コンテンツにスキップ

野田征稔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Unamu (会話 | 投稿記録) による 2022年1月3日 (月) 10:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (外部リンク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

野田 征稔
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長崎県諫早市
生年月日 (1941-12-05) 1941年12月5日(82歳)
身長
体重
176 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1963年
初出場 1965年6月5日
最終出場 1975年10月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

野田 征稔(のだ ゆきとし、1941年12月5日 - )は、長崎県諫早市出身の元プロ野球選手内野手外野手)・コーチ監督

来歴・人物

PL学園高では1番・二塁手として活躍し、3年次の1959年夏の甲子園大阪大会で準々決勝に進出するが、後にプロで同僚となるエース・久野剛司を擁する八尾高に敗退。卒業後の1960年からはPL教団でプレーし、土井垣武コーチの指導を受ける。1962年都市対抗近畿予選で負けた後にチームが解散したためプロ入りを望み、1963年秋に阪神タイガースへテスト入団。同年は選手登録されておらず、選手登録は1964年からであるが、PL学園出身のプロ野球選手第1号である。

テストをした時に藤本定義監督に俊足に目を付けられ、入団後は吉田二世と囁かれた。脚力と守備力は二軍でずば抜けており、3年目の1965年は終盤の3試合に二塁手・遊撃手として先発を果たす。1967年は主に外野手として起用されて10試合に先発出場し、1968年にはウエスタン・リーグ首位打者を獲得。1969年に内野手へ戻ると、1970年は故障の藤田平に代わって7月から遊撃手に入り、88試合に出場。1971年は負傷欠場の安藤統夫に代わり6月から二塁手の定位置を得ると、チャンスメーカーとして活躍し打率.259を記録。1973年までレギュラーを守り、同年にはリーグ最多の21犠打を記録するが、1974年には開幕戦には先発出場するものの中村勝広にポジションを譲る。1975年引退。

引退後も阪神に残り、マネージャー(1976年 - 1977年)を経て、1978年の1年間だけ二軍守備・走塁コーチを務める。1979年からはフロント管理部ファーム担当となり、次長まで昇進。1988年から1989年にかけては村山実監督の専属マネージャーとして活躍し、同年10月には辞任の村山と新監督・中村の握手を影で演出するが、後に「監督交代のたびに前後が断ち切られる阪神の悪しき伝統を打ち破りたかった」と語っている。1995年のシーズン途中からは監督の中村が休養、二軍監督の藤田が監督代行就任に伴い二軍監督となる。1996年、首位から18ゲーム離れた最下位に終わり、同年退任。1997年から再びフロント入りし、2001年に営業部次長として定年を迎える。定年後は編成部の嘱託スカウトとなり、2004年まで務め退団した。この間にはタイガースOB会の役員となり、少年野球の指導にも力を入れる。

退団後、野球タイ王国代表のコーチを2006年まで務める。2008年BCリーグ福井ミラクルエレファンツ野手コーチに就任。2010年からは監督を務める。2011年のシーズンを最後に勇退した[1]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1965 阪神 8 11 10 0 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .200 .273 .300 .573
1966 16 6 6 2 3 0 0 1 6 1 0 1 0 0 0 0 0 2 0 .500 .500 1.000 1.500
1967 40 39 37 2 3 0 0 0 3 0 1 0 1 0 0 0 1 13 1 .081 .105 .081 .186
1968 39 23 22 5 1 0 0 1 4 2 1 0 1 0 0 0 0 11 1 .045 .045 .182 .227
1969 31 55 51 5 8 1 1 1 14 4 2 3 0 0 4 0 0 7 1 .157 .218 .275 .493
1970 88 137 127 17 30 2 2 3 45 14 9 3 4 0 5 0 1 15 0 .236 .271 .354 .625
1971 106 370 340 34 88 7 1 1 100 9 17 7 16 0 12 0 2 31 9 .259 .288 .294 .582
1972 99 274 254 31 53 12 2 1 72 6 7 2 7 0 11 0 2 33 8 .209 .247 .283 .531
1973 109 371 325 29 72 13 0 3 94 13 4 3 21 0 20 0 5 51 8 .222 .277 .289 .566
1974 40 83 75 5 17 3 0 0 20 0 3 1 0 0 5 0 3 20 2 .227 .301 .267 .568
1975 32 21 20 7 6 0 0 1 9 2 1 0 0 0 1 0 0 4 1 .300 .333 .450 .783
通算:11年 608 1390 1267 137 283 39 6 12 370 52 45 20 50 0 59 0 14 188 31 .223 .266 .292 .558
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 72 (1963年)
  • 38 (1964年 - 1969年)
  • 2 (1970年 - 1975年)
  • 75 (1978年)
  • 84 (1995年 - 1996年)
  • 77 (2008年 - 2011年)

脚注

  1. ^ 監督、コーチ勇退のお知らせ”. 福井ミラクルエレファンツ (2011年10月17日). 2011年10月18日閲覧。

関連項目

外部リンク