ノート:徳川家康/過去ログ1

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生年について[編集]

何をもって1542年生まれが間違いであるのか、本文に説明を記述していただけるとありがたいです。恐らくは、太陰暦か、太陽暦かの問題かと思いますが…G 00:25 2003年4月1日 (UTC)

半年前の話なので全く今更ですが、日本史では和暦の1月1日から12月30日までを機械的にキリスト紀元にあてるのが慣例ではなかったですかね。私がWikipediaに参加したときはこの記事が換算併記になっていたので、他の記事を書くときも真似していますが、いちいち換算して記載するのは結構面倒です(天皇の一覧は換算しないで放置していますが)。Safkan 03:41 2003年10月11日 (UTC)
数え年の歿年齢を74歳としているのはおかしいと思います。生年月日すべてを西暦換算した結果こうなったと思いますが、史料には75歳歿とあるので直しました。おそらく数え年74歳歿としているのはウィキペディアのみですから。ただ、73歳(満年齢による数え方)は、そのままにしました。--Sekkan sekkan 2008年1月26日 (土) 01:27 (UTC)

記事のスタイルについて[編集]

段落ごとの見出しはいらないような気がします。Safkan 03:41 2003年10月11日 (UTC)

墓所・霊廟の見出し名について[編集]

「墓所・霊廟」という項目をつけ始めたのは私ですが、項目の人物を祀った神社はどこに入れればいいだろうと思ったのがきっかけでこうしました。死後どのように祀られてきたかを全般的に扱う意味では「祭祀」でもいいような気がしますが、墓はどこにあるのか、祀ってる霊廟はどこかという視点からではピンとこない項目名だと思います。他の方の意見も聞いてみたいです。Stanislaus 2005年3月28日 (月) 15:26 (UTC)

自分も「祭祀」の方が絶対良いとは言い切れず、Stanislausさんの「ピンとこない」というのも多少感じますが、簡潔にはなったと思います。割と広まっている項目名なので同様に他の方の意見も聞いてみたいです。反対が多ければ「墓所・霊廟」に戻します。-- 2005年3月28日 (月) 15:42 (UTC)
期間があきましたが、間を取って「墓所と祭祀」という名前はどうでしょうか?Stanislaus 2005年6月6日 (月) 05:16 (UTC)
簡潔さが良いと思い「祭祀」にしてみましたので、「墓所と祭祀」はどうもいまいちに感じます。あまり他の方のご意見も頂けない様なので、「祭祀」にしないのであれば、元々の見出しで既に広まっている「墓所・霊廟」に戻すのが妥当かと感じています。どうでしょうか?-- 2005年6月6日 (月) 16:04 (UTC)
「墓所・霊廟」だと、その両者の施設にのみ限定されますが、「祭祀」だと「~公500年祭」みたいなことも記述できます。「祭祀」だけでもいいかもしれませんが、一般的にはまず興味が行くのが「墓はどこにあるのか」ということだと思うので、「墓所と祭祀」というのを考えたのですが、どうでしょうか?Stanislaus 2005年6月6日 (月) 16:51 (UTC)
そうですね、、確かに今のウィキペディアで「墓所・霊廟」の章内に書かれている内容を見ると、「祭祀」の語は入っていた方が良いかもしれません。「墓所と祭祀」でも良いと思います。それか別の案として、武士のテンプレートにまず興味が行くと思われる「墓所」の項を足して、より詳しく広範囲な内容を本文「祭祀」の章内に書くのも、もしかしたら良いかもしれません。どう思われますか?-- 2005年6月8日 (水) 18:11 (UTC)
テンプレートに追加するのはいいアイデアだと思います。進めてみてください。なら「祭祀」を見出し名にしましょうか。Stanislaus 2005年6月9日 (木) 04:49 (UTC)
ありがとうございます。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 武士/Template#墓所の項目の追加についてに諮ってみました。-- 2005年6月10日 (金) 15:02 (UTC)
了解です。そちらの方も見てみます。では「祭祀」の見出しで記述する範囲は、葬儀・墓・年忌供養・霊廟(仏堂・神社など含む)・故人への信仰といったところでしょうか。Stanislaus 2005年6月11日 (土) 11:42 (UTC)
そうですね。章内に記述できる内容はかなり広くなりますね。思ったより良いかもしれません。-- 2005年6月11日 (土) 14:13 (UTC)

官職位階履歴一覧について[編集]

官職位階履歴一覧を廃し、本文に挿入したようだが、一覧表にした方がわかりやすいし、第二代将軍秀忠以降も表になっているので、語調を整える意味でも統一した書式にした方がよいのではないかと考えますので、一覧表に差し戻して戴けませんか。利用者:219.215.198.144 2005年5月9日

すみません、編集内容の要約もっと書こうと思っていたのですが、途中に誤って投稿してしまいました。
実は自分も官位を本文に移している途中から、自分の編集に疑問を感じてきてはいました。どうも本文に入れると見づらいし作文が苦しいです。ただ、徳川家康は事績が多く伝わっているのでそうなりますが、他の有名でない多くの人物は本文に入れた方が良いように思われ、実際にこれまで他の記事はそうなっている為、自分は本文に入れたほうが良いと思います。
とは言ってもやはり微妙なところですので、219.215.198.144さんが一覧表の方が良いと考えるなら、一覧表のコメントアウトを外し、本文の細かい官位を削って頂いても不満は有りません。-- 2005年5月9日 (月) 14:26 (UTC)


官職位階履歴一覧表を復活しました。御理解戴き有り難く存じます。復活後の本文から主要な官職位階は残して、他は一覧表にまとめるために、官職位階の記述を削除した部分もあります。本文全体を確認してください。利用者:219.215.198.144 2005年5月11日 (水) 09:39 (UTC)

確認しました、問題ないです。ありがとう御座います。-- 2005年5月11日 (水) 11:13 (UTC)

評価について[編集]

なにか個人の意見を記しているようにしかみえません。記述される人は評価説の論者と文献を記入してくれませんか?Izayohi 2006年3月5日 (日) 15:03 (UTC)

あと近年では「家康凡君説」を唱えられた方もいたような気がしましたが。--163.139.25.208 2006年5月30日 (火) 08:14 (UTC)

家康の経緯を書く部分も含めてなのですが、もう少し中立的な視点で書く必要があるのではないでしょうか。「奸智に長けた」とかそういう比喩は不要であると思います。 --以上の署名のないコメントは、60.236.248.109会話)さんが 2006年8月30日 (水)13:36 (UTC)] に投稿したものです(Extrahitzによる付記)。

中立的な視野というのは同意ですね。 どうしても個人的な好悪が出てしまうでしょうし、 いっそのこと「名君説」「奸君説」などはいらないのでは。 非常に読みづらくなってもいますし。--以上の署名のないコメントは、222.7.59.193会話)さんが 2006年9月17日 (日)07:17 (UTC) に投稿したものです(Extrahitzによる付記)。

あたかも司馬遼太郎批判のごときPOV記述がありますが

そのため司馬の作品中、例えば『関ヶ原』や『城塞』などの中で、家康は「謀略に長けた狡猾な、そして何の面白みもない現実主義者」として描かれる事が多い。なお司馬遼太郎の小説内での家康は、彼を陥れるかのごとく意図的に事実を曲解していることも多く、注意が必要であるが、司馬の家康観は司馬作品の人気の影響もあってか、今なお支持する人間は多い。

狡猾なキャラクターとしては描かれていますが、「何の面白みも無い」というのは失礼ですが批評者の読み方の浅さというか、司馬が嫌いなのに批判のために読んだ人の感想に過ぎないでしょう。「自らを一個の機械のように扱う」という司馬の家康像は花神の大村像とも重なっており、決してネガティブ一辺倒なものではありません。また「(日本人の)民族的性格が矮小化され、奇形化された」「大航海時代の潮流から日本をとざし(略)世界の普遍性というものに理解のとどきにくい民族性をつくらせ、昭和期になってもなおその根を遺しているという不幸もつくった」の節は三河武士に対する批判であり、家康はその上に乗っているだけの比較的価値中立的な存在として描かれています。

名君・奸君・凡君といった区分けでは評価についてまともに記述できません。ご異議がなければ区分けを撤去したいと思います--Extrahitz 2007年12月13日 (木) 21:51 (UTC)

処置しました。--Extrahitz 2007年12月29日 (土) 17:10 (UTC)

尊敬する人物・本について[編集]

中学生の自己紹介文や履歴書じゃないんですから、もうすこし相応しい書き方をすべきでは?また、出来る限りソースを示して欲しいです--以上の署名のないコメントは、218.131.208.37会話)さんが 2006年8月16日 (水) 07:02 (UTC) に投稿したものです(Zimanによる付記)。

武田氏との戦いについて[編集]

6行目の、2万2千の大軍を率いたのは徳川、武田どちらですか?--210.194.210.122 2006年9月8日(金) 12:10

たぶん武田だと思います。--んどん 2007年8月17日 (金) 08:25 (UTC)

武田でしょう。第一、徳川が大軍を率いてくるのはあり得ないですし。--ベルゼブブ 2008年1月20日 (日) 03:54 (UTC)

幕府は王朝か[編集]

幕府は王朝ではないと思うのですが・・・。--以上の署名のないコメントは、124.97.173.228会話)さんが 2007年8月14日 (火) 14:49 (UTC) に投稿したものです(Zimanによる付記)。

見出しをつけ、時系列に合わせた場所に移動しました。--Ziman 2008年4月8日 (火) 23:58 (UTC)

「関ヶ原の戦い」の圧縮が必要では[編集]

  • 関ヶ原の戦いの節ですが、ここまで詳述する必要があるでしょうか? 関ヶ原の戦いという項目があるのですから詳細はそちらに譲り、ここでは家康の生涯においてどのような意味をもつのかというような観点から簡潔に記述した方が良いように思うのですが、いかがでしょう?--赤い飛行船 2008年1月31日 (木) 09:07 (UTC)

死因について[編集]

>>諸症状から見て胃癌梅毒と考えられている。>>
とありますが、「胃がん」説については同意いたしますが、「梅毒」説については疑問です。具体的に(出来れば医学的知見を交えて)御説明をお願いいたします。--Ben Casey 2008年2月3日 (日) 13:46 (UTC)

おそらく出典は大坪雄三著「英雄たちの臨終カルテ」羽衣出版からと思われます。--HI 2008年2月4日 (月) 02:32 (UTC)

海道一の弓取りについて[編集]

家康だけの称号みたいな表現になっていますね。一つ前の版にあった文に戻すか、修正したほうがいいと思います。

--五郎兵衛 2008年4月18日 (金) 16:53 (UTC)


海道一の弓取りは、徳川家康のみを指す。いずれも、江戸時代以降の史料に記載され、家康を讃える称号である。

初出の出典として、新井白石の藩翰譜に、海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、御母にてましませば、と記述されている。

幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で、徳川を海道一の弓取とはいひしぞ、と記述されている、豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。ここでは、「海道一の弓取=戦巧者」の意味で使用されている。


※今川のことではない。--Magcup 2008年5月5日 (月) 08:07 (UTC)

提示された文献から「徳川家康のみを指す」という結論となっていることに疑問を持ちましたので、Template:独自研究を貼らせていただきました。Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に当たると思われるためです。江戸時代において徳川家康を賛美する内容の文献が残されたことは理解できますが、それだけをもとに家康だけが専有する称号だというのはPOVと解します。--五郎兵衛 2008年5月10日 (土) 02:31 (UTC)

逆でしょう。今川義元を、海道一の弓取りとする出典を示すべきでしょう。戦国、江戸時代の史料には、すべて徳川家康のこととして、登場していますね。独自研究でも何でもない。あんたの個人的な感情論でしょう。--Magcup 2008年5月10日 (土) 06:13 (UTC)

どうもMagcupさんは誤解なさっているようなので、二点確認しておきます。
  1. 「今川義元が海道一の弓取り」という主張はしていない
  2. 「徳川家康が海道一の弓取り」を否定はしていない
私が疑問を呈しているのは、資料から「徳川家康のみを指す」と結論しているのは誰なのかということです。Magcupさんが挙げた資料には、そういった記述がありません。要するに、資料は信頼できても結論は信頼できない(Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成)ということです。そのあたりがクリアにならなければ、申し訳ありませんが独自研究であるという意見は撤回できません。--五郎兵衛 2008年5月10日 (土) 07:07 (UTC)

海道一の弓取、と称する人物が、徳川家康しかいない以上、家康個人を指す固有の形容詞であるのは、明白です。家康以外に呼ばれていた人物がいることを証明できなければ、該当者が1人である以上、家康のことであるのは当然です。あなたのへ理屈を聞いてもしょうがありません。家康以外の称号である証明がなされねば、言いがかりとしかいいようがありません。マンガやゲームや小説や歴史読み物に毒されてはいけません。--Magcup 2008年5月10日 (土) 08:03 (UTC)

一見もっともらしく聞こえますが、それは「背番号○番は過去に□□選手しか見当たらないから永久欠番なのは明白だ」と言うのと同じくらい乱暴な論理展開なんです。私が本文を読んで違和感を感じたのはそこなのですが・・・とりあえず「あなたのへ理屈を聞いてもしょうがありません。」と言われてしまったので、私が何を書いても平行線でしょうから、Wikipedia:コメント依頼をして歴史に詳しい方々に意見を求め合意を形成したいと思います。異存はありますか?--五郎兵衛 2008年5月10日 (土) 12:29 (UTC)

「戦国、江戸時代の史料には、すべて徳川家康のこととして、登場しています」というのは本当のことなのでしょうか?全ての史料を網羅するのは至難の業だと思うのですが。仮に実際に調査したとしてもそれは独自の研究になります。どなたか研究者の調査結果なら別ですが、ウィキペディアンの調査結果は記事にしるされるべきではありません。らりた 2008年5月10日 (土) 12:48 (UTC)

現在、海道一の弓取=家康と記載した出典一覧があるだけで、これには何の問題もありません。あなたたちの要求は、これを削除または今川義元のことであるとしたいようですが、いまだ出典の提示もなく単なるいいがかりである。あのねえ、戦国、江戸時代の史料をすべて調べたなんて言ってないでしょ、出典の所属時代が戦国・江戸であるだけでしょう。--Magcup 2008年5月10日 (土) 13:24 (UTC)

でしたら「家康個人を指す固有の形容詞で」はないですよね?別に「海道一の弓取」と称されたことに文句付けたいわけではなくて、「海道一の弓取とは家康のみを指す呼称である」という文章(ないしそう取れてしまう文章)はマズイということだけですよ。らりた 2008年5月10日 (土) 13:34 (UTC)


とりあえず、Cool Downしてください。
ええと、問題の原点は、意外とすっきりしているわけで、今川義元に対しても海道一の弓取りといった叙述があるかどうか、徳川家康に対して使われ始めたのはいつかという2点に絞られるわけです。
まず、今川義元に対して使われた言葉ではないだろうというMagcupさんの趣旨は理解できます。なんといっても「義元もそう呼ばれていた」という出典がないわけですから。
それで、家康に対しては新井白石の『藩翰譜』で言及があることが分かります。それならば、現代語にされている本でも結構ですから藩翰譜 のページを脚注でつけていただくとありがたいと思います。もし、新井白石の言及が初出であるならば、そう言及した研究書も合わせて脚注でつけることで、ようやく初出ですよと担保できるわけです。
Wikipedia: ウィキプロジェクト_イスラームで作業することが多い私もクルアーンを記事中に盛り込むことがままとしてあるわけなのですが、その時、どの日本語訳のクルアーンかもめる可能性はできるだけつぶしておきたいわけで、したがって、タウヒードの脚注につけたように、井筒訳ですよと皆様に知らせておくわけです。--Tantal 2008年5月10日 (土) 13:38 (UTC)

姉川合戦の信長の感状から、家康の武勇高く、海道一の弓取と、歌われる。 明治時代の徳川家康の本より。--Magcup 2008年5月10日 (土) 13:58 (UTC)

ですから誰も「家康が海道一の弓取と称された」ことには疑問を抱いていませんよ。「海道一の弓取が家康のみに使う言葉」ということに疑問を抱いているのです。それにいちいち節を分けて記述するようなことですか?評価の所にでも「海道一の弓取と称された」とでもはさんでおけばいいと思うのですが。(それにしても近現代における評価で小説家の評価ばかり挙がっているのは何なんだ・・・)らりた 2008年5月10日 (土) 14:31 (UTC)

Wikipedia:コメント依頼を提出しました。--五郎兵衛 2008年5月10日 (土) 15:36 (UTC)

家康の称号に関するコメント欄[編集]

徳川家康が称された「海道一の弓取り(本文)」に関し、コメントをお願いします。

  • Magcupさんの主張:戦国時代から江戸時代にかけての複数の文献において、「海道一の弓取」は、徳川家康に対するものしか見られない。よって、徳川家康のみが称されるものであるのは明白である。
  • 上記に対する疑問:言葉の意味から、徳川家康が専有している称号とは考えにくく、信憑性ある文献が複数あるからといって、のみと断定することはできないのではないか。

この議論について、次の点を中心にコメントを希望します。

  1. 歴史全般において、「AはBと呼ばれている」という文献のみが複数見つかった場合、「BはAだけに認められた称号である」と結論することは可能かどうか?
  2. Magcupさんの主張は特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に該当するかどうか?
  3. 提案:「海道一の弓取」に関する記述は、文献と最小限の引用にとどめるべきではないか?

よろしくお願いします。--五郎兵衛 2008年5月10日 (土) 15:36 (UTC)


あまり詳しくはないですが、「海道一の弓取り」は武将をたたえる言葉らしいので、家康は呼ばれたのでは? 辞書を引くと弓取りは一国以上を領有する武家などとありますが、違うのでしょうか?

--Kagetudo 2008年3月24日 (月) 05:20 (UTC)

ええ、家康が「海道一の弓取り」と呼ばれたということに関しては問題ありません。ここで問題になっているのは『「海道一の弓取り」は家康だけに使われる称号か否か』です。らりた 2008年5月16日 (金) 12:02 (UTC)


1.については認めたら暴論になるのではないかと。

Magcupさんの主張は「海道一の弓取り」は徳川家康のみの称号としていますが、海道(東海道)で一番の弓取り(一番の国持ちの武家=太守)というように意味で考えた場合、時代時代に存在することになります。

弓取りという言葉自体は昔からある言葉で、時代的に近いもので言えば甲陽軍鑑にも見られるようです。

織田信長のことを覇王と称したところで、当時の文献に出典がないから捏造だなどと言う人もいないでしょう。

Magcupさんは家康を狸と形容することにすら文献からの出典を求めるおつもりですか?

「海道一の弓取り」という単語を家康にのみ許された称号とするか、家康を形容した一般的な言葉とするかという違いは出典を議論しても意味はなく、どちらの意見も筋が通る以上は、2.については該当すると考えます。

よって、3.には賛成です。

今川義元がそう呼ばれることにひどく反対しておられますが、東海道の中で数ヶ国を領有し、もっとも大きな勢力を有した時期がある以上、一般的な意味で今川義元をそう形容するのに違和感はありませんし、他に条件に当てはまるならば問題ないと思います。 --ふかざわ 2008年5月24日 (土) 07:29 (UTC)

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31423239

小和田哲男/著 ミネルヴァ書房 2004年9月

※今川義元を、海道一の弓取りと名付けた(2004年9月出版本で命名)のは、小和田哲男です。徳川家康のは、海道一の弓取です。りは付かない。新井白石の藩翰譜以降に確認できる。

http://www.de-club.net/vnr/issue.php?Issue=126

第126号 【2006年7月4日 発売】

※史書に、今川義元=海道一の弓取りは、確認できません。--118.104.237.146 2008年5月24日 (土) 14:12 (UTC)

今川義元が、駿河、遠江、三河を支配していたから、海道一の弓取りであるという主張からしておかしい。これだと、今川氏歴代当主を全部当てはめる必要があるし、東海道は静岡県だけではない。尾張や伊勢も東海道なんで、織田信長も当てはまることになる。さらに関東も東海道なので、北条・里見・佐竹なども当てはまる。

徳川家康のは、戦上手の意味で使われている。国をたくさん所有している意味ではない。

今川義元を、海道一の弓取りと名付けた(2004年9月出版本で命名)小和田哲男本人の問題でしょう。--118.104.237.146 2008年5月24日 (土) 14:52 (UTC)

>今川義元を、海道一の弓取りと名付けた(2004年9月出版本で命名)小和田哲男
ってそれは無いでしょう。ネット上で少し調べただけでもそれより日付が前の文章で義元を海道一の弓取りと称しているものがありますよ。らりた 2008年5月25日 (日) 09:46 (UTC)
何度も言っていますが、私らが問題にしているのは「義元が海道一の弓取りと呼ばれたか?」ではなくて、「海道一の弓取りは家康のみに使われる称号か?」です、らりた 2008年5月25日 (日) 09:47 (UTC)

ネット上に流布する個人のWEBサイトなんて、出典にならないでしょう? ここは、徳川家康の項目なので、家康=海道一の弓取を記載することに問題はありません。史書にそう書いてあるから 問題は、今川義元を、海道一の弓取り、としている本・WEBは、どの史書から引用しているかでしょう? その史書が、いまだ提示されておらず、個人のWEBや引用先不明の本ではダメでしょう。 今川義元を、海道一の弓取りであるという本を私が出版すれば、それが史実となるかというとなりません。 なぜなら、私が出版した本は、歴史書ではないからです。--118.104.237.146 2008年5月26日 (月) 03:43 (UTC)

とりあえず、「家康=海道一の弓取」は否定されていないわけですから、今回はその部分のみを再確認した、ということで収めませんか? 出典の信憑性や今川義元のことは論点になっていませんから、置いておきましょう。そして、家康専有の称号であるとするMagcupさんの主張は、「専有」を証する資料が出てくるまで保留ということにしませんか?--五郎兵衛 2008年5月26日 (月) 10:13 (UTC)

「AはBのみを指す言葉である」と明言している出典がない限り、「AはBのみを指す言葉だ」とは書いてはいけないのではないでしょうか。それがここのルールではないのですか? --Arawodas 2008年6月10日 (火) 02:21 (UTC)

その後、進展も無いようですので。
海道一の弓取の節は削除し、評価の一番上に「その戦上手は海道一の弓取と称された<REF>新井白石の『藩翰譜』など</ref>。」と一文だけ記すように改定するように提案します。無論文章は単なる例であってもっと良いのがあればそれにします。らりた 2008年6月14日 (土) 11:34 (UTC)

私は異存ないですし、ふかざわさん・Arawodasさんのコメントから、現時点では称号の「専有」を強調するのは不適切じゃないかと思います。IPの方(118.104.237.146)はおそらくMagcupさんと同一かと思いますが、どうしたものでしょう。今ちょっと確認したところ、
  • 3週間近くコメントがない
  • 論点がずれた主張になってしまっている
  • 多重アカウントでブロックされている利用者
ということで、これから有意な反論は期待できないんじゃないかと思ってます。--五郎兵衛 2008年6月15日 (日) 14:41 (UTC)
その後、意見がないようでしたので編集しました。--らりた 2008年7月3日 (木) 11:34 (UTC)

分割提案[編集]

記事の量が非常に多いですし、今後も増殖していくと思われる近年のドラマ・小説・漫画・ゲームなどは徳川家康が登場する作品一覧としてまとめて分割するのはどうでしょうか?--Nihonsi 2008年10月27日 (月) 17:24 (UTC)

  • (反対)というか、そんなページの存在意義を感じないのですが……。あまり、百科事典的な記事、一覧にはなりそうもないです。あまりにも多くて鬱陶しいのならいっそ、ばっさりと除去したほうが、よほど、記事の質をあげることになるのではないか、と。--Mobnoboka 2008年10月30日 (木) 16:06 (UTC)
  • (反対)徳川家康のように多くの歴史伝に登場する人物については、登場する作品をやたらに列挙しても、調べものをする人にとってその人物を理解するための助けなるどころか、かえって妨げになると思います。とにかく列挙したいというのは書く側のエゴです。列挙する作品は、徳川家康が主役級で扱われているものに限定し、それ以外は削除すべきだと思います。とにかく徳川家康が出ている作品を調べたいのであれば、「徳川家康」をキーワードに検索すれば済むことです。--M.F 2008年10月31日 (金) 08:11 (UTC)
  • (コメント)上のお三方のご意見は「人物記事に雑多な情報を羅列すべきでない」という点で一致しているものとお見受けします。Nihonsiさんによる分割のご提案も本項目から雑多な情報を排除する目的でなされたものでしょう。確かに、下の「秀逸な記事の選考」の節で挙げられた文献や中村孝也氏の著作など、家康研究のマストというべき文献が一切挙げられず、代わりに家康の事績とも後世の歴史的評価とも無関係な情報が羅列されている現状は異常というべきです。
私見は雑多な情報を人物記事から排除できれば「ばっさり除去」と「分割」とのいずれの手段でもよいという立場であり、分割案にも相応の意義はあると考えています(「ばっさり除去」が最も簡明でよいとは思いますが)。--Fish40 2008年11月1日 (土) 03:05 (UTC)
Nihonsiさんが当記事以外にも坂本龍馬・織田信長・西郷隆盛・沖田総司・土方歳三・豊臣秀吉の各記事で登場する作品の分割提案を出されており、それぞれに意見がついてしまっており、これでは議論が錯綜してしまいます。ですので以後、このノートで議論を一本化したいと思います。--らりた 2008年11月1日 (土) 12:35 (UTC)
折角こちらで議論を一本化するご提案をして頂いたところ大変申し訳ないのですが、先ほどPortal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案を掲載したところです。あちらの方が歴史カテゴリー全体の方針を決めるに適しているように思ったのですが、いかがでしょうか。--Fish40 2008年11月1日 (土) 12:49 (UTC)
あやや、気がついていなかったです。失礼しました。私もそちらの方が適切と思いますので変更します。--らりた 2008年11月1日 (土) 12:53 (UTC)

秀逸な記事の選考[編集]

以下、別ページ


徳川家康[編集]

賛成/条件付賛成/保留/反対 0/0/0/5 この項目の選考期間は、2008年4月28日 (月) 01:36 (UTC)(2008年4月28日 10:36 (JST))までです。(ノート)

《(北宋の選考でのコメントを参考に推薦しました)重要な事項がまとめられていることや、史料が多いことなどが推薦の理由です。徳川家康は、歴史上重要な人物ですので、その点でも適当かと思います。》--文章 2008年1月28日 (月) 01:36 (UTC)

  • (保留)徳川家康の記事自体、日本史において、最重要項目の1つですし、丹念に、事実に基づいて記事を構成してある良質の記事であることは否定しませんが、もう少し、検証可能性を担保にした文章を心がけていただければと思います。以下に、何点か。

「生涯」の説に関しての問題は、以下の通りとなります。

    1. 父親・松平広忠の死亡に関して。岩松八弥による暗殺、病死などと言葉を濁している点が気になります。それぞれの説の担保になる文章を脚注でマークアップしてください。
    2. 「徳川家康が武田信玄の子供」という文について。確かに、家康が信玄を尊敬していたのは事実でしょう。とはいえ、本当に、家康が信玄の子供かどうかを担保する文章がどうしてもほしい。あくまでも諸説なので、脚注でマークアップしていただければ十分だと思います。
    3. 「信康の殺害」に関して。「信長による謀略説」・近年での研究による「家康と信康の対立説」を脚注によるマークアップをしてください。
    4. 「本能寺の変」直後における甲斐攻略に関して。川尻秀隆を謀殺した家康扇動説があるのであれば、脚注によるマークアップが望ましいです。
    5. 「征夷大将軍」の節に関して。笠谷や煎本の研究書を注意としてマークアップするよりは、むしろ、征夷大将軍の節を分節化して、就任に関する最近の研究を導入したほうがいいのではないでしょうか。その分記事の内容も膨らみます。
    6. 「最期」の節に関して。食中毒説は人口に膾炙していますが、さて、その真相はどうか。おそらく、胃がんか梅毒だということであれば、その研究書を脚注にてマークアップしてください。また、余談の項目を強いて書くのであれば、同様に、脚注によるマークアップが必要です。

「逸話」の節に関しては、箇条書きを改める必要がありますね。セミコロンを使っての記事構成は感心できるものではありません。以上、駆け足ですが、がんばって改善していただければと思います。--Tantal 2008年1月28日 (月) 11:51 (UTC)

  • (反対)1番最初に書いていた保留意見は取り消します。他の4氏が述べているとおり、文章があまりにも「ものがたり」的であり、徳川家康の中世から近世へ橋渡しの役割を果たした視座がどうしても欠けているかと思います。--Tantal 2008年2月8日 (金) 12:06 (UTC)
  • (反対)情報量も豊富ですし、一定の評価ができる記事だろうとは思います。しかしながら、本項の執筆のために参照した参考文献が1冊も提示されていないのは致命的だと思いました。加えまして、全般的に独自の考察と思しき表現・記述が目に多くつきすぎると感じています。特に「評価」節は、戦国史・近世史研究者による家康評価について、どの研究者がどのような評価を行ったかが内容の中心になるべきところですが、そのような記述はほとんどなく、「近現代における評価」節では小説家による評価がほとんどを占めている有様です。本項を秀逸水準まで引き上げるには、コンテクストを全面的かつ根本的に見直す必要があると思いました。例えば、平野明夫『徳川権力の形成と発展』(吉川弘文館、2007)、本多隆成『初期徳川氏の農村支配』(吉川弘文館、2006)、曽根原理『徳川家康神格化への道―中世天台思想の展開』(吉川弘文館、1996)、藤野保『徳川政権論』(吉川弘文館、1991)、藤野ほか編『徳川家康事典』(新人物往来社、2007)などがご参考になるかも知れません。がんばって改善していただけたらと思います。--shimoxx 2008年1月30日 (水) 16:38 (UTC)
  • (反対)まずは参考図書の明示と、それを踏まえた内容にすることです。ここはウィキペディアで、求められているのは歴史のおはなしではなく、簡潔な内容の把握と、レファレンスなのですから。Aboshi 2008年2月2日 (土) 14:20 (UTC)
  • (反対)内容は充実していますが、記事構成の完成度は高くないです。具体的には他の方からの指摘があるように、「出典」または「参考文献」が挙げられていないこと、「逸話」というトリビアを集めた節がありWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるを見て修正すべきであること、などです。徳川家康だと、どの参考文献を「より信頼できる情報源」として扱うかの吟味だけでも相当時間がかかると思います。--ZERO 2008年2月4日 (月) 15:01 (UTC)
  • (反対)繰り返しは避けますが、反対の理由はshimoxxさん、Aboshiさん、Zeroさんに同じく。なにより冒頭文と特に概要節が失当です。これをみるだけで執筆者の関心が百科事典的記述から遊離していることがわかります。軍略家としての家康の評価はおくとして、その家康が当時の社会、ひいては日本の歴史でどのような役割を果たしたのか。徳川家康のなにが百科事典においてもっとも中心的なテーマとして語られるべきなのか、という点を見つめ直し、そこから再構成される必要があります。もうひとつ強く申し上げておきたいのは研究史的な内容と「評価」があまりにごっちゃになっています。ある特定の時代・社会におけるイメージと、研究における人物像の描き方の変遷は分けられるべきです。現状の記事は後者が前者にすっぽりとつつまれてしまう状態で好ましくありません。正直申し上げて「評価」なる節が設けられるならば、それは武力が優れたとかそういうことではなく、日本における封建制の最終形態を導いたのか、それとも中世的あり方から近世的あり方への変革を完成させた者であるとかのまなざしであるべきで、日本史の研究的叙述が社会経済史に偏りがちであるという観点も一方で自覚しつつも、現状の日本歴史人物関連の「評価」節はあまりに伝承的、それこそAboshiさんのおっしゃる「おはなし」の度合いが高すぎてうんざりしていることを申し添えたいと思います。--Kotoito 2008年2月4日 (月) 21:12 (UTC)

私が保留から反対に意見を変更したので、このまま1週間経過して、他の意見が出ないようであれば、徳川家康の選考自体、早期却下になります。--Tantal 2008年2月8日 (金) 12:06 (UTC)

⇒反対意見以外の意見がつかなかったので、早期却下の適用になります。とはいえ、今後の記事のブラッシュアップを期待しています。--Tantal 2008年2月15日 (金) 12:15 (UTC)


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改名提案[編集]

入力できないソフトでも、リダイレクト機能があるので、問題ないと思います。 例)福沢諭吉 → 福澤諭吉 --Gamy 2009年2月11日 (水) 10:14 (UTC)

現在の徳川家康でも記事冒頭に『本来の表記は「德川家康」です。』という記述が添えてありますが、これで十分じゃないですか? また「本来の表記」を理由にして徳川家康を改名した場合、他の徳川氏の人名などほとんど全部に「改名提案」して作業することになります。また入力にも手間を食うでしょうし、そうしたことに労力使うなら記事内容の充実に力を入れた方が・・・と思ったり。--KAMUI 2009年2月11日 (水) 11:01 (UTC)
(コメント)単なる意見募集でなく本気で「改名」したいなら、Wikipedia:改名提案に従って手続をして下さい。他の方の指摘にもあるように、影響が大きすぎますので。--KurmUmy 2009年2月18日 (水) 13:20 (UTC)
改名依頼とは直截関係はありませんが、「徳」・「德」の字形についてフォローしておきますと、「德」字が使われるのは、明治以降に「所謂康熙字典体」の金属活字で印刷された活字文書が主で、それ以前の手書きの時代には「徳」の方が一般的です。康煕字典体は独特の字源尊重主義で篆書体から楷書の字形を類推したもので、伝統的・歴史的に用いられてきた楷書体とは異なるものが多く、「正しい字体」とは言いがたいものがあります(詳細は康煕字典、顔真卿、干禄字書などの項を参照)。日本の場合、楷書自体が少なく今に残る文書のほとんどが御家流の草書体なので出典自体を見つけるのが難しいのですが、江戸時代以前の楷書で「德」字を使っていたのは顔真卿(独特の字形を持つ顔体で知られる)派くらいのもので、欧陽詢虞世南褚遂良黄庭堅最澄花園天皇貫名菘翁など和漢の墨跡を見ても、ほとんどが「徳」になっています(江守賢治『解説字体辞典』1989年三省堂ISBN 4385150346 参照)。活字時代に規範として康煕字典体が採用されたため、明治以降は「德」が増えましたが、当用漢字常用漢字の普及で伝統的字形に戻りました。現在では主として台湾など繁体字を利用する国・地域で用いられるのみです。--トホホ川 2009年3月6日 (金) 23:32 (UTC)
なぜかこの項目だけ移動を差し戻すのに失敗してしまったので、他の人が差し戻しましたが、「德」の字がJIS X 0208の表外であるため(JIS X 0213で追加されています。したがって、「沢」・「澤」と同列に語れません。)、記事名での漢字の使用がJIS X 0208に限定することが推奨されている現状では提案はその意味でもナンセンスでしょう。なお、Wikipedia:記事名の付け方でいう常用漢字は現行で通用しているものを指すものと解するべきでしょう。 kyube 2009年3月12日 (木) 03:22 (UTC)

幼少期から初陣[編集]

国語辞典における与党の意味は「1 政党政治において、政権を担当している政党。⇔野党。2 くみする人々。同調する仲間。」です。Wikipediaの解説は1の意味についてのみ行っているに過ぎません。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 05:20 (UTC)

一つの、それも「臣従した」と先に述べられている国を、「」として扱うのはいかがかと思います。これでは松平氏はただの徒党のようです。今川氏において松平氏は、ではなく、臣従を誓った立派な属国と考えます。--118.8.49.183 2009年3月11日 (水) 05:41 (UTC)
ちなみに国語辞典では、属国の意味は、【他の国の支配を受ける国。従属国。】とあります。臣従を誓い、理由はさておき嫡子を差し出した国が、「他の国の支配を受ける国」とは言えませんか?【与党】=【くみする人々。同調する仲間。】よりはよほど史実に忠実な表現と思いますが。--118.8.49.183 2009年3月11日 (水) 05:57 (UTC)
当方は出典として示しているものから、そっくり表現を引用しています。あなたがその主張を行いたいのであれば、あなたには2通りの選択肢があります。ひとつは、Wikipediaの記事上で主張したいのであれば、あなたの主張に沿った出典を明記する事。もう1つは、あなたの主張する内容を「広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実」にする事です。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 06:13 (UTC)

【そっくり表現を引用しています】は理由になりません。ウィキペディアはウィキペディアです。そのまま引用すればどのような表現でも良いなどというガイドラインはありません。誤った表現をしているのでしたら、その出典は避けるべき、もしくは表現を変えるべきでしょう。【属国】という表現が誤りで、【与党】のほうが適していると思われる理由を教えてください。また、誤った表現を訂正するために【あなたの主張に沿った出典を明記する事】とは何でしょうか?出典とは、内容を「検証可能にするためのもの」です。出典というものを履き違えているようですね。--118.8.49.183 2009年3月11日 (水) 06:26 (UTC)

出典を編者の主観で勝手に取捨選択する事自体がWikipediaの基本方針から外れています。内容が誤っている事をあなたが主張するのなら、その主張の裏付けとなる出典を明示しなさい。現在の所は、あなたは出典の裏付けの無い主張を繰り返しているに過ぎません。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 06:32 (UTC)

貴方、大丈夫ですか?「明示しなさい」とか、何で命令口調なんですか?ヒステリックですね。
何度でも言いますが、【属国】という表現か、【与党】という表現かを決めているのに、出典を提示しろって、どういうことですか?
何度でも言いますが、出典とは、内容を「検証可能にするためのもの」です。
主張の裏づけをするためものではありません。分かってないですね。
何度でも言いますが、出典とは、内容を「検証可能にするためのもの」です。
主張の裏づけをするためものではありません。--118.8.49.183 2009年3月11日 (水) 06:39 (UTC)

家康が築山殿との婚姻以前に、今川氏の「準一門」として厚遇されたとの表現について[編集]

「準一門」との表現が、出典からそのままの引用とのことですが、出典にあればなんでも良いというものではありません。ある内容に関して検証可能にするための出典です。この場合PATMANさんの提示した出典は、「今川氏が松平氏を厚遇していたとする説があること」を検証可能にしています。ですので、貴方の出典の内容の全てを否定するわけではありませんが、「準一門」という表現には明らかに誤りがあります。まず、「一門」という言葉はウィキペディアには、
1・ 氏族或いは家系を同じくする同族或いは同族集団のこと。
2・ 剣術道場、相撲部屋、落語など武道や伝統芸能などで同じ流派或いは道場において師弟関係にある者の総称。
とあります。この場合、1に相当すると思われますが、家康が築山殿を娶るまでは、今川氏と家康には何の縁戚関係もありません。これは、「」であろうとなかろうと、とても「一門」とは呼べません。築山殿を娶った後に、初めて「準一門」あるいは「一門」と呼べると思います。異論があるようでしたら、家康が築山殿を娶る以前に今川氏の「準一門」であることを検証可能にする別の出典が必要です。PATMANさんの現在の出典は、その表現を用いているだけで、実際に「準一門」であることを検証可能にしているとは言えません。今川氏が松平氏を厚遇していたとする説があることを検証可能にしているだけです。--118.8.49.183 2009年3月11日 (水) 05:11 (UTC)

あなたはWikipedia:検証可能性の意味を完全に取り違えてようです。よくご覧下さい。あなたは「編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する」を実行しています。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 06:10 (UTC)

取り違えているのは貴方です。出典は「真実か否か」を決めるものではありません。「検証可能か否か」です。その出典の表現をそのまま用いるのであれば、当然その表現が検証可能でなくてはいけません。そうでなくては、別の内容の検証を可能にしているからといって、その出典の全てが正しい、というような論点のすりかえが起こります。何度も言いますが、この場合貴方の出典は、
今川氏が松平氏を厚遇していたとする説があること」を検証可能にしているのであって
築山殿との婚姻以前に、家康が今川氏の準一門であった」ことを検証可能にしていません。
これは検証可能にすべき内容がことなります。別の内容の出典に記載があるからといって、検証可能でない内容を記載してよいわけではありません。ウィキペディアの基本方針は、検証可能であることです。--118.8.49.183 2009年3月11日 (水) 06:19 (UTC)

意味不明です。Wikipediaにとっての「検証可能にしている」というのは、「広く信頼されている発行元からすでに公開されている」事であって、それを「説であるに過ぎない」とするのは基本方針から外れています。なお、当方の立場としては、意見の対立があったため出典を提示したのであり、出典を提示した以上は表現についてもその出典に基づいた語句を用いているに過ぎません。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 06:25 (UTC)

しっかり頭を使って熟読出て下さい。貴方の出典は、
今川氏が松平氏を厚遇していたとする説があること」を検証可能にしているのであって
築山殿との婚姻以前に、家康が今川氏の準一門であった」ことを検証可能にしていません。
これだけでお分かり頂けませんか?貴方は、検証可能でないことを記載しているんですよ。「築山殿との婚姻以前に、家康が今川氏の準一門であった」ことをね。この内容を検証可能にして下さいよ。これを検証可能にできないのでしたら、貴方の出典の表現は誤っているんじゃないですか?--118.8.49.183 2009年3月11日 (水) 06:30 (UTC)

だからあなたのその主張の裏付けとなる出典を明示しなさい。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 06:34 (UTC)

私は貴方が「準一門」という表現を用いるなら、「準一門」であることを検証可能にする出典を提示して下さいと言っているんですよ。 それに対して、この主張を【裏付けとなる出典を明示しなさい。】とは何ですか?出典要請に出典要請で返すなんて、聞いたことありませんし、その【明示しなさい】とかヒステリックな命令口調が、貴方が冷静でないことを表してますけど。大丈夫ですか?熱くならないで下さい。 何度でも言いますが、貴方の出典は、
今川氏が松平氏を厚遇していたとする説があること」を検証可能にしているのであって
築山殿との婚姻以前に、家康が今川氏の準一門であった」ことを検証可能にしていません。
貴方が「準一門」という表現をそっくりそのまま用いたいなら、「準一門」であったことを検証可能にして下さい。--118.8.49.183 2009年3月11日 (水) 06:46 (UTC)

検証可能性について。ウィキペディアの検証可能性はあくまでその記述が検証可能であるかどうかであって、その事実が検証可能であるかどうかを問うているのではありません。118.8.49.183さんのいうような「事実の検証可能性」は専門の研究者がやるべきであって、ウィキペディアの範疇外の仕事です。ウィキペディアの検証可能性の解釈は、この場合PATMANさんがおっしゃるような「記述の検証可能性」に基づいて行われるべきです。したがって、118.8.49.183さんが現在の「準一門」という表現に不満があるのならば、その表現が不適切であるという出典を示せばよいだけです。あるいは「準一門」という表現に何らかの行き過ぎを感じるのであれば、その旨を中立的な観点に基づいて議論すべきで、ここでは検証可能性については争う問題はありません。検証可能性に関しては単純に118.8.49.183さんが方針文書を誤解しているだけです。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 08:04 (UTC)

(IPが変わっていますが、118.8.49.183です。) Kanbunさん、出典に関して誤解しているのは貴方です。
PATMANさんが出典された文献は、「今川氏が松平氏を厚遇していたとする説があること」、あるいはそのような文献が存在することに言及しているものです。そして、その中に「準一門」という表現が存在した、いうことですが、家康が今川氏の準一門であったという事実の有無は検証できません。「記述の検証可能性」に基づいて行われるべきだというのであれば、この出典がそもそも「準一門」という内容に言及しているものでなくてはなりません。そうでなくては、ある内容を検証可能にするための出典であれば、その中には検証可能でない表現が含まれていても、その表現が記述されていることさえ検証可能にすればよい、と言うことになってしまいます。これでは、検証可能な内容だけを記載するというウィキペディアの基本方針に反します。実際に「準一門」という「表現があること」を検証可能にしても、その出典は「家康が今川氏の準一門であったか否か」に言及しているものではなく、あくまでも別の内容に言及した際の表現の方法にすぎず、このままでは「準一門」であることが大前提の文章になってしまいます。そんな事実があるか否かは定かではないのに、何故このようなことが起こるのか考えてみてください。事実か否かを検証可能にするための出典でなくても、この場合「準一門」であることについて言及している別の出典が必要です。「準一門」であることが「事実か否かを検証可能」にする必要はありません。「準一門という説が存在すること」を検証可能にする必要があります。しかし、今回の出典は、「今川氏が松平氏を厚遇していたとする説があること」を検証可能にしている出典であり、その中の表現の一部にすぎず、「準一門」という説が存在すること」を検証可能にはしていません。
「表現に不満がある」のではなく、完全にウィキペディアの基本方針に反しています。また、こちらが「準一門という説が存在すること」を検証可能にする出典を求めているのに、それに対して「表現が不適切であるという出典を示せばよい」というのはおかしな話です。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 10:13 (UTC)

PATMANさんが出典された文献は、「今川氏が松平氏を厚遇していたとする説があること」、あるいはそのような文献が存在することに言及しているものです。そして、その中に「準一門」という表現が存在した、いうことですが、家康が今川氏の準一門であったという事実の有無は検証できません。
私の返信をちゃんと読んでいますか?繰り返しますが、118.8.49.183さんのいうような「事実の検証可能性」は専門の研究者がやるべきであって、ウィキペディアの範疇外の仕事です。この記事では「「準一門という説が存在すること」を検証可能にする必要がありま」せん。あくまでそういう表記があるかないかの問題であり、その問題は決着しています。ここから先は中立的な観点に関して問題提起をすべきです。繰り返しますが、114.145.124.254さんの解釈は方針文書の誤解です。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 10:42 (UTC)
つまりウィキペディアは事実認定をする場所ではないということですから、「準一門」という表記がされているかいないかが検証可能の対象となるのであり、徳川家康が今川氏にとって「準一門」であったかどうかは、この場合検証可能性の対象にはなりません。おわかりになられますか?--Kanbun 2009年3月11日 (水) 10:46 (UTC)非礼な表現を修正--Kanbun 2009年3月11日 (水) 15:14 (UTC)

貴方もいちいち「ちゃんと読んでいますか?」なんて喧嘩腰で失礼な人ですね。
そんな喧嘩腰で頭ごなしでは、はなから議論になるとは思えませんね。
貴方こそちゃんと読んでいるんでしょうか?わざわざ太字にしたのに・・・
「準一門」であることが「事実か否かを検証可能」にする必要はありません。「準一門という説が存在すること」を検証可能にする必要があります。

もう少し分かりやすくまとめましょう。
「準一門である」ということを大前提に、「今川氏が松平氏を厚遇していたとする説があること」を検証可能にしている。
Kanbunさんは、「準一門」という表現が用いられていることを検証可能にすればよいとしている。
しかし「築山殿を娶る以前から家康が今川氏の準一門だったという説が存在するか否か」は検証可能にされていない。
そのような説が存在することは検証可能にされていないが、「準一門である」ということを大前提に文章は書かれている。
ウィキペディアの基本方針は、検証可能な内容だけを記載する、です。ではなぜ存在するか否か検証可能でない説が書かれているんでしょう?--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 10:49 (UTC)

検証可能性を考慮する際に準一門であるという説の存在を問題にする必要はありません。「準一門」という表現は書籍中にあるもののようだが、それを前提に「「今川氏が松平氏を厚遇していたとする説があること」を検証可能にしている。」という論はそもそもおかしいし、誰もそのようなことは主張していないように思われます。検証可能性というのは、該当文献中に記事中にあるような記述が見出されるか見出せないかにあるのであり、PATMANさんがおっしゃっているように、もし文献中に「準一門」と記載されているのならば、まず検証可能性は満たしていると見なしてよいのです。そのうえで問題だとおっしゃるならば、それをしかるべき方針に基づいて論ずるべきであって、PATMANさんの記述が検証可能性を満たしていないというあなたの論は現状では成り立ちません。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 10:54 (UTC)
整理しますと、「準一門」という用語が明確でないという114.145.124.254さんの意見には首肯するところがありますが、今回の場合検証可能性についてはPATMANさんのほうの理解が正しいのであるし、「準一門」という表記自体は十分検証可能性を満たしているのであるから、検証可能性においてPATMANさんに一点も誤りはありません。そのうえでその記述の妥当性を問題にするなら、中立的な観点などから考えていくのが筋だと言っているのです。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 11:03 (UTC)

PATMANさんと貴方は、完全に検証可能性を履き違えています。記載があることを検証可能にする際には、例えば「~~という文献に、~~と記載されている」という記述をした場合、Kanbunさんの仰るとおりその記載の有無を検証可能にすればよいだけです。この場合ですと例えば「歴史群像2002年8月号 今川義元一代記では、築山殿を娶る以前から家康が今川氏の準一門だったとしている」と記述したのちに件の出典を提示するならそれでよいわけですが、今回はこの出典が言及している内容が別件であり「準一門」という表現があることの出典ではありません。
そもそも、なぜ存在するか否か検証可能でない説が、さも当然のように書かれているんでしょう?完全にウィキペディアの基本方針に反しています。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 11:07 (UTC)

そこが誤解の大本ですか。「~~という文献に、~~と記載されている」という記述をとるか、それとも一般的に書くかは中立的な観点に関わる問題です。検証可能性はあくまでその記述がどこから取られたものかの帰属を問う方針文書です。これでようやくわかってもらえますか?--Kanbun 2009年3月11日 (水) 11:10 (UTC)
本来は検証可能性の問題ではありますが、どうしても納得いかないご様子なので別の観点からも述べておきましょう。「○○扱い」というのは、辞書では「ある身分・役割・状態にあるものとして接すること。」とあります。例文として「子供扱い」といのが挙げられています。「誰々を子供扱いする」というのは、その人は本当は子供ではないけど、子供であるとして接するという事です。「子供扱い」という言葉を使う以上は「実は子供ではない」のですから、「準一門扱い」という言葉を使うのは「本当は一門ではない」という事になります。納得頂けたでしょうか?(本当はこういう論で、元の書籍を論じるのは、独自研究に抵触するのでやりたくないのですが。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 11:33 (UTC)

Kanbunさんへ。いいえ、これほど言っても分からないんですね・・・残念です。「中立的な観点」とは一切関係ありません。出典は、一体なにを検証可能にしているのか明確にするべきです。「検証可能性はあくまでその記述がどこから取られたものかの帰属を問う方針文書です。」とありますが、ここに誤りがあります。「検証可能性は、その学説・見解がどこから取られたものかの帰属を問う方針文書です。」(前もって言いますが、この学説。見解が事実である必要はありません。)
記述の帰属を問うのであれば、記載した文面自体が記述の存在の有無に言及していなくては、出典が一体何を検証可能にしているのかが曖昧になります。これでもわかりませんか?--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 11:34 (UTC)

現在の記事に徳川家康が今川義元の「準一門である」あるいは「準一門扱いである」という学説・見解は述べられていませんよ?あくまで徳川家康が今川義元の準一門の扱いを受けたとの説があるという書籍の記述に基づいた文章があるだけです。そしてその記述は検証可能性を満たしています。したがって、その意味内容に踏み込む必要は今のところありません。検証可能性は記述の内容を問うわけではないからです。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 11:41 (UTC)
つまり元の書籍が何を検証可能にしているかはウィキペディアの検証可能性とは関係がありません。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 11:43 (UTC)

もし現在の記述が一部の論者の見解を拡大解釈したり、一部の見解を一般的であるかのように書きすぎていると114.145.124.254さんが思われるならば、中立的な観点に基づいてその問題点を論じるべきです。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 11:52 (UTC)

PATMANさん。それは面白い見解ですね。でもこの場合、むしろ「客扱い」などの「○○扱い」に近いのではないでしょうか?この場合ですと、「客として扱う」という意味であり、「準一門として扱う」という意味に繋がります。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 12:02 (UTC)

Kanbunさんへ。??その通りですよ。「準一門扱いであるという学説・見解は述べられていません」それが問題なんです。
そこに言及されていないのに「準一門である」ことが既成事実のように書かれています。
どちらかです。
「準一門扱いであるという学説・見解があること」を検証可能にするか
「準一門の扱いを受けたという書籍の記述に基づいた文章があること」に言及した上で、あらためて再度その件に関する出典とするか。
記述に言及した内容ではない文章に出典を付けても、記述があることを検証可能した出典とは言いません。その件と「今川氏が松平氏を厚遇していたとする説があること」を検証可能にする出典とは、まったくの別です。
準一門という説の存在が検証可能でないのに、準一門という説が既成事実として表現に用いられているのはおかしいんですよ。それはその記載の有無を検証可能にすることとは全く別の話です。「検証可能性は、その学説・見解がどこから取られたものかの帰属を問う方針文書です。」--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 12:02 (UTC)

「準一門である」ことが既成事実のように書かれていることが問題ならば、それは中立的な観点の問題です。現在の記述は準一門扱いとする説があるという検証可能性は満たしています。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 12:07 (UTC)

「中立的な観点」は一切関係ありません。「準一門」という表現が中立か否かを問題にしている訳ではありませんので。
「~という説がある」などの内容の文章に対する出典と
「~という記載がある」という内容の文章に対する出典とでは、出典の意味合いが異なります。
この場合、PATMANさんの出典は、「~という記載がある」という、記載に言及した文章に対する出典ではありませんので、その記載自体を検証可能にしたとは言いません。何に対する出典なのか、何を検証可能にするための出典なのか、はっきりするべきです。 「~という説がある」ことを検証可能にする文章の表現をそのまま引用するのであれば、どこからどこまでが出典から引用したのかを明確にするべきです。そのためには「~という記載がある」ということに言及する必要があります。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 12:12 (UTC)

すごい初歩的な問題なんですが、Wikipediaでの出典の示し方はご存知ですよね?出典を示すと言うことはどこに「~という記載がある」という、記載に言及することなんですよ。そして、誰がどこで「準一門扱い」説を唱えているかは検証可能性の場合問題ではなくて、とりあえず「準一門扱い」説なるものに触れられていればあると記載することはできるんです。それが信頼すべき書籍において言及されている場合は。実際の内容がどうだとか本当に事実なのかはこの際関係ありません。そういうのは中立的な観点で考えるべきことですから。これでわかりますか?--Kanbun 2009年3月11日 (水) 12:16 (UTC)
つまり、「何に対する出典なのか、何を検証可能にするための出典なのか、はっきりするべきです。」という言葉については、何に対してかはすでに明らかであり、それを示すのが検証可能性です。後半については他の方針で検討すべきでしょう。たとえば中立的な観点で、ね。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 12:19 (UTC)

すごい初歩的な問題なんですが、Wikipediaでの出典の示し方が「記載に言及すること」だけというのはどこのガイドラインに書いてありますか?明確に提示して下さい。
「検証を可能にする」ための出典であり、「記載があることを証明する」ためだけの出典ではないはずです。
「~という説がある」ということを検証可能にするために出典を提示する必要はない、と言うことでしょうか?
「事実か否か」が問題でないことは見解は一致しています。
「誰がどこでその説を唱えているか」を検証可能にする必要はない、と言っているんですよね?
これは大問題ですよ。もはや論外です。
Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」には
「広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです。」と記載があります。そして、その「事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論」があることを検証可能にするために「広く信頼されている発行元」から発行されている出典を明記するわけです。つまり「誰がどこでその説を唱えているか」を明確にするわけです。
「記載があることを証明する」のであれば、その記載があることにまず言及してから、それを証明するために出典を提示するのでなくては、何に対する出典なのか不明瞭です。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 12:38 (UTC)

だから、とりあえず「準一門扱い」説なるものがあるということは検証可能な形で示されているので、検証可能性は問題になりません。つまり「誰がどこでその説を唱えているか」を明確にするわけではありません。その説が記載されているかどうかです。おわかりですか?あなたは方針文書に書いてない拡大解釈をしていらっしゃいます。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 12:43 (UTC)
検証可能性はまず満たしていても、記述の中立性に問題がある場合には当然、「誰がどこでその説を唱えているか」を明確にする必要が出てきます。したがって、あなたの取るべき道はまず記述の検証可能性は認めた上で、その説の妥当性を中立的な観点に照らして問うていくことでしょう。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 12:47 (UTC)

もっと具体的に言いましょう。
『「今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であった」と言う説がある』という記述に対する出典と
『歴史群像2002年8 月号 今川義元一代記に「今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であった」という記載がある』という記述に対する出典では、検証可能にしている内容が異なることが分かりませんか?
現在の出典の提示の仕方は前者です。これですと、「説がある」ことを検証可能にしているだけであって、文章の記載には一切言及していないため、「記載がある」ことを検証可能にはしていません。というより、読者に対して明確にしていません。一体どこからどこまでが出典からの引用なんでしょうか?言われなければ分かりません。知っているのは記述した本人だけです。これでは「記載がある」ことを検証可能にしたとは言いません。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 12:51 (UTC)

何をおっしゃっているのです?『歴史群像2002年8 月号 今川義元一代記に「今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であった」という記載がある』というのは端的にいえば「徳川家康含む松平氏が今川氏の準一門扱いを受けていた」との見解を今川義元一代記が示していると、歴史群像の記事の著者は考えていると示しているということでしょう?変わらないじゃないですか。これで十分検証可能性は満たしていますよ。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 12:56 (UTC)
もし上の『「今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であった」と言う説がある』という文が見解の一般性において不特定にされているから必要以上に一般化されていると感じるならば、それを指摘して中立的な観点に基づいて修正を求めるべきです。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 13:00 (UTC)
今問題にしているのは「準一門」「与党」という語句であるはずですが、その語句は出典とした文献からの引用である事を、議論の最初から明白にしています。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 12:58 (UTC)

違いますよ。私たちは、この文章を記載したPATMANさんに、出典の表現をそのまま引用したことを聞いているからそう受け取れるだけのことです。この事実を知らない読者がどう受け取るのかを考慮しなくてはいけません。その場合、「記載がある」こと、あるいは「表現を引用していること」を明記した上で出典を提示するのと、「説がある」ということを検証可能にするために出典を提示するのでは、全く意味合いが異なります。
でも、こんなことすら分からないようでは、これ以上の議論は無駄な気がしてきましたよ。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 13:02 (UTC)

だから、検証可能性はあくまで出典がどこにあるかを問うだけであって、「この事実を知らない読者がどう受け取るのか」は中立的な観点に関わる問題です。まずは冷静になってご自分の誤解を誤解とお認めください。話はそこからです。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 13:06 (UTC)

PATMANさんへ。私たちはそれを明白にされていますが、読者には明白にされていません。一体どこからどこまでが、あるいはどの表現が出典とした文献からの引用なのでしょう?これが明白ですらないのに、読者に対して表現を引用していること、そういった記載があることを検証可能にすることは不可能です。「表現を引用していること、そういった記載があること」を読者に対して明白にして初めて検証可能になります。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 13:07 (UTC)

あなたは書いてある事が読めないのですか? 2009年3月11日 (水) 12:58 の書き込みをもう一度読んで下さい。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 13:09 (UTC)

Kanbunさんへ。「読者がどう受け取るのか」は、中立的な観点とは無関係です。「読者がどう受け取るのか」とは、出典を何に対する出典と受け取るか、ということで中立的な観点とは全く無関係です。私は至って冷静ですし「誤解を誤解とお認めください。」などと、誤解している方から言われる覚えはありません。先にも言いましたが、「表現を引用していること、そういった記載があること」を読者に対して明白にしていないのに、なぜその「表現を引用していること、そういった記載があること」を検証可能にしているなんて言えるんですか?検証の前に、読者はその事実すら知らないんですよ?--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 13:13 (UTC)

その事実を知りたい読者は、その都度確かめればいいだけの事です。あなたの言う通りにしたら、Wikipediaの単語ことごとくに出典が必要になります。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 13:15 (UTC)
>「読者がどう受け取るのか」は、中立的な観点とは無関係です
万が一114.145.124.254さんの言うとおり中立的な観点とは無関係だったとして、「読者がどう受け取るのか」と検証可能性とはもっと関係がありません。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 13:18 (UTC)

PATMANさんへ。私はその件にきっちりと返答をしていますよ。順を追ってしっかり読んでいますか?貴方こそ13:02 (UTC)の書き込みを読んでください。
しかし合いも変わらずいちいち喧嘩腰ですね貴方は。あんまり感情的になると、バカっぽいんでやめてもらえません?
「その都度確かめればいいだけの事です。」ですって??これは驚きですね。ウィキペディアを読む際には読者が執筆者にそんな配慮をしなくてはいけないんですか?もし貴方が回答できない時はどうすればいいんですか?無茶苦茶言いますね。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 13:21 (UTC)

今更なに言っているんですか。ウィキペディアは三次情報源ですので、情報の信憑性についてはその都度確かめる必要があることくらい、普通のウィキペディアンは皆知っていますよ。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 13:23 (UTC)
ウィキペディアは、「読者にそういう配慮をしないといけない」というあなたが勝手に作ったルールに沿って運営されている訳ではありません。あなたが勝手に作ったルールではなくウィキペディアの方針というのであれば、それが書かれた箇所を示して下さい。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 13:26 (UTC)

Kanbunさんへ。なぜ「検証可能性とはもっと関係がありません。」なんですか?何を検証可能にしているのかを読者に明白にしなくては、読者は表現が引用されていることすら知らないんですよ?表現を引用していることを明白にしていないのに、何でその表現が記載されていることを読者に対して検証可能にしているなんて言えるんですかって聞いているんですが、明確な答えが得られていません。読者は記載があることなんて知りもしないのに、検証できるんですか?検証できないですよね?知らないんですから。なのに検証可能なんですか?どういうことですか?--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 13:28 (UTC)

二人そろって、言ってることがだいぶ無茶苦茶になってきてますね。「信憑性についてはその都度確かめる必要がある」でしょうが、表現が引用されたものか否か、なんてどうやって予測するんですか?--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 13:30 (UTC)

予測するのでなくて、文献は示しているので、確認したい人はそれを読んで下さい。それだけです。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 13:32 (UTC)
読者をあまりバカにしないでください。出典が書かれているんですから、まじめな読者は普通に出典にあたって記述を確かめますよ。歴史群像なんてちょっとした図書館ならだいたいおいてありますし。とりあえずウィキペディアが三次情報源であることを考えれば、検証可能性が出典の内容を問わない形になっていることもおわかりになるでしょう?--Kanbun 2009年3月11日 (水) 13:33 (UTC)
もしかして、114.145.124.254さんはWikipedia:信頼できる情報源についてご存知でないのでしょうか?--Kanbun 2009年3月11日 (水) 13:35 (UTC)

だから、文献は説があったことを検証可能にしているだけで、表現を引用していることを知りもしない読者にたいして、どうやって「準一門」の表現を引用していることを検証可能にするんですか?読者は貴方の提示した文献を読む際には、説があるか否かを検証するだけです。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 13:36 (UTC)

このノートを見ればわかるのではないですか? 検証しようとしているのにノートを読みもしないのは、怠慢というべきでしょう。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 13:39 (UTC)
「準一門」の表現がおかしいと気づく賢明な読者なら、出典をすぐ確認しますよ。気づかない人はとりあえず徳川家康は今川義元に準一門扱いで遇されたと思うことでしょう。いまのところ徳川家康が今川義元に準一門扱いをされていたというのは半ば正しいようなのですから、問題ないのではないですか?出典不明に「属国」と書いてあるよりは適切と思います。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 13:41 (UTC)

Kanbunさん、貴方は毎回毎回論点がズレる人ですね。Wikipedia:信頼できる情報源は今は関係ありません。 貴方達は、読者に知らせてもいないことを、勝手に検証可能にしている、と言っているんですよ。Kanbunさん、貴方こそ読者をバカにしないで下さい。「説があること」に対する出典が提示されているからといって、知らされてすらいない表現の引用についてまで、その出典で分かるだろ、って言っているんですよ。まずは引用した事実を知らせなくては、読者は検証のしようもありませんよ。なんて傲慢な言い草をするんですか?二次元だろうが三次元だろうが、出典の形なんて関係ありません。論点ズレ過ぎで呆れます。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 13:45 (UTC)

いや、文献が示されているんだから検証できるじゃないですか。意味不明です。丸ごと転載したら問題なわけですし。「詳しいところは文献見てね」になるのは当然ではないですか。「準一門」という表現が創作でないのなら、ここは十分検証可能であるというべきです。論点ズレ過ぎで呆れます。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 13:49 (UTC)
引用したという事実を知らせる事は、その箇所に疑問を持った人に対して、その都度やればいい事です。そんな事を言っていたら、記事のあらゆる語句についてことごとくこの語句について出典はこれという説明が必要になりますよ。冒頭の「征夷大将軍」とか「藤原姓」とかいう語句から、出典を貼付けろというつもりですか?--PATMAN 2009年3月11日 (水) 13:50 (UTC)

「いまのところ徳川家康が今川義元に準一門扱いをされていたというのは半ば正しい」というのはどういう判断なのでしょうか?出典は、そのような説があることを検証可能にしているだけで、その内容が事実だとしているわけではないんですよ。
完全に事実だと履き違えているようですね。つまり、出典というもの、検証の可能性というものを完全に履き違いえているわけですね。
「いまのところ徳川家康が今川義元に準一門扱いをされていたというのは半ば正しい」のではなく、「いまのところ徳川家康が今川義元に準一門扱いをされていたという説があるというのは正しい」の間違いではないですか?Kanbunさん。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 13:53 (UTC)

「いまのところ徳川家康が今川義元に準一門扱いをされていたというのは半ば正しい」のではなく、「いまのところ徳川家康が今川義元に準一門扱いをされていたという説があるというのは正しい」の間違いではないですか?
いえ、この表現であってます。そのような説があるという記載があることは証明されていますが、そのような説があるかどうかは証明されているとは言えないからです。しかしウィキペディア的にはこの半ば正しい状態で検証可能性は満たしていると言えるということです。そして、そのことはウィキペディアが三次情報源であるということに担保されています。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 13:56 (UTC)
さらに実際には家康が今川に準一門扱いされていたかどうかなんて確かめる術はありませんから、究極的には不可知論の分野に入ります。なので、半ば正しいでよいのです。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 13:58 (UTC)

私の指摘を証明しているだけじゃないですかww
「そのような説があるという記載があることは証明されています」
「そのような説があるかどうかは証明されているとは言えない」
なのに、
「いまのところ徳川家康が今川義元に準一門扱いをされていたというのは半ば正しい」ということは
「記載があることは証明された」=「記載の事実は正しい」
と受け取っているわけですよね?
「記載があることは証明された」=「事実か否かとは無関係」
で意見は一致していたはずですが?もはや支離滅裂すぎですよ。
そもそもウィキペディアに記載されている内容は「半ば正しい」内容ではなく「検証可能」な内容のはずなんですけどねww
もしかして、「検証可能」=「半ば正しい」と思っていらしたんですか?
どうりで始めから話にならないわけですねwwもはや無茶苦茶すぎて笑えますww

Kanbunさん。その前の文章への返事ですが、「文献が示されているんだから検証できる」じゃないんですよ。「準一門」という表現が引用によるものだと知りもしない人が、検証なんてできないと言っているんです。文献を提示する以前に「準一門」という表現を読者が引用だと知らなければ検証もくそもありません。しかし、「準一門」という表現は、その説の存在自体が検証できないと私は言っているんです。貴方の言い分では、検証が不可能だろうと、気付かない人はそのままそれを受け入れ、気付いた人はその都度調べろ、ってことですよ。そんないい加減な百科辞典は聞いたことがありませんね。可能な限り検証可能にすべきじゃないんですか?--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 14:26 (UTC)

PATMANさん。ウィキペディアは万人が読むものですよ。個人対個人ではないでしょう。「その都度やればいい事です。」なんて、貴方が自分の記述に対して責任を持ってこの先ずっと一人一人に対してその「引用したという事実を知らせる」ということを本当にできるんですか?この先何年も、できるんですか?もはや屁理屈の領域です。「できる」なんて簡単に言わないで下さいよ。無理に決まっていますから。それにウィキペディアはそんなQ&A方式ではありません。極力そういった疑問や誤解が生じないように記載するべきではないんですか?出典要請というものは、その都度個人に対して行うものではないはずです。私が「準一門」という表現に疑問をもち、今その検証の可能性を聞いているのに「出典から引用しました。」と答えるに終わっているのは事実じゃないですか。ならばその引用と云う事実を明記するべきです。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 14:28 (UTC)

質問しているのはあなたひとりであって、全ての読者ではありません。逆に問いますが、征夷大将軍、藤原姓、江戸幕府etc,,,こういった記事中の語句全てについて、出典を貼付けろというのですか? 「準一門」だけでいいというなら、それこそあなた個人の事情であって「ウィキペディアは万人が読むものですよ。個人対個人ではない」という事です。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 14:31 (UTC)
>しかし、「準一門」という表現は、その説の存在自体が検証できないと私は言っているんです。
全然意味が分かりません。
>どうりで始めから話にならないわけですねwwもはや無茶苦茶すぎて笑えますww
このフザけた表現は何ですか。対話する気がないのならブロック依頼を出します。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 14:37 (UTC)

PATMANさん。意味が分かりかねます。私は「準一門」という単語の意味を聞いているわけではありまえせん。「準一門として扱われた」ということを検証可能にする出典をもとめているんです。それに対して貴方達は、出典にその表現があるんだから、検証可能にする必要すらない、と回答したんですよ。【征夷大将軍、藤原姓、江戸幕府etc,,,】の何に検証を可能にする出典を求めたらよいのでしょう?それに、それらの語句は、内部リンクで詳細を見れますよね?それぞれの記事のなかで、不明なことに関して出典を要請するのが普通なんじゃないですか?--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 14:38 (UTC)

もはや話にならないので、ブロック依頼を出したほうがいいでしょう。私は編集合戦の当事者とみなされる可能性がありますので、Kanbunさんのほうでお願いできるでしょうか?--PATMAN 2009年3月11日 (水) 14:45 (UTC)

Kanbunさん。対話する気がないのは貴方です。私の質問・指摘に明確な返答ができなくなっています。ブロック依頼を出すのは勝手ですが、明確な返答ができない限り、貴方は始めから出典や検証の可能性について完全に誤解していたということになりますよ。どのみち議論を続けるのであれば、この誤解を貴方が認めを謝罪する必要がありますね。でなければ、貴方は対話して譲歩しあったり意見の一致を模索する意思など始めからなく、ただ意地を張り通しているだけだと思われても仕方がないですよ。先ほどの私の指摘には正直反論の余地はないと思います。
「そのような説があるという記載があることは証明されています」
「そのような説があるかどうかは証明されているとは言えない」
なのに、
「いまのところ徳川家康が今川義元に準一門扱いをされていたというのは半ば正しい」ということは
「記載があることは証明された」=「記載の事実は正しい」
で間違いありますか?ないですよね?--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 14:47 (UTC)

あなたはウ意図的に話を噛み合ないようにして、混乱させているのだと判断せざるを得ません。そうでないというのなら、ウィキペディアの基本方針からの引用を行って主張して下さい。--PATMAN 2009年3月11日 (水) 14:51 (UTC)
礼儀を知らない方と話す気はありません。まずは非礼を詫びていただけますか。wwって議論相手のことを笑ったでしょう?謝る気がないのであれば、114.145.124.254さんと対話を続けても無駄です。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 14:52 (UTC)

話を噛み合ないようにしたのは私ではありませんよ。「いまのところ徳川家康が今川義元に準一門扱いをされていたというのは半ば正しい」と言い出したのはKanbunさんですし、これは大切な内容です。出典や検証可能性について、というよりもウィキペディア全体の内容について完全に勘違いしているかのような発言です。ウィキペディアに記載されている内容は「半ば正しい」内容ではなく「検証可能」な内容のはずですからね。もしKanbunさんが、「検証可能」=「半ば正しい」と捉えているのでしたら、これは大問題です。議論になどなるはずがありません。ですから問いただしているのです。混乱させてなどいませんので、悪しからず。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 15:01 (UTC)

Kanbunさん、貴方は始めに私に「ちゃんと読んでいますか?」なんてバカにした喧嘩腰な発言をして、私に謝罪しましたっけ?私には充分に無礼な発言にとれましたし、そう感じた旨も伝えたはずですが?--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 15:01 (UTC)

114.145.124.254さん、言い逃れをするつもりならそれでもいいですよ。しかし、挑発行為は議論にとって何の益にもなりません。まずは「ww」なんてフザけた語尾をつけたことを詫びて、二度と繰り返さないと誓ってください。話はそれからです。私が参加する以前からあなたの言動には目に余るものがあります。「ちゃんと読んでいますか?」という言葉はあなたも何度も使っていますよね?しっかり謝っていただけますね?--Kanbun 2009年3月11日 (水) 15:05 (UTC)

「ちゃんと読んでいますか?」という言葉が失礼であったなら、申し訳ありませんでした。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 15:05 (UTC)

Kanbunさんへ。「ちゃんと読んでいますか?」という言葉を私が何度も使っているとは、具体的にご指摘下さい。ちなみに、「挑発行為は議論にとって何の益にもなりません」と言いますが、私は挑発行為をされたときはそのまま返しますが、自分からそのような発言をした覚えはありませんが?それに「私が参加する以前からあなたの言動には目に余るものがあります。」とは何でしょう?これも具体的にご指摘頂かなくては、謝罪のしようもありません。それに、その言い方ですと、貴方は始めから私に敵意を持って議論に参加なさったようですね。これでは始めから議論になどなるはずがありません。さらには「言い逃れをするつもりなら」とか「目に余るものがあります」とか「失礼であったなら」とか、貴方は本当に謝罪するつもりがあるんですか?とてもとても謝罪する人の態度とは思えない大柄なものの言い方ですね。「失礼であったなら」って、失礼じゃないと思ったんですか?「ww」程度でそれほどの怒りを見せる人が、「ちゃんと読んでいますか?」が失礼じゃないと本当に思うんですか?これこそ明らかに「挑発行為」じゃないですか。しかも私が失礼ですね、と言ったのに「失礼であったなら」って、何です?失礼だって言ってるじゃないですか。私はそんな貴方に我慢して議論を続けてきたのに、いまさら「ww」で投稿ブロックの脅しですか?貴方のような人と議論になどなるはずがありません。「検証可能」=「半ば正しい」と捉えているのも間違いないようですし、どのみち始めからそんな敵意を持っていたんでしたら、議論など無理ですね。--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 15:23 (UTC)

そうですか。では、私はあなたと議論することはやめます。世間一般の真偽判定からいえば、「検証可能」=「半ば正しい」ということはウィキペディアに記載されていることは事実ではないことから明らかなのに、わかってらっしゃらないご様子。話しても無駄でしょう。無礼な人とは私は話しません。どうぞ自分勝手な主張を続けてください。とりあえず対話拒否の言質を戴きましたので、114.145.124.254さんに方針文書を読んでいただく休暇を管理者の方から戴けるよう掛け合ってみます。さようなら。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 15:30 (UTC)

検証可能」=「半ば正しい」ではなく
「記載があることは証明された」=「記載の事実は正しい」
と言い戻したほうがよいのでしょうか?
「ウィキペディアに記載されていることは事実ではないことから明らか」という発言と完全に矛盾していますね。
あなたの主張では、
「そのような説があるという記載があることは証明されています」
「そのような説があるかどうかは証明されているとは言えない」
なのに、
「いまのところ徳川家康が今川義元に準一門扱いをされていたというのは半ば正しい」ということは
「記載があることは証明された」=「記載の事実は正しい」
で間違いなかったですよね?
なのに今度は、「ウィキペディアに記載されていることは事実ではないことから明らか」ですか・・・
そして都合が悪くなったら「管理者に掛け合う」ですか?
管理者に掛け合っても、貴方の発言が矛盾している事実は消えませんよ。
もしかして、「半ば正しい」とは「半ば間違っている」というつもりで言ったんでしょうか?
だとしたら、13:41 (UTC)の発言が完全におかしくなってしまいますけど・・・--114.145.124.254 2009年3月11日 (水) 15:41 (UTC)

コメント依頼を見て参りました。
まず、私には118.8.49.183氏がどのような記事編集であれば良いのかよく分からないんですが、現状からの編集案を具体的に出して欲しいです。
一方それとは別に、現行の「今川氏の準一門扱いであり」って表現も良く分からないです。「一門に一段劣る準一門にカテゴライズされた」ということでしょうか?あるいは「一門に準じて扱われた」の誤記でしょうか? 引用元では何かカテゴライズに対して定義や比較論が展開されているのかもしれませんが、ここだけ読んでも準一門のイメージのどの辺が行為であったり優遇であったのか理解できません。
今の文面だと、後続の文章に別根拠で優遇事例が述べられていますが、「準一門扱い」結論に至る根拠がよくわからないんですよね。結論と事例が結合されているならば、事例→結論の書き順の方が良いのかも知れないと思いました。--yasumi 2009年3月12日 (木) 12:09 (UTC)

114.145.124.254118.8.49.183と同一人物です、yasumiさんの仰っていることは、私と同じことではないでしょうか?私も、「準一門扱い」結論に至る根拠がよくわからないから、それを検証可能にする出典を求めているわけです。ところが、『別の案件を検証可能にするための出典に表現として用いられている』ということだけが「準一門扱い」結論に至る根拠とされている、ということで議論は現在に至っています。「どのような記事編集であれば良いのか」は特にこだわりや主張はありませんが、「準一門扱い」結論に至る根拠となる出典は必要ではないでしょうか?--114.145.199.222 2009年3月12日 (木) 19:36 (UTC)追記、yasumiさんの仰られている「後続の文章に別根拠で優遇事例が述べられています」は、後年のことになりますので、私の言っている「築山殿との婚姻以前に、今川氏の「準一門」として厚遇されたとの表現について」と合致するのではないでしょうか?現状の文章のままでは、築山殿との婚姻以前に今川氏の「準一門」として厚遇されたとうけとれますし、私はこの項目の見出しでも、そのこと自体を問題として提起しています。私はこの段階では婚姻後のことは含まれていない文章と判断したのでこのような表現をしたのですが、もし婚姻後のことも含んだ意味での表現でしたら、yasumiさんの仰られている「事例→結論の書き順の方が良い」と言う意見に賛成です。そうであれば、出典は現状のままでよいと思いますが、私は始めから築山殿との婚姻以前の議論であることを明確にしていますので、Kanbunさんたちから特に婚姻後の話だという反論が特にない以上、皆さんが、婚姻以前の議論として話を進めているものと思っておりました。もし婚姻後のことも含んだ意味での表現でしたら、これまでの議論自体が全て無意味なことになってしまいますが、そういうことなのでしょうか?--114.145.199.222 2009年3月12日 (木) 19:53 (UTC)追記修正--114.145.199.222 2009年3月12日 (木) 20:06 (UTC)

どちらにせよ出典が示されているのですから、検証可能性の問題ではありません。なぜなら、この問題は実際に文献に当たれば、どのように書かれているかは判断できるからです。「現状の文章のままでは、築山殿との婚姻以前に今川氏の「準一門」として厚遇されたとうけとれますし、私はこの項目の見出しでも、そのこと自体を問題として提起しています。」については、実際の文献に当たって文献の誤読の可能性や中立的な観点から論じるべきです。--Kanbun 2009年3月12日 (木) 20:40 (UTC)

Kanbunさんへ。文献の誤読以前に、ウィキペディアの記事自体に記載されている文面が読者にどのように受け取られる可能性があるか、が問題です。文献の参照はそのあとの話です。文献の文面と、ウィキペディアの文面は、分けて考慮すべきです。文献は、あくまでもウィキペディアの文面を検証可能にするためのものであり、ウィキペディアの文面の真偽を問うものではありませんので、誤読云々は見当違いだと思います。(もし文献の誤読に言及している参考記事などあれば、教えて頂けますでしょうか?)
現状ではyasumiさんも「準一門扱い」結論に至る根拠がよくわからないというように、そう受け取る人が事実いるのですから、そのような受け取られ方をされないような文面にするのは執筆者の責務ではないでしょうか?--114.145.199.222 2009年3月12日 (木) 21:23 (UTC)

簡単な解決策を考えたんですが、文章を順序道理読んでいくと、幼少期に「準一門扱い」結論に至る根拠がよくわからないと感じる人がいるのですから、「今川氏の準一門扱いであり」というフレーズを、「後年、今川氏の準一門扱いとされており」としたら如何でしょう?これでしたら、婚姻により一門、あるいは準一門として扱われたことは、その後の文章で補足されており、分かり易いと思います。
後年の話などではなく、幼少期からすでに準一門扱いされていたとなると、これではダメでしょうが、如何でしょうか?--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 03:13 (UTC)

事実について[編集]

114.145.124.254さんは全く理解されていないようですが、他の人のために補足を加えておきます。
「記載があることは証明された」=「記載の事実は正しい」
という言葉はそもそも多義的であり、意味内容において次のように判断できます。

  1. 記載されているという事実は確認された
  2. 記載されている内容が事実である

私は1.の意味での確認がおこなわれたので、半ば正しいと述べたのです。矛盾は一切ありません。内容的に事実と異なることがあるかもしれないという意味で半ば正しいと表現するのが、ウィキペディア読者から見た場合、正しい表現になります。とにかくこんなことは些末な問題であり、これ以上話題にするに及びませんし、私も114.145.124.254さんの非礼な態度には我慢がならないので、これ以上は全く書き込みません。ただ114.145.124.254さんの日本語リテラシー能力にも疑問を持っていること表明しておきます。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 16:08 (UTC)

私の言ったことそのままですね。
記載されているという事実は確認された」=「記載の内容は半ば正しい」と解釈しているわけですね。
この場合の「半ば正しい」は「いまのところ徳川家康が今川義元に準一門扱いをされていたというのは半ば正しい」と言っています。
「徳川家康が今川義元に準一門扱いをされていたという記載があったことは半ば正しい」とは言っていません。ですので
記載されているという事実は確認された」=「記載の内容は史実として半ば正しい」との解釈で間違いないでしょう。
しかしウィキペディアは、
記載されているという事実は確認された」=「史実・事実」ではありません。これは「半ば」とか「完全に」とかいう問題ではあり:ません。
記載されているという事実は確認された」=「検証可能な内容」なはずです。
明らかに矛盾しています。
日本語リテラシー能力にも疑問があるのは、貴方です。私はこの長い議論の間、一度として矛盾した発言はしていません。そして、始めに非礼な態度をとったのは貴方です。私はずっとそれを我慢してきましたが、貴方は我慢がならないとは、随分自分本位ですね。114.145.124.254こと--122.17.155.206 2009年3月11日 (水) 16:28 (UTC)

「記載されているという事実は確認された」=「検証可能な内容」なら、全く検証可能性において問題ないじゃありませんか。「準一門」という言葉は出典元にあるのですから。それを検証可能だというのです。徳川家康が今川義元の準一門扱いであったかどうかはこの場合全く問題になりません。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 16:38 (UTC)

「「記載されているという事実は確認された」=「史実・事実」ではありません。」ということを理解されたのなら、上の私の言葉には当然納得できますよね?--Kanbun 2009年3月11日 (水) 16:40 (UTC)
もちろん現在の記事内容が「徳川家康が今川義元の準一門扱いであった」と述べているのではなくて、あくまでそういう説があると述べているのも了解されていますよね?--Kanbun 2009年3月11日 (水) 16:45 (UTC)
ちなみに私は「記載されているという事実は確認された」=「記載の内容は史実として半ば正しい」とは述べていないので、この可能性は消してくださいな。まあこのことは 2009年3月11日 (水) 16:08 (UTC) の発言で明らかと思いますが。--Kanbun 2009年3月11日 (水) 16:51 (UTC)

君、必死すぎて見苦しいよ。簡単に発言取り消すなよ。自分の発言に責任持とうぜ。語るに落ちたね・・・・可哀想に。さようなら~。--118.6.222.83 2009年3月12日 (木) 00:42 (UTC)

↑粘着はおまえだよ、丸の内のOCN。Sdesennaのソックパペットじゃねえか。ルイス・ハミルトンでも編集合戦してウザイったらありゃしない。出典の意味を理解できないなら自重して消えろ!

なんのことだか分からないんで、ルイス・ハミルトンのノートを呼んでみたんですけど、貴方は
AOI-ZEROOcreofvitSnapenマリアヤ朗由喜チャイルであり、今ではアカウント(ID)使用をやめてIPユーザーとして地下に潜った可能性が高い。プロバイダーは千葉のBIGLOBE(NEC)。だから122.130.215.47は本人に間違いない--2009年1月16日 (金) 20:49 (UTC) って言われている人ですよね?みんなが貴方のようにソックパペットを多様するなんて考えないほうがいいですよ。私はIPアドレスが変わった際には事前に通知していますし。それから、Wikipedia:礼儀を忘れないをご存知ないのでしたら、自重して消えることをお勧め致します。悪しからず。それから、Wikipedia:署名を知っていますか?--Sdesenna 2009年3月12日 (木) 05:57 (UTC)

今までいなかったSdesennaがなんで急に出てきたの?118.6.222.83と同一人物なのはバレバレだなw ルイス・ハミルトンでもすぐリバートして編集合戦するし、ノートでもああいえばこういうと屁理屈ばかり並べ、自説をまげない奇特な人だから、みなさん相手にしないほうがいいですよ。

え?何を言っているんでしょう?私は118.6.222.83と同一人物だからあえてSdesennaを用いたんですけど?私が『なんのことだか分からない』と言っているのは、貴方が『編集合戦して』と言っていることと、『ソックパペット』と言っていることですよ。編集合戦などしていませんし、『ソックパペット』とは、貴方のように不正利用することが悪いのであって、私の利用の仕方には特に何も問題ないから、こうして堂々とSdesennaを用いたんですが?事実、私はここで終始2対1でしたが、一度として2人を装ったりするためにこのSdesennaというIDを用いてませんし、IPが変わった際にも事前に通知していますし、他人のフリなどしていません。これは今回も今までも変わりませんよ。
貴方には何度も言いますが、みんなが貴方のようにソックパペットを多様するなんて考えないほうがいいですよ。AOI-ZEROさんは不明ですが、OcreofvitSnapenマリアヤ朗由喜チャイルは、みなが周知の事実ですから。貴方は、自分の説が私に論破されたことをよほど根に持っているんですね。皆さんが言うように、相変わらず粘着質で見苦しい女性です。粘着質でないなら、もう私に関わらないで下さいよ。
そして、Wikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:多重アカウントをよく読んでください。貴方が今まで一体いくつのアカウントを利用してきたのか考えると、ぞっとします。Wikipedia:署名を忘れないで下さい。--Sdesenna 2009年3月12日 (木) 19:03 (UTC) ちなみに貴方は、「丸の内のOCN」がすべて私だと思っているようですが、違いますよ。最初に貴方のことを「粘着質」と言い出したのも私ではありません。何度も言いますが、私はIPで編集していてIPが変わった際には事前に通知しています。みなが貴方と同じようにIPやアカウントを不正利用していると考えるからそう思えるだけです。ここでの議論が常に2対1であったこと、そして指摘があれば即座にSdesennaだと認めていることを考えれば、私が貴方のような汚い手を使わないことは分かるはずです。--Sdesenna 2009年3月12日 (木) 19:18 (UTC)

汚い手を使うのはおまえだよw IPが丸の内OCNでSdesennaと同一人物なら、ルイス・ハミルトンでも丸の内OCNが編集合戦してたじゃないか。すぐリバートして、ノートでも反対の為の反対の意見を言うおまえの粘着性が同じだよ。自分がソックパペットするから他人にもやってると難癖つけるんだろ。不幸なやつだな。さっさとみんなに詫びいれて、ここに来るんじゃねえよ!気持ち悪いよ、おまえ・・・

残念ながら、ウィキペディアの全ての「丸の内OCN」が私だと思ってしまっている貴方が哀れです。東京でOCNなんて、ウィキペディア内にも相当な数の人がいますよ。残念ですが、編集合戦をしたのは私ではないです。フェルナンド・アロンソでは編集合戦を演じてしまいましたが、その際にも私はアカウントを隠すようなまねはしていませんし、最終的には他の方の賛同と相手にもご理解を頂いております。なぜ私がルイス・ハミルトンの記事でのみ、アカウントを伏せる必要などあるのでしょう?ルイス・ハミルトンのノートでも、むしろ私とAOI-ZEROさんによって編集合戦は収束しています。それに、私はAOI-ZEROさんは貴方だとは考えていません。でも「AOI-ZEROさん=貴方」と言っている人も、「丸の内OCN」ですよ。私はこの方が、最初に貴方を「粘着質」と言った人だと考えています。そこまで言うのでしたら、いつまでも匿名でWikipedia:礼儀を忘れないに反する暴言を吐き続けていないで、証明されてはいかがですか?貴方の行為は、充分に投稿ブロックに値しますよ。
いづれにしろ、ここに持ち出すような内容ではありませんし、他の方も貴方を相手にしていないようですし、迷惑がかかっていることが分かりませんか?本気で「丸の内OCN」が全て私だと思い、それを糾弾できるとお考えでしたら、もう少しガイドラインに乗っ取った対処をしないと、皆さんに言われていた通り貴方が「粘着質」だということを貴方自身で証明してしまっているだけですよ。
それに、議論をしているのに「詫びいれて」という考え方が異常です。より良い記事を作るために議論しているんですから、自説が間違っていたり、解釈が皆さんと別れたからといって、詫びなど入れる必要はありません。いい加減に見苦しい行為はやめて下さい。ちなみに私はもうSdesennaというアカウントを利用するつもりはありません。しばらくはIPで活動します。これは、貴方のような方に付きまとわれたくないからです。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 02:54 (UTC)追記--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 03:39 (UTC)

ホストが丸の内でプロバイダーがOCNで、いつも編集合戦をしているのはおまえしかいないよw バレてないと思ってるのはおまえだけ。迷惑かけてるのはおまえだということにまだ気がつかないのか?相変わらずKYな奴だな。おまえが消えれば保護も解除できるんだよ。さっさと消えろ!

自分のアカウント同士で会話して、F1関連の記事から締め出された貴方に言われたくないですよ。ここでの議論に参加しないのでしたら、ガイドラインを一切無視した書き込みはおやめになったほうがいいですよ。誰にも相手にされていないようですし。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 03:57 (UTC)

誰が締め出されたって?おまえが締め出されてることにまだ気づいてないのか?wそれよりKanbunさんの他にもPATMANさんややまとのまるち
さんにも詫びいれろよ。自分が多重アカウントいつも使ってるから、他人も使ってるとは大間違いだぞ!今までさんざんガイドラインを無視してきたおまえがいうのも気持ち悪いな。おまえみたいなやつがいるからWikipediaの記事の質が落ちるんだよ。おとなしくROMってろ!

ノート:アイルトン・セナで締め出され、ノート:ルイス・ハミルトンでも締め出され、ノート:ジャン・アレジでは、「こいつを追い出すためにはどうすればいいか考えてください。」とまで言われているじゃないですか。逆に私がどこで締め出されたんでしょう?ヒステリックな発言は見苦しいだけですよ。ここでなら賛同者を募って私に復讐できると考えているようですが、そのようにガイドラインを無視した過激な発言に、誰が賛同すると思います?貴方のような方がウィキペディアの質を下げているんですよ。「お前」とか「気持ち悪い」とか「詫びいれろよ」とか「おとなしくROMってろ」(死語ですよ)なんて発言は、ウィキペディアの利用者の中でも、下の下の最低レベルじゃないですか。ここまでの暴言を見たことがありません。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 04:26 (UTC)

そもそも私はこの記事の本文でもノートでも、一切Sdesennaを用いていないのに、何が問題なんでしょう?IPが変わった際には告知していますし、他人を装ってなどいないのに、なにか問題あります?ここでいかなる不利な状況でも決してソックパペットなど用いていないのに、他の記事ではやっている、なんて、無茶苦茶いいますね。貴方の発言の方がよほど問題じゃないですか。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 04:37 (UTC)

おまえがすぐケンカ腰になるのが問題なんだよ。おまけにルイス・ハミルトンでもIPで編集合戦をし、したり顔でSdesennaでノートで議論に参加するおまえのソックパペットぶりがバレてないとおもってるのはおまえだけw ここのやりとりもしっかり頭を使って熟読出て下さい貴方もいちいち「ちゃんと読んでいますか?」なんて喧嘩腰で失礼な人ですね。って、おまえが熟読してないからみんなに指摘されんだろ。おまえが態度を改めない限り、あちこちで問題おこしてるのがまだわからんのかね。はあ~痛い奴だなw

それとおまえがいつもソックパペットしてるから誰と勘違いしてるのかしらんが、ノート:アイルトン・セナノート:ジャン・アレジがどうかしたのか?w

上記の言い合いはこの議論とは全く関係がありません。あまりに続くようなら管理者の方にお願いしなければならない事態になりかねません。どうぞご自重ください。--サイクロントルネイド 2009年3月13日 (金) 05:08 (UTC)
ソックパペットを乱用した挙句、結局IPで罵倒するしか手段がなくなってしまった貴方がそんなこと言っても、説得力ゼロですよ。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 05:44 (UTC)

「おまえだけ」って言われても、貴方以外にどなたからもそのような指摘を受けたことないんですけど???
それはそう思っているのが「貴方だけ」だからですよ。わからないんですか?周囲に迷惑がかかっていますし、「ケンカ腰」なのは明らかに貴方です。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 05:47 (UTC)

おまえがハミルトンの記事で、IPとSdesennaでソックパペットしてたのは証明されているからなw ここでも編集合戦するわ、関係ないひとを2重アカウント呼ばわりするわ、議論が不利になると相手を罵倒するわ、みっともないったらありゃしない。屁理屈ばかり言ってないでさっさと謝れよ。

なにが証明されているんですか?私が、東京のOCNで、編集合戦をした人も東京のOCNだってことですか?何の証明にもなっていないじゃないですか。それを証明って言うんですか?証明なんてできるわけがありませんよ。事実違う人ですから。不思議な方ですね。「議論が不利になると相手を罵倒する」ことで有名なのは貴方自身ですよ。事実、今もこうして感情的に罵倒し放題じゃないですか。私は罵倒されたら返すこともありますが、積極的に人を罵倒するようなことはしません。それはここでも同じです。 もういい加減、匿名でこんな見苦しい行為をするのはやめたらどうです?貴方の人格が疑われるだけですし、私は指摘があれば堂々とアカウントをさらしているじゃないですか。貴方のようにとぼけることもできたんですよ。でも私はそんな卑劣なことはしませし、こうしてアカウントをさらしている事実・どんなに議論が不利でも貴方のように一人二役をしていない事実がそれを証明しています。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 06:08 (UTC)

はあ?おまえがここで他の人たちを罵倒してるのは明白じゃないか。「ちゃんと読んでますか?」ぐらいで、すぐ興奮して逆切れするのはおまえだけだよ。他のみんながおまえと議論したくないと言ってるじゃないか。そんなこともわからないとはかわいそうな奴w

どうみても興奮して逆上しているのは貴方ですよ。他の方に迷惑なのがまだわからないんですか?やめましょうよ。もう私に関わらないでと何度も言っているじゃないですか。なんでわざわざ関わってくるんでしょう?私に本当にそんなに問題があれば、貴方がそんなに執拗に関わらなくても、いずれそれなりの扱いをされることになるでしょう。今のところヒートアップしながらも、みなさんと議論を戦わせていますし、良い解決策も出そうな段階にきているんですよ。本当に皆さんが私と議論をしたくないのであれば、貴方が放っておいてもそのようになるでしょう。しかし、今のところ、数名の方が議論に参加してくださっています。何にしろ、気味が悪いんで、これ以上私に関わるのはやめて下さい。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 07:01 (UTC)

ウェブ上で、匿名なのをよいことに、執拗に罵倒を繰り返す、自身の粘着質な性格を自覚してください。粘着質でないのでしたら、これ以上私に関わらないで下さい。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 07:01 (UTC)

しつこいのはおまえw 相変わらず話をそらす奴だな。議論も成り立ってないだろうが。粘着質のおまえがウダウダ論点ずらしたり、暴言はいたから、ここまでややこしくなったんじゃねえか。早くみんなに謝れよ。

本当にしつこい人ですね。どなたにも相手にされていませんよ。見苦しいと思わないんですか?確かに私達のせいで貴方は4つもアカウントを使用できなくなったんですから、相当に根に持っているんでしょうけど、粘着質にもほどがありますよ。ここまでの執拗な嫌がらせをする人なんて、ウィキペディアでもなかなか見たことがありません。貴方くらいですよ。自分の行いを客観的に見てください。はっきりいって、異常です--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 10:37 (UTC)

4つのアカウント?誰と勘違いしてるの?w おまえ、あちこちで編集合戦やノートで支離滅裂なこと言うから、みんながおまえはあぶない奴と気づくんだよ。おまえほど異常な奴はなかなかいないよw 自分の間違いを素直に謝ればすむのに、ああでもないこうでもないと永遠に言い張る粘着質だからな。おまえがいると保護解除できないから、来んなここに。ウザいから消えろ!

えらそうなことを言うなら、まずWikipedia:礼儀を忘れないから初めて下さい。インデントと署名も忘れないで下さい。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 11:06 (UTC)

おまえこそWikipedia:礼儀を忘れないだよ。ノートで議論中に相手を罵倒するのはいつもおまえが最初じゃないか。だから、おまえがかかわると紛糾して解決しないんだよ。消えてくださいというのはそういう意味だよ。

横から失礼します。あまりにも失礼な言動を繰り返すのならブロック依頼に出します。--Kazusan 2009年3月13日 (金) 11:28 (UTC)

どのような指摘をしても構いませんが、貴方のそのものの言い方では、仮にどんな正論であったとしても、誰にも受け入れられませんよ。Wikipedia:礼儀を忘れないをもう一度読まれることをお勧め致します。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 11:45 (UTC)

114.145.199.222さんもいちいち反応しないでください。いつまでも無用な罵り合いが続き、きりがありません。リソースの無駄です。--サイクロントルネイド 2009年3月13日 (金) 11:53 (UTC)

検証可能性について[編集]

122.17.155.206さんは「今川義元が徳川家康を準一門扱いしていた」について検証可能性を求めておられるようです([1][2][3])が、本記事には「今川義元が徳川家康を準一門扱いしていたという説がある」という記述があるのであり、そもそも何に対して検証可能性を求めるべきなのかについて、122.17.155.206さんに誤解が生じています。また、「今川義元が徳川家康を準一門扱いしていたという説がある」という記述が検証可能性を満たしていることは以上の122.17.155.206さんの発言中に明らかです(122.17.155.206さんは「今川氏が松平氏を厚遇していたとする説があること」を検証可能にしていると認めています。)。したがって、この場合、件の記述は検証可能性を満たしているのであり、もし122.17.155.206さんが「今川義元が徳川家康を準一門扱いしていた」という事実認定にこだわるならば、中立的な観点などの面から問題にすべきです。--Kanbun 2009年3月12日 (木) 09:37 (UTC)

また根本的な問題として、「準一門という説が存在すること」はすでに書籍中に言及されているのですから、これは検証可能な事柄です。これについて異議を申し立てるというのであれば、やはり中立的な観点に頼らざるを得ないでしょう。--Kanbun 2009年3月12日 (木) 09:46 (UTC)

補足しますと、「準一門」という表現が適切かどうかに122.17.155.206さんが疑義を差し挟んでいるのなら、それは中立的な観点から探るべきで、他の書籍でそのような表現があるのかどうかという形でその表現の一般性・中立性を検討していくべきでしょう。「準一門」という表現があるということの検証可能性は満たされていますから、「準一門」という表現そのものが検証不可能なわけではなく、また「徳川家康が今川義元に準一門扱いを受けていたとする説がある」ということ自体も検証可能性を満たしています。122.17.155.206さんがこのあとこの問題の検討をさらに進めるならば、中立的な観点に照らして議論を進めるべきです。--Kanbun 2009年3月12日 (木) 16:41 (UTC)

すみませんが、議論が混乱してしまっていますので、私が問題点にしていることを、再度書かせて頂きます。
  1. 家康の幼少期(築山殿との婚姻以前)に「準一門扱い」されたという根拠分からない。
  2. 厚遇されたこと、に対する出典の表現に「準一門扱い」が登場するだけでは、「準一門扱い」に言及した内容ではないため、根拠としては乏しい。
ということなのですが、Kanbunさんの仰る「準一門」という表現があるということの検証可能性は満たされていることは理解しております。こう考えては如何でしょう?
(以下本文参照)

しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。

とされた場合に、この出典要請にたいする出典の提示は、単語として登場しているだけでは不足です。幼少期に準一門扱いされていたこと(真偽は不問)に明確に言及した出典を検証可能にすることが必要です。これでお分かり頂けないでしょうか?--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 04:12 (UTC)
コメント依頼からやってきました、サイクロントルネイドと申します。今回の件ですが、事実かどうかや、出典元にその記述があるのかどうかなどについては門外漢ですので触れませんが、出典に関して私の意見を書かせていただきます。
上記で114.145.199.222さんが問題とされている部分についてですが、現在は「歴史群像2002年8 月号 今川義元一代記」が出典とされています。その中に「近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている」を示す記述があるのならば、出典としては検証可能性を満たしているので全く問題ないと言うことになります。
話の流れから「準一門」という表現が正しいのかどうかについてこだわっておられるようですが、出典元がそのように表現しているのならそのまま使うのが的確だと考えます。ただ、yasumi氏が言われていたように現在の記述ですと準一門というのがどのような意味で用いられているのか誤解を招くおそれがあります。
記述内容からおそらく「一門に準じて扱った」という意味合いだと思いますので「西三河最大の今川与党である松平氏を重視した政策として今川氏の一門に準じて扱った」のように記述してはいかがでしょうか?--サイクロントルネイド 2009年3月13日 (金) 05:08 (UTC)

サイクロントルネイドさんへ。コメントありがとうございます。私は【「準一門」という表現が正しいのかどうか】にこだわっているのではありません。どちらにしても、文末に「という説が唱えられている」とありますので、真偽は問題ではないと思っているのですが、読者がどう受け取るのか、が一番大切だと思います。サイクロントルネイドさんのいわれた、「西三河最大の今川与党である松平氏を重視した政策として今川氏の一門に準じて扱った」+「という説が唱えられている」であれば、全く問題ないと思います。これでしたら、縁戚関係があるかのような誤解をさけられますし、単純に、一門の次に大切に扱われた、と言う意味が伝わります。私がずっと「準一門扱い」=「なんらか縁戚関係」と決め付けていたことが、議論を混乱させたようです。ただ、そのような誤解を生む文章であることも事実と思いますので、議論を提起したことは無駄ではなかったと思います。「なんらか縁戚関係」ではなく「一門に準じて扱った」であれば、私は何ら問題なく、非常に分かりやすくて良いと思います。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 05:37 (UTC)追記・修正--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 05:40 (UTC)

>文献の誤読以前に、ウィキペディアの記事自体に記載されている文面が読者にどのように受け取られる可能性があるか、が問題です。
何度も申しているように、これは中立的な観点の問題です。検証可能性の問題ではありません。検証可能性はあくまでその情報がどの文献にあるかで、その文献にどのように書かれているかは、検証する事柄です。問題なのは「準一門」という語がどういう意味内容なのかいまだ明確化していないことですが、それは中立的な観点に基づいて議論されるべきことです。件の記述は検証可能性はすでに満たしています。そこを114.145.199.222さんが納得しないと議論が進まないと最初から私は申しているのですが。私は114.145.199.222さんの疑義には首肯できるところはあると考えていますが、検証可能性を満たしていないというあなたの認識は完全に誤解です。
>この出典要請にたいする出典の提示は、単語として登場しているだけでは不足です。
>幼少期に準一門扱いされていたこと(真偽は不問)に明確に言及した出典を検証可能にすることが必要です。
単語として載っていればそのまま使用することは検証可能性に基づいて問題ありません。ただし、中立的な観点から考えれば、それが適切かどうかは考慮すべき問題です。幼少期に準一門扱いされていたことはこの記事には書かれていません。あくまでそういう説があることだけが記載されています。検証可能性は事実関係を明らかにするものではなく、記述がどこにあるかを問うもので、内容に踏み込むものではないのです。したがって、内容に関する検討は、示された文献の記述が適切か、あるいは誤読の可能性はないかなどを考慮に入れつつ、中立的な観点に基づいておこなわれるべきです。これでわかりますか?
私は114.145.199.222さんの疑義に反対しているのではなくて、あくまで今の記述が検証可能性を満たしていないとする見方が完全な誤解であると述べているだけです。そこにこだわる限り、議論は進みません。なぜなら、PATMANさんの記述は検証可能性においては問題が全くないからです。検証可能性をしっかり満たしているのに、114.145.199.222さんが検証可能性を満たしていないという形で議論をしては、PATMANさんがあなたの話を聞かなくなるのも当然です。まずは検証可能性については誤解を認めていただけませんか?話はそれからです。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 07:04 (UTC)
>簡単な解決策を考えたんですが、文章を順序道理読んでいくと、幼少期に「準一門扱い」結論に至る根拠がよくわからないと感じる人がいるのですから、「今川氏の準一門扱いであり」というフレーズを、「後年、今川氏の準一門扱いとされており」としたら如何でしょう?これでしたら、婚姻により一門、あるいは準一門として扱われたことは、その後の文章で補足されており、分かり易いと思います。後年の話などではなく、幼少期からすでに準一門扱いされていたとなると、これではダメでしょうが、如何でしょうか?
それからこの提案は検証可能性を満たしていません。ウィキペディアを自己参照している時点で検証可能性的にアウトです。検証可能性にこだわるあなたがどうしてこういういい加減な記述を提案するのですか?前記のような提案をするならば、まずPATMANさんの文献に当たって表現を確かめるか、114.145.199.222さん自身が自らの根拠とする文献を示すべきです。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 07:11 (UTC)

Kanbunさんへ・ということは、貴方はyasumiさんの言われている、「事例→結論の書き順の方が良いのかも知れない」と言う意見も、サイクロントルネイドさんの言われる、【「西三河最大の今川与党である松平氏を重視した政策として今川氏の一門に準じて扱った」のように記述してはいかがでしょうか?】と言う意見も、全く退けるわけですね?私は、「準一門扱い」=「なんらか縁戚関係」との誤解を生んだことが議論を混乱させた原因だと思っています。「準一門扱い」=「なんらか縁戚関係」との誤解を生む文章であるなら、修正するべきだと考えます。

ウィキペディアを自己参照している時点で検証可能性的にアウトです。と言っていますが、私は誤解のない文章に修正しただけですよ。今のままでは「準一門扱い」=「なんらか縁戚関係」のような誤解が生じるのであれば、実際に一門になったあとの話であるほうが誤解を生まないと考えて言ったんです。厚遇したとの説を何ら曲げるものではありませんし、yasumiさんの仰っていた、「事例→結論」の順にしただけの事で、ウィキペディアを自己参照とは全く別の話ですよ。

単語として載っていればそのまま使用することは検証可能性に基づいて問題ありません。」と仰っていますが、「準一門扱いという説が存在すること」に対して出典を求められた際に、「準一門」という単語が記載された文献があるから、その説の存在には言及していなくても「準一門扱いという説が存在すること」を検証可能にしている、と仰るのでしょうか?あくまでもこの場合、説が存在することに出典を求めているのであって、そのような単語の記載があることの検証の可能性を求めているわけではないんですが?単語の記載があるから説が存在する、とでも言うのでしょうか?説が存在することに言及していないんですよ?--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 08:13 (UTC)

>ということは、貴方はyasumiさんの言われている、「事例→結論の書き順の方が良いのかも知れない」と言う意見も、サイクロントルネイドさんの言われる、【「西三河最大の今川与党である松平氏を重視した政策として今川氏の一門に準じて扱った」のように記述してはいかがでしょうか?】と言う意見も、全く退けるわけですね?
退けてなどいません。あくまでそれは検証可能性とは無関係に論じられるべきだと述べているだけです。そして、少なくともサイクロントルネイドさんは件の記述の検証可能性については認めていらっしゃるように思われます([4])。
>ウィキペディアを自己参照している時点で検証可能性的にアウトです。と言っていますが、私は誤解のない文章に修正しただけですよ。今のままでは「準一門扱い」=「なんらか縁戚関係」のような誤解が生じるのであれば、実際に一門になったあとの話であるほうが誤解を生まないと考えて言ったんです。
これのどこがいいのかわかりません。これまでの話では「一門」と「準一門」はおそらく何らか違いがあるのでしょう?文献に基づかない勝手な解釈をし、ウィキペディアの記述に合わせて文献の情報を変えるのは情報の捏造です。ウィキペディア内の既存の記述に基づいて情報を判断する、それをウィキペディアを自己参照というのです。
>「準一門扱いという説が存在すること」に対して出典を求められた際に、「準一門」という単語が記載された文献があるから、その説の存在には言及していなくても「準一門扱いという説が存在すること」を検証可能にしている、と仰るのでしょうか?
そんなことは申しておりません。私がここで言っているのは、単語としての「準一門」の検証可能性です。また説があるかないかについても検証可能性は満たしています。件の『歴史群像』の記事は「準一門扱いであるという説がある」と記述されているのでしょう?--Kanbun 2009年3月13日 (金) 08:24 (UTC)

ちょっと待ってください。私は最後の部分をずっと問題にし続けているわけなんですが、「件の『歴史群像』の記事は「準一門扱いであるという説がある」と記述されているのでしょう?」とはどういうことでしょうか?私はずっと、「準一門扱いという説が存在すること」にたいして出典を求めているんですよ。「準一門という記載があること」は既に提示された出典で検証可能なことくらい分かっていますよ。しかし、記載があることを検証可能にできても、「準一門扱いという説が存在すること」が検証可能ではないと、ずっと言い続けているんです。「説があると記述されているのでしょう?」とはどういうことでしょうか?されているんでしょうか?いないんでしょうか?
というよりそもそも、『歴史群像』という出典は、「準一門という記載があること」は検証可能にしていますが、「準一門扱いという説が存在すること」に出典を求められた際に、実際に説が存在することを検証可能にしているのでしょうか?私はその出典をずっと要求し続けているのですが?--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 08:42 (UTC)

しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。
とされた場合に、どうするんですか?これは「準一門扱いという説が存在すること」に対する出典要請ですよ。『歴史群像』それを検証可能にしているのですか?--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 08:46 (UTC)

しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。
とされた場合に、どうするんですか?これは「準一門扱いという説が存在すること」に対する出典要請ですよ。『歴史群像』それを検証可能にしているのですか?
しています。そのうえで表現に問題があるなら、中立的な観点で争うべきです。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 08:48 (UTC)
たとえば、しかし近年、「幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であった」という説が唱えられている。という表現のほうが適切だなどという場合は中立的な観点に関する問題です。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 08:52 (UTC)
それから実際にどのように記述されているかは検証可能性とは関係ありません。
>「準一門扱いという説が存在すること」が検証可能ではないと、ずっと言い続けているんです。「説があると記述されているのでしょう?」とはどういうことでしょうか?されているんでしょうか?いないんでしょうか?
については、説が存在することは検証可能だが、説があると記述されているかどうかは検証してみないと分からないということです。これでおわかりですか?出典の内容の吟味は検証可能性ではなくて中立的な観点などに照らしておこなうのです。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 09:00 (UTC)

説があると記述されているのでしょう?」と仰っているのに、なぜ「準一門扱いという説が存在すること」を検証可能にしているなんて言えるんですか?記述されているか否か不明なんですよね?記述があることを検証可能にしているだけなんですよね?本当に「準一門扱いという説が存在すること」を検証可能にしているんですか?それならなぜ「説があると記述されているのでしょう?」などと曖昧なことを仰ったのですか?--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 09:03 (UTC)

>記述があることを検証可能にしているだけなんですよね?本当に「準一門扱いという説が存在すること」を検証可能にしているんですか?それならなぜ「説があると記述されているのでしょう?」などと曖昧なことを仰ったのですか?
繰り返しますが、説が存在することは検証可能だが、説があると記述されているかどうかは検証してみないと分からないということです。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 09:10 (UTC)

説があると記述されているかどうかは検証してみないと分からないって、それは出典が提示されてからの話ですよね?「準一門扱いという説が存在すること」自体に今のところ、出典はないんですよ。『歴史群像』は、「準一門という記載があること」を検証可能にしていますが、「準一門扱いという説が存在すること」を検証可能にするために出典された文献ではないですよね?もしそれを検証可能にするための出典でしたら、
今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。
の要出典の部分に『歴史群像』を出典としてあらためて提示すべきです。「厚遇された説がある」こととは別の出典要請なのですから。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 09:13 (UTC)

しかし、本当にこの件に関して『歴史群像』を出典として大丈夫なんでしょうか?説があると記述されているかどうかは検証してみないと分からないどころか、今のところどなたもこの出典に「準一門扱いという説が存在すること」の記述があるのか否かすらご存じないわけですよね?どなたかがそれを確認してからでなくては、「準一門扱いという説が存在すること」にたいする出典にはできないと思いますよ。その確認が取れるか、あるいは別の「準一門扱いという説が存在すること」の出典が提示されるまでは、
今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。
とされるべきではないですか?--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 09:18 (UTC)

誤解のないように、補足です。『歴史群像』が、「厚遇された説があること」と「準一門という記載があること」を検証可能にしていることは理解しておりますので、そのための出典としては受け入れています。が、「準一門扱いという説が存在すること」の出典としては、検証してみないと分からない以前に、どなたか一人でもその検証の可能性を確認しない限り、【要出典】でよいのではないでしょうか?--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 09:34 (UTC)

それから、Kanbunさんが再三ご指摘くださっている「中立的な観点」についてですが、私はまず、「準一門扱いという説が存在すること」に対する出典が存在せず、その出典を要請しているので、「中立的な観点」は「準一門扱いという説が存在すること」に対する出典が提示されて始めて論じることができると考えています。現在は、「準一門扱いという説が存在すること」を検証可能にする出典が必要だと感じていますので、検証の可能性の論点から議論をさせて頂きたいと思います。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 09:42 (UTC)


コメント依頼を見てきました。直接には関係のないことですが、114.145.199.222氏にお願いです。できればアカウントを取得してください。ウォッチリストで履歴を見たとき、可変IPではIPが変わったときに、ユーザーのつながりがわからず苦労します。

とりあえず、第三者から見たことを書かせてもらいますが、

  • 準一門という語句には出典がある
  • 準一門扱いという説が存在するというに出典がない

要するに準一門として扱ったというに対する出典を求められているということですよね。今川氏による待遇があったという説はあるが準一門とは書いていないということですよね。そうなると、中立的な観点というよりも検証可能性の方が重要だと思います。
説に対する検証可能性か、文に対する検証可能性か、今までの議論を読んでいてわからなくなりましたので、一応まとめさせてもらいました。 お二方とも一度、ウィキバケーションでもされて、ご自分の発言内容と議論の本質を比べられてはどうでしょうか?--Kazusan 2009年3月13日 (金) 10:13 (UTC)

最初に私が意見を述べてから論点が少し変わっているような気がしていたので発言を控えていたのですが、Kazusan氏のまとめられたことを踏まえた上で私の考えを述べさせていただきます。
文としての出典であれば歴史群像に記述がある以上、出典としては検証可能性を満たしていると考えられます。またその中で準一門という語句が出てきたのであればそのまま引用するのが妥当であると考えます。
私自身はこの文章を読んだ限りでは、準一門についてはあくまでも出典元から引用された表現であり、この部分の主旨は「西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。」であって、「今川氏の準一門であるという説が唱えられている。」と書かれているわけではないと思いますが、他の方はどのように考えておられますでしょうか?
その部分のとらえ方によって検証可能性を満たしているのかいないのか、変わってくると思うのですが。--サイクロントルネイド 2009年3月13日 (金) 10:45 (UTC)
Kazusanさん。コメントありがとうございます。
要するに準一門として扱ったというに対する出典を求められている
というご理解で間違いありません。
私は、今川氏による待遇があったという説を検証可能にするための出典に、「準一門という語句」があり、その出典は同時に「準一門という語句」があるということは検証可能にしていても、準一門扱いという説が存在するということに出典を要求された場合に、現状の出典ではその検証の可能性を満たしていない、と思います。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 10:46 (UTC)
サイクロントルネイドさんへ。おっしゃるとおりだと思います。文章自体の主旨は
「今川氏に厚遇されたという説がある」ことであって、「今川氏の準一門であるという説が唱えられている。」ではありません。
しかし、「準一門」という語句・表現が記されていることが検証可能なことは理解しておりますが、準一門扱いという説が存在することに対して出典を要求された場合に、そのこと自体を検証可能にする必要があると思いますが、如何でしょうか?--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 11:01 (UTC)
上でも記述しましたが、この部分は「今川氏の準一門扱いだったという説がある」と述べているわけではなく、準一門というのはあくまでも表現に過ぎません。もし記述の主旨を間違って捉え、その部分について出典を求められた場合、ノートで「出典元に記述された表現であり、今川氏の準一門扱いであるという説という意味ではない」と説明すれば済む問題だと考えます。
114.145.199.222さん自身が準一門というのが表現であると理解されているであれば、まだ出典を求められていない事案を想定して議論を行う必要はないと私は考えます。--サイクロントルネイド 2009年3月13日 (金) 11:17 (UTC)

サイクロントルネイドさんへ。私は準一門という表現を用いるに足る根拠の提示を求めているで、 これは出典要請と取って頂きたいと思います。実際に、
今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。
としても良いのですが、それは合意を形成してからが良いと思い、そのままにしております。

出典を求められた場合、ノートで「出典元に記述された表現であり、今川氏の準一門扱いであるという説という意味ではない」と説明すれば済むとのことですが、それでしたら、準一門という語句に脚注として付けるほうが、分かりやすくて適切と思うのですが如何でしょう?それでしたら私は準一門という表現をそのまま用いても問題ないと思います。--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 11:35 (UTC)

Wikipediaで求められているのはその記述内容の元となった出典であって、主旨の部分がとんでもない内容なら、その出典元は信用に足るのか?という新たな議論に展開しますが、そうでない限りその出典元の表現方法についてまで追跡して調べる必要はないと思います。つまり準一門という表現方法が正しいのかどうかは記述する上で問題ではないというのが私の考えです。
ただ、門外漢なのであくまでも読み物の一文脈として読んだ場合の意見としては、あくまでも準一門が表現として用いられているのであれば、その直前の「今川義元の松平氏に対する好意であり」と記述があるので「今川氏の準一門扱いであり、」の部分を省いて読んでも内容としては全く問題なく、省いてしまっても大丈夫ではないかなと思います。--サイクロントルネイド 2009年3月13日 (金) 12:15 (UTC)
私も省いてしまっても大丈夫と思い、当初はコメントアウトしたのですが、それで納得して頂けなかったので現在に至っております。
Wikipediaで求められているのはその記述内容の元となった出典であって」とのことですが、この場合どこからどこまでが出典の表現を引用しているのか、読者にはわかりません。分かりませんので、引用であることが分かるようにしない限り、
今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。
とされることは充分に考慮すべきだと思うのですが、如何でしょう?仮に私が、
今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。
とした場合、サイクロントルネイドさんはどのように思われますか?「準一門扱いという説が存在する」ことの検証の可能性は満たされていて、タグは外されるべきだとお考えでしょうか?--114.145.199.222 2009年3月13日 (金) 12:28 (UTC)
申し訳ありませんが、現在起こっていないことに関しての話について論じることはできません。それはその都度対処していけばいいことです。今この場で論じるべき事柄ではありません。
なお、本記事の履歴を閲覧しましたが、PATMAN氏は再三、要約欄で「参考文献そのままの引用」と説明しており、上記までの114.145.199.222さんの意見を読む限り準一門というのは出典元の一表現に過ぎないと理解されているようなのでこれ以上出典元について議論する必要はないようにお見受けしますがいかがでしょうか?記述する内容として必要かどうかはまた別の問題だと考えます。--サイクロントルネイド 2009年3月13日 (金) 12:56 (UTC)

(インデント戻します) 私もサイクロントルネイドさんと同じ意見です。省いてしまっても今川の松平へ対しての好意という点は、十分通じると思います。--Kazusan 2009年3月13日 (金) 13:40 (UTC)

なんか話が錯綜していますが、今回の件はあくまで表の記事のままの記述に即して言えば以下の通りです。
  • 「準一門」という単語は出典元にあり、検証可能性を満たしている
  • 「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている」という趣旨のことが出典元にあるとされている。したがって検証可能性を満たしている
しかしながら、
  • 実際に「準一門」という単語は出典元にある(可能性が高い)。「準一門」という表現の内容は分からない。
  • 「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている」という趣旨のことが本当に出典元に書かれているかは検証してみなければ分からない。
ということです。したがって、われわれが今すべきは本当に出典元は上のような記述をしているのか、内容的に「徳川家康が築山殿を娶る以前に今川氏の準一門扱いであった」というふうな記述になっているのかを中立的な観点に即して検証すること、また「準一門」が中立的な表現かどうか確認することです。検証可能性とは検証可能かどうかであって、事実そこに書かれているかどうかは別問題です。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 13:43 (UTC)
検証可能な記述は検証可能である限りにおいて、理由なく除去することはできませんから、除去するには
  1. 当該記述が出典元の趣旨に反する
  2. 出典元の記述は中立的な観点から見て偏っている
  3. 出典元は信頼するに足らない情報源である
などの理由が必要です。つまり接続が悪いからとか、常識に反するから、またはなくてもよいから、という理由だけではなく、中立的な観点に即しての理由付けが必要です。要は検証可能性は問題にならないので、出典あたってみるしかないでしょうということです。あるいはPATMANさんがより詳しい引用をノートでしていただけると議論は前進するのですが。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 14:21 (UTC)

要出典タグの貼付について[編集]

今の記事だと「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている[3]。」となっていますから、「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。」という一文全体が[3]という出典に基づいているということです。これはつまり、要出典を貼る場合には「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている[要出典]。」とするのが正しいのであり、「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている[3]。」という「要出典」の使い方は成立しないでしょう。したがって、仮に「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている[3]。」という貼り方をされても差し戻されるだけです。もちろん「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。」に出典がない場合には、「しかし近年、幼少期の家康を駿河国に留め置いたのは、むしろ今川義元の松平氏に対する好意であり、今川氏の準一門扱いであり[要出典]、西三河最大の今川与党である松平氏を重視しての政策であったという説が唱えられている。」は成り立つとは思われますが。--Kanbun 2009年3月13日 (金) 15:01 (UTC)

114.145.199.222です。すみません、IPが変わってしまいました。)

少し話が戻るのですが、サイクロントルネイドさんが仰っていた、
西三河最大の今川与党である松平氏を重視した政策として今川氏の一門に準じて扱った+という説が唱えられている」
ではダメなのでしょうか?私はこの表現が一番しっくり来ます。私が一番問題だと思うのは、読者がどう受け取るかということなのですが、サイクロントルネイドさんとyasumiさんが仰っていたように、「準一門扱い」という表現は、その意味合いがつかみづらく、私のように「なんらかの縁戚関係として扱われた」との誤解を招きかねないので、変えるべきだと思うのですが如何ですか?。
絶対に、出典の表現をそのまま引用しなくてはいけないというガイドラインはないですよね?
西三河最大の今川与党である松平氏を重視した政策として今川氏の一門に準じて扱った+という説が唱えられている」
という文面が良いと思うのですが、いかがでしょうか?これでしたら縁戚関係がないことは明白ですので、私が求めている『幼少期に縁戚関係があったと言う説が存在することを検証可能にする出典』は必要とは思いません。幼少期に縁戚関係があったかのような表現があると、表現としての語句だけでなく、説自体が存在する裏づけが必要と考えます。話が戻ってしまってすみません。--114.165.24.28 2009年3月13日 (金) 16:45 (UTC)
絶対に表現を変えるなというガイドラインなどありませんが、出典を引用するにあたって個人の主観を入れてしまう事は、自己の主張を出典元があるかのように偽る行為です。ですから私が元の出典に自分の意見をさしはさんだせいで、元の出典に書かれている事をゆがめているという指摘なら受け入れますが、元の出典に忠実に従う行為に対して異論を言われる筋合いなどどこにもありません。そもそも異論をさしはさんでいるのがあなたひとりしか存在しない事を自覚すべきです。出典を示した書き込みに異論があるのであれば、あなたもまた出典を示すべきです。あなたは出典もなく勝手に「属国」などという表現を使った前科がありますよね?--PATMAN 2009年3月13日 (金) 17:05 (UTC)
そもそも異論をさしはさんでいるのがあなたひとり』ではありませんよ。サイクロントルネイドさんとyasumiさんは問題を提起しております。yasumiさんは『現行の「今川氏の準一門扱いであり」って表現も良く分からないです』・『ここだけ読んでも準一門のイメージのどの辺が行為であったり優遇であったのか理解できません。』と仰っておりますし、サイクロントルネイドさんは、『yasumi氏が言われていたように現在の記述ですと準一門というのがどのような意味で用いられているのか誤解を招くおそれがあります。』と仰っています。これでも私だけだと言うのですか?誤解を招く恐れがあるといわれているのに、『元の出典に忠実に従う行為に対して異論を言われる筋合いなどどこにもありません。』と言えるんですか?
また、『与党』から『属国』への変更は、単に表現の変更であり、それに出典が必要など聞いたこともありません。個人的に適切と思われる単語表現に変更しただけです。出典が必要な変更ではありません。--114.165.24.28 2009年3月13日 (金) 17:24 (UTC)
出典の引用に関して一言申し上げます。出典元である被引用文は、原則として一切の改変をしてはいけません(著作権法43条2号反対解釈)。そもそも、検証可能性を確保する目的で引用するのですから、改変する必要はないはずです。詳しくはWikipedia:引用のガイドライン/草案をご確認ください。--やまとのまるち 2009年3月13日 (金) 17:28 (UTC)

(インデント戻し)

それは、Wikipedia:引用のガイドライン/草案の『(明瞭区別性)記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識できること 』に従ったあとの話です。先にも何度も述べていますが、引用したのであればそれを明確にすべきです。引用した箇所に『』などでを付けるべきです。--114.165.24.28 2009年3月13日 (金) 17:38 (UTC)

2009年3月13日 (金) 17:24 (UTC)の114.165.24.28氏の意見を読み、どうも私の意見の一部分だけを切り取って使われているようなので正しておきます。
私は記述を変更しなければならないとは言っておりません。「出典元がそのように表現しているのならそのまま使うのが的確だと考えます。」「またその中で準一門という語句が出てきたのであればそのまま引用するのが妥当であると考えます。」と2回言っております。それをあたかも私が記述を絶対に変更すべきと言っているように主張されるのはやめてください。
私が変更した上で記述する案を出したのは当初は出典を元にPATMAN氏が書いた文章と思っていたからです。昨日履歴を改めて確認し、引用であることに気付きました。それならば、記述自体が全て引用である以上Wikipedia:引用のガイドライン/草案に従って引用の原文そのままを記載すべきであると考えます。--サイクロントルネイド 2009年3月13日 (金) 22:59 (UTC)
該当箇所を、原文からほぼ引用形式としました。これで文句は無いと思いますが。--PATMAN 2009年3月14日 (土) 01:19 (UTC)
サイクロントルネイドさんへ。『それをあたかも私が記述を絶対に変更すべきと言っているように主張』などしていませんよ。貴方が一度発言された意見で、撤回もされてないですから『このような意見もある』と、引用することに、問題はないはずです。別の意見は、また別の話です。
PATMANさん、それでしたらWikipedia:引用のガイドライン/草案の『(明瞭区別性)記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識できること 』に従うべきと思います。私もこの議論のはじめから変更だけを提案しているわけではありません。引用箇所を明確にすることを再三提案しています。引用箇所を、なぜ明確にできないのでしょうか?引用箇所を明確にしないのでしたら、いずれは誰かに変更される可能性があります。
該当箇所を、原文からほぼ引用形式としました。』それには何の文句もありません。
しかし、引用箇所を明確にできないのでしたら、Wikipedia:引用のガイドライン/草案
(明瞭区別性)記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識できること 』を充たしておらず、読者・編集者が認識できない以上
(改変の禁止)被引用文を改変しないこと 』を実践しようにも、引用箇所が分からなければ、変更されても文句は言えません。
PATMANさんが、なぜ引用箇所を明確にできないのか、しないのか、する必要すらないと考えているのか、それを明確にして、Wikipedia:引用のガイドライン/草案の『(明瞭区別性)記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識できること 』に従わないに足る根拠を提示できれば、私も納得しましょう。いずれにしましても、『(明瞭区別性)記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識できること 』を充たしていない文章に、『(改変の禁止)被引用文を改変しないこと 』だけを主張するのはおかしいです。なぜ引用箇所を明確にできないのでしょうか?
(改変の禁止)被引用文を改変しないこと 』には従うが、『(明瞭区別性)記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識できること 』には従えない、では、筋が通りません。言いたいことはすべて言いましたので、私はこれを最後の意見としましょう。--114.145.50.247 2009年3月14日 (土) 02:00 (UTC)
1つだけはっきりとさせていただきます。私はPATMAN氏の記述した内容について異論は唱えておりません。誤解を招くかもしれないとは言いましたが、PATMAN氏の記述自体に対して異論は言っていません。「準一門」という単語は省いてもよいとしたのはあくまでも「文章」としてを読んだ上での意見です。
人の意見を引用するのであればそこに書いてあることの主旨を汲み取って使ってください。曲解されて書かれては、他の方にあたかもそれが私の意見であるかのようにとられてしまい困ります。
本題ですが、今日PATMAN氏が行った編集では、引用文は脚注部分に書かれており、「(明瞭区別性)記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識できること」に関しては用件を満たしています。個人的には引用としては長すぎるような気もしないではないのですが、それについては私には判断ができかねますので意見は差し控えさせていただきます。
なお、出典元の文章をそのまま引用するのが良いことなのかどうかはここで議論すべき内容ではないのでそれについてはガイドラインが固まり次第修正を加えていけばいいでしょう。--サイクロントルネイド 2009年3月14日 (土) 02:28 (UTC)

PATMANさん、引用箇所を明確にしていただき、ありがとうございます。大変なお手数をおかけ致しました。ご協力ありがとうございました。
Kanbunさんをはじめ、yasumiさん、Kazusanさん、サイクロントルネイドさん、やまとのまるちさん、議論にご参加頂きまして、ありがとうございました。皆様に大変な迷惑と労力をおかけ致しましたが、個人的には以前より良い記事になったと考え、満足しております。

特にKanbunさんには、私の数々の非礼にも関わらず、私の提起した議論の必要性を認めていただき、真摯に、根気強く向き合っていただきましたことに、本当に感謝しております。ご協力ありがとうございました。--114.145.50.247 2009年3月14日 (土) 02:54 (UTC)

現在の記述は以前より内容面で格段に明確になり優れたものになったと思います。これも114.145.50.247さん以下みなさまの協力とPATMANさんの適切な対応のおかげと思います。また114.145.50.247さんには以前の非礼の段、改めて謝罪し、そのうえで記事発展に結びついた、貴重な問題提起に感謝いたします。議論に参加し、記事の質向上に尽力された皆様、私が言うのも変なのでしょうが、皆様のご協力には本当に感謝しております。ありがとうございました。--Kanbun 2009年3月14日 (土) 14:43 (UTC)