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松平正方

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松平正方
時代 江戸時代中期
生誕 享保4年9月25日1719年11月6日[1]
死没 明和5年6月6日1768年7月19日[2]
改名 友吉→大蔵→求馬
戒名 還想院殿念誉祐心大居士
墓所 駒込蓮光寺
官位 従五位下、飛騨守、市正
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
氏族 大河内松平家
父母 父:松平正久 母:栄林院(家女 野口氏)
養父:松平正億
兄弟 正貞、長次郎、正佐、末之進、万作、正武
正方、女、女、女、女
まつ(伊東長救の娘)
大河内栄次郎、大河内正富
かつ(松平方政室)、てつ
養子:方政
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松平 正方(まつだいら まさかた)は、江戸時代中期の旗本寄合)。正朝系大河内松平家4代。石高は3500石。

生涯

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享保4年(1719年)9月25日に上総大多喜藩主・松平正久の七男として生まれる。享保15年(1730年)11月17日に分家の当主で従兄にあたる松平正億末期養子となり、12月27日に家督を相続する。享保16年(1731年)6月13日に初めて将軍吉宗に拝謁し、大蔵と改名する。享保20年(1735年)1月13日から元文2年(1737年)8月23日まで牛込口門番を勤める。寛保元年(1741年)11月2日、中奥小姓となる。延享元年(1744年)10月7日、従五位下・飛騨守に叙任される。宝暦5年(1755年)8月28日、新番頭となる。跡継ぎがいなかったため、宝暦7年(1757年)4月9日に実兄松平正武の次男の亀次郎(方政)を婿養子とする。宝暦10年(1760年)11月9日、小姓組番頭となる。明和2年(1765年)8月22日、市正と改名する(酒井飛騨守忠香が西丸若年寄に就任したため)。11月15日に書院番頭となる。明和4年(1767年)8月、大病を患っていた嫡子方政を廃嫡する。明和5年(1768年)6月6日に死去。享年50(公的には55)。家督は嫡孫の友吉(松平正愛)が相続した。

参考文献

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脚注

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  1. ^ 公的には正徳4年(1714年)生まれとして届ける。
  2. ^ 寛政重修諸家譜』では6月8日とする。