ノート:徳川家康



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    「江戸幕府の支配に関して」の節について[編集]

    この節は家康に関する記述ではない紫衣事件や参勤交代などを中心に扱っており、また、出典もなく執筆者の見解と思われる独自研究も散見され、信頼性にも疑問があります。「徳川家康」の記事としてこの節は必要なのでしょうか? --Y.haruo会話) 2017年9月20日 (水) 13:59 (UTC)返信[返信]

    「近現代における評価」について[編集]

    「近現代における評価」節なのですが、(、『徳川家康神格化への道 : 中世天台思想の展開』 や『天下人の神格化と天皇』が信頼できる情報源であることに異論はありませんが)全体として山岡荘八の小説や池宮彰一郎の小説の小説、司馬遼太郎の小説(のあとがき)といったものでの扱われ方が中心となっています。これは歴史上の人物としての徳川家康の「評価」というより、「創作作品における描かれ方」といった内容ではないでしょうか。また、武光誠氏は日本史研究者とはいえ、古代史が専門ですし、武光誠#著書にあるような著書のタイトルや冊数からしても、信頼性に疑問があります。マイケル・アームストロング氏はコラムニストですので、その評価を載せる必要はないようにも思います(WP:RSWP:IINFO)。 節の名前を「創作作品における描かれ方」に変えることを提案します。--伊佐坂安物会話/履歴) 2018年2月3日 (土) 03:13 (UTC)返信[返信]

    コメント 主旨には概ね賛成ですが、学術的な評価と、創作作品の描かれ方・一般的な受容評価に別けても良いのではないでしょうか。--ジャムリン会話) 2018年2月3日 (土) 05:43 (UTC)返信[返信]
    コメント 私も趣旨には賛成ですが、ジャムリンさんの意見と同様で「近現代における評価」節は必要で分けるべきだと思います。ただし、そのうち「一般的な受容評価」として社会的な評価を別にするのはおかしいと思います。これで問題なのは、明治政府が撒いたとされる徳川幕府と「狸おやじ」との最近までの悪評から、山岡荘八の小説『徳川家康』から再評価が始まったのは事実なのです。ただし、他の小説は評価に関係はないはずです。なお、武光誠氏は古代史が専門ですが、戦国江戸時代関係の本を13冊も出していて読み物書でタイトルはともかく、歴史学者だし無碍に否定すべきとは思えません。マイケル・アームストロング氏は専門家でもないし、言われるとおりだと思います。--奈良たかし会話) 2018年2月3日 (土) 06:13 (UTC)返信[返信]
    コメント お二方ともコメントありがとうございます。学術的な「近現代における評価」節が必要なのは皆様の仰るとおりだと思います。とりあえずマイケル・アームストロング氏による評価が不要であることは議論の余地がなさそうなので除去しました。--伊佐坂安物会話/履歴) 2018年2月9日 (金) 15:50 (UTC)返信[返信]

    源氏復姓時期の慶長年間吉良系図改修について[編集]

    利用者‐会話:126.28.200.44少し編集合戦になりかけていますが、そもそもこの事項に議論があるからと言って、両論併記の原則を無視して別の説に否定的に移動させて(別の説への転記であるし、復姓の時期に議論があることを確認してください)というのはおかしいでしょう。笠谷和比古説はまだ論文しかなく、復姓の時期や「秀吉が征夷大将軍との日本国内で関西関東で二重権力に配置しようとした」というのは、学会でも十分な議論はないと思います。「~の従来の説があるが、~の理由で議論がある」と両論併記にすべきでしょう。--奈良たかし会話) 2020年2月24日 (月) 12:26 (UTC)返信[返信]

    奈良さん、まずこの点を確認させてください。

    1. 両論併記にすべき←そもそも私が記述を移動する前には「家康が源氏に改姓したのは関ヶ原の戦いの後」という趣旨の記述しかありません。これは両論併記の状態でしたか。
    2. 基本的に家康の姓氏については渡辺世祐「徳川氏の姓氏に就いて」や星野恒「三位中将藤原家康」などの昔から、論文で検討されている話です。家康の姓氏のみを扱った単著は実在しますか。出典に使われていた中公新書の『近衛前久』(1994年)はそれに該当する単著に該当しますか。
    3. さらに言えば当該論文は『関ヶ原合戦と近世の国制』(思文閣出版 2000年)に所収されています。なぜ論文しか無いと判断されたのですか。
    4. 私が記述したのは「家康が源氏を称したのは関ヶ原以降である」という説についてであり、笠谷氏が源氏復姓の理由について述べているのはもともとの記述にあったものです。今回私はそれを補足したのみです。さらに「笠谷和比古」の個人的な見解であることを明記しています。
    5. 復姓の時期に関しての「十分な議論」というのはどの程度を指しますか。壬生家文書や家康の朱印状は偽書だという説が出ていますか。反論の論文があるのでしたらそれを述べてください。論文は出典にならないという意見をお持ちでしたら単著で示してください。--126.28.200.44 2020年2月24日 (月) 15:25 (UTC)(修正)--126.28.200.44 2020年2月24日 (月) 15:25 (UTC)返信[返信]
    なるほど過去にも論文があるのですね。書かれたのは「家康が源氏を称したのは関ヶ原以降である」という説だけの記述だというのは、わかりました。私としては従来説が書かれていなかったので中公新書の『近衛前久』出典で書いて、笠谷説との対比で両論併記のつもりでいたのです。それと論文が出典にならないと書いたつもりはなく、学会で笠谷説がきちんと従来説を覆すほど認められていないのではという記述です。広い意味で「~の従来の説があるが、~の理由で議論がある」と両論併記になってることを再確認しましたのでこの編集を認めたいと思います。--奈良たかし会話) 2020年2月24日 (月) 15:49 (UTC)返信[返信]
    確認しました。学会の動向をご存知でしたら記述してください。--126.28.200.44 2020年2月25日 (火) 13:31 (UTC)返信[返信]

    :File:Tokugawa Ieyasu2.JPG → :File:Tokugawa Ieyasu2 full.JPG[編集]

    File:Tokugawa Ieyasu2.JPGFile:Tokugawa Ieyasu2 full.JPG

    --以上の署名のないコメントは、119.82.29.13会話)さんが 2020-11-27T17:42:23(UTC) に投稿したものです(郊外生活会話)による付記)。修正:--ジャムリン会話) 2020年11月28日 (土) 04:00 (UTC)返信[返信]

    • コメント なぜ画像を変更すべきか説明していただけますか(明らかな誤字などではないので、理由なく依頼されても基本的に対応できません)--郊外生活会話) 2020年11月27日 (金) 17:47 (UTC)返信[返信]
      • 国立博物館所蔵用として出た正式画像だと知っています。文書にある画像より要請した画像が正式に出た画像だと知っています。119.82.29.13 2020年11月28日 (土) 17:31 (UTC)返信[返信]
        • コメント ご説明ありがとうございます。ただ個人的には反対寄りです。人物記事での画像ですから、人物の顔がクローズアップされる形でトリミングされていることには意味があるだろうと思います(もちろん絵画記事であれば全体を表示していた方が良いと思いますが)。ただ、徳川家康について詳説した日本史学の専門書でその画像がでてきてクローズアップでもなく全体で表示されている(背景も含めて徳川家康を語る上で重要だったりすることが明示されている)ようであれば別でしょうが、そうでなければ積極的に画像変更を行うのはためらいます。--郊外生活会話) 2020年11月28日 (土) 18:47 (UTC)返信[返信]
        • コメント このページでほしいのは人物部分であるため余計な部分は切り取ってしまうのがベストでしょう。フルサイズが求められるのは徳川家康三方ヶ原戦役画像狩野探幽かと思われます。キャプションあたりからリンクを貼ってフルサイズの各ページに誘導してみてはいかがでしょう? --Triglav会話) 2020年12月2日 (水) 21:07 (UTC)返信[返信]
          • 同義 分かりました。3番目の回答に同意し、現在Tokugawa Ieyasu2 full。JPG フルバージョンのファイルは他の言語版文書にすでに多く使われており、現在は全体として出てくるファイルが使われているようです。 この意見に同意します。 119.82.29.13 2020年12月3日 (木) 08:47 (UTC)返信[返信]

    終了 1か月経過したので。--Yxp on riverside会話) 2021年1月11日 (月) 21:57 (UTC)返信[返信]

    墓所・霊廟「日光東照宮の奥社宝塔」[編集]

    読みが「ほくしゃほうとう」とされていますが、これはおそらくその次の一文で出典としてあげられている文化庁のデータベースが根拠になったものと思われます。
    同データベースでは2022年7月24日閲覧時点で確かに「ほくしゃほうとう」となっており、これについて文化庁に問い合わせたところ7月28日付で「それは誤りで、正しくは『おくしゃほうとう』」との回答があり、データベースも修正されました。
    それ以外の根拠がないのであれば、「ほくしゃほうとう」の読みについては消去すべきものと思われます。--Nao Costas会話) 2022年7月29日 (金) 03:22 (UTC)返信[返信]

    賛成 日光市HP『建造物一覧-東照宮4』でも「おくしゃほうとう」の読みなのを確認しましたので消去に賛成です。--奈良たかし会話) 2022年7月29日 (金) 07:48 (UTC)返信[返信]
    当該の一文を消去しました。--Nao Costas会話) 2022年8月5日 (金) 02:45 (UTC)返信[返信]

    「清和源氏の世良田氏が三河守を任官した前例はない」という記述について[編集]

    「清和源氏の世良田氏が三河守を任官した前例はない」という記述は『流浪の戦国貴族 近衛前久』が出典だとされておりますが、私が拝見したところ次のような記述になっておりました。
    「ここで先例とされたのは新田氏庶流で鎌倉時代中期の人物、世良田三河守頼氏の例であり、(中略)新田源氏の松平氏としてか、あるいは、新田源氏の徳川氏としてか、いずれにせよ、永禄九年に家康は叙爵と三河守任官を申請した。しかし、これについては「先例がない」ということで、勅許が滞った。実際に先例があるかどうかは別の問題であり、天皇としては、精一杯威厳を繕うため、あるいは、より即物的に礼金の額をつりあげるために、難癖をつけたというところであろう」
    ここから「清和源氏の世良田氏が三河守を任官した前例はない」という記述に要約するのは無理があろうと思います。記述を変更するべきなのではないでしょうか?--無水月 2022年12月4日 (日) 04:38 (UTC)返信[返信]