な記事名への改名が必要と考えています。意見をいくつかいただいていますが判断が分かれているため、引き続き日本史に詳しい方のご意見をお待ちしております。ノート:右衛門佐までお願いいたします。--Happy B. 2007年12月31日 (月) 01:43 (UTC)

右衛門佐局へ改名しました。ご意見をお寄せくださったお二方、ありがとうございました。--Happy B. 2008年1月26日 (土) 18:00 (UTC)

都道府県別の考古遺跡カテゴライズについて

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「世界の一体化」の分割提案

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現在世界の一体化にて、「記事量が長大であるため、どうにかしよう」ということで分割提案がなされています(ノート:世界の一体化#改めて分割提案)。「分割がそもそも必要か」「そもそも百科事典的か」など根本的な話もされるかと予想されますので、みなさまご参加よろしくお願いします。--青子守歌会話/履歴 2008年3月4日 (火) 19:06 (UTC)

最終的なまとめにて、分割案の最終確認を行なっています。一応、期限は2008年5月6日 (火) 0:00(JST)となっていますので、何か問題があると思われる場合は早めに反対表明をお願いします。賛成(問題なし)の場合も、そのように言っていただけると助かります。よろしくお願いします。--青子守歌会話/履歴 2008年5月4日 (日) 16:59 (UTC)


生前使われなかった名の方が周知されている人物の記事名について

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すみませんがご相談したいことがあります。現在立花道雪ノートページにて、記事の改名に関する議論が行われております。問題となっているのは、生前に使っていなかった氏名の方が周知されている人物であっても、記事名は生前使われていた物にするべきか、という部分です。

他の記事を見ても方針が統一されておらず、たとえば北条早雲聖徳太子は周知されている名が記事名ですし、真田幸村島左近は生前使われていた名が記事名です。

日本史という分野の中でさえ統一されていないのはまずいと思うのですが、この問題について過去になにか方針が出されたことがありますでしょうか? もし無いのであれば、統一された方針を出すべきだと思うのですが、いかがでしょうか?--蒲生直義 2008年10月12日 (日) 08:27 (UTC)

過去に明確な方針が出されたことはないと記憶しています。個々の事例に即して、個別判断がなされているのが現状でしょう。もちろん統一した方針があるに越したことはありませんが、私は悲観的な見通しを抱いています。
人々を啓蒙するという百科事典の本来的あり方を重視するならば、学術研究の場で一般的となっている呼称(要するに、学者さんが普通に使っている呼称)をウィキペディアの項目名に採用することが、きわめて妥当なことだと私は考えています。上の例でいきますと、今日の学術研究レベルでは、北条早雲=「伊勢宗瑞」、聖徳太子=「厩戸王子/皇子」と称するのが一般的となっていますので、百科事典の本旨に基づけば、おのおの後者を項目名として採用すべきだろうと思います。
しかし一方で、「多くの人が参照する百科事典なのだから、その項目名は人口に膾炙しているものを採用すべきだ」という主張が多く見受けられたりもしています。この場合、学術研究レベルで一般的な呼称であっても、世間一般に流布していなければ、積極的に項目名とする必要はない、という結論が導き出されます。
両者の考え方の間には、百科事典に対する思想・価値観に大きな違いがあると思っています。かたや「百科事典→知らないことが書いてあるので学ぶことができる」、かたや「百科事典→知っていることが書いてあるので安心できる」、という根本的な違いです。ゆえに両者の主張は互いに平行線をたどるだけであり、いずれか一方に収斂することはほぼないだろうと考えられます。
大きな価値観の違いがある中で、項目名についての統一的な方針を策定することは難事業です。しかも、得られる果実はさほど大きくない。であれば、意味の少ない難事業に膨大なエネルギーを費やすくらいなら、他の楽しくて有意義な活動(記事内容の加筆充実)にエネルギーを注いだ方がマシじゃろ、と数年にわたるウィキペディア生活を過ごしてきた私なぞはそう思うわけなのです。
立花道雪の件で言えば、その名前が生前使われていたかどうかよりも、戦国史を中心とする学者さんたちが今どう呼んでるかが重要だと私は考えます。この考え方はWikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないのいずれの方針にも適うものだと思うのですが、いかがでしょうか。--shimoxx 2008年10月12日 (日) 17:26 (UTC)
ご意見ありがとうございます。やはりこの問題に関しては、個別判断が行われていたのですね。呼称に関してはShimoxxさんが言われている「学術研究の場で一般的となっている呼称をウィキペディアの項目名に採用する」が適切で納得が行きました。ただ、統一した方針を策定するのは難事業であまり有意義ではないという意見については、どうにも腑に落ちません。神経質すぎるかもしれませんが、記事名という重要な項目で各記事が不統一なのは、百科事典として欠点ではないかと思えるのです。とはいえ難しい問題であるということについては同意見ですので、すぐにでも統一された方針をだすべきじゃないのかという意見は下ろします。立花道雪の問題に関しましても、いただいたご意見が非常に納得が行くものでしたので、参考とさせていただきます。ありがとうございました。--蒲生直義 2008年10月13日 (月) 10:53 (UTC)
レアケースと思われますが、学界で通用している呼称と一般に通用している呼称とが一致しているにもかかわらず、余り一般的でない呼称が項目名とされた人物記事の例として項籍が挙げられます。初版の段階で姓+諱の原則に従って「項籍」とされた事自体は全く正当ではありますが、その後の改名提案の議論でコーエーSLGでの呼称を「項籍」の根拠とする意見が出るなど、議論のプロセスに瑕疵がある例としてもご紹介しておきます(ノート:項籍#項羽と項籍)。--Fish40 2008年11月1日 (土) 12:32 (UTC)


フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案

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日本史の人物記事では大河ドラマをはじめとするドラマやその配役、小説・漫画などの情報の取扱いが問題となっています(これらの情報を人物記事と分離する試みとして、例えばノート:日本史の人物を演じた俳優一覧ノート:徳川家康/過去ログ1#分割提案)。

当該人物の研究における必須の文献が挙げられず、代わりに人物の事績とも後世の歴史的評価とも無関係のフィクション情報が羅列されている現状は異常であると考えます(例えば徳川家康#徳川家康が登場する作品ノート:徳川家康/過去ログ1#分割提案以降)。また、これらのフィクション情報はまとまった文章で論じる事もできず冗漫な羅列に陥るのが常であり、徳川家康#徳川家康が登場する作品のような節は単独記事とした場合には削除の方針・ケースEで削除の対象となるはずです(上記分割提案が実現する見込みは薄いでしょう)。このような節はいわば人物記事に付属することで削除を免れているとも言えるでしょう。さらに、フィクション情報の避難所として立てられたはずの日本史の人物を演じた俳優一覧もケースEに該当するとして削除依頼が提出されるという事態に陥っています(Wikipedia:削除依頼/日本史の人物を演じた俳優一覧。情報の性質上羅列する他なく、存続の見込みは薄いと思われます)。

以上の問題を解決するため、歴史上の人物記事にフィクション作品の情報を原則として載せない旨の拘束力ある合意がなされるべきと考えます。詳細は今後詰めていくものとして、とりあえずはフィクション作品の情報を原則として除く旨の取り決めがあって然るべきと思われます。

なお、中国史においては特に三国志関連の人物記事で『三国演義』や横山光輝氏の作品やコーエー作品群の情報などをどう扱うべきかが問題となりそうですが、現状では概ね適切に抑制されているように思われます(但し、例えばノート:曹豹)。殊に『三国演義』は歴史的に評価の高い作品でもあり、その情報を一定の範囲内で掲載する事は差し支えないと考えます。また、「レッドクリフ」の情報の取扱いは今後問題となり得ると思われます。--Fish40 2008年11月1日 (土) 12:32 (UTC)

基本的に賛成です。歴史の記事ではありませんけどノート:ミスリルで同じような話題が出ました。その主題の受け取られ方に非常に強い影響力を持っていると認められる場合のみに許すとすべきでしょう。『演義』は無論認められます。--らりた 2008年11月1日 (土) 13:04 (UTC)
ポータルのノートよりも、適切なウィキプロジェクトにおいてなされるべき提案かと思います。ただ「拘束力のある合意」というものはウィキプロジェクトで取り決められた事項についても存在しえないものであったと記憶しています。--Kangoshiyouichi 2008年11月1日 (土) 13:23 (UTC)
「ウィキプロジェクトで提案されたものは強制力は持ちませんが、その分野の指針となります。しかし、ノートで検討されていない提案は、指針としては仮または暫定の状態になります。異議や不明な部分があった場合はノートで十分検討したのち提案するようにしてください」(Wikipedia:ウィキプロジェクト
という訳で、強制力はなくても指針なのですから拘束力はあるでしょう。少なくとも「指針を無視する合理的な理由を示せ」くらいは言えるでしょう。プロジェクトでやるならWikipedia:ウィキプロジェクト 歴史でしょうけど、もうこれ以上場所を変えなくても良いでしょう。プロジェクトのノートにこっちで議論してますと書いておいて、このノートで合意が出来たらプロジェクトに反映させれば。--らりた 2008年11月1日 (土) 13:30 (UTC)
そのような意味での拘束力でしたら、特に異論はありません。--Kangoshiyouichi 2008年11月1日 (土) 13:40 (UTC)
私もこの合意の主旨には賛成です。ただ、後世におけるその人物の描かれ方を知りたいという欲求はあると思われますので、以下のような作品については人物記事に記述してもよいのではないかと思います。
  • その人物を主題に描いた、文学的にも評価の高い創作物(例:徳川家康における山岡荘八『徳川家康』など)
  • その人物の存在を世間に知らしめるのに貢献した創作物(例:天璋院における宮尾登美子『天璋院篤姫』及びそれを原作とする大河ドラマ『篤姫』など)
  • その人物について新解釈を与えた創作物(例:上杉謙信における八切止夫『上杉謙信は男か女か』など)
但し、いずれにしても一覧として掲載するのではなく、記事(文章)の中で掲載すべきであり、かつ、それが文学的に評価が高いこと、存在を世間に知らしめるのに貢献したこと、新解釈を与えたこと、などを評価した出典が必要だと思います。
あくまで、記事の読み手の立場に立って考えるべきだと思います。その人物が少しでも出ている作品の一覧を読みたい、と思う人は――非常に限られるのではないでしょうか。--M.F 2008年11月1日 (土) 13:34 (UTC)

色々といっぺんにやろうとして混乱させて申し訳ありません。記事は削除されてしまいましたが、自分はまず歴史の人物記事に配役情報などは必要ないと考えています。ただ排除しても、また同じような事が繰り返されると予想されるので、別記事があれば棲み分けできるかと考えた次第です。フィクション作品情報掲載の指針が示されて、情報の羅列、それによる記事の肥大化を抑制できればそれが何よりです。

まず原則としてFish40さんのおっしゃる「人物の事績とも後世の歴史的評価とも無関係のフィクション情報は掲載しない」、らりたさんの「主題の受け取られ方に非常に強い影響力を持っていると認められる場合のみに掲載を許す」これが最も基本的な指針になると思います。

「掲載される場合」は、単なる作品名の羅列では、それがある事によってまた他の作品名の羅列を招くと思われるため、M.Fさんのご意見のように「文学的に評価が高いこと、存在を世間に知らしめるのに貢献したこと、新解釈を与えたこと、などを評価した出典が必要」であれば良いかと思います。つまりお三方のご意見のいずれにも賛成です。--Nihonsi 2008年11月4日 (火) 18:01 (UTC)

提案に賛成です。また、皆さんのご意見どおりであれば、「演じた俳優」などはなくなり、場合によってごく一部のフィクション作品名が項目へのリンクと共に記載されるのみということになりますので、妥当かと思います。Fish40さんが心配されているレッドクリフであれば、これが大ヒットして非漢字文化圏で有名になったと信頼できる出典に掲載されれば、赤壁の戦いの中でのみ言及するということでいいと思います。--ろう(Law soma) D C 2008年11月5日 (水) 06:59 (UTC)
提案に賛成です。このローカルルールは人物のみならず、組織や団体とかにも適用させてしまっても良いのではないでしょうか? 新選組あたりですと「新選組を題材にした作品」という節がありますし。--KoZ 2008年11月5日 (水) 08:04 (UTC)
(賛成)本来、人物の項目にフィクションの記載を行うのではなく、フィクションの項目に人物の記載を行うのが望ましいかと思います。実際、フィクションの項目によっては「登場人物の一覧」のようなものがありますので、そこで説明すれば足ります。あと、参考までに:Wikipedia:特筆性Kurz 2008年11月5日 (水) 09:38 (UTC)
(反対)賛成意見が多い中、大変恐縮ですが、私は反対です。
なおこの反対は、過剰なフィクション的記述を分割すべきでないという意見ではなく、「統一的な規範ないし合意」というものを設けるべきではないという意味での反対です。個々の記事に於いて確かに度が過ぎるフィクション寄りの記述が見られる場合(たとえフィクション要素の方が史実の人物像の記述部分よりも遙かに分量が多い記事とか)も多いのですが、そういった記述はケースバイケースで処理すべきもので、統一基準を設けることにメリットがあるとは必ずしも思えません。Wikipediaが歴史事典ではなく百科事典である以上、ある程度のフィクション記述はむしろ有益な場合も少なくありません。聖徳太子諸葛孔明鎌倉権五郎石川五右衛門宋江河内山宗俊ラスプーチン等々…史実の人物の事績以上に、虚像が後世に与えた影響の方が大きいと見られる人物もいますし、何より「フィクション」の定義が曖昧かと思います。日記や文書等々一次史料の中に虚偽・誤謬が見られる例もあるわけで…。何が「史実」かも論者によって変わってくるものではありますので一概に峻別できる性質のものではないかと。なお私自身も、例えば「演じた俳優」などの記述がWikipediaに必要な項目とは思えないので(外部リンクで十分フォローできる範囲なので)有名な偉人の項目に関してそれらの記述を別記事に分けることに関して自体は、全く反対するつもりはありません。
それより何より、前節でshimoxxさんが述べられていることと大分重なりますが、統一的な方針を示すことが必ずしもWikipediaにとって有益とは限らないというのが心配の種ではあります。正直、Wikipediaのこれまでの通例として、統一方針を示してしまうことで、それを極々狭義に捉えて杓子定規に(あるいは自分勝手に)解釈して、「統一方針」を大義名分に無闇に一括修正・分割する困ったユーザーが出てくることが容易に予想できるので……。そうなるとたいして意味のない(百科事典を充実させるという方向ではない)論争で膨大なリソースと時間を費やされてしまうことが目に見えるようです。もちろんこういうコミュニティを疲弊させる迷惑ユーザーというのは、統一方針を示そうと示すまいと出てくるものではありますが、それに相手をする立場としては余計な統一方針などない方がまだしも(不必要な大義名分を与えない分)柔軟性を保てます。「主題の受け取られ方に非常に強い影響力を持っていると認められる場合のみに掲載を許す」などの例外規定や基準の柔軟性で何とかなると思われる方もいるかもしれませんが、これまでの不毛な論争を見るにつけ、こういった但し書きがそれほど有用であるようには思えません……。
そんなわけで、統一的な方針自体はむしろ邪魔にしかならず、ケースバイケースで処理するほうがベターなような気がしてなりません。あくまで個人的意見ではありますが。 --トホホ川 2008年11月5日 (水) 13:10 (UTC)
賛成。M.F氏の提案している三ヶ条を基本的なガイドラインとする、というところではないでしょうか。創作ものの記述などをむやみに消す必要もないですが、行き過ぎを抑制するにはある程度の指標はほしいところです。--てぃーえす 2008年11月5日 (水) 14:09 (UTC)
本件ではいくつかの問題が同時に存在していると思います。その中ではトホホ川さんのご指摘にも、重要な示唆が含まれていると思います。また、下記の点についてはトホホ川さんを含め、皆さんが共通の問題意識を持っていらっしゃるのではないかと推察いたします。
  • 人物記事の中の作品リストなどで、その人物が登場する作品のリストが作られはじめると、作品がその人物を説明する上でどれだけ重要性(特筆性)があるかという検討がなされないまま、機械的反復のように追加され、その結果として作品を追加した人のわずかな自己満足と、その人物との関係が薄い作品を大量に含んだ、その人物を理解する上で役に立たない膨大なリストが残されてしまい、しかもそれが人物記事の中で分量的に大きい割合を占めてしまうこと。
これを確認した上で、私の考えを書かせていただきます。
  1. 人物記事にフィクション作品を掲載することを禁止すべきか?
    私はフィクションだからという基準で禁止すべきとは思いません。後世においてその人物がどのように伝えられているかということは、重要な特筆すべき事項でもあると思います。皆さんの議論の中でも、人物記事においてフィクション作品に触れることの重要性が否定されているわけではないと思います。逆に一次資料・二次資料であっても、リストのような形で単純に列挙するのであれば、同じような問題が発生するおそれがあります(今回は議論の対象になっていませんが、たとえば坂本龍馬#文献のように)。
  2. 一次資料とフィクションとの境は曖昧ではないか?
    Wikipedia:検証可能性に あるとおり、Wikipediaに書くことができるのは「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。一次資料に真実性があるかどうか、一次資料であるかフィクションであるかという議論は無意味だと思います。私が「文学的に評価が高いこと、存在を世間に知らしめるのに貢献したこと、新解釈を与えたこと、などを評価した出典」が必要だと主張しているのは、この基準に基づくものです。
  3. ケースバイケースと統一的合意
    ケースバイケースにすべきというのは、一次・二次資料とフィクション作品が紹介される割合がどの程度の比率になるのかという点についての話だと思います。一方、その人物がちょっとでも登場する作品(ノンフィクションを含む)のリストを作ることは、どの人物についても無駄(むしろ読み手にとっては有害)だというのは共通の認識ではないでしょうか。この部分については、基本的な合意を作ることに意義があると思います。一方、ケースバイケースで対応すべき範囲を束縛しない程度の合意であるべきだとも思います。ということは、禁止事項を並べるというよりは、要件や行動規範のような合意であるべきなのではないでしょうか。
また、統一的合意がかえって画一的な動きを促しかねないという点については、私も危惧するところです。ただ、読み手の立場に立って考えれば、記事が画一的になっていくことと、役に立たない記述の割合が大きい記事になることと、どちらが問題なのかといえば後者のほうが問題だということは明らかで、「リストを肥大化させていく行為」は「画一的に修正する行為」よりもさらに迷惑な行為ではないかと思います。
百科事典の記事を充実 させるということは、記事の分量を増やすことではなくて、読み手にとって有益な記事にしていくということだと思うのです。--M.F 2008年11月5日 (水) 15:40 (UTC)

「史実の人物の事績以上に、虚像が後世に与えた影響の方が大きいと見られる人物」が存在する事には首肯できます。そのような人物についてのフィクショナルな情報のうち掲載に値する重要な事項については「フィクションの情報を載せない」という原則に対する例外で厚く手当てされるべきと考えています。

また、虚像自体や虚像が構築されるプロセスに重要な歴史的意義が認められる人物は、その虚像がしばしば学術的考察の対象ともなっており(例えば、ご指摘の諸葛孔明については近時では東洋史学者・渡邊義浩氏の仕事[3][4]など)、そうした虚像と未だ評価の定まらないサブカルチャーが作り出した虚像とは区別できるのであり、フィクションである事を理由に十把一からげに排除されるべきでない事は言うまでもないでしょう。むしろ情報の価値いかんにかかわらず十把一からげに排除される事を防ぐためにも例外の要件なり要素なりを確立する必要があるのではないでしょうか。要するに、何らかの基準をここで定立する事は重要なフィクション情報をより掲載しやすくする事に資するように思われます。

なお、ここで統一的な基準を設ける事はケースバイケースの判断を排除するものではなく、例外に該当するか否かはなお個別的な判断に委ねられるでしょう。ただ、何の基準も無い状態でケースバイケースの判断に委ねる場合には「フィクション情報を消す・消さない」の単なる押し問答に終始する事態が予想され、そちらのほうが人的・物的リソースの浪費につながるようにも思われます。その意味でも何らかの基準を立てる事には意義があると考えています。--Fish40 2008年11月7日 (金) 12:37 (UTC)

(賛成)はじめまして。読ませていただきましたが、賛成に一票入れたいと思います。

理由
徳川家康坂本竜馬など、今回分割を提案されているは、大変著名であり、大河ドラマをはじめとするさまざまな作品に登場します。
するとやはり記事は長くなり、サイズも増えるでしょう。
例えば、龍馬の生涯について知りたい人と龍馬の文献を知りたい人がいるとしましょう。
その場合、M.Fさんが提案されたように分割したほうが目当ての情報にすぐたどり着けて便利だと思います。
ウィキペディア百科事典ですから、索引がしっかりしていないと困るでしょう。
私も龍馬の刺殺について知りたくて来ましたが、このままではGoogleなどからWikipediaに迷い込んだ
超初心者の方々が(私も初心者ですが)記事内を右往左往するでしょう。
折角多くの人が有益な情報を提供しているのに、それにたどり着けないようであれば宝の持ち腐れとしか言いようがありません。
よって、早期の分割に賛成します。
ほかの方のご意見について
トホホ川さんがおっしゃった「演じた俳優」などの項目の必要性については、これもやはり分割した上で
「登場する作品」の中になら邪魔にならずに記載できる項目だと考えます。
M.Fさんの
"「リストを肥大化させていく行為」は「画一的に修正する行為」よりもさらに迷惑な行為ではないかと思います。"
には全面的に賛成です。龍馬も困ってます。:--Nyaku08 2008年11月7日 (金) 13:44 (UTC)
基本的に自分も賛成です。Fish40さん、らりたさん、M.Fさんのご意見に賛同です。--Rei.N 2008年11月8日 (土) 16:56 (UTC)

(反対)Wikipedia日本語版には、Wikipedia:過剰な内容の整理という方針があります。フィクションの情報の冗漫な羅列が弊害を生み出している場合、現状でも満足な対処が可能です。もし、これを超える強力な規範を新たに形成しようというのであれば、相応の合理的な根拠が必要となります。Kurz様はWikipedia:特筆性を理由に今回の提案に賛同しておられますが、裏返して述べれば、弊害が著しく明らかである場合には既に現状でも取り締まりが可能なのであって、新たに現行の方針より強力な規範を形成する必要はありません。Wikipedia:特筆性Wikipedia:過剰な内容の整理の方針が遵守されている状態であっても、なおフィクションの情報の記載を禁じるべきであるというのであれば、新たな方針の作成が緊急に要請される合理的な根拠を、推進者の方が率先して説明すべきでしょう。提案者のFish40様は、今回の方針の運用には大幅な特例が認められること、現実には機械的に適用されるものではなく、現場の裁量権が強く尊重されることを宣言なさっています。私は、このように限定された範囲での紀律に反対するつもりはありません。フィクションの情報はWikipedia:特筆性Wikipedia:過剰な内容の整理を遵守して書き込むべし、という命題の立て方であれば、私も快く賛同したはずです。しかし、合意が現行の方針の確認にとどまらず、新たな規範として創造される場合、相応の慎重さをもって臨むことになります。今回、以上の点を勘案した上で、反対の立場を採ることに致します。

また、情報の記載を制限するための方針を打ち立てるとすれば、拡大解釈の危険性を排除する措置を満足に講じた上で、運用に移すべきでしょう。無益な記載による弊害を除去する方針のはずが、知らぬ間に有益な記述まで侵蝕し、記事を破壊する方針に変貌しているなど、言語道断です。何が有益で何か無益かの境界線は、記事を熟読した上での綜合的かつ慎重な検討の下に判断されます。後世、記事を巡回して機械的にフィクションの情報を削除するような者が現れる事態は、厳に回避する必要があります。「有益なフィクションの情報は記載する」という規範は、「無益なフィクションの情報は記載しない」という規範と、完全に同じ程度の尊重を受けなければなりません。

このほか、今回の議論が日本近世史・日本近代史の関係者のみによって践行されている点にも、一定の危惧を覚えます。唯一、『三国志演義』に僅かに言及されたことがあるのみで、その他の領域における新たな紛争の可能性に関する調査は甚だしく不十分です。例示すれば、今回の議論には、ラムセス2世ネブカドネザル2世アレクサンドロス3世クレオパトラ7世のような、フィクションの情報さえ重要な資料となる、古代の人々の記事に対する配慮は全く感じられません。皆様には、自身が専門とする領域に特有の価値観・関心を無制限に敷衍させるのではなく、世界史の観点から、自分が疎い領域への影響まで考慮した上で、慎重に結論を検討していただきたいと思います。このような意味で、歴史の記事に関する統一的な方針を設けるべきではないという、トホホ川様の立言に共感を覚えます。少なくとも、古代史から現代史、東洋史から西洋史、政治史から文化史までの専門家の意見が揃うまで、結論を出すのは慎むべきでしょう。

末葉ですが、Nyaku08様に対して一言。この議論は記事の分割の是非を問うものではありません。一連の論旨をご確認下さい。 --白文鳥 2008年11月13日 (木) 22:52 (UTC)

コメント (1)「特筆性」、「過剰な内容の整理」は一般的で抽象的な内容ですから、このように具体的な事柄について論じつつ方針を定めること自体は有益でしょう。(2)検討不足という点は同意です。(3)特筆性のあるようなフィクションがありうることは同意しますが、現状では(十分に考慮したとしても)まるで必要ないものが現実に存在しています。そのような記事の執筆者に対しある程度客観的な基準を示しつつ「過剰な内容の整理」に納得してもらうかが問題となっていますので、まったくガイドラインは不要という意見には賛成しかねます。必要最小限であってもガイドラインはほしいところです。(5)たとえガイドラインが不要だとしても、実際にどのような問題がありうるのかを論じるのは有益です。実際、他分野への目配りがほしいという具体的な意見が出てきているのですし。できれば、議論が終わりしだい利点・欠点をまとめて、後で参照できるようにしたいところです。Kurz 2008年11月14日 (金) 00:10 (UTC)
白文鳥さんからご提案いただいたWikipedia:過剰な内容の整理は、ポータル・プロジェクトに「整理の方針」がなければ実効力を持たないというルールになっています。当ポータルでは現時点で「整理の方針」を作成していないので、「過剰な内容の整理」による整理を行うことはできません(Wikipedia:過剰な内容の整理#タグの表示に虚偽があるときに該当する)。ですので、何らかの新しいルール(方針)が必要なことは変わっていないと思います。そもそも、今ここで行われている議論を元に「整理の方針」を作るというのが、現在のWikipediaと最も整合性のよい解決策かもしれませんね。--M.F 2008年11月14日 (金) 14:05 (UTC)

こちらに関連する内容と思うので、節に便乗させて頂きます。ノート:隈部親永において、ゲーム内の描写に端を発する現象について記載すべきか、ゲーム記事などへの内部リンクが必要かという議論をしております。が、少人数での議論では限界があり、既にややこしい状態に陥っています。諸兄のご参加をお願い致します。--Arawodas 2009年6月25日 (木) 08:12 (UTC)

結局、結論はどうなったのでしょうか? 各時代・各人物で掲載基準がバラバラで、ある時代の人物たちは大量に掲載され、ある時代の人物たちはまったく掲載されない、というのは大変困ります。統一しようと、ある時代の人物に掲載すると「必要なし」とリバートされ、別の時代の人物の掲載を削除すると別の方に「勝手に削除するな」とリバートされます。各人がそれぞれ自らの守備範囲の中で勝手な基準を設けてるという印象が否めません。どちらでもいいので統一した基準を決めていただきたいものです。--210.138.182.133 2009年12月16日 (水) 16:14 (UTC)

上での議論で合意が取れそうなのは、「無制限にフィクションを並べられても困るが、一律禁止する必要はない」ということぐらいです。判断基準をどう設けるかについては意見が分かれていますね。さて、Wikipedia:特筆性#一般的な特筆性のガイドラインというのがあります。これは以前議論していた際にはなかったものです。読むと要は、「対象とは無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合」を基本的な基準としているようです。特筆性を巡る議論は水かけ論になりがちなので、Wikipedia:検証可能性に基づいて判断するという方法は有用でしょう。そして、上に例として挙げられている条件である、
  1. その人物を主題に描いた、文学的にも評価の高い創作物(例:徳川家康における山岡荘八『徳川家康』など)
  2. その人物の存在を世間に知らしめるのに貢献した創作物(例:天璋院における宮尾登美子『天璋院篤姫』及びそれを原作とする大河ドラマ『篤姫』など)
  3. その人物について新解釈を与えた創作物(例:上杉謙信における八切止夫『上杉謙信は男か女か』など)
というのは、その一般的な基準を満たすことの多い具体的な事例といえるでしょう。一般的な基準はぱっと見では理解が難しいものなので、このような具体的な枠組を例として示しておくのは、編集者の助けになります。となると、この3つに該当する場合には一律に許容するとして、そうでない場合には上の一般的な基準に基づいて判断する、とすればよいかと思います。もちろん合意があるわけではないので、議論は必要でしょうが、一案として提示しておきます。--Kurz 2009年12月17日 (木) 03:48 (UTC)
「各人がそれぞれ自らの守備範囲の中で勝手な基準を設けてるという印象が否めません」という意見には全く同意します。個人的な考え方としては「人物を主題とした作品」は書いてもいいが「演じた俳優一覧」「登場する作品一覧」は全く不要だということです。--彩華1226 2009年12月17日 (木) 15:22 (UTC)
歴史上の人物はそれこそ無数にいるので、いちいちノートでの議論に持ち込まれるような曖昧な基準は、非効率的かつ非現実的です。なるべくノートでの議論に持ち込まないような明確な基準が必要かと思います。個人的には全掲載でも一部掲載でも全削除でもかまわないので、統一した基準を設けていただきたく思います。なお、上の議論の中で古典作品(平家物語三国志演義アーサー王伝説など)についての記述が削除されることを危惧している方がいらっしゃいますが、古典作品と現代作品は分けて考えるべきでしょう。ここで問題とされているのは現代作品のほうのみだと思います。--210.138.182.133 2010年1月10日 (日) 19:12 (UTC)


まだ議論は続いていますでしょうか?この歴史的人物の関連作品の問題は、結局、解決されていないようですね。それは、そもそも作品をたとえば古典的かそうでないかという価値判断つまり特筆性の基準については、結局、それぞれについて個別に議論しなくてはいけなくなるし、私見では、どんな作品でもしかるべく発表された形態であるのであれば、条件を満たしてしまうのではないかと思うのです。つまり、特筆性の基準を設けるのは非常に困難ではないかと思えます。(むろん、明らかに特筆性を満たしていないものについてはいま想定しておりませんが)

それで、この節の冒頭でFish40さんが、2008年11月1日に「徳川家康#徳川家康が登場する作品のような節は単独記事とした場合には削除の方針・ケースEで削除の対象となるはずです」という見解を述べられておりますが、もしかしたら、ケースEには当てはまらないのではないかと考えた次第です。日本史の人物を演じた俳優一覧はそもそも項目として、あまりに広漠かつ漠然としており、項目それ自体の価値がないと私も思います。しかしながら、徳川家康#徳川家康が登場する作品、あるいは、「信長〜」「義経〜」でもいいのですが、それらは歴史上の有名かつ人気の高い人物であり、その人物に関連する作品のリストは、記事として「特筆性」を満たすのではないかと思います。Wikipedia:削除の方針のケースEには、「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」とはありますが、リストはリストとして、成長していくのではないでしょうか?もし、リスト的な内容が、記事として削除されるのであれば、年表関連の記事はどうなるのでしょうか?どの年でもいいのですが、676年とか1978年といった項目は存在する価値があると思います。同様に、家康などの歴史上高名な人物に関する関連作品リストは、記事として存在してよい、そう考えると、この問題が解決するように思います。--西方 2011年4月19日 (火) 16:18 (UTC)

足利家家紋

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足利氏その他の記事で引用されている二つ引両の紋を←と差し替えたいと思います。議論がございましたらノート:足利氏#家紋にてお願いします。--Extrahitz 2009年4月8日 (水) 04:48 (UTC)

当該ノートにて、現在引用されている紋の使用を示す資料をご教示頂きました。提案は一旦取り下げます。--Extrahitz 2009年4月9日 (木) 01:52 (UTC)

おしらせ。韓国併合の編集について

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韓国併合#「大日本帝国」についてノート:韓国併合#「大日本帝国」についてでWikipediaに存在する「大日本帝国」という文言をすべて「日本」と統一するか議論が行われています。Wikipediaの多岐のページに関わることで多くの編集者による議論および合意が望ましいと思われますので、ここにおいても周知させて頂きたいと思います。--St.Patrick 2009年9月29日 (火) 02:34 (UTC)


「大日本帝国」表記の変更

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Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史に「大日本帝国」表記を「日本」表記にする議論が起こされましたので、ここにおいても周知させて頂きます。--St.Patrick 2009年9月30日 (水) 07:11 (UTC)

記事「ヤマト王権」について

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「大和朝廷」の分割について

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ヤマト王権から記事「大和朝廷」を分割すべきかどうかをめぐって話し合いがなされています。詳しくはノート:ヤマト王権#編集提案1109および分割提案で。みなさまの議論参加をお待ちしております。--Chokorin 2009年11月13日 (金) 01:52 (UTC)

投票の結果、分割なしと決まりました。--Chokorin 2010年1月24日 (日) 00:33 (UTC)

記事「ヤマト王権」冒頭文について

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記事「ヤマト王権」の冒頭文を並列書きにするか但し書きにするかをめぐって投票がおこなわれています。投票はノート:ヤマト王権#冒頭文を並列書きにするか但し書きにするかに関する投票です。皆様の御参加をお待ちいたします。--Chokorin 2010年1月23日 (土) 01:57 (UTC)

投票の結果、但し書きを採用することに決定しました。--Chokorin 2010年1月24日 (日) 00:33 (UTC)

中国の古代行政区名称

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現在地道に中国の古代行政区画関連記事を整備しているYonoemonです。中国史関連記事で多く引用されるこれらの記事が今まで殆ど未整備であったということに驚きもありますが、関連資料をながめながらのんびりと整備したいと考えています(現在は隋朝の内容に限定されていますが…)。
さて、記事を整備するに当たりまして確認事項を一つ。それは隋代に発生する州制から郡制への意向でして、その後の唐代においても頻繁な行政変更が行われてA州→A郡→A州→A郡→A州…と同一行政区域でありながら頻繁な名称変更が行われております。
現在はA州を項目名とし、大業3年に変更されたA郡はA州へのリダイレクトとして一括処理しております。と申しますのも大業3年以前にA郡と同一名称であるa郡がA州の下部行政区画に設置されていることがありまして、両者を区別するのであれば州名を項目名にしたほうがいいとの判断です。
例を挙げますと渭州は元来隴西郡を管轄していましたが、開皇2年に廃止となり、その後大業3年に渭州が隴西郡に改名されるという場合、隴西郡は開皇2年以前の内容を、大業3年以降のものにかんしては渭州へのリダイレクトという仕組みにしてあります(「隴西郡 (曖昧さ回避)」を使用しない)。

2種類の隴西郡
区分 開皇元年 区分 大業3年
渭州 交州 隴西郡
隴西郡 南安郡 渭源郡 安陽郡 襄武県 障県
隴西県 渭源県
長川県
襄武県
障県
新興県
武陽県
桓道県
渭源県 安陽県
烏水県


大きな問題はないと思いますが、念のためこちらに上記方針を書き込んでおきます。もし曖昧さ回避を使用すべきである等のご意見がございましたらご一報ください。早急に編集に反映させていただきます。--Yonoemon 2010年1月27日 (水) 04:58 (UTC)

えーと、リダイレクトでなくotherusesだとは思いますが、概ね問題はないと思います。実際、拝見して分かりやすかったし。--ろう(Law soma) D C 2010年1月27日 (水) 08:28 (UTC)
この場合はotherusesですね。リダイレクトは開皇元年と大業3年に同名の郡名が存在しない場合です(下記参照)。
リダイレクトを設定する例
区分 開皇元年 区分 大業3年
延州 丹州 夏州 雕陰郡
延州へのリダイレクト
遍城郡 文安郡 丹陽郡 楽川郡 金明郡 豊林県 因城県
魏平県 臨真県
延安県 延川県
義川県 咸寧県
汾川県 金明県
膚施県
広武県 沃野県
因城県 義郷県
魏平県 真川県
臨真県 広安県
文安県 丹陽県
雲岩県
太平県
汾川県
門山県
広洛県
永豊県
啓寧県
では地道な作業に没頭させていただきます。--Yonoemon 2010年1月27日 (水) 09:40 (UTC)
もうちょっと、お待ちしては如何でしょうか。私は賛成なのですが、ここのところYonoemonさんがよかれと思ってされた作業が、反対意見により差し戻される事例が幾つか見受けられます。ラフコンセンサスと言える程度の周知期間の後に作業を開始して頂ければ幸いです。まあ、1週間程度もあればよいとは思いますが。--ろう(Law soma) D C 2010年1月28日 (木) 00:24 (UTC)
リダイレクト及びotherusesを作成しない状態で記事を作成しておきます。これなら問題はありませんからね。--Yonoemon 2010年1月28日 (木) 08:20 (UTC)

四国征伐改名投票のお知らせ

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ノート:四国征伐において、四国攻めへの改名の是非を問う投票が行われています。投票要領はこちらです。歴史系執筆者の皆様のご参加をお待ち致します。--Arawodas 2010年2月13日 (土) 01:45 (UTC)

投票が締め切られ、四国征伐から四国攻めへの改名が実施されました。投票にご協力いただき、ありがとうございました。
なお、ノート:四国攻めにて仕切直しの議論が開始されつつありますので、記事の質向上に向けてご協力をお願いします。--Yasumi 2010年3月13日 (土) 05:20 (UTC)

四国攻めの今後について

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信長(本能寺前後)・秀吉(四国の役)・輝元(関ヶ原)などの各部分についての内容・範囲と方向性についてノート:四国攻めにてコメントをお願いします。--Yasumi 2010年3月20日 (土) 21:56 (UTC)