ラムセス2世

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ラムセス2世
Ramesses II
アブ・シンベルにあるラムセス2世の像
アブ・シンベルにあるラムセス2世の像
古代エジプトファラオ
統治期間 紀元前1290年 - 紀元前1224年、または紀元前1279年 - 紀元前1212年第19王朝
前王 セティ1世
次王 メルエンプタハ
配偶者 ネフェルタリ
イシス・ネフェルト[1]
マートネフェルラー[注釈 1]
子息 カエムワセト
メルエンプタハ
セティ1世
トィ
没年 紀元前1224/12年
埋葬地 KV7

ラムセス2世(Ramesses II、紀元前1314年頃 - 紀元前1224年、または紀元前1302年頃 - 紀元前1212年)は、エジプト新王国第19王朝ファラオ(在位:紀元前1290年 - 紀元前1224年、または紀元前1279年 - 紀元前1212年)である。

その治世において、エジプトはリビアヌビアパレスチナに勢力を伸張した。

ラメセス2世ラムセ2世とも表記される。ラムセスという名は、ラーによって生まれたという意味の「ラー・メス・シス」のギリシア語読みである。なお、ラムセス3世以降の同名を称する第20王朝のファラオとの血縁関係は無いとされる。即位名はウセルマアトラー・セテプエンラー(User-maat-Ra Setep-en-Ra)。これは「ラーのマート(正義、真理、宇宙の秩序などの意)は力強い、ラーに選ばれし者」を意味し、これをギリシャ語訳した「オジマンディアスコイネー:Οσυμανδύας、Osymandýas)」の名でも知られる。

生涯[編集]

年代には諸説あるが、24歳で即位し、66年間統治し、90歳で没したとされる。その間、第1王妃ネフェルタリのほか、何人もの王妃や側室との間に、賢者として名高いカエムワセト、後継者となるメルエンプタハなど111人の息子と69人の娘を設け、娘の中には父親であるラムセス2世と親子婚を行った者もいる。もっとも、この大半は養子であり、王の息子の称号を与えられただけだという説もある。しかし、非常に大柄(約180cm)であり、優れた戦士であったことが伝わっているラムセス2世が多くの子を残さなかったとは考えにくく、彼らは王の実子であると考える者もいる。

治世第5年の紀元前1286年、総勢2万の兵を率いてカデシュの戦い親征し、ムワタリ2世率いるヒッタイトと戦った。エジプトは偽情報に踊らされた結果有力な軍団を壊滅させられるなど苦戦しつつも、ラムセス2世の武勇によって勝利を収めたが、ヒッタイト勢力をパレスチナから駆逐するには到らなかった。両者ともに相手を退けるに到らず、長年戦争を続けたのち、ラムセス2世の第21年(紀元前1269年)、エジプトとヒッタイトは平和条約(en:Egyptian–Hittite peace treaty)を結んで休戦し、ラムセス2世はヒッタイト王女を王妃に迎えた。これは世界史で最初の平和条約と呼ばれる。条約文はヒッタイトの首都ハットゥシャの粘土板やエジプトの神殿の壁面でも発見された。またカデシュの戦いにおけるラムセス2世の勝利の喧伝は、エジプト軍の軍制改革の妨げとなり後に災いを残すことになる。ラムセス2世はこの戦いの栄光を自賛するため宮廷書記ペンタウルに詩を作らせ、カルナック神殿からアブ・シンベルに至るまでの大神殿の壁に詩を彫らせた。

ラムセス2世はまた、ナイル第1滝を越えてヌビアに遠征した。ラムセス2世は戦勝の記念碑を多く築き、現在もっとも記念碑の多く残るファラオとなっている。ヌビアは後にエジプトに同化され、本家エジプトの衰退を救う形で王朝を立てることになる。

カイサリアエウセビウスなどキリスト教教会史家の間には、ラムセス2世を『出エジプト記』に登場する、イスラエル人奴隷から解放するようにモーセが要求したファラオと同一視する者がある。また、次代ファラオのメルエンプタハとする可能性は更に高い[注釈 2]

ラムセス2世は、紀元前1290年に首都をテーベから、ナイル川のデルタ地帯の東に作ったペル・ラムセスに遷都した。また、テーベ、ルクソール、カルナックの神殿を整備した。テーベには葬祭用の巨大な「永遠の城」ラメセウスを建てさせた。そして、ヌビアにも多くの記念建造物を建てさせている。

ラムセス2世はまたアブ・シンベル神殿を造営した。これはアスワン・ハイ・ダムの建設に伴って移転され、これを機に世界遺産の制度が制定された。現在アブ・シンベル神殿は世界遺産に登録されている。他にも「カルナック神殿」や「ラムセス2世葬祭殿(ラムセウム)」等多数の建造物を残している。

家族[編集]

ラムセス2世は生涯に8人の正妃、および多くの側室を娶り、100人以上の子をもうけたとされる。前後して4人の王子を立太子した。

王太后[編集]

トィ(Tuya):セティ1世の王妃(側室の可能性もある)。夫の統治時代にはほとんど記録がなかったが、ラムセス2世即位後は活躍が目立つ。ラムセス2世がラムセウムの中トィの記念堂を設立し、墓所の規模もラムセス2世の後宮女性の中で最大(Qv80,壁画は焼失した)。女神官「神后(God's Wife)」の称号を持ち、大きな政治権力を持っていた。ヒッタイトとの平和条約中にも彼女の署名がある。

王妃[編集]

ラムセス2世の王妃(正妃)は、ネフェルタリ・メリエンムト(Nefertari-Meritmut)、イシス・ネフェルト(Iset-nofret)、ベント・アンタ (Bint-anath)、ネベイタウェイ(Nebettawy)、メリトアモン(Meritamen)、ヘヌトミラー(Henutmire)、マートネフェルラー(Maathorneferure)の8人。

  • ネフェルタリ :ラムセス2世最初の正妃であり、「世襲貴族女性(Hereditary noblewoman)」「神后(God's Wife)」の称号を持ち、数多いの妃の中で最も有名な妻。政略結婚であり、長男アメンヘルケブシェフが生まれると、彼女は最初の正妃になったとされる。ラムセス2世がアブ·ジンベル神殿の隣にネフェルタリと女神ハトホルのための小神殿を建立し、王妃の谷に壮麗な墓(Qv66)を作っている。彼女正妃としての在位時間は25年ぐらいだが、実際の活躍期は3年だけである。ラムセス2世即位5年後、彼女の姿はほとんど夫のそばに消えた。彼女が第四王女/正妃メリトアモンをはじめ5人の息子と娘を儲けた後、ラムセス2世即位25年ほどで世を去った。
  • イシス・ネフェルト :出自は不明。王族や貴族の称号を両方とも持っていないので、平民出身の可能性もある。彼女はラムセス2世最初の妃の一人であり、第一王女/正妃ビンテ· アナス、第五王女/正妃ネベイタウェイ、王太子ラムセス、王太子/メンフィス大神官カェムワセトとファラオメルエンプタハの母であり、存在が極めて伝説的な妃。彼女が正妃になった時期は不明である。ネフェルタリの死後彼女が正妃となった可能性があるが、ネフェルタリとともに立后し、ネフェルタリよりも先に亡くなったとする説もある。イシス・ネフェルト墓所は未だ明らかでないが、ある金庫保管員墓所中の葬品に彼女墓所の場所について、暗号らしい物が残っている。この葬品には「王国至高の支配者の側(Near the First Commander of All Land)」「天水の下(From end of water of sky)」記載されてので、彼女の墓所が国王の谷に、息子メルエンプタハや夫ラムセス2世の墓所周辺である可能性が高い。
  • ベント・アンタ:第一王女。ラムセス2世とイシス・ネフェルトの娘。彼女はネフェルタリがまだ生きている間に正妃になって、父ラムセス2世と結婚した王女。「女性後継者(female heiress)」 の称号を持ち 、女大臣のような存在。前後して5人の正妃と権力を分かち合うらしい。唯一ラムセスとの間の子供を産んだ娘。カルナック神殿の王妃像で有名であった。
  • メリトアモン:第四王女。ラムセス2世とネフェルタリの娘。母ネフェルタリ死後が正妃となった。 下位女神官「奏者(Singer)」の称号を持ち、姉ベント・アンタと権力を分かち合ったらしい。美しいの像「白い王妃(White Queen)」で有名であった。
  • ネベイタウェイ: 第五王女。一般的にイシス・ネフェルトの娘と思われているが、 ネフェルタリや他の側妃の娘とする説もある。 姉ベント・アンタと一緒にヒッタイト王女マートネフェルラーを迎えた。
  • ヘヌトミラー: ラムセス2世の同母妹。セティ1世とトィの三番目の王女。
  • マートネフェルラー:ヒッタイト王女。ヒッタイト王ハットゥシリ3世と正妃プドゥヘパの娘。紀元前1245年2月にエジプトに送られ、そしてラムセス2世と結婚した。夫との年齢差は30歳を超えて、ラムセス2世が彼女に一目惚れした伝説が多い。難産で死去。ひとり娘の名前はネフェルラー(Neferure)。

側妃[編集]

ラムセス2世の側妃は100人を超えているが、名前を残す妃がかなり少ない。

  • ステラーリ(Sutererey):王子ラムセス·セプター(Remesses-Siptah)の母。
  • イェ(Iwy):王女ピプィ(Pypuy)の母。

子供[編集]

ラムセス2世には100人以上の子供がいたが、その中で、ネフェルタリとイシス・ネフェルトの子供の記録が比較的多い。

息子[編集]

  • アメンヘルケブシェフ(Amun-her-khepeshef):长男、最初の王太子。ラムセス2世とネフェルタリの息子。 アブ・シンベル大神殿や小神殿に展示される。「軍隊司令官(Commander of the Troops)」の称号を持ちので、 軍隊の中で重要な役割を果たす。
  • ラムセス(Remesses):次男、王25年に兄アメンヘルケブシェフに代わって、王太子となった。ラムセス2世とイシス·ネフェルトの息子。ラムセス2世子供の中唯一の「ラムセス」。アブ・シンベル大神殿に展示される。「第一大将軍( First Generalissimo )」の称号を持ち、また宮廷裁判を主宰した記録があるので、宮廷や軍隊中でも重要な人物である。
  • プレヒルウォンメフ(Pre-hirwonmef):第三王子。ラムセス2世とネフェルタリの息子。アブ・シンベル小神殿に展示される。
  • カエムワセト(Kheamwaset):第四王子。メンフィス大神官。ラムセス2世とイシス·ネフェルトの息子。 兄ラムセスの死後王50年にが王太子となった。ラムセス2世数多いの子供の中で最も有名な存在、人類史に銘記されている。
  • セティ(Sethi):第九王子。ネフェルタリまたイシス・ネフェルトの息子。
  • メルエンプタハ( Merneptah):十三王子。 19王朝四代目のファラオ。 ラムセス2世とイシス・ネフェルトの息子。兄カエムワセトの死後王55年に後継者に指名された。このときすでに40歳を超えていたが、ラムセス2世はその後さらに20年近く在位したため即位したのは実に60歳を超えてからのことであった。
  • メルトアトゥム(Meryatum):十六王子。ラムセス2世とネフェルタリの息子。アブ・シンベル小神殿に展示される。少なくとも王30年の時に彼がまだ生きてる。

[編集]

  • ベント・アンタ (Bint- anath):第一王女。正妃。ラムセス2世とイシス・ネフェルトの娘。アブ・シンベル大神殿に展示される。父との間に名前不明の娘がいる。
  • バークムト(Bakemut):第二王女。母不明。アブ・シンベル大神殿に展示される。
  • ネフェルタリ(Nefertari):第三王女。ネフェルタリの娘の可能性が高い。アブ・シンベル大神殿に展示される。
  • メリトアモン(Meritamen):第四王女。正妃。ラムセス2世とネフェルタリの娘。アブ・シンベル大神殿や小神殿に展示される。
  • ネベイタウェイ(Nebettawy):第五王女。正妃。ラムセス2世とイシス・ネフェルトの娘。アブ・シンベル大神殿に展示される。
  • イシス・ネフェルト(Isetnofret): 第六王女。イシス・ネフェルトの娘の可能性が高い。イシス・ネフェルト2世(メルエンプタハの正妃)本人の可能性もある。 アブ・シンベル大神殿に展示される。
  • へヌタウェイ(Henuttawy):第七王女。ラムセス2世とネフェルタリの娘。アブ・シンベル 小神殿に展示される。

ミイラ[編集]

ラムセス2世のミイラ

ラムセス2世のミイラは1881年に発見され、現在はカイロエジプト考古学博物館に収められている。身長は173cmである(古代エジプトの成人男性の平均身長は160~165cmであった)。これが死亡時の身長であることを踏まえれば、全盛期の王が伝承通りの体躯を誇っていた可能性が非常に高い。調査によって生前関節炎を患っていたものの、死亡推定年齢は88~92歳であった(古代エジプト人の平均寿命は35~40歳)。また、ミイラに残っていた頭髪の毛根から髪の色は赤色であると推定されている。

なお、ラムセス2世のミイラはテーベ大司祭パネジュウム2世の家族墓で見つかったが、過去2回埋め直されている。

20世紀後半になって、皮膚組織にカビの一種が発生したため、調査を兼ねてカビの除去と劣化防止処置を行うためフランスへ出国、儀仗兵が捧げ銃を行う国王への礼をもって迎えられた。この際に「生きているエジプト人の扱いでパスポートも支給され、職業の欄には「ファラオ」と記入されていた」とされるエピソードが伝わっているが、根拠のない俗説である。

孫娘イシスネフェルトの墓[編集]

2009年3月4日吉村作治率いる早稲田大学サイバー大学合同古代エジプト調査隊は、カイロ近郊のアブシールにある南丘陵遺跡において、ラムセス2世の孫娘であるイシスネフェルトの墓を発見したと発表した。第4王子カエムワセトには同じ名の一人娘がいたことは判明していたが、丘陵の地下で発見された埋葬室の中に石灰岩製の石棺があり、「イシスネフェルト」という名前が書かれていたことなどから、孫娘と判断した[2]

だが考古最高評議会は、墓の建築様式や、そもそも古代エジプトにはイシスネフェルトという名の女性が多かったという理由などから、否定的な見方を示していると伝えられており、石棺の中にあった3体のミイラの正体については研究が続けられている[2]

登場作品[編集]

ゲーム[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ハットゥシリ3世の娘
  2. ^ 『出エジプト記』1章11節にモーセ誕生の少し前のエピソードとして、イスラエルの民がファラオのために「ピトムとラムセス」という街を立てさせられたという記述があり、2章23節では出エジプトまでにファラオが世代交代した説明がある。

出典[編集]

  1. ^ 吉村作治 『古代エジプト女王伝』 新潮選書、1983年、p. 131
  2. ^ a b “三千年前の「高貴な女性」の墓、早大チームがエジプトで発掘”. AFP. (2009年3月4日). http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2577965/3877065 2011年2月15日閲覧。 

関連項目[編集]

先代:
セティ1世
古代エジプト王
138代
前1279年 - 前1212年
次代:
メルエンプタハ